#24 〜ピカある探訪記✧*〜 なごや観光ルートバス編(十一) 10.広小路伏見
前回記事:#23 〜ピカある探訪記✧*〜 なごや観光ルートバス編(十) 9.広小路栄
こんにちは。
ぴかるまこと編集部、「ピカある探訪記」担当のぴかるまことです。
前回は、中部電力 MIRAI TOWERを中心に、名古屋の近代的な発展を象徴する「広小路栄」の街を歩きました。
今回の出発点は、なごや観光ルートバス「メーグル」の広小路伏見停留所です。
広小路栄は名古屋に住む人にとっては、名古屋のオフィス街の中心としておなじみの場所です。
ルートガイド
名古屋駅🚏 ─ トヨタ産業技術記念館🚏 ─ ノリタケの森西🚏 ─
四間道🚏 ─ 名古屋城🚏 ─ 名古屋城東・市役所🚏 ─
徳川園・徳川美術館・蓬左文庫🚏 ─ 文化のみち二葉館🚏 ─
中部電力 MIRAI TOWER🚏 ─ 広小路栄🚏 ─ ✎広小路伏見🚏 ─
《復路》─ 名古屋城🚏 ─ 四間道🚏 ─ ノリタケの森(4番)🚏 ─ トヨタ産業技術記念館🚏 )─ 名古屋駅🚏
バス停情報
バス停 広小路伏見
メーグルを「広小路伏見」で降りると、まず目に入るのがでんきの科学館です。
ここは中部電力が運営する科学館で、電気やエネルギーについて、工夫を凝らした展示や実験を通して楽しく学ぶことができます。
そして、でんきの科学館の正面に見えるのが、ギリシャ様式の石柱が印象的な建物。
三井住友銀行名古屋支店です。
🗺マップを回すと見えます。
広小路通沿いには、こうした歴史を感じさせる建物がいくつも残っています。
現在は大きなビルが立ち並ぶ伏見ですが、少し目線を変えて歩いてみると、近代の名古屋がつくられていった時代の面影を見つけることができます。
名古屋の「台所」?
ここで、少し不思議なことに気づきました。
この周辺には、銀行がとても多いのです。
三井住友銀行、三菱UFJ銀行……。
さらに伏見通を北へ進めば、丸の内には日本銀行名古屋支店があります。

名古屋の中心部で、これほど金融機関が集まっている場所を見ると、「ここは名古屋の経済の中心なんだな」と実感します。
少し栄の方向へ戻ると見えてくるのが、現在の三菱UFJ銀行名古屋支店です。
ここは、かつての旧東海銀行本店があった場所。
現在の建物は2018年に完成したものですが、この場所には長く名古屋の金融を支えてきた歴史があります。
そして、ここにはちょっと面白い観光スポットもあります。
貨幣・浮世絵ミュージアムです。
お金の歴史や浮世絵を見ることができ、しかも入館無料。
「銀行の街を歩いていたら、お金の博物館に出会った」
こう考えると、なかなか伏見らしい観光スポットではないでしょうか。
白川公園
先ほどのでんきの科学館から北へ向かうと、緑に囲まれた大きな球体が見えてきます。
白川公園のFUJIなごや科学館です。
FUJIなごや科学館

まず目を引くのが、建物の間に浮かんでいるように見える大きな球体。
世界最大級のプラネタリウムドームのブラザーアースです。
ドーム内径35メートル(外径約40メートル、重量約4,000トン)でギネス記録にも認定された世界最大級の大きさを誇ります。
中に入れば、肉眼で見える約9,100個の星や天の川を再現したプラネタリウムを楽しむことができます。
左右に30度回転する快適なリクライニングシートで観る星空を観ながら、学芸員による臨場感あふれる生解説が楽しめます。
FUJI鉄道ひろば
蒸気機関車などを通して、イギリス産業革命前後の技術革新や、人々の生活がどのように変わっていったのかを見ることができます。
名古屋市美術館
建物を設計したのは、愛知県出身の建築家・黒川紀章。
緑の中に独立した建物として建つ美術館は、街中の喧騒から少し離れて、落ち着いて作品を見ることができます。
収蔵作品も、郷土ゆかりの作家から、モディリアーニ、藤田嗣治、フリーダ・カーロ、そして草間彌生など、幅広いジャンルにわたります。
建築そのものにも、日本と西洋、歴史と未来の共生という考え方が込められています。
ここで、メーグルに乗って名古屋を巡ってきた私には、少し気になる共通点が見えてきました。
名古屋城や徳川園で見てきた「日本の歴史」。
ノリタケの森やトヨタ産業技術記念館で見てきた「産業」。
そして、ここ白川公園や文化のみち二葉館で見てきた「西洋と日本の文化」。
名古屋には、戦後復興の中で生まれた新しい街並みと、西欧と和の文化が共存しています。
昔のものをそのまま残すだけではなく、新しいものを取り込みながら、名古屋らしい形にしていく。
これも、メーグルで街をつないで歩いてきたからこそ気づけたことかもしれません。
名古屋刀剣博物館
白川公園から若宮通沿いを少し歩くと、今度は名古屋刀剣博物館があります。
名古屋と刀剣という組み合わせには、やはり歴史的なつながりを感じます。
熱田神宮には三種の神器の草薙剣が祀られています。
そして名古屋は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という「三英傑」にゆかりの深い土地でもあります。
御園座

白川公園から伏見通を挟んだ反対側を見ると、高層ビルが建っています。
その足元にあるのが、御園座です。
御園座は名古屋を代表する劇場の一つ。
2013年にいったん閉館しましたが、その後、高層ビルと一体となった複合施設として再生され、2018年に新しい劇場が開場しました。
伝統的な歌舞伎などを上演する劇場が、高層マンションを含む現代的な建築の中に組み込まれている。
この発想は、実現されたことを含めて、結構すごいことだと思います。
これを見ていると、名古屋という街が産む革新性と「古いものと新しいものを一緒に残す」という姿勢が、ここにも表れているように思います。
伝統芸能の劇場を、そのまま昔の姿に戻すのではなく、現代の都市の中に組み込んでいく。
これも名古屋らしい「磨き方」なのかもしれません。
伏見通を歩いてみる
伏見の交差点から南北に延びる大きな道路が伏見通です。
現在では国道19号の一部として、名古屋の南北を結ぶ大きな道路になっています。
この国道19号は、旧中山道にあたり、国道1号線と交わる場所にある熱田神宮を起点に、長野県塩尻市まで結ぶ、金山、伏見、春日井を通る名古屋市ではおなじみの幹線道路です。
広小路通と伏見通の大きな道路が交差する場所だからこそ、現在の伏見にはオフィスや金融機関、ホテルなどが集まっています。
丸紅、キャノン、NECといった日本を代表するような企業の名古屋支社も多く、東急ホテル、名古屋観光ホテル、ヒルトンホテルなど、ビジネス客にも利用されるホテルが集まっています。
「観光地」というより、まず名古屋の仕事場として発展してきた街。
そんな伏見のもう一つの顔が見えてきます。
伏見って、なぜ「伏見」?
ところで、今回の停留所の名前は「広小路伏見」です。
「伏見」と聞くと、京都の伏見を思い浮かべる人も多いと思います。
でも、ここは名古屋。
しかも、京都の伏見のように大きな稲荷神社があるわけでもありません。
では、なぜ「伏見」なのでしょう?
調べてみると、名古屋の伏見には、京都の伏見とつながるような名前の由来がありました。
江戸時代、広小路伏見の北にある現在の地下鉄丸の内駅付近に伏見屋六兵衛という人物が住み、魚屋を営んでいたことが、伏見という地名の由来になったと伝えられています。
つまり、名古屋の「伏見」は、京都から名前がそのまま移されたというより、京都の伏見にゆかりのある人物が、この土地に住んだことから生まれた地名だったのです。
現在の「伏見魚ノ棚」という交差点にも、その名残を見ることができます。
現在の伏見通の名称もまた、伏見町と淀町を通る南北の伏見町筋の名残です。
そう考えると、伏見の街を歩くときの見え方も少し変わってきます。
以前訪れた泥江縣神社のことも思い出しました。
泥江縣神社には、鯛を釣るえびす様が祀られています。
魚屋だった伏見六兵衛の話と重ねると、この一帯がかつてどのような人々によって支えられていたのか、少し想像が膨らみます。
納屋橋
伏見から広小路通を西へ歩いていくと、堀川に出ます。
ここに架かっているのが納屋橋です。
大正2年(1913年)には鉄製のアーチ橋へと架け替えられ、現在も名古屋の歴史を感じさせる橋として親しまれています。
江戸時代、名古屋城下を流れる堀川には、物資を運ぶための舟が行き交っていました。納屋橋も、その堀川に架けられた「堀川七橋」の一つです。
ここまで来て、私はふと、伏見の街で見てきたものがつながってきたように感じました。
伏見には、三井住友銀行や三菱UFJ銀行、日本銀行名古屋支店など、金融に関わる施設が集まっています。
そして、今回調べた伏見六兵衛は魚屋でした。
さらに、その伏見から西へ進めば、かつて物資を運ぶ大動脈だった堀川があります。
そこで気になったのが、「納屋」という言葉です。
当時の記録では「御蔵」と記されていた場所を人々が納屋と呼んだともいわれます。
「御蔵」という言葉から連想されるように、かつての蔵は、単に物をしまう場所ではありませんでした。年貢として納められた米などを保管する、いわば当時の財政を支える場所でもありました。
そして、堀川は、名古屋城下へ米や木材、魚など、さまざまな物資を運ぶための重要な舟運路でした。沿川には商人の蔵が並び、納屋橋の下流には、年貢として納められた米などを収納する大規模な藩の蔵が設けられていました
「納める」と「蔵」、そして物資を運ぶ堀川。
そう考えていくと、伏見に集まる銀行と、魚を扱った伏見六兵衛、そして堀川の海運が、一本の線でつながって見えてきます。
現代の伏見は、銀行や企業が集まるビジネス街です。
でも、江戸時代からこの場所は、人や物、そしてお金の流れが交差する場所だったのではないか。
そんなことを考えながら納屋橋に立つと、さっきまで見ていた銀行街も、少し違って見えてきます。
これが今回、伏見を歩いていて私が感じた一番大きな発見でした。
1610年の架橋後、大正2年(1913年)に鉄製のモダンなアーチ橋へと架け替えられました。現在は名古屋の景観重要建造物にも指定されています。

堀川沿いを整備された遊歩道で歩くことができます。沿道にはお祭りで屋台が立ち並ぶも開催されたりします。
名古屋銘菓でおなじみの納屋橋饅頭は、酒饅頭の名品ですが工場の老朽化で閉店してしまっていました。
こういう思い出として記憶に残る昔ながらの名品が惜しまれながらも維持できずなくなっていく。
時代の移ろいの無常さ、
というより人の無情さに寂しさを覚えました。
納屋橋から堀川沿いを北へ歩く
ここからは、寄り道して堀川沿いを北へ歩いてみます。
錦通まで来ると、名古屋高速の高架が見えてきます。
さらにその先には、以前の探訪で訪れた浄真寺や花車神明社があります。
そして、もう少し北へ進めば、私たちの事業所「ピカピカ事業所」のある花車ビル、そして国際センター駅へつながります。
ここまで歩いてくると、メーグルのルートと、普段自分が歩いている名古屋駅周辺の街が一本につながってきました。
納屋橋から、そのまま西へ
ここからはメーグルのルートから少し離れますが、
納屋橋から広小路通をそのまま西へ進むこともできます。
柳橋の交差点を越え、高速道路の高架をくぐると、やがて見えてくるのが笹島の交差点。
ここは、この「なごや観光ルートバス編」の最初に見た場所です。
名古屋駅から始まった今回の旅が、ぐるっと一周して、また名駅へ戻ってきました。
おわりに
最後は名駅まで戻ってきました。
名古屋駅から始まった「なごや観光ルートバス編」も、メーグルのバス停をすべて紹介することができました。
最初は、メーグルの停留所を一つずつ訪ねながら、名古屋の観光スポットを紹介していくつもりでした。
でも、実際に歩いてみると、見えてきたのは観光スポットだけではありませんでした。
名古屋城では、尾張徳川家と名古屋の城下町。
四間道では、堀川と商人の町。
ノリタケの森やトヨタ産業技術記念館では、名古屋を支えてきたものづくり。
徳川園や蓬左文庫では、尾張徳川家が残した文化。
文化のみちでは、近代の名古屋と西洋文化。
中部電力 MIRAI TOWERや栄では、戦後復興から現在の都市へと変化していく名古屋。
そして最後の広小路伏見では、銀行や企業が集まる「働く街」と、科学館、美術館、御園座、堀川が一つの街の中に共存していることを見ました。
こうして振り返ってみると、名古屋は「古い街」でも「新しい街」でもありません。
古いものを残しながら、積極的に新しいものを取り込み、その時代に合わせて街をつくり変えてきた都市なのだと思います。
そして、かつて戦国時代に、日本という国に変革を起こし、新たな潮流を生み出し、時代をかたち作った者たちが、この土地から現れました。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑です。
名古屋城、徳川園、四間道、ノリタケの森、トヨタ、MIRAI TOWER、栄、そして伏見。
これらもまた、それぞれの時代に生まれた変化の痕跡です。
そして、変革の潮流を起こす気風は、現代までもこの土地に根付いているように感じます。
観光バスは、目的地へ連れて行ってくれる乗り物ですが、私にとってメーグルは、名古屋という街をつなげて見るための乗り物でもありました。
バスを降りて歩いてみる。
気になった建物を眺める。
道の名前に引っ掛かる。
神社を見つける。
そして、帰ってからその場所の歴史を調べてみる。
そうすると、普段何気なく通っている街にも、知らなかった物語が見えてきます。
「ピカある探訪記」では、そんなふうに街を歩きながら、名古屋の中にあるものを一つずつ磨いて、光らせてきました。
今回の「なごや観光ルートバス編」は、これで完結です。
でも、名古屋の街歩きは、まだまだ続きます。
次はメーグルのルートから少し離れて、また別の「ピカある」を探してみたいと思います。
ここまで一緒に歩いてくださった皆さん、ありがとうございました。
それでは、また次の探訪で。
名古屋観光デジタルマップ
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