ベトナム食文化🇻🇳フォー編 ẨmThựcViệtPedia
日越食文化協会(JVGA)のベトナム食文化「アムトゥックベトペディア〜フォー編」です。
📚️ベトナムのフォーとは
1. フォー誕生前夜:かつての麺文化と「牛肉」の不在
フォーの歴史を探る上で欠かせないのが、誕生以前のベトナムの食事情です。古くから稲作文化であったベトナムにおいて、食卓の主役はお米(ご飯)と豚肉、鶏肉、魚介類でした。

牛肉を食べる習慣がなかった: 当時のベトナムにおいて、牛や水牛は田畑を耕すための「大切な農作業のパートナー」であり、日常的にその肉を食べたり、骨から出汁をとったりする文化はありませんでした。
麺の「大先輩」たち: フォー以前から、人々は米粉を押し出して作る丸麺「ブン(Bún)」や、緑豆などから作る春雨「ミェン(Miến)」を日常的に食べていました。
フォーの麺のルーツ: フォーに使われる平打ちの米粉麺(バインフォー)は、麺料理から進化したのではなく、水に溶いた米粉をクレープ状に蒸し上げる「バインクオン(蒸し米粉ロール)」のシートを細長く切り分けたものが原型となっています。
2. フォーの誕生:3つの食文化の奇跡的な交差点
フォーが誕生したのは19世紀末から20世紀初頭、フランス統治下のベトナム北部だと言われています。現在の「フォー」の形は、3つの異なる食文化が交差することで完成しました。

ベトナムの基盤: 豊かな米食文化と、バインクオンから応用された滑らかな平打ち麺(バインフォー)を作る伝統技術。
フランスの影響(牛肉文化とレア肉): フランス人が持ち込んだ「牛肉と骨をじっくり煮込むスープ(ポトフなど)」の文化と、「新鮮な赤身肉をレア(半生)で食べる」という西洋の味覚。
中国・華人の技法: 八角やシナモン、クローブといった香辛料(スパイス)の活用法。また、どんぶりの中で熱々のスープを注いで完成させる「湯通し」のライブ調理法は、華僑が売り歩いていた牛肉麺(グーニューフン)がルーツとされています。
3. 交差する2つの歴史:ナムディンとハノイ
フォーの発祥地については、「労働者の街・ナムディン」で産声を上げ、「文化の中心・ハノイ」で洗練されたという見方が最も有力です。
■ ナムディン:労働者のための力強い一杯
一大紡績工業都市として栄えたナムディンでは、駐留するフランス人が消費したあとの「安価な牛骨」が市場に出回りました。地元の料理人がこれをじっくり煮込み、早朝から働く肉体労働者のエネルギー源として提供したのが始まりです。塩気と旨味がガツンと効いた、少し脂っこくパンチのあるスープが特徴です。

■ ハノイ:知識人たちが育てた洗練の芸術
ナムディンから天秤棒に乗ってハノイへ持ち込まれたフォーは、美食家や文化人たちの舌に触れることで進化します。牛骨を丁寧に下茹でしてアクを取り除き、スパイスを焦がさないよう絶妙に配合することで、スープの「透明度」と「上品な香り」を極限まで追求する「引き算の美学」が確立されました。
4. 黎明期の原風景:「フォー・ガン(Phở gánh)」
現在でこそ店舗で食べるのが当たり前ですが、フォー黎明期の20世紀初頭は「天秤棒を肩に担ぐ移動式」が絶対的な主流でした。この担ぎ売りのスタイルを「Phở gánh(フォーガン)」と呼びます。

すべてを持ち歩く「歩く厨房」: 竹の天秤棒の片側には、熱々のスープを維持するための炭火コンロと牛骨スープが入った寸胴鍋。もう片側には、引き出し付きの木製キャビネットを取り付け、麺、牛肉、ハーブ、どんぶり、お箸、調味料などを機能的に収納していました。
なぜ移動式だったのか: 資金のない売り手にとって、早朝から働く肉体労働者や商人がいる市場や路地裏、工場周辺へ「自ら出向く」ことができる合理的なシステムでした。
路上でしゃがんで熱々をすする: 売り手が拍子木を鳴らして歩くと、スパイスと牛骨の香りに誘われて人々が集まります。客は小さな木の椅子に座るか、路上にしゃがみこみ、どんぶりを手にして熱々のフォーをすすっていました。
店舗スタイルへの移行: 1920年代〜30年代に入り中産階級にも人気が広まると、徐々に固定の屋台やレンガ造りの店舗を開く者が出始めました。しかし、このフォー・ガンの泥臭くも活気ある姿は、国民食の出発点であり、ハノイのノスタルジーの象徴として今も深く刻まれています。
5. 材料とスタイルの変遷:時代と地域が作り上げた多様性
フォーは全国に広がる過程で、時代背景や気候に合わせて形を変容させていきました。
① 牛肉フォーの洗練と「タイ(Tái)」の誕生(1910〜20年代)
(硬い牛をどうやって美味しく食べるかという初期の工夫)
もともと労働力であったベトナムの牛は筋肉質で硬い肉質でした。そこで、紙のように薄くスライスした生の赤身肉に熱々のスープをかけ、半生(ピンク色)に仕上げる「タイ(Tái)」という調理法が定着します。これにより、硬い肉でも驚くほど柔らかく、肉の甘みを引き出して食べることが可能になりました。
② 牛肉不足の危機と「鶏肉(Phở Gà)」の誕生(1939年)
(フォーが人気になりすぎたゆえに起きた制限と、新たな味の開拓)
フォーといえば牛肉(Phở Bò)でしたが、1930年代後半、政府の屠殺制限などにより牛肉の供給が不足する事態が起きました。その代用品として考案されたのが「フォー・ガー(Phở Gà)」です。あっさりとしつつも鶏の旨味が凝縮された黄金色のスープは瞬く間に受け入れられ、現在では牛肉と並ぶ二大巨頭となっています。
③ 南部への伝播と多様化(1954年以降)
(そして全国へ広がり、さらに部位のバリエーションが増えていく)
1954年の南北分断を機に、多くの北部の人々が南部(現在のホーチミン/旧サイゴン)へ移住し、フォーも一緒に南下しました。
北部のフォー(Phở Hà Nội): スープの透明感と純粋な風味を重んじます。トッピングはネギやパクチー程度で非常にシンプル。甘いソースなどは邪道とされます。
南部のフォー(Phở Sài Gòn): 温暖で食材豊かな南部ではスープが甘めになり、八角などのスパイスがより強く香ります。別皿で提供される山盛りのハーブや茹でモヤシをのせ、自分でチリソースや海鮮醤(甘味噌)を入れて味をカスタマイズするスタイルが定着。牛すじ(Gân)やハチノス(Sách)など「色々な部位を楽しむ文化」が開花したのも南部の特徴です。
6. ベトナムのフォーのまとめ
1杯のフォーの背景には、植民地時代の西洋文化の流入、華僑の調理技術、そして厳しい時代を乗り越えるためのベトナム人の知恵が幾重にも重なっています。

天秤棒で担がれた「歩く厨房」から始まり、北の澄んだスープから南の具沢山な一杯へと進化したフォー。それはまさに、異なる文化を柔軟に取り入れ、美味しいものを追求し続けた「ベトナムの歴史とたくましさ」そのものを味わえる食のエンターテインメントと言えるでしょう。
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