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【小説】「誰も見ていないところで」序章

あらすじ
「一番怖いのは悪人ではなく、正義と信じて疑わない善人かもしれない」
 そんな言葉を、ママは残していた。
 誰のこと?なぜこんなことを書いたの?

 地域に居場所を求め、ボランティア活動で忙しくしていたママは、ある日突然、僕たちの前からいなくなった。

 残されたメモ、周囲の人たちの視線、そして沈黙。
真実にたどりつくまでに見えてきたのは、つながりの中に潜む、それぞれの孤独と悲しみが交錯して生まれる、誰も悪くない“痛み”だった。

 多様性と無関心が当たり前になったこの社会で、僕たちは、どうやって人とつながればいいんだろう。
 静かな問いを投げかける、地域密着ヒューマン・ミステリー。

葉子の回顧

 四月中旬、暖房をしまうべきか、扇風機を出すべきか、この季節はいつも曖昧で、例年にもれず私は今年も悩んでいた。
 ——他の悩みに比べれば、それはほんのささいなものに過ぎないのだが。

 京都府の内陸にある風山町かざやまちょうで暮らす私は、朝、大きなゴミ袋を二つ抱えて外に出たとき、着る服を間違えた、と思った。薄手のシャツを着ていたが、タートルネックを着てもよいほどの寒さだったからだ。

 それなのに、さっきテレビで観た天気予報では、来週は真夏日になるという。私は「気温差で体調を崩さないようにしなくちゃ」と小学生の息子二人の顔を思い浮かべた。

 それにしても、小学五年生の直樹なおきはいいとして、問題は小学二年生の朋樹ともき。怒られるのがイヤだとか、どうしてもしんどいとか、いろいろ理由を並べて、最近学校を休みがちだ。さらに最近の彼らときたら、一緒に休めば怖くないという居直りを見せる日すらある。

 無理に行かせようと思えば行かせられなくもないのだけれど、朋樹なんかは学校で泣いて担任の先生に迷惑かけてしまうこともある。だから思い切って休ませられたらいいのだけど、私もつられて暗い気分になるから、一緒にいたくないときもある。
 あぁ、本当に疲れる……。

 今日は、地域ボランティアの「風山子ども支援員」としての活動日で、地域の未就園児親子が集まる「わんぱくきっず」に顔を出す予定になっている。

 この「風山子ども支援員」は、風山町が住民に委託しているもので、一人あたり年間三万円の報償費が発生する有償ボランティアである。すでに在籍しているスタッフからの推薦があって初めて役場から委任状が渡されるというルールだ。
 一昔前はどうやら「推薦されることは名誉」という認識だったようだ。任期は二年だが、「事情がない限り再任は妨げない」という規約がある。つまり、問題がなければ何年でもやってくださいということ。
 共働き世帯は増え、今、そのなり手は減っている。
それなのに、年配の方々からの「名誉ある役職だから」「誰でもなれるわけじゃないから」というちょっとした承認欲求を刺激する誘い文句と、固いルールだけがしぶとく残っている。そしてそれを大切に守りつづけているのも、やはり高齢者なのだった。

 朋樹が小学生になった一年前、近所の七十代半ばの女性に声をかけられたことから私の「風山子ども支援員」の活動は始まった。
 風山町は四十年ほど前に造成されたニュータウンで、現在は七十代以上の親世代と、その子ども世代の流入により、世代の二極化が進んでいる。
「もう体力的にもしんどくてね、引退したいけど、なかなか適任がいなくてやめられなくて。樫村さん、前に町内会の副会長も頑張ってくれたし、小さい子どもが好きって聞いてるわ。ちょうど次男さんも小学生になるし、どう?」
 期待たっぷりの表情をこちらに向けられたとき、正直私は引いてしまった。

 建売住宅を購入して五年が経ち、朋樹の小学校入学を数ヶ月後に控えていた頃のことだった。子どもの保護者同士の顔見知りを増やしながら、もう少しこの地域に根をおろせたら、という思いがあった。
 私は北海道の出身で、両親はすでに他界している。
 両親亡き後、就職で大阪へ出て、夫と職場結婚した。出産のタイミングで仕事をやめ、夫の実家に近い風山町に落ち着いた。
 この地域に暮らしてもう十年ほどになるが、言葉にも文化にも、馴染めているとは言い難かった。その解決のためには、世代の違う方々とも関わりを持った方がいいかもしれない。とはいえ、ボランティアのなり手不足解消のために、子育て真っ最中の私が手をあげる必要があるのだろうか。それとも、子育て中ゆえに求められる視点があるということだろうか。
 少々そんな疑問を感じつつも、「あなたほどの適任はなかなかいないわ」という最後の一声で、まんざらでもないと感じてしまった私は、結局引き受けることになった。

「風山子ども支援員」のおもな活動は二つある。
 一つは、今日これから行く予定の「わんぱくきっず」の見守り。
 毎週水曜日の十時から十二時まで、風山中央公民館の和室で、〇歳~三歳の子どもの相手や、保護者から子育てでの困りごとがないかを聞くなどして、必要な場合は行政や支援機関につなぐパイプ的な役割も担う。
 もう一つは、明日参加予定の「風山ほっとすぽっと」で、小学生が放課後にボードゲームや宿題ができるよう提供している居場所だ。共働き世帯の子どもが登録制で通う学童保育とは別である。
 こちらも同じく公民館で、月曜と木曜の週二回、十四時から十七時まで和室を開放している。私は週に一回、見守り要員兼一保護者として、朋樹を連れて放課後一緒に過ごすのが習慣となっていた。直樹も昨年までは一緒に行っていたが、途中から私と一緒に行くのを嫌がるようになってきてしまい、その時間は家で過ごすようになった。ママがいない間勉強するね、と言っているが、おそらくずっとゲームをしているのだろう。

 いずれも、「風山子ども支援員」のメンバーである女性五名で活動している。私以外の四名は、すでにお子さんが成人し、お孫さんがいる方もいる。メンバーの中で最年少の私は、まだ小学生の子どももいることもあり、活動時間など、大目に見てもらっている部分も多いと感じている。
 ——桂木かつらぎさんと高山たかやまさんを除いては。
「今日はあの二人の日じゃなくてよかった」と二の腕をさすりながら、ため息をついた。
 今日はどの親子が来るかな、と可愛い来館者の顔を思い浮かべて、ゆるやかな坂を上る。

 ゴミ捨てから戻ると、息子たちはまだふざけあっていた。
私はつい「もう! 早く行きなさいよ!」と強く言ってしまった。行きたくないと言っていた朋樹も、この日は珍しく直樹と飛び出していった。

 翌週、予報通り、風山町は一気に真夏日となり、最高気温32℃を観測した。
 しかし、その暑さを私が経験することはなかった。
 翌日の夕方、私は、風山中央公民館の倉庫で気を失い、その後の記憶がないのだ——。


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