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連載恋愛小説-「まだ、ほどける途中で」①

*本作には一部、心身に関わる描写が含まれています。


《あらすじ》
あの日、私は手を離したのだと思う。
ーーその記憶を心の奥にしまい込み、誰にも触れないように、誰にも触れさせないように生きてきた。

町では手首が見つかったとニュースになっている。家では休日前になると、主人のいない夜が増えてきた。胸の錘がまた一つ重くなる。
そんなある日、出会った一人の男性が、何も言わず私の輪郭をなぞっていく。
彼の指が、固く閉じていたはずの心と体をゆっくりとほどいていく。
いつしか私は、ほどけていくことを望んでいた。
彼もまた、同じ痛みを抱えていた人だった。
ほどけていったその先で、私は長い間、目を背けていた過去と向き合うことになる。
その先に、何が待っているのだろう。                                                                 (287文字)

   【本編文字数】約39,900字(全14話)   

           
                (2876文字)

皺一つない渇いた布団に目をやった。大きくため息を吐きたくなり、慌てて息を吸い込んだ。カーテンを開けて朝日を浴びるが胸の奥の冷たさには届きようもない。

主人の拓也は昨夜も帰ってこなかった。
テーブルの上にはサランラップで巻かれたおかずが恨めしそうに私を見ている。
飲んで帰ると言っていたのに、いつもの癖で作ってしまった。
私はそれを無視して、食パンを一枚そのままブラックコーヒーで流し込む。
昨夜の恐ろしい夢を思い出さなくても、こんな朝は胸の辺りが重苦しく食事が喉を通らない。今に始まったことじゃない。何かを引っ掛けたまま生きてきた。

主人と私しか住まないこの部屋に、空気は本当にあるのだろうか。酸素が薄く息をするのが辛くなってきて、主人は度々外の空気を吸いに出て、そのまま帰ってこれないのではないか。私は自分が消えかかっているのではないかと慌てて腕をさすって確認をする。


玄関に置いたゴミ袋を下げ、外に出た。

ゴミ置き場には見慣れた二人の女性がいる。
同じマンションに住む大畑さんと、柴田さんだ。
何やら二人は話し込んでいる。

「おはようございます」と声をかける。

「あらっ、おはよう。ねぇ、あなた、知ってる?手首!手首が出てきたらしいわよ」

「えっ?手首?手首って一体何の話ですか?」

「隣町の河原で、石に。石に挟まっていたらしいわよ。川に入った人が見つけたらしいの。  
行方不明の女の子、いたじゃない?その子じゃないかって」

「まぁ。そうなんですか」
胸がドキンと跳ね上がるような気がして口に手を当てた。

「怖いですね……すみません。私、先を急ぎますので」そう言ってその場を離れ仕事に向かった。


最近、私の住む地域で女子高校生の行方不明者が出ていると、ニュースになっている。普段、あまり事件や事故のニュースも少ないこの地域では、あっという間に広がっていく。


私はマンションから商店街を通り抜け、路面店に出たところにある職場に歩いて向かう。

右手首と聞いて嫌な汗が吹き出した。
胸の錘が一段と重くなった気がした。


私が拓也と結婚をしたのは、二十八歳の時だった。短大卒業後に勤めていた会社に出入りする業者の人だった。挨拶程度だった彼と偶然ドラッグストアの中で出会い、私生活をお互い覗き見したようで、苦笑いしたのが最初だった。

拓也との結婚を機に、それまでの仕事を辞めた。

一般事務で入った会社は女性が多かった。集中してパソコン入力をしている時間は良かったが、人は少し親しくなってくると、遠慮がちに、それでも少しずつ人のエリアに入り込んでくる。
私はそこから逃げた。

すぐに子どもができるかと思ったけれど、できなかった。正直ホッとした。
私は小さい子どもが苦手だ。


「ねぇ、赤ちゃん、抱いてみる?」
嫌がっている私の腕の中に友達らしき人物が赤ちゃんを無理やり抱かせにかかる。
私は恐る恐る赤ちゃんの顔を覗き込む。
赤ちゃんの小さな手が一瞬私の頬に触れた気がした。そうしたらスローモーションのようにゆっくりと赤ちゃんの首がぐらりと後ろに傾き、ぱっくりと頭部と胴体が割れてしまった。
うわぁ〜〜!!
恐ろしさのあまり、私は赤ちゃんを放り投げる。
私は自分の大声で目が覚め飛び起きる。
呼吸は乱れ心臓がバクバクし体は嫌な汗でじっとりしている。私は喉元に手をやり、はぁっと、一つ息を吐き出す。喉がカラッカラだ。重だるい体で水を飲みに行った。
夜中の二時の出来事だった。


私はシャッターが開いている、もしくは開きかけの商店街の中をずんずん歩いて行く。
頭の中は無になって、自宅のことは遠くになっていく。


「おはようございます」
「おはよう、篠原さん。ねぇ。ニュース見た?体の一部が出たとか言ってた。怖いわよね〜」  

そう言って、同じパートの青木さんが両腕を抱きかかえ、ぶるっと体を震わした。
「えぇ。そうみたいですね」と言って私は自分の持ち場の品出しに移動した。

私が働くのは雑貨屋だ。
店長は出たり入ったりしていて、パートは青木さんと私を含めて三人しかいない。
不特定多数の人を相手にする仕事は居心地が良かった。余計なことは聞かれなくて済む。


レジに戻った時に青木さんが私の耳元で囁く。

「また、あの人来たわよ」

「ほんとですね」

あの人ーー彼をよく見かけるようになったのは、ここ半年ほどのこと。買う物はえんぴつだけ、靴下だけ、タオルだけだったりする。火曜日の昼間が多い気がする。でも、そうでもないのかもしれない。平日の真昼間に一体仕事はどうしているのだろう。一度にまとめて買えば、何回も足を運ぶ必要もないだろうとも思うが、彼を見かけるのは嫌ではない。
私より少し若いのだろうか。くすんだような赤茶けた髪が首筋にかかっている。乾いた空気を纏った背の高い彼は、色の白い人だった。


「こんにちは。いらっしゃいませ」
私はそう言って、いつものように、彼が今日売り場から持ってきた靴下の値札をとり、開いた小銭入れに釣り銭を落とす。
「ありがとうございました」
私が明るい声でにっこり笑うと、ほんの少しだけ目元を崩し、口角を上げ頭を下げて彼は帰っていった。

「最近あの人、ちょっとだけ愛想よくなったね」
青木さんが私の隣に来て言う。
「そうですね」


初めて彼がご来店された日ーー

店の奥から真っ直ぐレジに向かって歩いてくる彼は、値札を挟み、手でチョキチョキとジェスチャーをしていた。私はそれに気づき、声をかけながら値札を取った。お釣りが出たときも、小銭入れの口を開け、そこへ入れてほしいと目で伝えてくる。

青木さんは、
「何、あれ。口で言えばいいのに」
と呆れていたが、私は全く気にならない。

むしろ、彼がどうして欲しいのか気づく自分に喜びを覚えていた。
それに、彼がお札を出すときの白い指先のしなやかさも、嫌な気がしなかった。

その日から、彼は時折店を訪れるようになった。
その度に、彼が帰った後、青木さんは一言嫌味を言い、私はその隣で苦笑した。

ある日、たまたま一人でレジに立っていた時、彼が店にやって来たので、
「今日は風が冷たいですね」
と声をかけてみた。

彼は目元を緩め、やんわりと
「そうですね……冷たいですね」
と返してくれた。

それから一人でレジに立つ日にだけ、ほんの少し言葉を交わすようになっていった。


その日午後三時に仕事を終え、いつもと違いゆっくりと商店街のあちこちに目をやりながら歩いていると、小さなチョコレート専門店の中に彼の姿を認め足が止まった。

壁面のチョコレートを見ながら、店主と何か話しているようだ。照明の落ちた店の中で、生成りのシャツを着た彼は、所狭しと飾られているチョコレートに埋もれて、私の立つ商店街の雑音と切り離されているようだった。


ふと、彼が外を見て、ガラス越しに私と目が合い、ふっと笑ったような気がした。
私は気恥ずかしくなり頭を下げるか下げないかわからない感じでそそくさとその場を離れた。


続く


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