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場を成立させたくてコミュ力が上がった

僕は本当に、学生時代と比べたら、コミュ力的な意味では別人になったなと思う。つい先日、20年ぶりぐらいに大学時代の1つ上の先輩に会う機会があったのだが、その時も、「えっ、なんか俺の中の長江のイメージと全然違うんだけど」と言われて「まあそうですよねぇ~」なんて言ったりした。学生時代ぐらいまでは、僕の記憶だと、「積極的に人と喋るのは無理な人」で、どちらかと言えばコミュ障寄りだった気がする。で、今では、初対面の人だらけの場でもペラペラ喋るような人間になったのだから、ホント、人は変わるものだよなぁと思う。

さて、どうしてそんなに変わったのかという大きな要因の1つは、やはり「文章を書き続けてきたこと」にあるだろう。「文章をメチャクチャ早く書くこと」は僕にとって「喋ること」にかなり近い行為なので、「一人でひたすら文章を書き続けてきたお陰で喋れるようになった」というのがかなり大きい。

でもう1つが、「『場を成立させたい』という感覚が強くなった」ことにあるだろう。どうしてその感覚が強くなったのかはよく分からないが、「コミュ力が低いと周りに気を遣わせる」みたいに感じる機会が多かったからかなという感じはする。私はとにかく、自分の存在が周囲の人間に「不快」と判断されるのが凄く嫌なのだ。

そんなわけで僕は基本的に、誰かと一緒にいる時には「どうしたらこの場が成立するかな?」みたいなことを割と考えている。まあ、かなり付き合いの長い人の場合そんな風に思うことはほぼないが、僕は今も「初めましての人」にメチャクチャ会う(仕事ではなくプライベートで)ので、そんなこともあって「場の成立」を考える機会が多くなるのだ。

で、「そもそも『場が成立してる』ってどういう状態?」って話だが、これは結局僕の主観的な判断でしかない。なんとなく言語化するなら、「喋りたい人はちゃんと喋れて、喋りたくない人は喋らずに済んで、どっちでもいい人はバランス良く関われてる」みたいな感じだろうか。で、「喋りたい人なのか、喋りたくない人なのか」みたいな判断は、特に初対面の場合は主観的にしか成し得ないので、結局は自己満でしかない。だから、「実は全然成立していない」なんてこともあるだろう。うわぁ、メチャクチャ怖ぇ。

しかしホント、まさかこの歳になっても大学生や高校生と日常的に関われているとは思わなかった。で、もちろん全然そんなつもりでコミュ力を高めていたわけではないのだが、コミュ力がメチャクチャ上がったお陰で、学生たちとも全然関われている(と思っている)。また、哲学カフェという、初対面の人も多い場によく足を運ぶのだが、自分でも本当に「ここに参加するためにこれまで準備を積み重ねてきたのか?」と感じるほど適性が高いなと思う。何にせよ僕には、「自分のテンションを上げ続けないと退屈で死んでしまう」という感覚があって、そしてなんだかんだ「他者との会話」が一番刺激的なので、そういう場で自分のコミュ力を試したり確認したりしているというわけだ。とはいえホント、「実は自分の存在が邪魔なんじゃないか?」という不安は常に拭えないので、メンタル的に言えば「コミュ力おばけ」みたいにはなれないのだけど。

それで、私がやってることは割とシンプルで、「喋る人がいるなら黙るし、喋る人がいないなら喋る」みたいな感じである。もちろん「沈黙でも成立する場」はあり得るが、特に大人数の場合その可能性は低い。さらに、僕が行っている哲学カフェは初対面の人も多いので余計そうはならないだろう。だから僕は基本的に、「話が途切れず、常に会話が発生している」という状態を目指すようにしているのだ。

そしてその上で僕は、「いかに話してもらうか?」についても意識している。先述した通り、喋りたくない人は喋らなくていいのだが、「喋りたいのに喋れない」みたいな人がいるなら、その状況はどうにかしたいなぁと思う。そしてそのために色々しているつもりだ。

まず意識しているのは、「あなたの話をちゃんと聞いてますよ」という見え方になるように振る舞うこと。これは特に、男が不得意な印象がある。僕が観察している限り、男は「実際に話を聞いてるんだろうが、それが見た目からは伝わらない」みたいなタイプが多いように思う。要するに、頷いたり相槌したりみたいなことなのだが、こういうのは「共感を示すこと」に長けた女性の方が圧倒的に上手い。なので特に男は、何か機会があれば、自分が人と話している時の様子を動画で撮って確認してみたらいいんじゃないかと思う(最近はWEB会議などあるから、仕事中に視覚化できているのかもしれないが)。思った以上に「聞いてなさそうに見える」んじゃないかという気がする。

あと僕の場合は、「大体どんな話も面白がって聞ける」という特性が強いと思う。僕は基本的に「知的好奇心」だけで生きているし、関心のあるなしに拘らず、「今の自分が知らないこと」は何でも知りたいと思える人なので、ホントに何を話してもらっても全然大丈夫だ(いや、「他人の文句・愚痴」とかはそんなに面白いとは感じられないが)。

多少なりとも知っていることであれば、知ってる知識を踏まえつつ質問して相手の話を引き出したりも出来るし(割と広く浅く色んなことを知っているので、結構どんな話題にもそれなりについていける)、仮にまったく知らない話題でもそれはそれで問題ない。というのも、「まったく何も知らない僕にそれを教える」みたいな形で話が広がり得るからだ(だから僕は、本当に詳しくないことについては「全然知らない人」というスタンスを早めに示すことにしている)。

で、これに少し関連する話だが、僕は初対面の人、関わりがまだ薄い人には特に「質問しすぎない」ことを意識している。これは「僕発信の疑問をあまりぶつけない」という意味だ。「僕が質問したこと(僕が聞きたいこと)」と「相手が話したいこと」がイコールになる可能性はかなり低いはずである。だから僕はまず、「相手が話したいと思えるテーマ」を捉えようと思っていて、そしてその上で「それについて詳しく質問する」ようにしているのだ。

なんとなく「相手に色々と質問しましょう」みたいなのが「コミュニケーションのスキル」として語られることが多い気がするが、個人的には「そうかなぁ」と思っている。「休みの日何してるんですか?」という質問に答えたくない人だっているだろうし、趣味的な話が何も出てこない内から「どんな音楽を聴くんですか?」みたいに聞かれても答え方が難しいだろう(音楽に対する「好き度」をどの辺りに調整した返答をするのが最適かを判断するのが難しいからだ)。だから僕はまず、「こいつには何を話しても大丈夫だな」みたいな雰囲気を感じてもらえるように振る舞い、それで出てきた「相手発信の話題」に対してあれこれ質問するようにしているのだ。

で、「こいつには何を話しても大丈夫だな」と思ってもらうために、話の流れの中で意識的に「自分の変な話」を出すようにしている。「年間通じてほぼエアコンを使わない」とか「家に電子レンジがない」とか「(痩せてるのに)いっぱい食べれる」などだ。こういう「尖りすぎてはいないが、ちょっと変わってるよね」みたいな印象として伝わるだろう話を出すことで、「自分のこのエピソードを話しても大丈夫かも」みたいに思ってもらえる可能性が高まるんじゃないかなと期待している。少しは抵抗を減らせてるんじゃないかと思っているのだが、どうだろう。

こういうやり方がそれなりには上手く行っているのだろう、僕は「話しやすい」みたいに言ってもらえることが結構ある。ありがたいことだ。また、こういうスタンスを明確に打ち出していると、人間関係が勝手に広がったりもする。というのも、「こいつなら、自分の友達を合わせても大丈夫だな」と思ってもらいやすいからだ。

最近の話で言うと、年下の女友達と2人で飲んでいる時に、その子が突然「今から会社の後輩が来ますよ」と言ってきたことがあった。「会社の後輩呼んでもいいですか?」ではなく「来ますよ」という事後報告である。こういう話は色々あって、結構前だが、これも年下の女友達と飲んでいる時に「セフレを呼んでもいいですか?」と言われたこともあるし(そろそろ帰るぐらいのタイミングで、家まで送ってもらうのに来てもらうという話だったと思う)、あるいは、直接の友人以外誰一人知らない大人数の場に声が掛かることも結構あった。いずれも恐らく、「こいつなら大丈夫だろう」と感じてくれてるからなんだろうし、だから、きっと僕のスタンスは概ね外してないんだろうなとも思っている。

で、「会話」においてはよく「共通の話題を探す」みたいな発想になりがちだが、僕にはこれが不思議で仕方ないのだ。実際、同年代の人に「若い世代と喋ってる」みたいなことを言うと「共通の話題なんかあるの?」みたいに聞かれたりするし、コミュニケーション術なんかでも「共通の話題を探しましょう」みたいに言われることが多いように思う。

でも、「共通の話題があったら喋れる」なんて、結構幻想じゃないかなと僕には感じられてしまう。いや、もちろんそれで話が広がることもあるだろう。ただ一方で、「共感できる話には『うん、分かる』としか言いようがない」って意見を最近聞いて「まさにその通り」だと感じたのだが、「共通の話題」って結局、「会話の幅」という意味では大分狭くないか?」と思えてしまうのだ。

僕の場合はそうではなく、「どんな話にも興味あるよ」という見せ方をすることによって、「共通の話題」なんかなくても会話が成立していると考えているし、その方が汎用性高くないか? と思ったりもする。もちろん、これは「相手に喋ってもらう」というやり方なので、「相手の負担になっていないか」という点は常に注意が必要だ。しかし、その点にさえ気をつければ「最強の会話術」なんじゃないかなと思うのだが、どうだろうか。

あとは、大人数で集まるような場面では、割と率先して口を開くようにもしている。もちろん、誰か先陣を切りそうな人がいるなら別にしゃしゃり出たりはしないが、日本人同士の場合は特に最初から話し始める人は少ないので、結果的に僕がその役割を担うことが多い。で、その場合に意識しているのが「5秒後の自分を信じて話し始める」ということ。「例えばなんですけど」とか「それで言うと」みたいなことをとりあえず口にするのだが、そう言っている時には別に話すべきことが頭の中に浮かんでいないこともあったりする。が、「そう言ってる間に何か思いつくだろう」と信じてとりあえず喋ってみるというわけだ。まあ時々失敗するが(笑)、そういうことも込みで常にチャレンジしている。

で、これに関連したメチャクチャ覚えている話をしようと思う。書店員だった頃、出版社の人が色んな書店員を呼んで意見を聞くみたいな場が結構あった。で、ある出版社のそういう会に初めて呼ばれた際、いつものように最初に口火を切って適当にペラペラ喋っていたのだが、会が終わった後で出版社の人から「いつもはこんなに話が盛り上がらないんですよ」みたいに言われたことがあるのだ。たぶん、「長江さんが最初に色々話してくれたから場が盛り上がった」的な意味で言ってくれたはずで、凄く記憶に残っている。ってか個人的には、「呼ばれて自ら参加してるなら喋れよ」って感じなのだけど(笑)。

あと、結構大事だなと思っているのが、「卑屈に聞こえるようなことは言わない」ということ。これは要するに、「相手が『そんなことないですよ』と反応するしかない発言をしない」という風に捉えてもらえばいいだろう。例えば僕は工場で働いているので、「皆さんとは違って、僕は工場なんかで働いてるので」みたいな言い方をすると、聞いてる人は「そんなことないですよ」と言うしかなくなってしまう。こういう、「相手に一意的な返答を強要させてしまうような発言」は、特に年上の人間は意識的に避けた方がいいと思う。そんな人と会話をするのはマジでめんどくさいからだ。

もちろん「卑屈な発言をすることで、『自分はちゃんと弁えてる人間ですよ』ということを伝えたい」のだろうし、そういうスタンス自体は悪くないのだが、それを分かりやすい形で示すのはむしろ逆効果でしかないと思う。良かれと思ってこういう発言をする人もいると思うので、かなり意識的に止めた方がいいだろう。

という感じで、パッと思いつく限りの「自分がしていること」を挙げてみた。で、こういうことが出来るようになったせいで1つ大きな弊害も生まれた。それが「フツーの人との会話がメチャクチャつまらなくなった」である。この点に関しては、以前読んだ『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(花田菜々子)にもまったく同じようなことが書かれていてメチャクチャ共感できてしまった。その部分を抜き出してみよう。

短い時間の中で、自分が聞きたい話が引き出せるように切り込むことがとにかく大事だった。ただ、これを身につけてしまうと、会話の刃が鋭くなりすぎて、今度は仕事などで会う人との他愛のない世間話がつまらなく感じてしまうことがデメリットでもあった。

ホントそうなんだよなぁ。だから僕は、「フツーの人」と喋らずに済むように、普段は「喋らない人」というブランディングをしている。「この人は喋らない人なんだな」と思わせることで、ありきたりな会話からなるべく距離を取ろうと考えているのだ。

みたいなことを書くと、大分ヤな奴という感じになりそうだが(笑)。

まあそんなわけで、メチャクチャ高まった自分の「コミュ力」についてあれこれ書いてみた。まあこれが「正解」なのかどうかは今も分からないし日々迷いながらやっている感じだが、そういう挑戦(という表現で正しいのか?)が結構楽しい。まあとにかく、「自分が邪魔な存在じゃなくあってくれ」と、日々祈っている。


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