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【目次】「ニッポンの世界史」:日本人にとって世界史とはなにか

はじめに



世界史」には決まりきった、客観的な構成があると思っていませんか? 
そんなことはありません。その構成は、いわば繰り返し訂正されつづける物語のように、長い歴史の中で何度も定義されなおし、いまなお変身の途上にあります

日本人の描く世界史には、日本人が世界や歴史を見るときに突き当たる「困難」が色濃く反映されている。
そして、日本における「世界史」は、教科書を中心とする”公式”世界史と、それに対抗する”非公式”世界史のせめぎ合いのなかで再定義されてきた。

——このような視点をとることで、国内外、専門家・非専門家、一般書や歴史教育に分断された「ニッポン世界史」の系譜や文脈をつかみ、分け隔てなく「世界史」を批評する観点を提示する試みです。

世界史の描き方の現在地と未来を探る一助となればと考えています。


はじめに

#1 はじめに:日本人にとって世界史とはなにか? 「世界史」とは、あらかじめ完成された体系ではない。教科書のなかの"公式"世界史と、それに抗うかたちで生まれてきた"非公式"世界史の双方を視野におさめてはじめて、戦後日本人が描いた世界史像の輪郭が見えてくる。


1940年代後半・1950年代〜の「ニッポンの世界史」



#2 日本人にとって世界史とはなにか? 本論の起点。敗戦・占領・冷戦という条件のもとで、日本の「世界史」は再出発を迫られた。それまでの「西洋史」「東洋史」の二本立てに代わる新しい統合的フレームとして、「世界史」がどのように要請されていったのか。

#3 世界史の「氾濫」 1940年代後半の出版界に押し寄せた世界史ブーム。叢書、講座、概説書がつぎつぎと刊行され、知識人から大衆までが「世界史」を貪欲に求めた。あの異様な活況の正体を、当時の出版状況と読者層の双方から探る。

#4 東洋史の「再発見」──宮崎市定・古代文明・トインビー 京都学派・宮崎市定が構想したユーラシア東西交渉史。同時代に流行した四大文明論。そしてアーノルド・トインビー『歴史の研究』の翻訳受容。これら三つを束ねて読むと、シュペングラー『西洋の没落』以来の文明形態学的な発想が、戦後日本の世界史叙述に深く流れ込んでいたことが見えてくる。

#5 マルクスの史的唯物論のインパクト 戦後民主主義の知的雰囲気のなかで、史的唯物論は世界史叙述の基本フォーマットの一つとなった。歴史学研究会と大塚久雄を背景に、世界史を「発展段階」として描く語り口が、いかにして学校教育にまで浸透していったか。

#6 アメリカ映画とソ連映画から見る「アジア」観 活字以外のメディアが世界史認識に与えた影響を扱う回。占領期から1950年代にかけて流入したハリウッド映画とソ連映画は、それぞれまったく異なる「アジア」像を日本人に刷りこんだ。世界史的想像力の地ならしは、まずスクリーンの上で進んでいた。

#7 「逆コース」と「系統的」な世界史カリキュラムへの転換 占領後期から独立後にかけて、教育政策は大きく舵を切る。社会科のなかに溶けこんでいた歴史学習が、独立した「系統的」な世界史科目として再編されていく。その転換の背後にあった政治的力学を読みなおす。

#8 ヨーロッパの「妄想」に挑んだ二人──飯塚浩二と上原専禄 ヨーロッパ中心主義を「妄想」と退け、アジアからの視点で世界史を組みなおそうとした飯塚浩二と上原専禄。戦後日本の世界史教育思想に決定的な影響を与えた両者の射程と、その限界を改めて測る。

#9 アジア・アフリカ会議の衝撃 1955年のバンドン会議は、日本人の世界認識に深い亀裂を入れた。「第三世界」という新しい主体の登場は、米ソ二極のフレームでも、欧米中心の進歩史観でも捉えきれない歴史像を要請したのである。

#10 京都学派の世界史(その1) 高坂正顕、西谷啓治、鈴木成高、高山岩男──戦時下に「世界史的立場」を語った彼らの遺産は、戦後どう引き受けられたのか。シュペングラー、ランケ、ヘーゲルを批判的に消化しつつ構想された「世界史の哲学」を整理する。

#11 京都学派の世界史(その2) 前回の続編として、戦後における京都学派的世界史観の変奏をたどる。鈴木成高や高山岩男の戦後の仕事を読みなおし、戦時の論理がどう組み替えられ、あるいは静かに持ち越されたのかを問う。

#12 梅棹忠夫の『文明の生態史観』 1957年、『中央公論』に発表された「文明の生態史観序説」。日本と西欧を「第一地域」、ユーラシア中央部を「第二地域」と呼ぶ独自の文明地理学は、トインビー的な文明形態学を生態学の言語に翻訳してみせた。あの一文がもたらした切れ味を改めて確認する。

#13-1 現在の世界史教科書のルーツ?──上原専禄と吉田悟郎『日本国民の世界史』(1/2) 上原専禄・吉田悟郎編『日本国民の世界史』(岩波書店、1960)を読みなおす前編。そもそも「日本国民の」とわざわざ銘打ったタイトルには、いったい何が託されていたのか。

#13-2 現在の世界史教科書のルーツ?──上原専禄と吉田悟郎『日本国民の世界史』(2/2) 後編は同書の章立てと叙述方法に分け入り、地域世界の並列と交流を軸とする構成原理が、その後の高校世界史教科書にどう受け継がれたかをたどる。


1960年代の「ニッポンの世界史」



#14 「大国」化する日本と司馬遼太郎の登場 高度成長によって日本社会の自己像が大きく変わっていく時代に、司馬遼太郎は国民作家として登場した。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』が提示した日本像は、世界史的な自己理解とどこで結びつき、どこで離れていたか。

#15 世界史の分裂!──1960年代の学校世界史と働く青年の教養主義 1960年代の世界史は、二つの場所に引き裂かれた。進学を前提とする高校生のための科目と、「働く青年」のための教養。岩波新書、中公新書を支えた勤労青年読者の存在感に、改めて光を当てる。

#16 授業時間が足りない?──就職者にとっての世界史 授業時間の制約と教科書の肥大化──現在まで続くこの構造的問題は、すでに1960年代に姿を現していた。進学しない生徒たちにとって、世界史はどんな意味をもち、どんな意味をもたなかったのか。

#17 受験戦争が変えた「教養」──1960年代の進学校と予備校 受験産業の隆盛は、世界史を「暗記科目」の代名詞へと変えていった。代々木ゼミナール、駿台予備学校といった大手予備校の文化と参考書の氾濫が、戦前以来の「教養としての世界史」をどう書き換えたのか。

#18 1960年代の新動向──「明治百年」・反戦・『岩波講座世界歴史』 1968年の「明治百年」記念事業、ベトナム反戦運動、そして『岩波講座世界歴史』全31巻(1969〜71年)。これら三つの動きが交錯する60年代後半は、世界史叙述が政治的緊張をはらみながら多元化していく季節でもあった。

#19 「戦前」やアジアと向き合う世界史は可能か?──ロストウ・ライシャワー・竹内好 W・W・ロストウの近代化論、エドウィン・ライシャワーの日本研究、竹内好の中国論。「近代化」をどう理解するかが、アジアの位置づけと「戦前」の捉え方を決定的に左右した時代の論争を再構成する。

#20 戦後の「世界史全集」ブームのゆくえ 中央公論社『世界の歴史』、講談社『世界の歴史』、河出書房新社の世界史全集──家庭の本棚に並んだ全集物は、誰がどう読んだのか。そして、あの全集ブームは何を残したのか。

#21 反戦と世界史の60年代──映画とサブカルチャーとしての漫画 ベトナム戦争を主題とする映像作品、そしてサブカルチャーとして勃興しはじめた漫画。手塚治虫、白土三平らの仕事は、世界史的想像力を編みなおす場としてどんな役割を果たしたか。


1970年代の「ニッポンの世界史」


#22 「文化圏」学習の導入──1970年度学習指導要領の思惑 1970年版学習指導要領は「文化圏」学習を導入した。発展段階論的な世界史から、地域ごとの文化的個性を並列して描く方式への転換。それは何を可能にし、何を切り落としたのか。

#23 「国益」のための世界史へ──なぜイスラム世界は「文化圏」に格上げされたのか? オイルショックを経て日本の対中東関係が深まるなか、世界史教科書のなかでイスラム世界の扱いが急速に膨らんでいった。「国益」と歴史教育の関係が、ここではあからさまに露呈する。

#24 世界史にとって、1970年代の「大衆歴史ブーム」とは何か? 歴史小説、大河ドラマ、歴史雑誌が一斉に勃興した1970年代。司馬遼太郎、海音寺潮五郎らが供給した日本史的想像力は、世界史への関心とどこで合流し、どこですれ違ったのか。

#25 越境する中国史──陳舜臣のユーラシア的想像力 神戸生まれの台湾系作家・陳舜臣。『阿片戦争』『秘本三国志』『敦煌の旅』──中国史を「中華」の枠から解き放ち、ユーラシア規模の交渉史として描いてみせた陳の仕事を、いま改めて読みなおす。

#26 テクノロジーと精神文化──マクニールの世界史は、何が新しかったのか? ウィリアム・H・マクニール『世界史』『疫病と世界史』。技術史と精神文化史を一本の糸で結ぶマクニールの叙述は、それまでの日本の世界史像にどんな衝撃を与えたか。

#27 忘れられた世界史家・謝世輝とは何者か?──万博・ヘドロ・ポストモダン 忘れられた世界史家・謝世輝(しゃ・せいき)を発掘する。台湾出身の物理学者でもあった謝が、大阪万博、公害、ポストモダンを背景に展開した独自の世界史論を、当時の文脈に置きなおして読む。

#28 それぞれの「近代」批判──吉本隆明・阿部謹也・謝世輝 吉本隆明の共同幻想論、阿部謹也のヨーロッパ中世史研究(『ハーメルンの笛吹き男』ほか)、そして謝世輝の文明論。1970年代に噴出した多様な「近代」批判は、世界史叙述に何を投げ込んだのか。

#29 「長い目」で世界史を見る──成長の限界・ノストラダムス・小松左京 ローマ・クラブ『成長の限界』(1972)、五島勉『ノストラダムスの大予言』(1973)、小松左京『日本沈没』(1973)──文明の終末を予感する想像力が、世界史を「長い目」で考えようとする志向と結びついた70年代の風景を描く。

#30 文化圏の罠──世界史に「アフリカ」は入っているか? 「文化圏」学習の限界を、アフリカ大陸の扱いから問う。ヨーロッパ・イスラム・東アジア・南アジアを「文化圏」として並べるフレームのなかで、サハラ以南のアフリカは構造的に周縁へ追いやられていなかったか。

#31 学習参考書と世界史──なぜ世界史は「暗記地獄」化したのか? 山川出版社『詳説世界史』とその副読本、各種年表・用語集。受験技術の高度化が世界史学習を細部の記憶へと傾斜させ、結果として「暗記地獄」というイメージを定着させた経緯を追う。

#32 少女漫画がひろげた世界史の担い手──『ベルサイユのばら』を中心に 池田理代子『ベルサイユのばら』(1972〜73年連載)は、世界史の受容層を一気に拡張した事件だった。フランス革命前夜という、それまで男性教養の領分だった主題が少女漫画によって引き受けられたことの意味を考える。

#33 地政学化する世界史──キッシンジャー・倉前盛通『悪の論理』・高坂正堯 ヘンリー・キッシンジャーの外交回顧録、倉前盛通『悪の論理』(1977)、高坂正堯の国際政治学。世界史を「地政学」のフレームで読みなおす動きは、後の保守的世界史観の苗床にもなっていった。

#34 1970年代のまとめ 文化圏学習の制度化、大衆歴史ブーム、近代批判、地政学的想像力の浮上──1970年代を貫く複数の流れがどう絡まり合っていたかを総括する。

 
 

1980年代の「ニッポンの世界史」


#35 進む「世界史離れ」──文化圏学習・ナチカル・共通一次 1979年に始まった共通一次試験、硬直化していく文化圏学習、そして中曽根康弘内閣下のナショナル・カリキュラム論(いわゆる「ナチカル」)。世界史科目の地位が静かに揺らぎはじめた1980年代の入口を描く。

#36 世界史が語る国際政治や文明の衰亡──高坂正堯と塩野七生 高坂正堯『文明が衰亡するとき』(1981)と、塩野七生のローマ史エッセイ。シュペングラー『西洋の没落』以来の「衰亡」というモチーフが、現代日本の国際政治論や歴史エッセイのなかで何度も再生産されていく回路をたどる。

#37 湯浅赳男の世界史的想像力──ブローデル・梅棹忠夫・ウィットフォーゲル 経済史家・湯浅赳男(ゆあさ・たけお)を再発見する。フェルナン・ブローデルのアナール派、梅棹忠夫の生態史観、カール・ウィットフォーゲル『東洋的専制主義』──これらを独自に縫いあわせた湯浅の世界史像を整理する。

#38 比較文明の誘惑──伊東俊太郎 伊東俊太郎『比較文明』(1985)を中心に、1980年代に確立する比較文明論の系譜をたどる。トインビー、シュペングラー、ヤスパースの「枢軸時代」論を消化しつつ、日本独自の文明史叙述として展開された伊東の構想とは何だったのか。

#39 カルタゴ=日本論──森本哲郎・堺屋太一と世界史エッセイ 森本哲郎『ある通商国家の興亡──カルタゴの遺書』(1981)、堺屋太一の文明論的エッセイ。経済大国化した日本を古代カルタゴに重ねて滅亡を予感する語り口は、80年代の世界史エッセイの定番フォーマットになっていく。

#40 世界史は、なぜ必修化されたのか?(その1)──世界史離れ・林健太郎・中曽根康弘 1989年の学習指導要領改訂で世界史は必修化された。歴史学者・林健太郎、首相・中曽根康弘の議論を背景に、「国際化」と「日本人としての教養」の双方を満たす科目として世界史が選ばれていく過程を追う第一回。

#41 世界史は、なぜ必修化されたのか?(その2)──必修化までの経緯 教育課程審議会と中央教育審議会の答申を追跡し、必修化までの制度的プロセスを具体的に再構成する。

#42 世界史は、なぜ必修化されたのか?(その3)──必修化推進の論理 推進派が用いた論理を解きほぐす。グローバル化、国際社会への貢献、日本人の自己理解、西欧近代の相対化──ときに矛盾しあう動機が、なぜ「世界史必修化」という一つの旗印のもとに集合できたのか。

#43 世界史は、なぜ必修化されたのか?(その4)──木村尚三郎の世界史観 西洋史家・木村尚三郎を取り上げる。中世フランス農村史の専門家から「文明としてのヨーロッパ」を語る論客へ転じた木村は、必修化の理論的支柱の一人となった。彼が描いた世界史像とは何だったのか。

#44 理系的世界史の誕生──小松左京と梅棹忠夫 小松左京と梅棹忠夫を中心に、文系的な歴史叙述とは異質な「理系的世界史」が80年代に立ち上がる様子を追う。情報・生態・システムを軸に世界史を再記述するこの発想は、後の文明史的世界史の伏流ともなっていく。

#45 世界史「学習漫画」の起源──手塚治虫と中央公論社 中央公論社『マンガ世界の歴史』、小学館『学習まんが少年少女世界の歴史』──子ども向け学習漫画の起源をたどる。手塚治虫が果たした役割を起点に、漫画というメディアが「公式」世界史と並走する空間を作り上げていった経緯を扱う。

#46 1980年代のまとめ 世界史離れの進行、必修化、比較文明論の隆盛、学習漫画の定着──同時進行した複数の動きを束ねて、1980年代を総括する。



1990年代の「ニッポンの世界史」


#47 「縄文」を語る世界史──安田喜憲の環境考古学 花粉分析を武器に、縄文時代を「森の文明」として語りなおした安田喜憲。地球環境問題への関心と結びついた彼の議論は、世界史を「文明と自然」のフレームで描く新しい流れを生み出した。

#48-1 宮崎正勝の「ネットワーク」世界史(1) 高校世界史教師から世界史家へと転じた宮崎正勝の仕事を扱う前編。海域、交易路、人の移動を重視する「ネットワーク」型の世界史記述は、それまでの「文化圏」型記述をどう乗り越えようとしたのか。

#48-2 宮崎正勝の「ネットワーク」世界史(2) 後編では宮崎の一般書(『海からの世界史』『〈図説〉世界史を変えた50の鉱物』ほか)を具体的に取り上げ、教育現場と一般読者をつなぐ位置で「ネットワーク世界史」を普及させた意義を整理する。

#49 「近代世界システム論」の到来──大江一道・川北稔・ウォーラーステイン イマニュエル・ウォーラーステイン『近代世界システム』が、川北稔の翻訳によって本格的に受容される1980〜90年代。教育現場では大江一道らが媒介役となり、システム論的世界史像が高校現場にも染み込んでいった。

#50 「脱欧脱亜」する世界史──川勝平太『文明の海洋史観』 川勝平太『文明の海洋史観』(1997)を読み解く。梅棹忠夫の生態史観を継承しつつ、海洋を軸に日本文明の独自性を語る川勝の構想は、ヨーロッパからもアジアからも自立する「脱欧脱亜」型の世界史観として登場した。

#51 「世界史のなかの日本文明」──90年代における反左派フォーマットの成立 1990年代後半、戦後歴史学の進歩史観に対抗する「日本文明」型の世界史叙述が、一つの定型として成立する。シュペングラー的な文明形態学の系譜が、川勝平太、伊東俊太郎、梅原猛らの仕事を経由して、保守系の世界史観の底流となっていく経緯をたどる。

#52 世界史はどう書き直されたのか?――1990年代世界史群像  ソ連崩壊によって、社会主義と資本主義の対立を軸とする世界史像が揺らいだ1990年代。国家、民族、文明、交易ネットワーク、環境、情報などを新たな主役に据えた書き手たちの試みをたどり、教室の外で世界史が多様に組み替えられる一方、学校では「暗記科目」として敬遠されていったズレを描く。





2000年代のニッポンの世界史


ニッポンの世界史 #53  翻訳書がもたらした世界史―英米の大きな物語(予定)




2010年代のニッポンの世界史







2020年代のニッポンの世界史





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