愛に飽和点はない|記事紹介
IBMを創業したトーマスワトソンは、同社の設立理念として、
教育に飽和点はない
という言葉を掲げました。
飽和点というのは、「それ以上やり過ぎるとかえってダメになる水準」のこと。
人間、教育し過ぎてダメになることなんてないんだ、教育にしっかり力を入れてやっていこうぜ、というメッセージです。
愛にも同様に、飽和点はないんじゃないか。
そんな気持ちにさせてくれる、あるお母さんをご紹介させてください。
今回ご紹介するあおいさんは、ダウン症の息子さん(2歳)と娘さん(4歳)を持つお母さんです。
臆面もなく書いてしまうと、私はこの方の書く文章が好きです。
色々な記事を出されているのですが、その
推しポイント
を、3つに絞って書いてみます。
1.「愛の再構築」という骨太な価値観
出産直後。
息子さんがダウン症であると確信したとき、あおいさんは「愛せない苦しみ」という、絶望の深淵を直視することとなりました。
その時の心情を、こう綴ります。
私はハッとしました。 この子はダウン症だ。 雷に打たれたようにと言うのはこのことだと思います。しばらく動けませんでした。
…
とにかく信じたくなくて、放心状態のまま自分の部屋に帰り、色々と検索し始めました。 私の直感が間違っている証拠が欲しくて、必死に調べましたが、調べれば調べるほど、息子に当てはまることばかり出てきます。涙と震えが止まりませんでした。
…
絶望の中で最も苦しかったのが、息子の顔を見たときに我が子だと思えなかったことです。
ダウン症は顔の発達の特性から顔に特徴が出ます。 息子が初めて目を開けてダウン症だとハッとしたとき、我が子ではなくて「ダウン症の子がいる」と思ってしまった自分がいました。ダウン症という遠い国から私のもとにやってきたような感覚を覚えたんです。自分が昨日産んだ子なのに、こんなに辛いことがあるでしょうか。 誕生という特別な瞬間に、みんなから愛されるはずの子が、誰からも愛されない。母親である私すら愛してあげられないなんてなんて罪なんだろうと思いました。
でも、あおいさんはそこで自分の感情を放置しなかった。
彼女が辿り着いた答えは、苦しみの原因が「顔つきが似ているところに血縁関係のような繋がりを感じてしまっていた偏見」にあるという、みずからの認知の歪みを特定することでした。
この偏見を解消するため、「ダウン症の人の顔つきが似るのは、顔の中心部分の発達が遅いという特性があるからだ」という正しい知識を得る努力をしました。
調べていくと、ダウン症の人の顔つきが似るのは、顔の中心部分の発達が遅いという特性があるからだと分かりました。
私がダウン症の息子の顔つきを見たときに他所の子のように感じてしまったのは、顔つきが似ているところに血縁関係のような繋がりを感じてしまっていた偏見によるものだったんです。
当然ですが、ダウン症の人の顔は一人ひとり違っていて、それぞれ親や兄弟に似ています。でも私は無意識のうちに、「ダウン症の人たち」と一括りに見てしまっていたんだと気づきました。正しく知ることが大事だとつくづく考えさせられる経験でした。
また別の記事になりますが、何より私が膝を打ったのは、この文章。
たとえ目が見えなくても、それを不自由と感じない環境が整っていれば、それは障害とは捉えられません。
ダウン症であっても、就職や生活に困らず個性を生かせる社会なら、障害ではなく多様性として認知されるのではないでしょうか。
社会なんてのは勝手なもので、「障害がない」とされる多数派が、勝手に「人間の標準規格」のようなもの(あおいさんの言葉でいえば「社会のバリア」ですね)を定めて、勝手に「障害がある」と論じているに過ぎません。
このように、本来十人十色なはずのものの中に、勝手によくわからない標準規格を作り出して、そこからハミ出ないように誘導することを、「家畜化」と言う。
家畜を作る方法と全く同じなので、そう呼ばれている。
古来、人間は豚や牛など、いくつかの種類の野生動物を家畜化してきた。
しかし、人間は、「人間自身」をもまた、家畜化する。
…
つまり、あらかじめ多くの人間たちで「人間の標準規格」を定めておき、そこから逸脱する人間を爪弾きにしていけば、人間社会を維持しやすくなる、という寸法だ。
子育ての世界でも、この「人間による人間の家畜化」が公然と行われている。
こうしてあおいさんは、一つ一つ認知の歪みをただし、「愛せない苦しみ」から抜け出すことに成功します。
そして翌日の面会のとき。まだドキドキはしましたが、恐れではなく、息子に会いたいという気持ちで会いに行くことができました。 息子はやっぱりダウン症の顔つきでした。でもちゃんと我が子だと感じられました。抱っこしていると温かくて、確かに愛おしさが込み上げてきました。 ずっと張り詰めていた糸が切れ、初めてちゃんと息を吸えた感じがしました。
しかし、物語はここで終わりません。
この時点から今に至るまで、あおいさんはこの
愛の再構築
のための歩みを止めないのです。
2歳6ヶ月になるダウン症の息子は、未だに赤ちゃん臭がプンプンします。こんなにも母性本能を惹きつけるものが、他にあるでしょうか。息子はとっくに卒乳しているのに、赤ちゃん臭とは何なのでしょう。4歳の娘の赤ちゃん臭はいつの間にかすっかりなくなってしまいました。
こんなにも長い間、赤ちゃん臭に包まれている日々を、幸せと言わずしてなんと言うのか。ダウン症だから、発達が心配だから、そんなことはどうでもいいと、息子の赤ちゃん臭が教えてくれます。いつまでもこの臭いに浸り続けたい。すっかり中毒の母です。
自らの「母としての幸せ」をしっかり認識して、実行に移し、幸福を確認する。
ここまで幸福を言語化できる親御さんもまた珍しいですよね。
絶望から立ち直ったあおいさん。
その愛に、「飽和点」なんて見出せそうにありません。
2.独特のフレーズ
このあおいさんの骨太な価値観を彩るのが、独特のフレーズたちです。
例えば、息子さんのぽっこりお腹が持ち上がらない現象を「二乗三乗の法則(ガリレオの法則)」で解説、重力に負け続ける姿を「海王星人」と名付ける筆力は圧巻です。笑
一生持ち上がる気がしないぽっこりお腹。実は私がそう感じたのも無理はなく、この自然界にはまさに、このぽっこりお腹が持ち上がらないことを証明する法則が存在するのです。
それが、「二乗三乗の法則(ガリレオの法則)」
…
ぽっこりお腹の大きさが2倍になったとする。その重さ(体積)は8倍になるのに、それを持ち上げる腹筋(断面積)は4倍にしかならない。
ぽっこりお腹の試練があっさり科学的に証明されてしまいました!
そりゃ疲れるよね。日々重力と闘ってるんだから。 重力が強いってどんな感じだろう。調べてみました。 地球よりちょっと重力が強い星は海王星だそうです。海王星に行ってみたら息子の気持ちが分かるのかな。
…
今後も海王星人の成長を一緒に見守っていただける方、絶賛募集中。 ぜひスキ、フォローよろしくお願いします♡ コメントもお待ちしています。
おそらく、あおいさんは敢えてこうしています。
障がい児育児のテーマは得てして重くなりがちですが、あおいさんが本当に届けたい深遠なインサイトを、ユーモアと親近感という
糖衣
に包んで、食べやすく(飲み込みやすく)提供することに成功しているんですよね。
これにより、同じ境遇の読者には「安心感」、私のような知識ゼロ一般層には「関心」と「学び」につながるんです。
この点は、以前ご紹介したフエエナガさんにも共通してみられる傾向かもしれません。
「視力の弱い人は、メガネをかけなければ生活できないけど、
メガネさえあれば、普通の日常生活を送ることができる。
それと同じで、発達障害のある子も合理的配慮を受ければ、
普通に生活することができるんだよ。」
まさに、“目から鱗”でした。
それまでの私は、
「支援を受ける=周囲に大きな負担をかけること」だと思い込んでいました。
でも、合理的配慮とは、障害のある人にとっての“生活のための道具”。
そのことに、初めて気がついたのです。
…
少しずつ…私は願うようになっていきました。
“私も、娘との育児を楽しいと思えるようになりたい”と。
そして、腹を括った私は、
娘との育児を、“ユーモアで包む”ようになっていったのです。
なお、あおいさんの分析は理系的な視点のものが多く、その点が独自のユニークさを形成しているのも特徴です。
(私のようなド文系には、シンプルに学びが多い。笑)
3.社会変革への熱量
中央省庁にいた人間からすると、おそらくこれが最も刺さった点かもしれません。
あおいさんは、障がい児育児において、
「社会で支える時代だ」という理念
と、
現場の現実
が大きく乖離していることを鋭く指摘します。
息子が生まれたとき、色んな人が言ってくれた言葉。
「社会で支える時代だから。お母さんも自分の人生を歩めますよ。」
とてもありがたかった。きっと昔じゃ考えられなかった社会の捉え方の変革だと思う。障害者は親が抱える時代から社会が支える時代に大きく認識が変わってきている。この理念を見失ってはいけないと思う。
…
たくさんの人に支えられ、励まされ、今私は息子と共に楽しくこの社会で生きている。それは本当にありがたいけれど、同時に社会の理念と現実のズレを目の当たりにすることも多い。
その一つの例が療育の受け皿不足。
うちは早期療育を受けたいと悩み続けて早1年。一方、同じ市に住んでいて、4ヶ月から療育に繋がってる子がいたんです。
そもそも、市から募集がないと断られたここの療育に私が直接連絡しなければ、もっと後まで分からなかったことになります。
私は生まれて初めてクレーマーになりました。だって、我が子の大事な大事なこの1年は戻らないんです。
…
私は保健師さんに連絡しました。でも保健師さんがお家療育の存在を拾えなかったのには理由がありました。 そのお家療育は、そこの理学療法士の先生が一人で受け持っておられたので、枠が極僅かだったのです。だから公に募集しないようにされていました。 全てのダウン症の赤ちゃんが平等に質の高い療育を受けるためには、うちの地域で言えば、この先生が何人もいないと実現しないのだということが分かりました。要するに受け皿が足りないという社会全体の問題だったのです。
グサっときましたね。
役所にいたころは、政治家のご機嫌とりばっかりやって、こうやって苦しむ目の前の国民を何一つ助けられない無力さが猛烈なストレスでした。
ちなみにこれ、遠く海の向こう、カナダでハンデを抱える子どもを育てているパパたちも、全くおんなじこと言ってるんです。。
誰かが来て「よし、君たちは助けが必要だ。私が何とかする」と言ってくれるわけではない。
結局は自分が、声を張り上げて、叫ばなければならない。
「今すぐ助けが必要だ!今すぐ手配しないと、この子を家から追い出すことになるぞ!」とね。
そう叫んだ時だけ、ようやく反応が返ってくる。
叫び始めた途端、
「ああ、そうだね。追加で何かできるかも」
なんて言い出すんだ。
それでも、屹然と前を向くのがあおいさんのお人柄。
たとえ机上の空論であっても、その理念や認識がなければ何も始まらないのも事実。多様性という言葉は独り歩きしているようにも感じられるけれど、その認識が広まらなければ、インクルーシブ社会は実現しない。
私たちの認識が先か、社会の資源が先か。それは、両輪として同時に機能させるべきものなのだと思う。
多様性に心から納得し、誰もが明るい未来を思い描ける社会を実現するために、この社会の目指すところと現状のズレがあること、そしてそのズレを解消すべく、いち早く実効性のある質の高い社会資源が必要があることを、強く訴えたい。
本当、仰る通りですよ。
少なくとも、多様性をないがしろにするような政治家を当選させてはいけません。
(元官僚的には、むしろこうした声を地元の代議士事務所に持ち込んで、政策実現にまい進していきたいところであります。)
少し長くなりましたが、あおいさんのNoteの魅力が伝わりましたでしょうか。
本当に素晴らしいクリエイターさんですので、皆さんもぜひご一読ください!
追伸
じつはあおいさんとNoteで交流できる期間、残すところあとわずかです。
実は私のタイムリミットは後4ヶ月。4月から育休復帰します(泣)。他にもやりたいこと、やらなければならないことを色々残したまま、育休が終ってしまう。
ご関心持たれた方はぜひあおいさんとつながってください!
チャンスの女神には前髪しかありませんよ。
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お気持ちめちゃくちゃ嬉しいです!でも、本当にいいんですか?