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【西暦2025年7月振り返りnote】

大祓の時から、あっという間に1ヶ月が過ぎ去ろうとしている。

この1ヶ月、あなたの人生物語には何が存在していただろうか?

この、私のnoteと一緒に振り返ってみましょう。

1988年、リクルート事件。

それは東西冷戦の軍事緊張による経済、ソ連&バブル崩壊は、I Tデジタル情報社会への転換期を告げた事件だった。

その後も日本国経済、政府社会秩序は既存因果から脱却する事なく「既得権益擁護」「グローバリズム盲信」によって「失われた30年」へと衰退を重ねていった。

スマホなどのデバイスで、いつでもどこでも情報共有可能な今だからこそ、次世代は、今の日本国がこうなっている問題が、「利権の世襲・継承因果」によって包み隠されている事実を踏まえた場所から、全ての行動選択を始めて欲しいと願っている。

日本は江戸時代まで「神仏習合」によって、生きる事の中に、自然と世間と文化が言語や風習の中に根差していた。

「尊王攘夷」「廃仏毀釈」によって「仏性」と「生態系」に宿っていた「倭文化」そのものが「神道の現人神・天皇」「大日本帝国」へと変容した。

天皇家の歴史を見えれば、「上皇」と呼ばれる人々は皆「出家」して「仏門」に赴き、生涯を遂げている。

この世に正解は存在しないが、事象としての事実は存在する。

一旦それを見つめてから、全てを検討する習慣を重ねる事によって己の人生は、日を重ねれば重ねる程に深みを増していくものだと感じる。

現代日本人社会の「被害者軽視」と「自己責任論」が甚だしいと感じる。

グローバリズム、戦後左翼教育によって「倭民族」、「和をもって貴しとなす」といった独自の精神性が、「個人主義」「現世利益」、「既得権益」の暴力によって掻き消されようとしている。

そもそもあらゆる民主主義国家において「国民主権」は当然の一丁目一番地であり、「主権者」が「保護」される事は当然果たされるべき「国家」の責務。

まずそれが「当たり前」になって初めて「国際支援」に当たることが出来るが、「ジャニーズ」にせよ「テレビ局局アナ」にせよ、海外ジャーナリズムによる指摘で初めて問題が顕在化する「自浄作用」を失った国家秩序に成り果てている。

挙句の果てに、クルド人問題は日本政府ではなく、トルコ政府による対応によって対処が始まっている。

外国人による土地取得は、領土に生きる「主権者国民の財産」を国際金融資本によって明け渡す事に寄与する。

「国家」として「そもそも」の目的の自覚を、政府官僚は「和をもって貴しと成す」という、倭民族の祖先達の系譜、教えを再認識した場所から、今日を始めることを重ねる事を肝に銘じてほしいと願っている。


ガンダム・ジークアクスが完結した。

マルチバース・平行宇宙。

ニュータイプと意識の量子テレポーテーション

カラーが、西暦2025年、「ガンダム」コンテンツと共に「新訳」としての「アニメ」を制作した。

「オタク」という文化が日本人としての、私たちの日常に流れている。

他の生物から私たち「ホモ・サピエンス」を捉えた時、目立つのは

「体毛の少なさ」であり、それが目を開き二足歩行で日中に行動することではないだろうか?

「進撃の巨人」はその異質さを、ホモ・サピエンス目線で示してくれている様に感じる。

そして、その特性にホモ・サピエンス同士は「美学」を感じたりもする。

「完全変態」

脱皮して成虫になる生物用語。ホモ・サピエンスがホモサピエンスになり得た、「完全変態」という事象は遺伝子の時空の前後の先端に存在するのだろうか?

これが、未来のにおける社会・公共施設の在り方の形態を課題提起したものだと感じる。

アイテム数によるトランザクションによるが、既に、個人と目的を施設建造物環境におけるシステムとして、実現した事実。

そして日本社会はいつも海外から遅れて導入されて社会実装されてきた事実から見ても、

コンビニやスーパーではない。「行政施設・役所」にこそ、ドン・キホーテの小型無人店のシステムプラットフォームから社会適合した開発は必要になるだろう。

そして自動無人化によって政府・財務省の大好きな「財政健全化」の未来予想図は実現する。公務員、業務委託費といった人件費による「予算」を大幅に削減可能になる。

終わってみれば、いつも通り。大衆化した「預言者」の「予言」が今世においていつも「外れ」の社会現象になる。

大抵「盲信」する人はそれを「ケロッ」と忘れて、また次の「予言」を探して他人に伝言しようとする。

その周辺には「スピリチュアル」「カルト」「マルチ」の気配が蔓延している。

御用心を。

集英社・週刊少年ジャンプの漫画には「愛」と「勇気」いう目に見えない、形のないが流れている様に感じる。

そこには「陰謀」や「思考」「教育」といった「恣意的」なものを超越した私たちの心に魂に訴えかける「感動」が宿っている。

特に「敵」「味方」による「正解」「不正解」が存在しない空気感が「ジャンプ」には満ち溢れ、その読者達の人生への「問い」を投げかける。

「君はどんな冒険をするんだい?」

何歳になっても日本人が生み出した「オタク」は素晴らしい。

既得権益・天下り・汚職・腐敗・スパイ・・・・

国家と主権者国民の信頼関係、「絆」を取り戻すこと。

西暦2025年、日本国と日本国民の間にあるもの。

私が語らずとも、皆それを感じているだろう。

そしてもし「それ」を感じていないとしたら?

貴方は「1億2,000万人の主権者国民」が今ここに、地球上に実在している「日本国」である事を意識の外に置いて生活しているという事だろう。

確かに「グローバリズム」「国際金融資本」が齎した、発展、繁栄は地球人類として存在する。

同時にそれに多大な寄与を果たした「日本人」が「貧困」に直面している事実が何故引き起こされ、何を変えたならば未来の子孫達が当たり前の人生における幸福と共に在るのか?

「国家」は実在する。「グローバリズム」という理想と並行して。

シンギュラリゼーション時代、国家が主権者国民の繁栄へ果たす役目はなんだろうか?

SNSやメディアは「選択的夫婦別姓」「消費税」「給付金」などを選挙の争点にして国民に投票を訴えようとしたが、

結果論で言えば、7月20日に実施された参議院議員選挙において、争点は「言論の自由」だった。

そう、「民主主義(デモクラシー)」のそもそも、根本的な事。

言論の自由、言論による議会、議会制民主主義

それを蔑ろにした、言論統制、偏重報道に、資金や癒着が存在しているとしたら?

議員を選択する選挙自体が、不正であり、成立しない事になる。

「SNSを消し込みに行ったが消しきれない」

元大臣の与党議員が、YouTube番組で「うっかり」事実を漏らしていた。

私たちは、それによって日本国政府が主権者日本国民の、民主主義の根幹を否定する、言論弾圧を行った「事実」を知った。

まず、その事実を重く受け止めた場所から、明日を未来を選択する必要がある。

シンギュラリゼーション時代、「情報」の「自動R&D制御」によって、地球環境・生態系との共生実装が可能になっていく。

私たちは明日へ、来年の未来の先へ、ホモ・サピエンスが生息した時空が実在する限り、更に社会的進化を遂げた日常を体験しながら、真核生物として、哺乳類として、子孫繁栄への人生を生きていくのだろう。

私たちの存在は、ホモ・サピエンスという種族現象における、遺伝子と遺伝子を繋ぐ「中継点的個体」であって、80億を超える個体が、太陽系第3惑星、水と鉄の惑星、地球上の「今」に存在しているという客観性を踏まえる事が可能な「権能」を与えられている。

私たち1つひとつの個体は「種族」のかけらであり、過去何百万年も、真核生物の祖先から捉えた時何億年も継承された、次世代への種と種による「生存本能リアルタイム変容パズル」を繋いできたもの。

ニューロンやアメーバの構造がビジュアル的に連想、イメージしやすい。

そしてこの一つ宇宙自体が似た紋様、幾何学的構造を示している。

私たちはその役割として現象の一つとして、今ここに在る。

だから「失われる」こともまた「自然界」の摂理であり、「死」や「消滅」は「無意味」ではなく「生」の先に実在する「全てに存在する」現象の一部で在る。

2025年7月5日。

貴方はどこで何をしていただろうか?

事実として、

「旅行会社の予約キャンセル」が増えて「旅行券」が格安になった。というSNSを観た。

「盲信」して自己保身のために「避難」した人は、己が何故それを選択したのか?己の思考因果と行動を一旦見つめ直したほうがいい。

SNSや動画では、「陰謀論」のチャンネル、視聴者が爆増しているようで、皆その恩恵に乗っかろうとマーケティングをしている形跡が散見される。

何故そこまで人は、「情報」に左右されるのだろうか?

事実と己に内在する、この世に、肌に触れる風に、両足が踏む大地に、目に映る光・太陽に天体に、音を立てて鳴き飛ぶ虫や鳥に、香りと色を運ぶ空気を共有する植物に、その生命の息吹で在る呼吸に、食物連鎖の循環をエネルギーを産生する食事に、ホモ・サピエンスが生きる原動力となる重力と筋・骨格に、遺伝子が示す本能、同性と異性の恋や愛の感覚に、

「たった数秒」

日々の中で、一瞬と一瞬の間に、意識をほんの少しだけ、

内在する己の魂と触れ合う現実に重なるまで待てば、己の生きてきた存在自体が、全ての形而を予言を、信じるべき事実を五感に映し出すというのに。

私たちは他の生物を利用するように、私たち自身も誰かの「ドグマ」に利用された罠に、誘導されている、洗脳された価値基準を盲信する事が「習慣化」されていないか?

西暦2025年7月5日に影響された行動を貴方や、貴方の周りが選択していたのなら、

一旦、全てを静止した場所から、己の人生を見つめ直す必要がある。

バールーフ・デ・スピノザから遡る事1世紀。

ニコラウス・コペルニクス及びガリレオ・ガリレイが実在した。

天動説・地動説とカトリック教会。

グレゴリウス歴の誕生。

彼は、「靴磨き」を生業とし、国家や宗教、商売といった「ドグマ」から離れた人生環境単身哲学の探究に生涯を費やした。

その彼が残した「人生哲学」が後の思想家達、哲学者、芸術家、物理天文学者達の探究、そして科学、工学の未来を変えていった。

そして西暦2025年、21世紀から数えて数世紀後のホモ・サピエンスの子孫達から観た「シンギュラリゼーション」の時代が訪れようとしている。

「オタク」である私にとって、シリウス・ロマネコンティの存在は驚愕に値するほど、ある意味「鬼滅の刃」の「累」に匹敵するほどの存在。

虚構の魔女「パンドラ」。

「デス」という言語を、私たち日本人は会話の末尾に付けるが、「デス」はラテン語系言語である英語において「生の終わり・死」を意味する。

日本語の「発声・音霊」はとても言語学者であれば興味深いものを秘めているのではないだろうか?

仮にこれからシンギュラリゼションによる、ビックデータが生体現象や因果関係を解読したアルゴリズムを定義実証する時、

「孤独」「絶望」の根底に「毒親」「愛着障害」「複雑性PTSD」が存在する確率は、非常に高いように感じる。

私たち就職氷河期世代、テレビドラマ界において「野島伸司氏」はヒットメーカーとして君臨していた。

ノストラダムスの大予言による終末期思想、カルト、末法的悲観論が社会に蔓延して、思考を支配していたように感じる。

彼女の生涯はどうだったのだろう?

謹んで、ご冥福をお祈り致します。合掌。

孤高を生きた、在野の哲学者、バールーフ・デ・スピノザ。

「共和制民主主義」が現世のホモ・サピエンスによる国際秩序の一端として実在し、存在感を示し続けられる根源に、彼の哲学は輝き続けている。

立憲君主制民主主義の日本国政府・官僚達において、彼の哲学を意識する存在はどれほどいるのだろうか?また、それを訴求するジャーナリズトを自称して生業としている人々の中に、果たしてどれだけの人がその意味を認識しているのだろうか?

私たちは「元素」が「一つ宇宙」の始まりから「実存」している「事実」から「科学」を構築している時代を生きている。

かつて「神」や「宗教」を盲信した人々はその「事実」を知らなかった。

そして「量子」は「一つ宇宙」の先「多元宇宙」の存在を弁証的に証明し、その作用を工学化実用化を実現しようとしている。

その人類叡智の結晶である「科学」「工学」によって、人類は人類の「盲信」から「脱皮」した社会を実現する「シンギュラリゼーション」の扉の先への旅が、既に始まっている。

「死」を意識する時、初めて「生」の存在に気づき、意識と共に実感する人生を過ごす事が出来る。

戦後80年、

私たちの日本人社会は、「死」から随分と遠ざかった場所にあるように感じる。

「メメント・モリ(死を忘れるな)」

常に、日常に「死」を意識している事は、「生きている」事を認識して生きること。

「七夕」の願い事笹の葉へ。

1年に一度、天の川の両岸に現れる恋人達の想いと共に。

なんて風情がある物語だろうか?

実は原点は、漢民族の中国神話が倭民族に伝来して形状を変えたものだと言う。

私たち倭民族と、漢民族、そして朝鮮半島は古来から様々な交わりを継続して独自の文化、風習を形成してきた。

明治維新「文明開花」「グローバリズム」の前から「ユニバーサリズム」とでも呼ぶべき「宇宙・天文思想・主義」が生活の中に実在して来た。

大切な思いが、継承されて私たちの生命が、ホモ・サピエンスとしての遺伝子、今がある。

「過ぎたるは及ばざるが如し」

古代中国の思想家「孔子」の言葉。

人類はともすると、必死で「正解」を探して「盲信」して「過失」へと至る。

太陽と月、地球の関係の中、この一つ宇宙の物理現象、遺伝子によるプログラムは、ホモ・サピエンスの生きる権能にとって、ほぼ完全体。ただ、ありのまま、ホモ・サピエンスとして放擲した意識を重ねた場所から生き続けていけばいい。

「学歴」は果たして必要なのだろうか?

これだけ「教育」「肩書き」「権威」「専門性」が充足した中で、

ではなぜ、社会的幸福が、「格差」が「満たされた社会発展」が実現しないのだろうか?

「教育・肩書きへの盲信・責任のすり替え・利権構造」

私には、「学歴」自体を求めることより、「生きる目的」と「出会い」「体験」「繋がり」の方がホモ・サピエンスと社会、科学事実の共有に寄与するように感じる。

時を重ねて、常態化して滞留する「学歴・官僚・権威・世襲」による社会の「汚職」「腐敗」「ギルド化」が、本来社会的弱者を擁護、保護するための司法、社会保障、福祉にまで「利権・不正」が蔓延る、社会構造的欠陥を招いているように見える。

「思考停止」=「カルト・ドグマの盲信」=「他者の可能性を否定」

日本社会は「出る杭は打たれる」「足の引っ張り合い」「他者の監視社会」と言われて久しい。

政府や、公共メディアの中に、仮にカルト宗教や、既得権益によるイデオロギーによる恣意的な情報拡散が放送電波に乗せられて、主権者国民への「洗脳行為」が行われているとすれば、それは「左翼思想」「グローバリズム」による「日本国民」を「思考停止・洗脳」へ誘う「情報装置」に成りかねない。

私たち個人が、それから免れるには、「孤独」や「内省化」へ「意識的行動」の選択を増やすこと。

即ち、「テレビ」や「新聞」を物理的に放棄し、自然界と己の関係、生き物との触れ合い、ホモ・サピエンスとして生命活動、「今ここ」に集中した1日を増やす事。

そして己の「愚かさ」「限界」を知る事。この次元の偉大な自然、生命、宇宙を感じた今の意識から、ちっぽけで、限られた己を尊重する事。

それがやがて、周囲の他者や社会に在る、不都合な感情やカラクリを直感的に解読する啓示的感性を与える。

私は「国家資格」として「作業療法士(Occupational Therapist)」を一旦社会人となってから4年間、夜学にて通い取得し、臨床にて主に脳神経・精神疾患によって日常生活に不調和を来した人々に対峙してきた経験がある。

海外で暮らし、外資で働いてきた私は入学当初から既に「作業療法」に対して「違和感」しかなかった。

作業療法自体が「米国」の「Occupational Therapy」から導入されている。

最初の「作業療法士」は米軍「横田基地」で学んだ。

最初の養成校は、東京都清瀬にある国立療養所内に誕生した。

つまり「Occupational Therapy」が原点であるのに、「Occupation」はどうやっても「作業」と翻訳する事が出来ない。出来ない言葉を、平気で「作業療法」と「意訳」した矛盾からそれを実行している人々に「不自然さ」をずっと感じていた。

米国のGAFAMなどの企業において「Occupational Therapist」は「職場環境の最適化」などに寄与している。

また人々が暮らす地域社会環境へ、Occupationと人生、社会の関係性を育むために活躍している。

それが本来の「Occupational Therapist」としての在り方だと感じる。

ちなみに「理学療法士(Physical Therapist)」の「フィジカル」にも「理学」としての意味は無い。

翻訳した人間は厚生労働省の誰かなのだろうが、医師会、製薬会社、既得権益、或いは文科省教育機関の回し者だったのだろうか?

既得権益による構造構成の意図への匂いしかしないし、

それに対して「変だ」と声を上げない「療法士協会」も「大学教授」達も皆変だ。

「カルト・ドグマ・カルマ」

21世紀も中盤に差し掛かり、「シンギュラリゼーション」の波紋、響きが徐々に大きくこの地球人類の中に共鳴し始めている。

「宗教」「教育」「権威」「支配構造」

「常識」「道徳」「倫理」といった「思考奪取」によって他者の人生を操作された家畜のような障害を与えること。

「奴隷解放」後、既得権益、社会構造、支配を形成して来た者達が、次に編み出したものが「グローバリズム」という「国際」の名の下にある「金融資本」「法」「軍隊」「武力」だった。

それを補うために、「情報」を操る「スパイ」「ジャーナリズム」「反社会勢力」「カルト」を意図的に利用してきた。

もうそろそろ、不毛な支配は終わりにしていい時だと思う。

スティーヴ・ジョブズ氏を始めとした、新時代のためのデバイス・プラットフォームにインスパイヤーされて次世代の遺伝子達は、既に未来への可能性の中へと航海を始めている。

マウスによる「楽園実験」の結末を選択するのか?それともホモ・サピエンスとして違う未来への「行動選択」によって筋書きを変えるのか?

それは、哺乳類として当たり前の在り方として、「母性」「母」「生育」を地球上の環境と共に生きる事。

ただ、それだけ。たったそれだけの事が、「思考」を「教育ドグマ」を盲信した女性達には困難になっている。

その社会構造を作り出したものが「男性社会」でもある。「フェミニズム」が「男性」を非難する因果理由も当然であるが、

大切な事は、今、ここから何を選択して、男女が未来を子孫繁栄を、この地球上で明日へと選択を重ねていくかにかかっている。

私たちは、一人ひとり、その場から、己の遺伝子が行える選択肢をリスタートを常に、常に重ね続けながら生涯を終える。

ただ、それだけだ。

「宗教」「主義」「教育」。他人からの「思想強要」の全ては「洗脳」へと繋がっていく。

「依存」を生成する背景には「精神」と「身体」の二つに分けることが出来る。

ただその根源は「己」に実在する「人生そのもの」であって、己が何を体内に或いは、意識に内包する選択をするのか?

それ次第で、その先は分岐していく。

「依存症」や「カルト・ドグマ・イデオロギー」を貴方の人生に持ち込もうとする者たちから脱出した環境で生きること。

それが天上天下唯我独尊、それぞれが主体的な「個人」として「健全」なホモ・サピエンスの意識の集合体としての社会を形成していく出発点となる。

地球環境における、ホモ・サピエンスの生涯、個々の人生とは「点」と「点」、出会いやきっかけによって複雑怪奇に形成された「ミステリー」のようなもの。

「哲学者」「文豪」「芸術家」「音楽家」「物理学者」「医学者」など、

その道を探究して来た者達の背後には、家族や友人、社会情勢、病魔、経済など複合的な因子が実在した、私たちの人生同様の物語が実在している。


私たち日本人の地球人類的価値、報酬として損をしている部分として

「方法(ノウハウ)」を「目的(ゴール)」より重要視する傾向があるように感じる。

日本国以外の、他の地球人類社会は「シンギュラリゼーション」によって社会目的を果たす為の国家指針を制定し、実行することに対して、日本国は「方法」を完璧にオペレーションしようとする。

完璧も正解も、ホモ・サピエンスは誰も、知らない。だからこの多元宇宙に地球は、生命は実在しているとも言える。

未知の発見は、この一つ宇宙の物理現象、遺伝子と共にある体験によって始めて認知される。

究極の社会に見える、シンギュラリゼーションの目的実現すら、2世紀先の人類から見たら、エジソンの電気の発見程度の歴史になるだろう。

私たちに大切なことは、「種族」として遺伝子同士によって形成されて実在する今、本能、本質が何を果たすべきか?国家社会は、種族のそれに対して何の目的を果たす事に寄与するのか?

因果と意識は常に連鎖している事を実感する現象は、日常茶飯事になっている。

それは私の意識が、自然界に実在している何かとの触れ合い、重なりを意識しながら生きている事に比例して起こっているように感じる。

そもそもホモ・サピエンスと地球生命の現象が現世で重なり合うのは極めて自然な話であって、むしろ重なっていないことが「不自然」な事。

単純に農家や、漁業など、そして他の職業で生きていたとしても、生物環境と己が共に人生がある人にとって「ただの日常」こそが「神秘的」な「形而」が在り触れたホモ・サピエンスとしての在り方なのだろう。

「シンギュラリゼーション」によって「資本」「利権」「労働」による「都会」への価値基準が激変する可能性を感じる。

「資本・社会両主義とも、目的・役割を終えた」

ホモ・サピエンス社会における「資本と労働」の関係性から「脱皮」して「哺乳類」としての「人類」を生きる新しい生き方、在り方が始まっているように感じる。

地球地表における生命の最盛期としての「夏」。

それはまた次の世代への、「種」を遺す最終段階。

そしてその先に「秋」がやってくる。

南半球においてはその逆になる。

中世ヨーロッパ、北半球しか知り得なかった人々にとっての天動説。

不思議な地球環境と太陽の関係性。

「バタフライエフェクト」「101匹目の猿」「二重スリット」「量子テレポーテーション」・・・・・

この世界に、素粒子が、量子現象が実在し、力がこの次元に何らかの作用をもたらすとするならば。

少なくとも「己の感情」が「己の次世代への遺伝子」に影響を及ぼす事は証明されている。

私たちの人生が反映された遺伝子は、次世代における種族へと引き継がれていく。

つまり、種も宇宙も「変化変容している」

量子は波状のような揺らぎとも言える。変容し続ける時空自体が、量子現象そのものの因果律と重なり合っている。

この瞬間、私たちが意識した感覚、感情は全て何らかに影響を与えている。

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メディアにせよSNSにせよ、時事ニュースを見て感じる事。

何故民間が必死に「セキュリティ」によって個人情報が完全に守られる様に試行錯誤する中で、

より資本的にも、あらゆる有意な立場にある「国家行政」が「人為的ミス」によってそれが漏れる様な制度で「オペレーション」する事が、許されているのか?

私にはさっぱり分からない。まるで「ドン・キホーテ」だ。ポンコツ喜劇で国民の個人情報を危機に晒していったい何がしたいのだろうか?

「財務省」ばかりが問題視されてきたが「総務省」「文科省」「厚生労働省」「こども家族庁」「デジタル庁」なども一旦、「シンギュラリゼーション」自体を根本から見つめ直した地点から「日々アップデート」が必要なのではないか?

昨年発表された量子チップによる「誤差修正」はおそらく「シンギュラリゼーション時代」における「ASI実装」を加速させる。

「行政」や「金融」「犯罪捜査」などは「情報アルゴリズム」を「R&D」することによって異次元で圧倒的な成果を齎すだろう。

下手をしたら、他の大国は既にそれを実装した社会構築へのステップを水面化で進めているかもしれない。

忖度や偏見偏重を盲信する、権威主義者や既得権益支持者達にとって、己が信じるそれが「間違っているかもしれない」と疑い、それを「修正」すること自体が「不可能」であり、最後の最後までその「盲信」を「肯定」し続けるためにあらゆる「嘘」や「虚言」を繰り返し続ける。

西暦2025年だ。SNSによってリアルタイムの情報が、世界中どこでもオンライン配信可能。AIは言語や映像生成を可能にしている。

既に誰かによって作られた「正義・秩序」を「盲信」すること自体がナンセンスな時代に突入している。

「思考」は常に「間違える」理由。それは「思考」による「正解」自体がこの「一つ宇宙」には実在していないからだ。

正解があったとしたならば、私たちは「生死」の間に、真核生物としての現象を、生命物語をする「必要性」を失う。

私たちは「遺伝子の結合・継承」を繰り返している生命体の一部。

生命個体への分離現象。

その分かりきった客観的事実を見つめる事を放棄して、人は「イデオロギー」や「宗教」を盲信しようとする。

或いは何かに「依存」して「回避・逃避」しようとする。

「鬼滅の刃」はそんな私たちへ、日本人の在り方を、生き方を見つめ直すような問いを観るもの全てに与えている様に感じる。

それを観て育ち、次世代を生きる社会の中には、潜在意識としてそれが宿っているだろう。

私たち20世紀から21世紀初頭を生きている人類が、人類として捉えてきたもの。

人類の思考・知性
人類の二足歩行と手による動作
人類の情報探索能力
人類同士による協力作業・道具や他の生物の活用

これら全ての権能は「人工知能」や「機械工学」「生命科学」などによって過去の権能となる。

人類は人類として「価値」だと感じ「資本」と「労働」によって得ていた何かが「代替可能」に日々急速に変容している時代の真っ只中にある。

それでも、「地球人類」としての「人生」は各々の中で「死」の瞬間まで続いていく。

「シンギュラリゼーション時代のホモ・サピエンスの人生と地球社会」において、明日から先に広がっている無限の選択肢達。

私たちの遺伝子と、遺伝子は、何を感じて、誰とそれを未来へと紡ぐのだろうか?

私たちの今ここ。

惑星地球は、自転しながら太陽の周りを公転している。

廻りながら廻っている。

更に太陽系も天の川銀河の渦の中で廻っている。更に天の川銀河も銀河系の中で廻っている。

途方もない「一つ宇宙」の秩序の中に「今ここ」が実在する。

私たちの内在化した体内にも無数の細胞達が、無数の元素を、分子を、それを形成する原子、量子、素粒子が内包された時空の秩序が「遺伝子プログラム」によって「律動」し続けている。

とても事実自体を「客観」と「主観」の間で「常在瞑想」し続けているとその習慣化・慣れが呼吸や歩行、食事、排泄などのADLと共に顕在化する。

在り触れた一瞬の中に、多元宇宙からの形而、因果律が覗き見える。

それでも、地球人類は、太陽と月、地球は、海は山は、自然生態系は私が死ぬ瞬間も、何も変化がなかったかの様に在り続ける。

本当は「猛スピード」で変化し続けている「ホログラフィック」な状態の中に、私たちは「力学作用」によって錯覚している現象と共に在る。

それは例えるならば、ロボットアニメ・機動戦士ガンダムの「ジオン公国」によるイデオロギーの『最後の残党』の様なものなのだろうか?

「資本主義(キャピタリズム)」による「利権と貨幣制度による「数字」と「法」による人類の構造支配」なのだろうか?

富野由悠季氏がその作品の中で、人々へ何を訴えたかったのか?

或いは多くの、文学、芸術、音楽「アーティスト」達が、人類に訴えたかったのか心の叫びは何だったのだろうか?

20世紀後半、「テレビ・メディア」は巨大な影響力を得た。

「動的視覚情報」は、ホモ・サピエンスという哺乳類の思考からの情報判断・選択に多大なる影響を及ぼす事は、多くの医学生理学的研究によって周知の通りだ。

「反射」や「条件付け」など、「心理」「神経」についても20世紀は飛躍的な発見が続き、それをサイコパスの様な人々は密かに利用した。

メフィストと契約したファウストの様な人類達が。

その関係性を根底から変えた現象は、ある意味偶発的な事だろう。

彼らは、既存秩序が「エリート」として「権力管理」を与えた範疇を超越していた。

或いはそれは偶然だったのだろうか?どこの誰だったのだろうか?

力学は相反する「2」までの関係性と「3」「4」での関係性では作用が全く違っていく。

偶然と偶然、さらなる偶然が重なる時、予測誤差の範疇にあったはずの想定外の出来事は、未来に当然健在現象として出現する。

「シンギュラリゼーション」は、恐らく「シンギュラリティ」を唱えたレイ・カーツワイル氏の計算予測時期より、大幅に短縮する。

彼がそれを予測し、言語化して他者に示した。それを共有した時点でそれは始まっていた。

それはその瞬間から、他の存在に見えざる影響を与えた。

私たちは「シンギュラリゼーション時代」におけるホモ・サピエンスとしての遺伝子種族の継承という「オキュペーション」を己の生命に見つめた中を歩み、人工的技術を利用していく時代に生きている。

社会の中にある人類、その「イデオロギー」による時代から、新たなるパラダイムシフトへの過程は既に始まっている。

既存国家社会における司法制度の老朽化、立法府の怠慢が招いたものかもしれない。
或いは、必要必然の中にある事実なのだろうか?

私は臨床時代、「作業療法」を通じて「触法」した人物達と実際に対峙してきた。ほんの少しだけ、相対的に一般大衆より隔世を知っているのだろう。

「被害者」と「加害者」の間に「事件」が存在している。

世間は「加害者」の予後については手厚いが、「被害者」のその後への扱いが非常に粗末になる気がしている。

彼女のそれを取り上げたABEMAは大きなチャレンジであり、センセーショナルな内容で「視聴増加」を狙ったものかもしれないが、

確かにそれを世間に認知するための意義は存在していた。

「言論の自由」「知る権利」共に社会を共有すること。大切であり、勇気ある課題提起だったと感じる。

「神経ニューロン」、「木」、及び「一つ宇宙」の構造は非常に類似した形状をしている。

当然だろう。「一つ宇宙」も「植物」も「ホモ・サピエンス」も多元宇宙の因果律によって存在している「物理現象」なのだから。

作業療法士として従事していた今から15年前、2010年前後、臨床時代、私はその摩訶不思議な共通性への観察と仕組みに興味津々で、寝る間を惜しんで論文、文献、書物を集め、統合していた。

人間には「大脳」と「小脳」そしてそれを繋ぐ「中脳」が実在しているが、「三胚葉」の一つ「外胚葉」は、植物由来であり、植物における「節」の様なものから派生したのかもしれない。

仮に、哺乳類の今日に至る適合過程が「植物由来」を含むものだとしたら・・・。

ミトコンドリアとリケッチアが遺伝上近親である事は既に科学事実である。

「時空要塞マクロス」河本正治氏の作品に「創世のアクエリオン」があるが、

もしかしたら私たち生命は、本当に遺伝子達による「創生合体」と「細胞分裂」によって生み出されたものなのかもしれない。

西暦2025年。昨今の国際情勢の急変には目を見張るののがある。

昨年11月、ドナルト・トランプ氏が米国において2期目の大統領に選出された直後から、民族国家間における秩序に地殻変動が走った様に感じるが、そもそも大統領選挙は「2択」である。

2択の先に想定すれば良いシナリオであって、ある意味「想定」し易かった。シナリオ通りとも言えそうだ。

その割には「日本政府」や「公共メディア」による「トランプ叩き」は目を見張る物があった。未だにそのプロパガンダは続いている様に感じるが、

1月20日にトランプ大統領が就任し、間髪入れずに一気に断行した改革によって他国における、地球人類達も選択を迫られ、その「亀裂」から「グローバリズムによる洗脳からの目覚め」が始まった人々は増加し続けている様に感じる。

「正解」や「完璧」はこの世に、ホモ・サピエンスの現世に存在しない。

ドナルド・トランプ氏もイーロン・マスク氏も同じホモ・サピエンスだ。

ただ、数々の人生経験、失敗、挫折、絶望を乗り越えてきた「人生哲学・実行力」を携えている。

それを未来に補うのは次世代であり、彼らは己1人の力の限界を、誰かに任せる散り際を知って、その瞬間、瞬間を生きている。

日本国社会における秩序、停滞、慢性化はもはや生活習慣病の様に、1億2000万人の日本語圏に蔓延ってきたように感じる。

この国は、古びた既得権益体制を一掃し、

換気して、水と風を循環させて、衛生的に、殺菌消毒して浄化する必要がある。

綺麗さっぱり、大掃除。

シンギュラリゼーション時代、新しい次世代の国家行政を導入するためにも錆び付いて、腐敗した黴菌達を除去する。

地球人類全体で、あらゆる国家種族において大変容は始まっている。

西暦2026年に至る、残りの月日の過ごし方は、数千年先まで己の種族、遺伝子の因果を多元宇宙的に反映させる可能性を秘めている。

西暦2025年の参議院選挙戦中、様々な「情報戦」がメディア、SNS、或いは街頭演説などで繰り広げられた。

「カルト・セクト」は「熱狂的教義やカリスマを盲信した集団」とされる。

それが人類社会にとって、「洗脳」や「思考停止」「印象操作」を行う、「危険」な「癌細胞」、「反社会的存在」である事は、既成事実であり、だからこそ「カルト・セクト」と言語化されて地球人類の中で共有されている。

人は、瞑想などのよって、己に内在化する真の己の姿を認識しない限り、己が何者か知る事はない。

「カルト」を盲信したまま生きる人々は、己が「カルト信者」である事をそもそも認識していない。それを他者は、「洗脳状態」であると言う事を「カルト信者」は分からずに他の「カルト」を「カルトだ」と「カルト同時」で非難し合う。

「カルト」vs「カルト」。鏡の様に映し合い相反する二元性は、

冷静に俯瞰して全ての主張を、己の中で咀嚼して公平に受け止める当たり前の人々にとって滑稽に見えたのではないだろうか?

日本国内に存在する「カルト集団」は1つではない。むしろ「複数」より「多数」と呼べるほど様々な形状で、組織化して実在している。

選挙戦を通じて感じたのは、「イデオロギー」に「公共メディアの出演者・発言者達」が「洗脳された立場」から「発言」を重ねていた現象に多くの国民が気づいた事だった。

今回、与党はギリギリ既存秩序を保つ事を実現した。「乗り切った」様に見える。

順当ならば「2028年まで」に「衆議院」「参議院」双方の選挙が行われるが、裏を返せばそれまで「選挙」が行われない可能性がある。

オープンAI創業者のサム・アルトマン氏は

「2027年までにシンギュラリティが起こる可能性が高い」と話している。

日本国政府以外の国家が「シンギュラリゼーション実在社会」へと向かう中、わざわざ政府がオープンAIへの投資パフォーマンスを行っておきながら、パラレルワールドの住民の様な政策しか話す事が出来ないのはどうしてなのだろうか?

政府閣僚も、官僚も主権者国民からは「???」。

何も信用出来ない。信頼関係が結べない様な言動ばかりを国民に示すのは何故なのだろうか?

今こそ公共メディア・ジャーナリズムはその使命・役割を果たし、国民の知る権利を示す時が来ている。

ひとまず「歴史的事実」と今まで放送された番組全てに対して「ファクトチェック」をする必要がある。

「局アナ性被害者事件」「芸人」「アイドル」などの事務所や組織関係に「忖度」や「利権構造擁護」が過去の歴史上、組織の中に、利益供与や癒着がなかったのか?

放送が適切だったのか?全歴史を「ファクトチェック」して国民に放送すること。

まずは公共放送が始める「最初のファクトチェック」の仕事は、そこからだろう。

私の人生は「社会的孤独」に満ち満ちているが、決して「孤独」や「絶望的状況」が人生における「無意味」や「無価値」を意味していない。

私は私自身の生涯の中に流れている「実存」を「愛している」。

両親から与えられた「生育環境による発達段階」が「愛着障害」や「複雑性PTSD」の「生理的反射」を与えたとしても、

遺伝子生命体として、この時代にホモ・サピエンスの雄の個体として生きる事を継続している己の人生自体を受容して、地球上における日々の体験を余す所なく「死」に至るカウントダウン「メメント・モリ」を意識して「人生哲学」と成る、今ここの瞬間を重ね続けている。

西暦2025年。私はきっと22世紀を迎えずにこの現世、肉体からの解放を体験するだろう。

私にとって限られた一瞬を重ねる事に、この地球の空に、大地に、社会に、目に映るもの、聴くもの、感じるもの全てに感動する体験が、今日までずっと重なってきた。

「喜怒哀楽」全ての人生体験が、こんなにも重なってきた事自体が、本当に奇跡的であると感じている。

たとえ次の瞬間、私の人生が終わる事が決まっても、私は私であった事へ満足したままそれを終える準備を、いつも寝る前までのその日までの過去を放擲して目を閉じて横になる。

また明日、目覚めがあれば、太陽と呼吸を、己が量子の物象として実在する事を認識した場所から、1日を重ねるだろう。

ただその1日、1日の、未来の先にある、誰も知らない知らされる事のない「死」の日に向かうカウントダウンを重ねて。

神仏習合という、日本列島の自然環境と一体化した風土、文化を継承して種族として生きてきた倭民族にとって、転機は約160年前に起こった「明治維新」即ち「グローバリズム」による「生き方の転換」にあった。

英米との条約締結によって生まれた「大日本帝国」という新政府による新時代。

それは確かに「物質的豊かさ」を「富国強兵」を実現し、極東アジアの軍事大国としての「日本人」の存在を確立したかもしれない。

そもそも日本人は「源平合戦」から「江戸幕府」まで「戦乱時代」を経ている系譜である。

「戦闘民族」としての「遺伝子」は元々倭民族の中に流れていた。

ある意味、日本人は、日本人自身の本能を「利用」され、「グローバリズム」「国際金融資本支配」による「世界大戦」へと引き摺り込まれた。

その根底に「富国強兵」による「物資」として日本列島には「資源」が足りなかった。

「イデオロギー」「宗教」よりも、日本に必要だったもの。

近代化を実現するための「エネルギー」だった。

欧米に存在した支配層は「資本」と「物資」の交換によって「生存権」や「欲望・消費」を牛耳るための「資産」を無限に生み出す「国家・貨幣」を構造化した。

「既得権益」は「国際」を形成する「国家群」によって「既成事実」として「公共化」していった。「新自由主義」はその構造が「社会に浸透」して「依存性」を「労働者」「一般人類」が逃れられぬ「鎖」にする為に、国家関係者同士が連携した。

「グローバリズム」という「国際秩序を操るカルト集団組織」として。

母は母が私にした事に対して、「自覚」が存在しなかった。

『「瞑想」や「悟り」は人生に必要ない』

母は私にそう語った事があった。母にとってそうかもしれないが、それを大切にした父、そしてその仲間、更に私が「愛」を実行して家族に費やした「人生そのもの」を「否定する」「無愛」発言を簡単にしている事への自覚が、母にはなかった。

母の中にある正義が、家族を、関係者に流れてきた全てを「否定」している生き方である事を、母はその「盲信」への自覚がなかった。

母は、母の現実において、真面目で、利他的で、常識的で、「愛」の人である。

恐らく、この秋公判が始まる安倍首相襲撃事件の山上徹也被告の母親と、家族関係に流れているそれに共通する何かがある。

この先、「母親と家族」「カルト盲信」についてその「二世」における因果関係が明らかになっていくだろう。

もう、「犯罪被害者」や「発達・精神障害当事者」が「家族・社会環境・要因」によってその後の予後・生涯に渡る人生に影響している事は、医学生理学的に、或いは統計的に、生命遺伝子的に、多元的事実研究によって実証されて行っている。この先もその「治療」「対処」「根源」は明らかになっていくだろう。

私たちは、ようやく「ホモ・サピエンス」を「ホモ・サピエンス」として科学する時代を迎え、生きている。

化学式 C₈H₁₀N₄O₂=カフェイン

「カフェイン依存」なのか?「珈琲」は私の日常活動時間に欠かせない存在となった。

「茶」も大好きではあるが、「珈琲」の香り、口の中で感じる味覚、その「珈琲」が似合う、空間、音響、環境、時間など、私の日常を至福な意識に誘う。

「中毒」「依存症」に対して、私は「人類社会」や「人生」を蝕む忌むべき存在としての態度であるが、私自身の中にも「中毒性」を有した「欲求」「本能」「悦」は存在する事を、「note」に自白しておこうと思う。

私を目覚めさせて、意識を高める「珈琲」がいつでも飲める時代に、人生があった事をとても贅沢で、嬉しく感じている。

SNSとAIによる能動的な情報取得、それを可能としたデバイスと情報通信プラットフォーム。

携帯電話すらなかった時代に、生育発達段階があった世代の人には、スマートフォンや生成AIが実在する時代の中で、日常生活から学習している世代の感覚との間に感覚齟齬が存在しているように感じる。

ただ、「資本主義」「グローバリズム」という秩序を形成して、その「利権構造」からの支配体制から搾取する社会を「保守可能」と誤認している人々が未だ権力を持っている。

その既存秩序に恩恵を受けて、洗脳に溶け込んだまま迎合しようとする中途半端な次世代もまた存在している。

正直なところ、「シンギュラリゼーション時代の予定調和」に向かう中で、「崩壊現象」が顕在化する場面はこれから「必ず存在」している。

入れ替わる時に、適合出来ず、不要になった存在が淘汰される事は当たり前の物理現象。

日本国社会における、公金、国債発行によって注入された金でゾンビ化しながら生き永らえて来たそれに、「実態」の生命力は果たして存在するのだろうか?

人工知能が自動生産する、ASI時代はそれで良いかもしれないが、既存の企業は「労働力」「人間による知財」と社会経済において、ただの「マッチポンプ」をエリート官僚達が必死で実施していたのだとしたら、滑稽でしかないし、笑い事にもならぬほど、絶望的な国家存亡の危機である。

「国債金融資本人脈」「既得権益ファミリー」

ジェフリー・エプスタイン氏による事件と人脈の謎は、「DS」「陰謀論」における根幹に関わる何かであるように、現状では認識されている。

そしてその「リスト」が未だに公的に公表されずにいる。

事実としてはその「性被害者」が実在している事。

彼女達、彼らは一体今、どこでどんな人生を送っているのだろうか?

そしてそれは「欧米」を中心としたものの様だが、「アジア」やその他の世界には存在していないのだろうか?

「反社会勢力」と「国際金融資本」の間に利害関係を現実化させる「因果関係」は存在していなかったのだろうか?

シンギュラリゼーション時代、人智を超えた速度で犯罪捜査のアルゴリズム解読は進むだろう。如何なる過去の犯罪も「名探偵ASI」は暴露していく。

『ASI・文藝春秋』が登場するのも時間の問題だろう。

一日一日を、ただ放擲した意識と共に生きる。ただ日々を重ねる事。

それがホモ・サピエンスとして評価される時代は、目前に迫っている。

正直な所、トランプ関税による国際金融資本関係にセブン&アイ・ホールディングスは救われた様に感じる。

マスメディアは必死でトランプ大統領非難を続けているが、日米の未来を鑑みた時、グローバリズムを擁護し、トランプ大統領叩きが日本国にとって良い事なのだろうか?

私は20年以上前、外資資本組織・ハゲタカに在籍し国際金融資本による利権構造を体験した。

その利権構造から派生した存在が現在にも流れているのであれば、失われた30年を終わらせて、未来を描く「ラストチャンス」こそが今である気がしている。

読んで字の如く、私の「note」してきたテーマ。

残虐性&傲慢性と「多心臓構造」

アニメオタクが気づいた共通性をnoteしてみた。

「負けない」「死なない」と思うからこそ、残虐非道な行為が平然と行えるのだろうか?

だとしたら「既得権益」「権力」に守られた人は「他者を利用し」「弱者」へ「残虐性」を持った「行為」を実行する可能性があるのだろうか?

カリスマとシモベ達による「集団組織」による「弱者個人いじめ」は、実在しているのかもしれないが、「強者・権力」によって「隠蔽」されている可能性が高い。

私たち21世紀を生きるホモ・サピエンスは、社会意識、認識として、それを許してはならないだろう。

同種族による同種族に対する「いじめ」など、「カオス」でしかない。

日本国政府は、主権者国民に対して、資産形成や投資を推奨する。

「個人投資家」によって「所得」と「経済成長」を両立させる事を推奨している。

既存社会秩序による「グローバリズム」と「国際金融資本」と共にこれからも人類がある場合、それは「的を得ている」と言える。

ただし「パラダイムシフト」や「秩序崩壊&変更」は人類において100年程度の単位で絶えず続いて来た。

地震がいつ起こるか予言不能な事同様に、社会や金融資本という未来の人類社会構造が科学や工学によってどう変容するかなど、誰にも分からない。

唯一言えることがあるとすれば、2020年以降の「紛争」による「軍事行動」が、今まで信じられて来た「軍事力」による予測が通用しなくなった事だ。

明らかに「シンギュラリゼーション時代」は国家間の「防衛」「軍事戦略」を根本から覆し始めている。

それを「プロレス的」な外交パフォーマンスで、各国政府は必死に時間稼ぎと政策の立て直しを図っている様に見える。

この時代において地球人類はもう「大戦」など「事実上不可能」であり、むしろ実質的に「地球人類の統合秩序実現」の方が遥かに建設的で有効である事、そして「反グローバリズム」による各国の民族秩序形成維持が、「シンギュラリゼーション時代の汎化」までの時間稼ぎとして必要である事を察しているのではないだろうか?

さて、グローバリズムと国際金融資本に主権者国民の資産まで「フルベッド」して来た様に見える日本政府と経団連などの既得権益層は、新時代に向けてその行政や組織構造、地球人類による経世済民状態に、適合する事が出来るのだろうか?

常に善良な「被害者達」が人類の罪を贖罪し、「加害者」達は平然と「被害者」を足蹴にして、この地球人類社会を生きてきた。

それは確かに、哺乳類として「弱肉強食」による本質だったのかもしれない。

ただ仮に「社会的生物」として「人と人が家族を超えて支え合う共生」が「社会的」であるのだとしたら「被害者」を足蹴にした「権力支配」は「民主主義」という国家社会構造としての秩序として矛盾するもの。

その極限状態、臨界点に「日本社会」は到達しているのではないだろうか?

その「障害」を実際に与えられた者の意識を、「加害者」は理解する事はない。

被害者は、そこから離脱した人生を、無関係な現実環境をただ選択する事を、社会は周囲は支援する事によって、健全に生きる人を、1人ずつ増やすことが可能になる。

機能不全家族は「バラバラの方がいい。」

無理に「家族」や「組織集団」を維持する必要は無い。

いつか、「バラバラ」と「バラバラ」が「バラバラ」のまま、たまたま出会えばいい。

日本政府の「足の引っ張り合い」のような「粗探し」には反吐が出そうだ。

「国益」よりも「正義」や「勤勉さ」を「官僚」は求めているのでは無いだろうか?

「自由民主党」は「足の引っ張り合い」という悪育成がある。

官僚政治には「凡庸な悪」という悪しき歴史上の事実がある。

昨年の大統領選挙で「反グローバリズム」を選択したアメリカ合衆国のシフトチェンジを見れば明白で、

国際金融資本による犯罪の温床となっていた「グローバリズム」からの脱却により、

「健全な国家社会の未来」への揺り戻しが始まっている。

日本政府が「グローバリズム」『国際』という「カルト洗脳」から脱却するのはいつになるのだろうか?

自由民主党・公明党・立憲民主党にせよ、党首達は皆、官僚の言いなりになりそうな面子だ。

それに平気で投票する「高齢者」たちも「洗脳・思考停止」から抜け出せずにいる。

じわり、じわり、金融に影響が見え始めている。

QFS・CBDCは技術的いは既に実現可能であり、最初にそれを提起した国家達が今後数百年に渡るであろう量子編纂による「経世済民」主導権と覇権を握る。その中に日本国は入れるのだろうか?

マッド・ディモンはハーバード大在学中、映画で共演してベン・アフレックと出会い、このシナリオを映画化する事を思いついた。

彼らにとってこの作品自体が「グッド・ウィル・ハンティング」だったのだろう。

その最重要人物を演じたのが「ロビン・ウィリアムズ」だった。

米国の素晴らしい文化は、人の可能性や才能を、「認めよう」とする人々が社会の中で実在していることにあると感じる。

それは同時に「認めない」人々も大勢いることをを意味している。

中々に狂気の沙汰だろう。

良い部分と悪い部分の落差が激しい。

どんな人生にも意味がある。どんな在り方も、今ここから選択可能。

ロビン・ウィリアムズ繋がりで言えば「インソムニア(不眠症)」というサスペンス映画があった。

私は「インソムニア」になった経験があり、1ヶ月後には「閉鎖病棟」にいたから、映画の感覚がよく分かる。

「睡眠」は「肉体の最適化」に寄与している。「メンテナンス時間」だ。

無論、我慢して「インソムニア」状態に突入することも可能だが、その状態で認知している己の感覚は、睡眠によって最適化された状態のそれとは全く違っている。

経験者として一言。

「ショートスリーパー」「インソムニア」状態において「無敵」「優越感」「向上心」などを感じるやもしれない。

ただ私は「睡眠」を選ぶ。正直「睡眠」が人生において最も重要な「役割」であるようにも感じる。

理由は朝、目覚めて「珈琲」を飲み、地球と私の一日が始まる時間が堪らなく愛おしく感じられるから。その瞬間のために「睡眠」は私の人生にとって重要な場面なのだ。


2025年参議院選挙が終わった。

ご存知の通り、私の中での争点は「シンギュラリゼーション」であって、「チームみらい」が国政政党として6年間活動可能になった事は「希望」以外の何者でもない。

そして彼らに投票した人々が投票者の中に2%以上居たこともまた希望だ。

投票しなかった多くの人々は、ある意味「みらい」に共感する人々が多い可能性が高い。

その人々が、次期国政選挙において「みらい」の存在を知り、投票へ行く可能性は高いため、2%を大幅に超えた得票数を得られる可能性が高い。

そしてそれは、投票率を高め、「既存政党」の議席数現象に寄与する。

「1議席」

それが日本国の「みらい」に「ドット」として生まれた。始まりはここからだ。

「愛着障害」「複雑性PTSD」の原因は育児期間「母親」による「幼児」への対応によって、健全な発達段階に必要な「触れ合い」「感覚情報」「言語」「コミュニケーション」などがなされたかどうかによる。

「カルト・セクト」は「宗教・主義」に「思考」と「時間」「価値観」という「人生の中に占めるもの」が「奪取」された状態であり、

その「思考選択」の「性質」自体が「後天的発達障害」の因果関係を生み出す根源である。

恐らく「カルト・セクト」と「愛着障害」「複雑性PTSD」の大規模統計が研究機関で実施され、地球人類で固まれば、因果関係は明白になる。

多くの発達障害・精神疾患の家族を見ている医師や福祉関係者は既にそれに気づいているだろう。或いは関係者自体が「カルト・セクト」に所属している場合は全力でそれを「否定」しようと粗探しをするだろう。

酒、タバコ、ギャンブル、風俗・・・・

日本社会に「当たり前」に存在するそれは、「サウジアラビア王国」には1つも存在しない。

仮にその1つでもサウジアラビア王国で行ったならば、「犯罪者」として「処罰」の対象となるだろう。

イスラーム教圏の価値観は、欧米思想に支配された、日本社会の文化に対する、カウンターカルチャ以外の何者でもない。

「移民」をグローバリズムを盲信した、政府行政、マスメディアなどは推奨しているが、

それは「異文化」に対して「司法」や「警察」が機能可能であって初めて実現するもの。

私には現場の警察官が「イスラーム」の「コーラン」と「アラブ語」で対応出来るとは到底思えない。「中国語」ですら対応できていないのではないか?全ての警官に、言語教育は成されているのだろうか?

日本政府は、主権者国民と領土、社会の安全保障について、何を考えているのだろうか?

これも因果なのだろう。次の国政議会では「ロシア共和国」と「メディア・政治家の諜報関係」がテーマになるのだろう。

ますます「スパイ防止法」制定が急務になるだろう。

惑星地球・遺伝子生命体が生息する、その物理環境に抱かれた私たちホモ・サピエンスの種族と生態系。

私たちは両親から引き継がれた遺伝子によって「宿命」を与えられて、日々の生活をいつ訪れるかわからないが約100年までには訪れる「死」の瞬間までのカウントダウンを継続していく。

私は「シンギュラリティ」という言葉を知ったのは「2015年」だった。今からおよそ10年ほど前。

都内で実施されていた、サイバーエージェント主催のイスラエルコミュニティの講演会だった。

あれから10年。「シンギュラリゼーション」が「ASI」「量子チップ」「ナノ半導体」などがここまで急速に競争し進化するとは想定していなかった。

「生成AI」は僅か数年で大衆化した。同じデバイスから、ホモ・サピエンスの入力によって情報を取得する「検索エンジン」の用途にとって「生成AI」はパラダイムシフトを意味する。

1990年代、OS「Windows」が登場し、高速通信技術によって「インターネット」が大衆に普及した。

それがやがて「モバイル」「タブレット」へと波及し、「スマートフォン」が登場したのが今から約20年前、2000年代後半。

SNS、動画による「情報産業革命」とも呼べる大衆の「メディア離れ・情報の多様性・汎化」が始まった。

そして「シンギュラリゼーション」。

人類は人類の知能を越えた「人工知能」が実装された時代を生きる事になった。

「知的労働」という、大衆にとって常識的であった「生きる糧」である権能が大きく変容しようとしている。

労働現場では、潜在的に静かな微細ながら、日々着実に変容が始まっているだろう。

それはやがて未来に巨大な畝りを齎し、全く未知の社会構造へと進化する。

私には「両親の愛」が無かったためか、「義父」のようなものをずっと追い求めていた。

機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルがララァ・スンに母性を求めたように、私も「愛着障害」に気付き、素直に「義母」を求めていたら、私の人生は全く違ったものになっていただろう。

そのお陰で、私はようやく様々な「知らない価値観」に触れる喜びを知った。

元々「本」に囲まれてた環境に安心感を覚える。「活字」に触れていないと何をして良いのか分からなくなる。

ある意味「活字盲信・カルト」を「独り教義」としているのが私だろう。

ゲーム・アニメ・SF・・・

私の人生にそれらが無かったとしたならば、

私は「孤独」に耐えられなかっただろう。

任天堂があり、ソニーがあり、集英社ジャンプ・小学館サンデーがあり、田中芳樹氏が、水野良氏があり、エルフがあり・・・

本当に家族環境の中で家族に与えられた無関心、「孤独」なまま、歳を重ね、大人になった。

結局根底にあったのは両親、特に母の「極左思想」が原因だったと感じる。

時代で否定されたそれを、必死に抱え、父は愛からその実現と経済を両立させようとしていた。

私は最後まで母が望む「家族愛」のために、私の可能な「感性」と「行動」によってそれを必死で繋ぎ合わせたが、母と家族はそれを全く評価せず、足蹴にして頑固に己の信じるカルト・スピリチュアルを盲信し、私は否定された。

だから家族を、50年近い、私の過去を全て諦めて、「孤独」から0から人生を始める事にした。

きっとそもそもそれを制度化して普及させた張本人は、理論・理屈ではそれを理解しているのだろうが、実際に社会で、他者が法人が、個人が経済活動をする時に起こる「不都合」な多元性を理解していなかったのだろう。

彼らはきっと「米国」や「欧米による国際」という社会秩序、権威と共有理解していれば「絶対安心」だと「思考」したのだろう。

だが、時代は変わった。「経世済民」の中心は当たり前だが「民」であり、「国」があるから「国際」が存在し、「国民」がいるから「国」がある。

「日本国政府」は「日本国」が「国民」が存在して成立していることを、「経世済民」は「国家」にとっては「国民」の為にある大原則を、いつの間にか事実上、反故にした。

「傲慢」「怠慢」「慢心」

3つの「慢」とでも名付けられるような「態度」が「国政」に蔓延したのだろう。

「主権者国民」にも責任がある。「カルト・セクト」である「宗教・イデオロギー」を盲信する「教育」や「社会」を放置したまま、みんな快楽や依存に放蕩社会を容認し、政治を軽んじた。

その間にも「スパイ天国」による「治政」は「既得権益」による「利権構造」を次々に強化していった。大国の思う壺に迎合した、売国奴が政治の中枢を担うようになった。

「国際金融資本・投資」と「経世済民」の間に流れる「価値」を労働・消費・生活・社会を担う、主権者国民のために裁くのが公僕である、「国家・行政」の役目だ。

さもなくば「封建社会」の「悪政システム」を「議会制民主主義」というオブラートに包んだ「毒入り団子社会」のようになる。

「混ぜるな危険」だ。

「米9対日1」の利益配分による米国への80兆円越えの投資を盛り込んだ日米合意。

国民の審判が下った敗戦の将、参議院選挙の直後に、米国とそんな合意が可能なのだろうか?

あまりにもタイミングとしても、内容としても「国民を愚弄する」にも程がある。

そして、それを必死で擁護、盛り上げようとする「公共メディア」の左巻きな浅はかさ。

かつて経済大国『日本国』と呼ばれた私たちの国家は、その長きに渡った政治体制によって、「絶体絶命」の危機を迎えようとしている。

22世紀、23世紀、25世紀にしようか?

想像してみてほしい。「シンギュラリゼーション」が歴史上遠い過去になった時代のホモ・サピエンスの生活を。

火星移住や、量子テレポーテーションやエネルギーについても完全に「フリー」と「最適解」が導かれ、ホモ・サピエンスは地球上で全く違った価値基準を生きているだろう。

その時代に「貨幣」は存在しているだろうか?「貨幣」がなければ「強盗」が無くなる。「強盗」がなくなれば「裁判所・刑務所」が殆ど無くなる。

つまり「犯罪者」が居なくなる。

「被害者」も居なくなる。

つまり「警察」や「心理士」・「療法士」も要らなくなる。

*********

ホモ・サピエンスは「社会的」を形成するために「思考」からそのシステムを作り出したが、

同時に「貨幣」や「領土」によって「法」や「犯罪」でホモ・サピエンス同士を裁く事になった。

あと3世紀もすれば、「シンギュラリゼーション」の先に生きる子孫の代には全ての「最適化」が成されているだろう。

そしてその未来は、今ここ、この瞬間から続いている道の先にあるもの。

過去の歴史を、良いことも悪いことも全て「事実」を見つめ直した場所に立ち、そこから未来を構築する為に実行を重ねる。

当たり前の謙虚で地道な意識、態度、行動が、健全な社会を未来へと繋ぐための唯一無二の「在り方」。

そう。『母』

『母』が「女性」・『母』として、与えられた本能のまま生きる事が大切。

母は誰かの「思考」ではない。「己の内在化した本能」が大切であり、「父」は「男性」は母がそれを生きるための「支援」の関係性によって「哺乳類・生態系」としての「ホモ・サピエンス」の遺伝子継承を育んできた。

「シンギュラリゼーション」は「種族社会」にとって絶好の変容時代になる。

私たちは「知能」という「社会制約」から解放され、人工知能を利用した人生が可能になる。

領土・家・水・食料・衛生的な環境・科学技術・エネルギー。

これらを「国家社会」が「全人類」が不自由なく生活可能な状態を実現する。

「シンギュラリゼーション時代」

人工知能は、その実現への政策手法を瞬時に編み出し、状況を重ねながら日々、飛躍的に実現を重ねていくだろう。

私たちは、私たちが考えることを「放擲」し、それを活用することを選択する。

そして遺伝子生命体としての生涯における、時間の「オキュペーション」をただ抱きしめながら人生を歩む事になる。

あなたが気づけば、そこから「理想の先」は始まっている。

そう、これからの時代に必要になる事は、「グローバリズム」「国際金融資本」による「既得権益」「個人主義」とは真逆の価値基準になっていく。

「資本家」と「労働者」の間にあった「貨幣価値」自体が「量子システム」によって形骸化、再定義されていく。

「社会生存」における「トランザクション・アルゴリズム・定義」が変容する。

今のうちに、新時代のホモ・サピエンスへのシフトチェンジを、深呼吸して空を眺めて、自然の音に耳を澄ませる所から始めるといい。

結局日本国政治と、主権者国民を分断したもの。

①「首相」を選べない、下ろせない。
②比例代表制によって、選んでいない、或いは選挙区で落選した人物が当選する。

結果として、全く民意が反映されない人物が、総理大臣になり、立法府では4年、6年、落選議員が議会で政策立案する。

つまり、諸悪の根源は「選挙制度そのもの」にある。

マスメディア、ジャーナリストの方々、公共放送で、主権者国民にその課題提起を。

地球人類の行動を変容させた「スマートフォン」

スティーブ・ジョブズのエッセンスは、スタンフォード大学の卒業式「伝説のスピーチ」に集約されている。

彼の遺伝子的両親は偉かった。

大学生だった両親は、妊娠がわかった自分達は育てられない。だから養子に出そう。

そう決めた。

結果として彼は養父母からの「愛」の中で生育する事となった。

人生は「選択」の連続だ。

一見「絶望的」な事が「奇跡」につながることもある。

不都合な事実。日本国は「中絶大国」であり「養子」が少ない。

「少子化問題」に対して、「政府」は「社会」は「国民」は、

一人一人の声が、忌憚ない議論とその先にある選択が、未来の変容を生む。

「米」と「日本人」

それは外国出身者の方がよくわかるのではないだろうか?

「酒」「麹」「餅」「煎餅」・・・・

日本政府は、大丈夫だろうか?

農業・米食

それは「主権者国民」の「生存権」に対して、或いは「日本国自体の国体・文化」の根源的なものであり、何よりも優先席に保護すべき「経世済民」ではないだろうか?

「グローバリズム」は「日本国」の仕事ではない。「外交」の一部に過ぎない。

「日本人ファースト」

それはただ、当たり前の当たり前を表現した言葉であって、そこが抜けた政策など、全てが本質から外れたものになる。h

「鬼滅の刃」は日本人としての「リトマス紙」かもしれない。

「呼吸法」「刀」「慈愛」「自己道徳」

そして、キャラクターたちの「名詞」に宿っている「メタファー」「オノマトペ」的な「音」「記号」としての意味。

集英社と吾峠呼世晴氏達の編集部は、日本社会の内部へ、途轍もない作品を送り出したと感じる。

日本人が目覚め始めた気配は、「鬼滅の刃」が子供達から、オタクから始まった事に起因しているかもしれない。

ジャーナリズム、公共メディアが、「鬼滅の刃」と「日本社会」に流れている「変容」「気づき」「目覚め」を放送する事は、国際社会が日本人に見つめて来た価値観を示し、「失われた30年」、「戦後日本社会からの脱皮」へと繋がる良い機会だと感じる。

日本人は、残念ながらその理想と裏腹に、

とても利己的で、個人主義で、現世利益を求める人が社会の中心で支配しているように感じる。

「愛着障害」の根源はその「社会的空気感」から派生したもの。

「カルト・セクト」「宗教・イデオロギー」から解放された、

地球生命、ホモ・サピエンスとして自然環境の中に意識が還ること。

倭民族とこの日本列島の環境は、豊富な海洋資源、水に恵まれた自然との共生であった事を、私たちは認知した在り方を、内側に流れる遺伝子が知っているそれを見つめ直す時が来ている。

「情報」の入口が、「テレビ」「新聞」「ラジオ」など一方的なものから、

いつでもどこでも「デバイス・タブレット」から能動的に、選択取得可能な時代になり、

更にアルゴリズムとの連携、サジェスト機能によって最適化が行われるようになった。

「洗脳」について「既存情報媒体」は、構造を再定義した場所から、この先の時代へ、人類へ、果たして存在意義があるのかどうか?

考え直す時が来ている。

少なくともシンギュラリゼーション時代に、ASI導入と情報価値については、必須だろう。

そう、「喜劇」「戯曲」。「異世界転生」が大人気の現代。

それは「個人」が「体制・社会」への「不満・違和感」を感じていることの表れのように感じる。

人生の時間を費やして、他人の妄想「物語」を楽しむ心理状況。

そしてその先に社会の「パラダイムシフト」はいつも実在してきた。

「シンギュラリゼーション」が始まる予兆は散見される。

日本国に、「スパイ防止法」が無い。

シンプルな話だ。

「日本政府関係者は、他国スパイと内通していたから」

まず、その事実をジャーナリズムは追求する必要があるが、

恐らく既存ジャーナリズムも「スパイ」と内通しているのだろう。

きっとSNSやYoutubur、或いは海外メディアが日本国と報道機関の事実情報を発信し始めるだろう。

本当は、公平・公正である事が国民との信頼関係において、必須であるはず政府や公共メディアがそれを担ってほしいと願っている。

「ドクトル・ファウスト」に貴方の中から溢れ出たもの。

「メフィスト」もまた貴方の中から溢れ出たもの。

過去の事実は、未来から歴史を精査する人々のためにも重要な事であり、その事実を開示する「勇気」が、結果的に己の因果律の中に流れていく子孫達への「因果律」へと重なっていく。ホモ・サピエンスもこの時空上に存在するマルチバースの物理科学的事象の一部なのだから。

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ようやく日本列島における、7月(文月)が終わろうとしている。

この1ヶ月だけでも、地球人類における

「シンギュラリゼーション」

が加速している事を実感するのに、「情報発信者」達は全くそれを無視した、アップデートされていない情報を拡散しているように感じる。

「因果応報」「諸行無常」

この世は絶えず大変容の中にある事を、あたかも何も変わらぬ1年が過ぎているように装うから。

「8月(葉月)」は、あれから「80年」を地球人類が意識する月になるだろう。

その先に、次世代への風が、意識の中を吹き抜けていくだろう。

「令和の米騒動」も新米出荷と共に収束に向かうだろう。

そしてその因果も徐々に明らかになる。特に日本社会における、ジャーナリズムがジャーナリズムである事への姿勢が、今問われている。

私がnoteする事を放擲可能な状態であることが、最も最適だ。

そんな明日へ、未来へ希望を抱きながら。


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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。

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