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ふりかえれば、いつも分岐点①|フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由

「拳を飛ばせばクリーンヒットするような、戦闘の間合い。」
そんな距離を保ったまま、畳の上でにらみ合う二人。

一人は、収容されたばかりの非行少年。
もう一人は——20代の、私です
いまの私の自己紹介を見ると、こう書いてあります。
フランスでモンテッソーリ教育を3年間学んだ、知育玩具ストア『かち旅』のオーナー
そう、私はモンテッソーリ教育の専門家です。
でもその20代の頃、私は少年院で「獣」たちと過ごしていました。

「相手になめられたら終わり」

あの頃の私は、常に「相手になめられたら終わり」と自分に言い聞かせていました。

法務教官、ぐっち。
大学を卒業した私は、それまでまったく知らない世界だった、少年院に飛び込んだのです。

担当していたのは「新入時教育」。
少年院に収容されたばかりで、まだ娑婆(しゃば)っ気の抜けない少年たちを指導する役目でした。

当時、周囲から熱血教官と言われていた私には、「絶対に引けない場面」が、毎日いくつもありました。
あの日も、その一場面でした。

過剰収容の、畳の部屋

当時の少年院は、過剰収容でした。

従来は4人部屋にベッドが並んでいた集団室は、次々に収容される少年たちを受け入れきれず、ベッドを撤去して畳に置き換えた 6人部屋 になっていました。
少年たちはただでさえイライラを抱えやすいのに、パーソナルスペースが狭まり周囲に気を遣わないといけない状況が増えて荒れがち。
教官も「施設の秩序の維持」のため、毎日が教育というより沈静化という名の抑圧をしなければなりませんでした。

あの事件が起こったのは、午前の日課を終えて帰寮し、上級生たちが昼食の準備をしている間、役割のない少年たちが居室で待機していた時間です。

当直勤務の私は、寮内を巡回しながら、少年たちが静かに過ごしているか見守っていました。

「あぁ?うっせえんだよ」

巡回中、机に向かっていた一人の少年(仮にA少年とします)の姿勢が悪いのに気づきました。

「A、姿勢が悪いぞ。そんな座り方してると腰が痛くなるぞ。」
軽く声をかけたつもりでした。

返ってきた言葉は、こうでした。
あぁ?うっせえんだよ。

いきなりの戦闘モード。
A少年はおもむろに立ち上がり、肩で風を切って歩きながら、私の方へ向かってきます。

そして、社会にいた頃にはボクシングをしていたという彼の、その間合いに入りました。
二人は、仁王立ちのまま、にらみ合うことになったのです。

体感10分、実際は数十秒

本来のセオリーであれば、私はすぐに間合いを切ってその場を離れ、緊急事態を知らせる「非常ベル」を押して、職員の応援を呼ぶべきでした。

でも、血気盛んな20代の荒くれ教官だった私は、
「来るなら来いよ」(←言葉には出していませんので、悪しからず
と言わんばかりに、メンチを切ってその少年をにらみつけていたのです。

脳内では、アドレナリンが大量放出されていました。
体感では、10分くらい。
でも冷静に考えれば、食事交代のため応援職員が来るまでの時間ですから、ほんの数分、いや数十秒だったかもしれません。

同じ居室の少年たちは、その様子を見るわけでもなく、静かに机にかじりついて座っていました。
どんな状況か見たい気持ち。
止めに入った方がいいのか逡巡する気持ち。
自分は関わりたくない気持ち。
いろいろな感情が、そこには沸いていたと思います。
みんな、こんな迷惑な先生で悪かったなぁ。

張り詰めた糸を切ったのは…

その緊張の糸を切ったのは、A少年でした。

はっと我に返ったような表情になり、おもむろに——
すみませんでした。
と頭を下げたのです。

社会にいた頃なら、きっと自分の感情が働く前に、手が出ていたことでしょう。
そのおかげで、私も心の中で振り上げかけていた拳を、下ろすことができました。

本来なら、A少年の行動は規律違反であり、すぐに単独室に収容して、何らかの懲戒処分を受けるはずでした。
しかし、当時は単独室も荒れ切った少年たちで満員。
集団寮に移動したばかりの新入少年が戻る部屋などなかったのです。

食事応援の職員に引継ぎをしてから、上司に事情を報告しました。
「A少年に反抗的な態度が見られました。ただし、自ら非を認め謝罪したので、様子を見ようと思います。」
上司も、「わかった。おかしかったらすぐ報告してくれ」と答えただけでした。

…当時は、そんな時代だったのです。
いまなら、まさに「不適切にもほどがある」って言われますよね。

シュレッダーで焼却処分したい、恥ずかしい過去

なめられたら終わり」。
モンテッソーリ教育の専門家を自負する今の自分が、思い出すたびにシュレッダーにかけて焼却処分したい、恥ずかしい過去です。

いま、あの場面を振り返って、20代の自分にひと言かけるなら——

「ぐっち、若かったな。そして、青かったな。」

それしか、言えません。

でも、ひとつだけ忘れていない眼差し

ただ、ひとつだけ、当時の自分から今の自分が引き継いでいるものがあります。
それは、少年に対する眼差しです。

「まだ少年院に入ったばかりなのに、自分が興奮している状態ではっと我に返り、謝ることまでできる——こいつは、見込みのあるやつだ。」

当時、私はそう感じていました。

実は、私自身、少年時代は「おまえ、そのままだと少年院に入ることになるぞ」と言われるくらい、腹が立ったらすぐに手が出る悪ガキでした。

だから、暴力系の少年たちに共感できる部分があったし、彼らを育てるのが、ちょっとだけ得意にも感じていたのです。

天使を、決して獣にしてはならない

少年院で過ごした年月のなかで、私のなかにずっと根付いていた感覚が、ひとつあります。

——それは、「子どもは、もともと獣ではない」ということです。

どんなに荒れて、どんなに反抗的で、どんなに怖い顔をしている少年でも、生まれたときは純粋無垢な天使でした。

その天使が、何かの環境のズレ、何かの大人との出会い、何かの社会のひずみによって、少しずつ「獣」のように見える振る舞いをするようになっていく。

当時の私は、それを強く感じていました。
そして、フランスでモンテッソーリ教育を学び、いまかち旅を運営しながら、もっと強く感じていることがあります。

純粋無垢だった天使のような子どもたちを、決して獣にしてはならない。

少年院で、私が「獣同士のバトル」と呼んでいたあの世界。
まさに、やらなければやられる、肉食獣の世界でした。
そして、いまフランスで学び、各家庭に届けようとしているモンテッソーリ教育の世界。

この両極端の景色を見たからこそ、いまの私に見える景色があります。
その景色を伝えるために、このnoteを書き続けようと思っています。


このnoteは、連載「ふりかえれば、いつも分岐点」第1話です。

【全話マップ】
フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由(本記事)
「お前、少年院に入るぞ」と言われた悪ガキが、本当に少年院に入った話
印鑑すら持っていなかった社会人初日、運命の妻と出会った話
番外編①あわや「成田離婚」
双子のパパになった日
番外編②性格も好みも全然違う双子
ヨーロッパで見たモンテッソーリの原風景
番外編③5年越しのパリ、7年かけて取り戻すフランス語の旋律
少年院の教官だった私が、フランス語ゼロから1年で外交官として渡仏した話
管理職昇進研修で前向きになれた話
「こんなところに来とうはなかった」 — 想像と違う未来が始まった日
想像と違う未来と絶望
ラストダンジョンでの勤務、9月の落とし穴
救急搬送され、ようやく素直になれた私
法務教官として輝いた、最後の2年
(以下、毎週日曜朝7時に続きます)

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