ふりかえれば、いつも分岐点②|「お前、少年院に入るぞ」と言われた悪ガキが、本当に少年院に入った話
第1話では、法務教官として少年院で過ごした私の話を書きました。
なぜ、そんな仕事を選んだのか。
理由は、私自身の少年時代に眠っています。
今回は時計を一気に巻き戻して、小学5年生の校長室から書きます。
「お前、少年院に入るぞ。」
そう告げられたのは、小学5年生の夏。
校長室の重たい空気のなかで、淡々と宣告された言葉でした。
その十数年後、私は実際に少年院に入りました。
ただし、収容される側ではなく、法務教官として、家庭裁判所で送致決定を受けた少年たちと向き合う側で。
第2話は、悪ガキだった少年が、回り回って法務教官になるまでの話です。
第1話から読んでくださる方はこちらから
「ふりかえれば、いつも分岐点①|フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由」
校長室で、「もう手の施しようがない」と言われた日
小学5年生の夏。
私は、校長室にいました。
理科の実験中、ふざけていたクラスメートを注意した時、煽るような言葉を投げかけられて、キレた。
はっと我に返ったとき、目の前で私を煽っていたはずのクラスメートが、倒れていました。
後で他のクラスメートに聞くと、どうやらキレた私が一発、右フックを食らわせたらしい。
実は、同じ年の春にも、ほぼ同じような状況で同じクラスメートを殴っていました。
2回目の、懲りない問題行動。
校長室にいたのは、校長、担任、呼び出された両親、そして私。
校長は淡々と話していました。
「なんでこんな問題児が我が校にいるんだ。はっきり言って迷惑な存在だ。」
「もう手の施しようがない。お前、少年院に行くぞ。」

母親はひたすら頭を下げて謝罪し、父親は口数少なく謝罪していました。
私は、ほとんど下を向いていました。
反省の気持ちは、正直、ほとんどなかったんです。
頭の芯が冷たくなった、あの感覚
ただ、ひとつだけ、はっきり覚えていることがあります。
それは、頭の芯が冷たくなるような感覚でした。
それまで順風満帆だったであろう校長が、自分の出世にとって障害でしかない私に対して、汚いものを見るような目を向け、この世に存在しなくていいと言わんばかりの言葉を、淡々とかけ続けていた。
10歳の私の心は、その時、こう叫んでいました。
「ああ、見捨てられた。オレの気持ちなんて、どうせ誰もわかってくれないし、信じてもくれない。」

そして、校長室を出る時、それまで一度も見たことのなかった、父親の涙を見ました。
母の共感、父の戒め
その日の夕食後、両親と話し合う時間が設けられました。
母親は、暴力をふるった経緯を聞いた後、こう言ってくれました。
「それは相手も悪いわ。暴力をふるったぐっちは悪いけど、そんなこと言われたら私も許せない。」
父親は、こう言いました。
「許せないことがあったのは理解できた。でも、どんな時でも暴力だけはダメだ。このままでは本当に校長先生の言う通り、いずれ少年院に行ってしまうことになる。暴力は絶対に振るわないと、誓いなさい。」
校長は、私を「獣」として扱いました。
両親は、私を「人間」として扱ってくれました。
今振り返れば、両親のあの言葉は、まさにモンテッソーリ教育の理想そのものだった。
まず感情を受け止める。そして、行動については戒める。

その日、私は誓いました。
「もう、二度と拳は振り上げない。」
殴られても拳を出さなかった、6年生の昼休み
誓いは、本物でした。
6年生のとき、学校のボス的なやつと昼休みにバスケをしていて喧嘩になったことがあります。
相手から殴る、蹴るとボコボコにされたけれど、私は決して拳を出しませんでした。
あの校長室の日から、私は変わったんです。
ただし、心の中の「見捨てられた感覚」は、消えてはいませんでした。
「不良に慕われる優等生」だった中学時代
中学校は、少年院送りになるような奴を大量輩出している、いわゆる「荒れた学校」でした。
成績が良く、運動神経も悪くなかった私には、小学校時代の武勇伝(?)で「喧嘩が強い」という変な噂が流れていて、とんがった奴からケンカを売られることが何度かありました。
でも、私は一切相手にしませんでした。
「ハロー効果」を、当時の私は無意識のうちに理解していたんです。
成績が良く、もめ事を起こさなければ、先生たちから大切にされる。
だから、私は「優等生」として静かに過ごすことを選びました。

ただ、不思議なことに、
私は他の優等生とは距離を置き、むしろ不良と呼ばれる奴らに慕われていました。
「ぐっち、勉強教えてくれよ。」
「宿題、頼む。」
いま思えば、私は「両方の世界の言語がわかる人間」だったんです。
いや、どっちかというと、「いい子」のふりをして仮面をかぶった人間より、自分の感情や本能に忠実に生きている人間の方が好きだった。
小学5年生まで「不良側」扱いされていた私は、彼らの心の動きが手に取るようにわかった。
後の法務教官として少年たちと向き合う素質は、すでにこの頃に育っていたのかもしれません。

ラグビーという、私の昇華装置
高校時代。
父が「ラグビーが強いだろ? 喧嘩っ早い奴にはラグビーはいいんじゃないか?」と何気なく言ったひと言で、私はラグビー部に入りました。
これが、本当に良かった。
中学までトップクラスだった成績は、進学校では普通以下。
授業にもついていけず、悶々とすることが多い。
そんな日々のなかで、ラグビーで肉体と肉体がぶつかり合うあの瞬間は、この上ない昇華の時間でした。
封印した拳の代わりに、ラグビーが私の昇華装置になっていたんです。
思い返せば、私はラグビーを通して「アンガーマネジメント」を習得したのかもしれません。

ただ、高校時代は、将来の仕事につながるような明確な転機はありませんでした。
大学で「心理学」を選んだのは、本意ではなかった
実は、大学で臨床心理学を学んだのは、本意ではありません。
入学当初は、スポーツトレーナーになるつもりでした。
けれど、スポーツで特別目立った成績を残したわけでもない私には、説得力がない。
そのため、スポーツの道は諦めました。
残された選択肢として、仕方なく心理学のゼミに入ったのです。
これが私のライフワークにつながっていくのです。
「自分自身の気づき」を教えてくれた、ある中学生
専攻が臨床心理学だったため、私は児童相談所のボランティアをやっていました。
「メンタルフレンド」という制度で、不登校の子どもの家を訪問し、一緒に遊んだり話したりして、その子の心をときほぐす活動です。
ある時、自称「オレは悪いことをし過ぎて少年鑑別所に収容されたが、2回も逃走してやった」とのたまう中学生を担当することになりました。
(実際にそんなことがあれば大ニュースなので、ありえません。完全な作り話です。)
担当した当初、彼は自分を悪い意味で大きく見せることばかり言っていました。
でも、関係を深めていくにつれて、彼は本音を吐露するようになりました。
「悪い先輩との付き合いを、やめたい。」
「高校に行って、職人になりたい。」
その瞬間、私の中で、何かが繋がりました。
どんなに虚勢を張っている少年でも、ほとんどの子は「良くなりたい」という思いを持っている。
そして、そのきっかけは、周りからの働きかけよりも、自分自身の気づきに基づくのだ、と。
これは、後にフランスでモンテッソーリ教育を学んだ時に出会う本質と、完全に同じことでした。
当時の私は、まだそれを知らなかったけれど。

「家栽の人」と、日本半周の傷心旅行
実は、当初の私の第一志望は、家庭裁判所調査官でした。
きっかけは、当時読んだマンガ「家栽の人」。
主人公は家庭裁判所の裁判官でしたが、その仕事をサポートし、非行少年たちの心に寄り添う調査官たちがまぶしく感じたのです。
法務教官は同じ専門分野(心理学)で受験できるため、正直、滑り止め的な気持ちで受けていました。
ところが、第一志望だった家裁調査官試験は、2次試験で不採用。
家庭裁判所に試験結果を見に行って、自分の名前が掲載されていないことを知った私は、その足で電車に乗り、日本半周の傷心旅行に出ました。
「人生、終わった」と、本気で思っていました。
しかし、その後、法務教官の合格通知が届いたとき。
私は不思議と、こう思えたんです。
「これが、自分に与えられた天命かもしれない。」
望んだ道ではなく、与えられた道に、天命はある。
当時の私には、それがなぜなのか、まだ分かっていませんでした。

あの校長室の日から、回り回って
いま振り返れば、すべてが繋がっています。
校長室で「少年院に行くぞ」と言われた小学5年生の私が、回り回って、少年院で「少年院に行くぞ」と幼い頃に言われたかもしれない少年たちと向き合う立場になったのです。
校長は、私を「獣」として扱いました。
両親は、私を「人間」として扱ってくれました。
私は、両親の道を選びました。
「自分自身が、境界の向こう側にいた人間」だったからこそ、後に法務教官として、少年たちの心の中に入っていける何かを、私は持っていたのだと思います。
今の私が、あの家裁調査官に落ちて、電車に乗って傷心旅行に出かけた当時22歳の私にひと言かけるとしたら、こう言いたい。
「お前の遠回り、全部、意味があるからな。」

このnoteは、連載「ふりかえれば、いつも分岐点」第2話です。
【全話マップ】
①フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由
②「お前、少年院に入るぞ」と言われた悪ガキが、本当に少年院に入った話(本記事)
③印鑑すら持っていなかった社会人初日、運命の妻と出会った話
番外編①あわや「成田離婚」
④双子のパパになった日
番外編②性格も好みも全然違う双子
⑤ヨーロッパで見たモンテッソーリの原風景
番外編③5年越しのパリ、7年かけて取り戻すフランス語の旋律
⑥少年院の教官だった私が、フランス語ゼロから1年で外交官として渡仏した話
⑦管理職昇進研修で前向きになれた話
⑧「こんなところに来とうはなかった」 — 想像と違う未来が始まった日
⑨想像と違う未来と絶望
⑩ラストダンジョンでの勤務、9月の落とし穴
⑪救急搬送され、ようやく素直になれた私
⑫法務教官として輝いた、最後の2年
(以下、毎週日曜朝7時に続きます)
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