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ふりかえれば、いつも分岐点⑪|救急搬送され、ようやく素直になれた私

第10話では、薄氷の上で築いた4か月が、たった1枚の辞令で崩れた話を書きました。

今回はその続き。
私が「奈落の底」と呼んだ場所は、まだ底じゃなかった。
さらに私が落ちた本当の底についてお話しします。

2016年9月8日、朝8時20分。

私は、その日の点呼に、出ることができませんでした。

出られなかった、というより、その時刻、私はもう自分の足で立っていませんでした。

階段の途中で意識を失い、そのまま滑り落ちて、救急車で運ばれていたのです。

その前後の記憶は、私の中に、ひとつもありません。

今日は、その「9月8日」と、そこから始まった、私の人生の転機の話をします。

記憶のない1週間

時計を、少し戻します。

9月1日、所長室で「10月1日付で内部異動」を告げられたあの日から、9月8日までの1週間。

この1週間のことを、私はほとんど覚えていません。

何を食べたのか。
誰と話したのか。
どんな顔で出勤していたのか。
思い出そうとしても、霧の向こうにあるように、輪郭がぼやけています。

覚えているのは、夜、眠れなかったことだけです。

薄氷の上を4か月歩き、その氷がたった1枚の辞令で割れ、冷たい水の中に落ちた。
その感覚を抱えたまま、私は布団の中で天井を見つめていました。

体は出勤していました。
けれど、心は、もうそこにはなかったのだと思います。

人は、限界を超えると、自分が壊れていることに気づけなくなるのかもしれません。

私は、自分が限界だということにすら、気づいていませんでした。

9月8日の朝、階段で

9月8日。

その朝のことを、私は、後になって部下から聞きました。

朝8時10分頃。
私は、いつものように出勤し、8時20分の点呼に向かうため、事務室から庁舎の階段を降りていたそうです。

階段の踊り場まで来たところで、彼らの前を歩いていた私の姿が消えたそうです。

そして、そのまま、階段を滑り落ちたのです。

倒れている私を見つけた職員が、すぐに駆けつけてくれたそうです。
運良く、その人は医務課の看護師の方でした。
すぐに脈を取り、適切な対応をしてくれたそうです。
救急車が呼ばれ、私は意識のないまま、市内の総合病院に搬送されました。

私自身は、この一連のことを、まったく覚えていません。

「ぐっちさん、あの時、本当に真っ青で、僕らみんな血の気が引きました」

後日、職場に戻った私に、部下がそう話してくれました。

倒れた瞬間も、運ばれていく自分の姿も、私の記憶には存在しません。

ただ、その朝、私の体が「もう無理だ」と、私の代わりに悲鳴を上げてくれたのだと思います。

頭で気づけなかった限界を、体が、先に知っていたのです。

ICUの天井と、母の顔

次に、断片的な記憶が戻ってくるのは、病院のベッドの上です。

私は、ICU、集中治療室にいました。

意識は朦朧としていて、自分がどこにいるのかも、はっきりとはわかりません。
白い天井と、機械の音と、人の気配。
それだけが、ぼんやりと感じられました。

その朦朧とした視界の中に、母の顔がありました。

母は、遠く離れた地元から、私が倒れたと聞いて、その日のうちに駆けつけてくれていたのです。
どれだけ驚かせ、心配をかけたかと思うと、本当に申し訳ない。

妻も来ていました。
そして、当時小学6年生だった双子の息子たち2人も、私の顔を見に来てくれました。

家族が、私のまわりに集まってくれたのです。

けれど、正直に言えば、その時の私は、誰が来てくれたのかしっかりと認識できる状態ではありませんでした。

後で「あの時、みんな来てたんだよ」と聞いて、ようやく「ああ、そうだったのか」と知ったという感じです。

意識が混濁したまま、私は家族に見守られていました。

倒れて初めて、私は、立ち止まることを自分に許せたのかもしれません。

「一過性脳虚血発作」という診断

幸い、私の意識は、その後、戻ってきました。

翌日には退院でき、私は1週間、自宅で療養することになりました。

退院後、脳神経外科で詳しい検査を受けました。

下された診断は、「一過性脳虚血発作」というものでした。

過労とストレスが重なり、一時的に脳の血流が滞った。
それが、あの朝の意識消失の原因だろう、ということでした。

医師からは、こう言われました。

「これは、脳卒中の前ぶれのようなものです。
今回は一過性で済みましたが、一歩間違えれば、後遺症が残っていたかもしれません」

その言葉を聞いて、私は背筋が冷たくなりました。

もし、あの階段の滑落で頭を強く打っていたら。
もし、一過性ではなく、本格的な脳卒中だったら。
私は、今こうして文章を書くことも、できなかったかもしれません。

奈落の底に落ちた。
けれど、その底のさらに下に、私は落ちずに済んだ。

そう思うと、生きていることそのものが、奇妙にありがたく感じられました。

職場復帰、そして所長室

1週間の自宅療養を終え、私は職場に復帰しました。

復帰してすぐ、私は所長室に呼ばれました。

身構える私に、所長が告げたのは、意外な一言でした。

「ぐっち、10月1日の異動の話やけどな。あれは、なくなったっちゃ」

倒れた私への配慮だったのだと思います。
あの内部異動は、白紙になっていました。

その後も、所長は、ことあるごとに声をかけてくださいました。
刑事施設で所長は「神様」と呼ばれ、よほどの上層部でないと話をする機会などありません。
まして、私の勤務していた施設の所長といえば、まさに「God of god」とでもいうべき存在でした。
そんな崇高な存在なのに、誰よりも現場のことを気にかけてくださる方だったのです。

「ぐっち、管理職は嫌か。降格するか」

九州出身のこの方らしい、まっすぐな問いでした。

私は、少し考えて、こう答えました。

「しばらくは、現場のイチ職員として勤務したいです。ただ、降格は、今は決断できないので、保留させてください」

今ふりかえれば、これが、大きな分岐点でした。

もし、あの時、私が降格を願い出ていたら。
その後の私の人生は、まったく違うものになっていたはずです。

降格を保留したことで、私は2年後、再び霞が関の法務本省に呼ばれることになります。
そして、希望しない単身赴任での異動を命ぜられることになるのです。

けれど、それはまだ先の話。

この時の私は、「保留」という選択が後にどんな分岐をもたらすのか、知る由もありませんでした。

ようやく、素直になれた

所長との対話はさらに続きました。

「ぐっち、刑事施設、嫌やったやろ」

その一言に、私は、4か月間自分に課してきた、「決して本心を明かさない」という教訓を初めて手放しました。

「正直言って、辛いです」

そう答えていました。

薄氷の上を、息を詰めて、本心を隠して歩き続けた4か月。
その本心を、私はようやく口に出すことができたのです。
しかも、「神様」を相手に。

所長は、うなずいてこう尋ねました。

「ほんなら、どこやったら気分よく勤務できる」

私は、迷いませんでした。

「できれば、少年施設で法務教官として勤務したいです。もう一度、イチからやり直したいです」

「そんなら、拝命施設に戻るか。ご家族も心配しとろう?」

拝命施設。
私が法務教官として、初めて辞令を受けた原点の場所です。

奈落の底に落ちて、体が壊れて、ようやく私は自分の本当の望みを正直に口にすることができました。

不思議なものです。

平気なふりをしている間は、本音などひとことも言えなかった。
それが、倒れて、すべてが崩れた後になって、初めて素直になれたのです。

奈落の底に落ちた時、人はようやく素直になれる。

私が、この時、身をもって学んだことでした。

7年前とは、違った

翌年、2017年の1月。

私のもとに、異動の内示が届きました。

行き先は、所長が言ってくれたとおり、私の原点である拝命施設。

7年ぶりに、私はあの場所に戻ることになったのです。

この刑事施設での勤務は、わずか1年。
しかし、同じ施設で勤務した7年前とは、まったく違うものになりました。

7年前、私は人生初のパワハラをこの施設で経験し、心を削られました。
けれど、この時の私は、本当に、上司にも部下にも恵まれたのです。

バーベキュー

ひとつ、忘れられないことがあります。

異動後1年が経過し、再び私が法務本省で勤務するようになった頃のこと。
当時の部下たちが、私が東京にいることを知り、週末のバーベキューに誘ってくれました。

休日に、なじみのある面々が集まって、肉を焼いて、笑い合う。

上司と部下という関係を超えて、ひとりの人間として私を誘ってくれた。
あの場所で過ごした残りの時間は、奈落の底に落ちた私にとって、癒しの時間になっていたのです。
離任する時には、「いい人ほど、早くいなくなるんですよ」と面と向かって言ってくれたなぁ。
束の間の管理職人生だったけど、少しはおかしらに近づけたのかな。

倒れた朝には、想像もできなかった光景です。

奈落の底は、快適かもしれない

ふりかえれば、9月8日のあの滑落は、私の体が発した最後の警報でした。

そして、奈落の底で素直になれたからこそ、私は原点に戻る道を選ぶことができたのです。

ここも、ひとつの分岐点でした。

次回は、拝命施設での「心と体の復活」、そして、再び訪れる異動の内示についてお話しします。

奈落の底から、私がどう這い上がっていったのか。
その続きをまたご覧いただけたら嬉しいです。


このnoteは、連載「ふりかえれば、いつも分岐点」第11話です。

【全話マップ】
フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由
「お前、少年院に入るぞ」と言われた悪ガキが、本当に少年院に入った話
印鑑すら持っていなかった社会人初日、運命の妻と出会った話
番外編①あわや「成田離婚」
双子のパパになった日
番外編②性格も好みも全然違う双子
ヨーロッパで見たモンテッソーリの原風景
番外編③5年越しのパリ、7年かけて取り戻すフランス語の旋律
少年院の教官だった私が、フランス語ゼロから1年で外交官として渡仏した話
管理職昇進研修で前向きになれた話
「こんなところに来とうはなかった」 — 想像と違う未来が始まった日
想像と違う未来と絶望
ラストダンジョンでの勤務、9月の落とし穴
救急搬送され、ようやく素直になれた私(本記事)
法務教官として輝いた、最後の2年
(以下、毎週日曜朝7時に続きます)

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