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ふりかえれば、いつも分岐点 番外編③|5年越しのパリ、7年かけて取り戻すフランス語の旋律


本編の流れを少し止めて、番外編をひとつ。
今回は、私のポケットの中に7年間入っている、小さな懐中時計の話です。

毎朝、ご飯を食べ終わると、私はスマートフォンを取り出します。

開くアプリは、緑色のフクロウのキャラクターが目印の「Duolingo」。
世界中で使われている語学学習アプリです。

このアプリを始めたのは2019年。
気がつけば、2550日を経過しました。
約7年です。

2550日のスクショを撮り忘れたので、編集日時点の画面

ただ、はじめに正直なことを書いておきます。
この2550日、実は何度か途切れています。
Duolingoには「連続記録の途切れを救ってくれるアイテム」があって、それを使って乗り越えてきました。
本気で連続記録を続けている方からはズルだと言われるかもしれません。
でも、私はこのシステムがあったから続けられました。
旅行や急用で、どうしても1日アプリに触れられないときもある。
そういう人間にとって、この救済システムはありがたいのです。

そんな等身大の2550日について、今日は書いてみようと思います。

パリで身に付けた言葉が、忘れられていく

私は2011年から2014年まで、外務省に出向して在仏日本国大使館に勤務していました。

渡仏直後にフランスでG8およびG20サミットが開催され、私は交渉の担当に。無茶振りもいいところ!
当時の私のフランス語力はかなり拙いものでしたが、フランス側の担当者が一生懸命に耳を傾けてくれたおかげで、なんとか必要なやりとりができました。
今でも、あの方々への感謝は忘れません。

その後、在仏3年で、私のフランス語はビジネスで使えるレベルまで育ちました。

そして2014年、日本に帰国します。

問題は、ここから始まりました。

帰国から1年が経った頃のことです。
日常で、フランス語を使う機会がない。話す相手もいない。
読むものもない(あるけど、専門書か「ドラゴンボール」仏語版)。

ある日ふと、基本的な単語が出てこない自分に気づきました。

その年の終わり、業務で1か月間フランスへの出張が決まります。
私は急に焦り始めました。
「このままでは、現地でまったく仕事にならない」と。

妻に話したことがあります。
「フランス語が、どんどん消えていく気がするんだ」と。
妻は答えました。
「使う必要がないんだから、しょうがないんじゃない?」

その通りなのです。
妻の言葉は、いつも私の現実を、やさしく突きつけてきます。

仕方ないので、私はその後の1年間、毎週、語学学校に通いました。
そして、なんとかフランス出張を乗り切りました。

ですが、出張から帰ってきたら、また日常です。
フランス語を使う場面は、再びほとんどなくなりました。

2019年、ある事故と、アプリとの出会い

2019年。私はある日、自転車で車道を走っていて、交通事故に遭いました。

頭を強く打って救急搬送されました。
その時の記憶は、今でもありません。
その後、数か月間入院し、休職することになりました。

突然、何もしない時間が、ふと長くなりました。
日に日に頭が腐っていく気がしていました。

そんなある日、スマートフォンに見慣れない緑色のフクロウが目に留まりました。
Duolingoというアプリの広告でした。

当時、語学学習アプリといえば、リクルート社の「スタディサプリ」が中心でしたが、残念ながらフランス語には対応していませんでした。
一方、Duolingoは、当時から数十か国語に対応している、と書いてあるのが目に留まったのです。

「フランス語を手軽にやれるなら、これかな」

「試しにやってみるか」

それくらいの軽い気持ちでした。

無料でできて、毎日5分でいい。
重い決意も、立派な目標も、何もなかったと思います。

「質より日数」という哲学

Duolingoを始めて、すぐに気づいたことがあります。

このアプリには、「連続記録」が表示される機能があるのです。
何日続けたかが、画面の上のほうに、メラメラと炎のアイコンとともに表示される。

これがけっこう、効きます。

1日でも休むと、連続記録がゼロに戻ってしまう。
そう思うと、どんなに忙しくても朝食後の5分だけは死守したくなる。

私のやり方は、決して品行方正なものではありません。
深く考えず、毎朝とにかくアプリを開く。
問題を解く。
完璧に正解できなくても、とにかく1問でも触れる。
問題を解く暇もない時は、「Speaking」なら最短1分で1セッション終えられる。
そんなもんでした。

とにかく続けるという哲学

そう自分に言い聞かせてきました。

そうしているうちに、100日が経ち、200日が経ち、365日が経ち、1000日が経ち、そして今、2550日になりました。

私はこの数字を、特別なものだとは思っていません。
世の中には、もっと長く続けている人がいるはずですし、私のフレンドの中には3000日を超えている人もたくさんいます。
日数なので、その人たちを超えることはないでしょう。
フルタイムで働きながら同じことを続けている人もきっと多くて、私のように在宅で時間に融通がきく人間の数字としては、控えめに見るくらいでちょうどいいと思っています。

chouette と、二刀流の学習

Duolingoの公式キャラクターは、緑色のフクロウです。
アプリを開くと、最初に出てきます。

ある日、フランス語の問題で「chouette」という単語が出てきました。
「えっ、何?わからん」と思いながら適当にそれらしい答えを選び、当然ながら不正解。

調べてみると、「chouette=フクロウ」だそうです。

「いや、そんなの知らねえよ!」と、思わずアプリの画面に向かって突っ込んでしまいました。

このアプリ、ものすごくフクロウ推しなのです。
フクロウのキャラクターがやたらと出てくる。
付け加えるなら、クマ(ours)やクモ(araignée)など、やたらと動物の単語が出てきます(例文も笑っちゃう:「部屋に入ると、1頭のクマが私のバゲットを食べていた」とか)。

そんな小さな引っかかりも、毎朝のささやかな楽しみになっています。

ちなみに、私のDuolingoでの学習スタイルは少し変わっています。

「英語ベースでフランス語を学ぶ」レッスンと、「フランス語ベースで英語を学ぶ」レッスンを、両方並行してやっているのです。

普通なら、日本語ベースで外国語を学べばいいわけです。
でも、せっかくなら、2つの外国語を、互いに鏡のように映し合いながら学んだほうが、両言語の特徴がよく見える。
そう思って、こんなやり方にたどり着きました。

ちなみに、大学院時代には中国人留学生が多かった縁で、中国語にも手を出してみました。

こちらは、あまり長続きしませんでした。
なぜかというと、当時コロナ禍で、2年間の大学院在籍中通学したのは10日程度という悲しい状況だったため。
結局、中国人の若者と仲良くなる機会を失ったのです。

やっぱり、キッカケって大切。

京都の旅人と、万博のフランス館

7年間続けていると、ときどき、Duolingoが現実の場面で「効いてくる」ことがあります。

たとえば、京都を旅行したときのことです。
観光地で、ひとりの外国人の若者から道を尋ねられました。

最初は、英語で答えていました。
話している途中で、ふと彼が手に持っているガイドブックに目が留まります。
表紙が、フランス語でした。

私は思いきって、フランス語で話しかけてみました。

彼は、目を丸くしました。
そして、笑顔でフランス語で返してくれました。

そこから少しの間、京都の街(本能寺の前!)で、フランス語での雑談が続きました。

2025年、大阪で開催された万博を訪れた際にも、似たようなことがありました。
フランス館を訪れて、現地のフランス人スタッフに、フランス語で話しかけてみたのです。

スタッフは驚いた様子で、「どこでフランス語を?」と聞いてくれました。
私は、「実は3年、フランスで生活していたんです」と答えました。

そこから、ひととき、フランスの話で盛り上がりました。

大した会話をしたわけではありません。
観光客と、現地のフランス人。それだけのことです。

でも、私にとっては、忘れがたいいい思い出です。

家族から見た、私とDuolingo

家族は、私がDuolingoを続けていることを、おそらく知ってはいます。

ただ、ふだん家族の誰かが、その話を私に振ってくることはありません。

ときどき、テレビでDuolingoのCMが流れます。
妻はそれを見ると、こう言います。

「これ、あなたがやってるアプリよね」

それだけです。

私はそのとき、「うん」と返します。
それだけです。

そういえば、一度だけ「なんでフクロウ?」って言ってたっけ。
私も同意。

朝からスマホに向かって、フランス語やら英語やらを熱心にぶつぶつつぶやいている。
家族から見た私の毎朝5分は、ただ静かにそこにあるだけのもの、なのかもしれません。

ただ、最近、一つ気づいたことがあります。

どうやら、息子のスマートフォンに、Duolingoがインストールされているらしい。

これは、息子から教えられたわけではありません。
たまたまフクロウのアイコンが見えてしまった。

息子が何の言語を学んでいるのか、いつから始めたのか、何日続いているのか、私は知りません。

ただ、彼のスマートフォンの中に、同じ緑色のフクロウがいる。

そのことだけで、私はちょっと、嬉しいのです。

ポケットの中の懐中時計

7年経った今、私にとってDuolingoはなんなのか、と聞かれることがあります。

学習ツール。朝の儀式。継続のゲーム。
どれも、半分は当たっていて、半分は違います。

いちばんしっくりくるのは、こんな言い方です。

Duolingoは、私のポケットの中の懐中時計だ。

鎖をつたって、ポケットに入れた懐中時計を取り出す。
パカッと開いて、時刻を見る。
あの仕草に、いちばん近い気がするのです。
(残念ながら、懐中時計は持っていませんが。)

毎朝、私はアプリを開きます。
問題を解きながら、頭の中ではいつもフランス、そしてパリが浮かんでいます。

「この単語、あの時、よく使ったな」

「この表現は、次にフランスに行ったときに使えるな」

過去のパリと、今の自分と、いつか戻りたいパリ。
3つの時間が、5分間の中で同居します。

懐中時計の文字盤に並んでいるのは、12個の数字ではありません。
私の中の、フランスでの記憶、今の生活、そしてまだ訪れていない未来のフランスです。
そういえば、フランスから帰国して今年でちょうど12年です。

フランス語の能力は、Duolingoでぐっと上がったとはいえません。

それでも、フランスを離れて12年が経った今でも、私はフランス語でなんとかコミュニケーションが取れる自信があります。
実際の機会には、積極的にフランス語を使って話してきました。

「ちょっと話してみようかな」

その気持ちを、毎朝5分の儀式が、繋ぎ止めていてくれます。

明日もたぶん、私はスマートフォンを取り出します。
緑色のフクロウが出てきて、知らない単語を投げてきます。
私はそれに、「そんなの知らねえよ」と心の中で突っ込みます。

そして、パカッと懐中時計を閉じて、また1日が始まります。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

あなたにとっての「毎朝の5分」、あるいは「ポケットの中の懐中時計」のような習慣は、何かありますか?
ささやかなものでも、もしよければコメントで教えてください。

それでは、また次回。


このnoteは、連載「ふりかえれば、いつも分岐点」番外編③です。

【全話マップ】
フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由
「お前、少年院に入るぞ」と言われた悪ガキが、本当に少年院に入った話
印鑑すら持っていなかった社会人初日、運命の妻と出会った話
番外編①あわや「成田離婚」
双子のパパになった日
番外編②性格も好みも全然違う双子
ヨーロッパで見たモンテッソーリの原風景
番外編③5年越しのパリ、7年かけて取り戻すフランス語の旋律(本記事)
少年院の教官だった私が、フランス語ゼロから1年で外交官として渡仏した話
管理職昇進研修で前向きになれた話
「こんなところに来とうはなかった」 — 想像と違う未来が始まった日
想像と違う未来と絶望
ラストダンジョンでの勤務、9月の落とし穴
救急搬送され、ようやく素直になれた私
法務教官として輝いた、最後の2年
(以下、毎週日曜朝7時に続きます)

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