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ふりかえれば、いつも分岐点 番外編②|性格も好みも全然違う双子

本編の流れを少し止めて、番外編をもうひとつ。
今回は、第4話で生まれた双子の、個性あふれるお話です。

同じ日、同じ親、同じ家で生まれた二人が、こんなに違うものかと、何度も思いました。

私には双子の息子がいます。
今は大学生です。

第4話では、彼らが生まれた日のことを書きました。
今回はその続き、というか、本筋から少しはみ出した「こぼれ話」です。

性格も、好きな食べ物も、ぶつかり方も、笑い方も、全部違う。
なのに、不思議と仲がいい。
そんな二人が育った、てんやわんやの日々を思い出しながら書いてみます。

第1話から読んでくださる方はこちらから
ぐっち回顧録①|フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由

「お母さん、今までご苦労様でした」

二人は、30週の早産で生まれました。

ある日の定期検診のことです。
担当の先生が、エコーの画面をじっと見つめて、こう言いました。

「下の子の心音が下がっています。お母さんのおなかの中では、もういっぱいいっぱいのようです。お母さん、今までご苦労様でした」

晴れて、満員御礼。
小柄な妻のおなかに、もう赤ちゃんが育つ隙間は無くなっていました。
その日のうちに、帝王切開による緊急手術が決まりました。

二人とも、無事に生まれてきてくれました。
ただ、体は小さく、保育器でしばらく過ごすことになります。

「体重2000グラムになったら退院です」と言われ、私たち夫婦は毎日のように病院に通いました(妻は毎日、私は当直勤務以外は毎日)。
一人は1週間で、もう一人は2週間で、それぞれ無事に保育器を卒業しました。

看護師さんは、二人を見ていつもこう言ってくれました。

「小さいけれど、元気いっぱいですよ」

その言葉に、何度救われたか、わかりません。

寝る子と、寝ない子

家に帰ってきた瞬間から、二人の「違い」が始まっていました。

一人は、よく寝る子でした。

寝かしつけると、すうっと眠りに落ちて、決まった時間まで起きてこない。
親としては、申し訳ないくらい育てやすい赤ちゃんでした。

もう一人は、寝る時はちゃんと寝るのですが、一度機嫌を損ねると、なかなか寝ない子でした。

夫婦で交代であやしながら、何時間も抱っこした夜があります。
「同じ日に生まれて、同じものを食べて、同じ部屋にいるのに、どうしてこんなに違うんだろう」と、何度も思いました。

新生児に「個性」という言葉を使うのは大げさかもしれません。
でも、あれは間違いなく、二人それぞれの個性の最初のサインだったと、今は思います。

ハイハイ時代

ハイハイしかできない赤ちゃんが、ガリをガリガリ

二人の個性が、もっとはっきり見えるようになったのは、離乳食が終わる頃です。

特に「食」の好みが、まるで違いました。

一人は、肉が大好きな子でした。
鶏も豚も牛も、なんでもよく食べる。
肉のメニューを出すと目を輝かせていました。

もう一人は、ちょっと、いえ、かなり「渋い」子でした。

ラムネが好きなのは普通だとして、ひじきの煮物、切り干し大根。
いわゆる「渋い」和食の食卓が大好物だったのです。

「この子、本当に幼児?」と妻と何度顔を見合わせたか、わかりません。

そして、忘れもしないある日のことです。

家族で和食屋さんに行きました。
まだハイハイしかできない、二人。

私たちがご飯を食べているテーブルの下で、その「渋い」子が、お寿司の入ったお皿の端についていた「ガリ」をつまみ、文字通りガリガリかじっていたのです。

「いやいや、それ、寿司の薬味だぞ」と思いつつ、本人があまりにも美味しそうに食べているので、止めることもできませんでした。

赤ちゃんがガリをガリガリかじる。
文字面だけで、すでに面白い。
私はその場面を、たぶん一生忘れません。

枕元のメガネを、ガリガリ

「ガリ」つながりで、忘れられない話がもうひとつあります。

ある朝、目が覚めると、頭上に何やら気配を感じました。

ふと頭を上げて、気配のする方に目をやって、私は息が止まりました。

二人が、私たち夫婦が枕元に置いていたメガネを、それぞれガリガリとかじっていたのです。

レンズは、歯型だらけ。フレームは、よだれでベトベト。

よだれは、まあ、洗えば落ちます。
問題はレンズです。
傷だらけになったレンズは、もう元のように視力を補ってはくれません。
私たち夫婦は、泣く泣く、メガネを買い替えることになりました。とほほ。

性格はまるで違う二人なのに、こういう時だけは、見事に息がぴったり合っていました。

なぜ揃ってメガネのところに行き、手に取ったのか。
なぜ揃ってかじったのか。
今となっては、本人たちにも分からないでしょう。

ただひとつ言えるのは、双子の親は、朝起きるたびに何か新しい「事件」と出会う、ということです。

逃走中!?

これも、ハイハイの頃の出来事です。

ガリガリとは別の話ですが、今度はハイハイつながりで。

ある朝、目を覚まして横を見ると、「川」の字になって寝ているはずの我が子の姿が2人ともありません。
妻が気持ちよさそうに眠っているだけ。

「え!?」
当時は和室に布団を敷いて4人で寝ていたのですが、よく見ると引き戸が少しだけ開いています。

「え!?え!?」
とっさにリビングに駆け出すと、リビングにも2人の姿はありません。

「まさか!?」
混乱しながらベランダの方に向かうと、網戸が開いています。
なんと、2人はハイハイしてベランダまで出ていたのです。
いずれ立ち歩くようになった時のため、ベランダには絶対に物を置かないようにしていたことで、落下する心配は少なかったのですが、肝を冷やしました。

逃走を図った(?)2人を確保すると、手のひらは真っ黒、ズボンのひざ小僧も真っ黒です。
でも、「にー(笑)」と幸せそうに笑う2人の顔を見ていると、叱ることもできず。

みなさん、赤ちゃんの行動力を侮ってはいけません。

「超」積極的な子と、後ろをついて歩く子

幼児期に入ると、性格の違いはもっとくっきりしてきました。

一人は、「超」が付くほど積極的な子でした。

公園に行けば、誰よりも先に走り出す。
知らない子にも、すぐ話しかける。
何にでも興味を持ち、何にでも関わろうとする。
親としては、目を離した瞬間にどこかへ行ってしまわないか、いつもひやひやしていました。

もう一人は、自分から行動することは、あまりない子でした。

兄弟が先に走っていくのを見て、「じゃあ僕も」とゆっくり後ろをついて歩く。
誰かが何かを始めるのを、じっと観察してから、自分も真似してみる。
そういうタイプの子でした。

不思議だったのは、二人とも、それで満足していたことです。

「自分が先にやりたい」と争う場面が、案外少なかったのです。
一人は先頭を歩き、もう一人は少し後ろから歩く。
それが二人の自然な並び方でした。

親から見ると、二人は「お互いに自分の場所を、すでに分かっていた」ように思えました。

喧嘩はあったけど、すぐ元通り

そんな二人でしたから、喧嘩はあまりありませんでした。

ただ、ゼロではなかったです。

積極的な方の子が、我を通すことがありました。
もう一人は、それをひたすら我慢している。
それでも、しばらく我慢を重ねた末に、限界がやってきます。

ある日、我慢していた方の子が、突然大爆発しました。
普段は静かな子だったので、その時の暴れっぷりに、私も妻もびっくりしました。

そういう時、私はこう声をかけていました。

「ずっと我慢させてたの、わかる?」
「怒る前に、もうちょっと何かできれば良かったんじゃない?」

二人に向かって言いました。

どちらか一方を「お前が悪い」と決めつけるのは、違うと思っていました。
お互いに、たぶん「最初に何か」はあったでしょう。
それでも、ずっと我慢させていたことと、怒りを爆発させる以外の方法があることはわかってほしかった。

その一言を伝えると、二人は、たいてい納得していました。

そして、しばらくすると、またケロッとして、何事もなかったように一緒に遊んでいました。

双子の喧嘩は、火がついても、燃え広がる前に消える。
そういうものなのかもしれません。

周りに恵まれていた、あの頃

双子を育てていると、周囲から比較されることが、たまにあります。

「お兄ちゃんはもう歩けるのに、弟は遅いんじゃない?」とか、「同じ日に生まれたのに、こんなに差があるの?」とか。

ただ、私たちはわりと、周囲に恵まれていました。

祖父母は、二人を分け隔てなく可愛がってくれました。
「上の子だから、下の子だから」と区別することがなく、それぞれの好きなものを覚えてくれて、それぞれに合った接し方をしてくれました。

私たち夫婦も、二人を比べないように、自分なりに気をつけていたつもりです。

「お兄ちゃんを見習いなさい」「弟は◯◯なのに」みたいな言葉を、できるだけ使わないようにしていました。
よその子と比べることも、なるべく避けていました。

それが正解だったかどうかは、わかりません。

ただ、二人とも、「自分は自分のままで大丈夫だ」と思って大きくなってくれたなら、それで充分だな、と今は思います。

大学生になった二人の、いま

二人は、今、大学生です。

子ども時代の性格は、ほぼそのまま残っています。

「超」積極的だった子は、変わらず積極的な青年です。
ただ、けっこう周囲に気を遣います。

「後ろをついて歩いていた」子も、いつのまにか、自分の足でしっかり前を向いて歩く青年になりました。
性格は子どもの頃のままなのに、不思議と、こちらも「積極的」と言える存在感を持つようになりました。

二人とも、友達がとても多いです。
これはたぶん、妻に似たのだと思います。
一緒に住んでいるのに、二人とも家にいる時間が、本当に少ない。

好きな分野は、見事に分かれました。

一人は、スポーツが大好き。
体を動かすことに、いつも喜びを感じているようです。

もう一人は、研究が大好き。
じっくり考え、調べ、深く掘り下げていくタイプです。

今、「積極的な子の方がスポーツマン」と思ったでしょう?
実は逆なんです。
不思議ですよね。

面白いのは、二人がお互いの得意分野を、ちゃんと理解していることです。
「あいつにはあいつの世界がある」「俺には俺の世界がある」と、それぞれの場所を尊重している。
親から見ていると、本当にそう感じます。

棲み分けが、自然にできている。

旅行は、二人とも好きです。
子どもの頃から私の仕事の都合で、いろいろなところを連れ回してきました。
前職では、20年間の在職期間に10回も引っ越したくらいです。
たぶんその影響で、「知らない土地に行くこと」を、二人ともそれほど怖がりません。
親としては申し訳ないことをしたと思いますが、新しく会った人とすぐに打ち解けて仲良くなれるのは、才能と環境の相互作用なんでしょうね。

音楽の好みは、私もよくわかりません。
たぶん、それぞれ違うジャンルを聴いているんだろうな、と思います。

同じ日に生まれた、別の人生

最後に、ひとつだけ書いておきたいことがあります。

双子の親をやっていると、「二人が同じ人生を歩むわけではない」ということを、誰よりも早く、目の前で見ることになります。

同じ日に生まれて、同じ家で育って、同じご飯を食べて、同じ学校に通って。
それなのに、性格も、好みも、選ぶ道も、全部違う。

これは、私にとって、とても大きな学びでした。

「人は一人ひとり違う」という当たり前のことを、二人の息子は、毎日、私に教えてくれました。

子どもをひとくくりにしないこと。
比べないこと。
それぞれの好きなものを、それぞれの形で大事にすること。

今になってみれば、私が後にモンテッソーリ教育に出会って深く惹かれたのは、たぶん、双子を育てた経験がどこかで効いていたのだと思います。
「子どもには、ひとりひとり違う敏感期がある」というモンテッソーリの考え方は、双子の親をやってきた身には、ごく自然にすっと入ってきました。

二人は、いま、それぞれの道を歩いています。

私は、その背中を、そっと見守るだけです。

そして、たまにふと思い出すのです。

ハイハイの赤ちゃんが、ガリをガリガリかじっていた、あの日のこと。
積極的だった子が、今、自分の研究テーマにじっくり向き合っている。

なんだか、つながっているような気がして、ちょっと笑ってしまうのです。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

きょうだいやお子さんで「同じ家なのに、こんなに違うの?」と驚いた経験、何かありますか?
ちょっとした観察でも、忘れられないエピソードでも、よければコメントで教えてください。

それでは、また次回。


このnoteは、連載「ふりかえれば、いつも分岐点」番外編②です。

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