ふりかえれば、いつも分岐点⑧|「こんなところに来とうはなかった」 — 想像と違う未来が始まった日
第7話では、6か月の管理職昇進研修で「おかしら(指導教官)のような上司になりたい」と前向きになれた話を書きました。
今回はその続き。
研修終了の日、私の景色が一変した話です。

研修終了の日、私の頭の中で、ある言葉が流れ始めました。
「こんなところに来とうはなかった」
大河ドラマ「天地人」で、直江兼続が放った一言です。
2009年に放送されたこのドラマを観ていた頃から、私の中で何かを語り続けている言葉でした。
実を言えば、このフレーズが流れたのは、その日が初めてではありませんでした。
フランスに行く前に勤務したある刑事施設でも、私はこの言葉が頭の中を何度もよぎった時期があったのです。
詳しい話はまたいつか書くとして。
この日、直江兼続のあの一言が、私の中でリフレインしたのでした。
「おかしらのような上司になりたい」と心に決めて迎えた、修了式の朝。
そこに、私が想像もしていなかった一通の辞令が、待っていました。
修了式の朝
2015年3月中旬。
矯正研修所の大講義室には、6か月を共に過ごした研修仲間たちが集まっていました。
外は晴れ(だったんじゃないかな)。
初春の柔らかい光が、窓越しに差し込んでいた(のでしょう)。
いつもと変わらない朝は、私にとっては別物でした。
研修班10班の仲間たち。
「おかしら」と呼ばれた指導教官。
10年ぶりに再会した同期。
みんなで過ごした6か月は、私の頑なな心をゆっくりと溶かしてくれた、忘れがたい時間でした。
今日でこの場所を去り、それぞれが新天地に旅立つ日。
私もまた、「管理職としての新しい一歩」を踏み出すのだと、本気で思っていました。
「嘘でしょ?」
研修終了数日前に、異動先の内示がありました。
研修仲間たちが、次々と新天地への内示を受けました。
「○○矯正管区へ」「○○刑務所の統括矯正処遇官として」「○○少年院の庶務課長補佐として」。
それぞれの顔に、これから始まる新生活への緊張と、ささやかな高揚が浮かんでいました。
そして、私の名前が呼ばれた瞬間。
私は、教官から告げられた内示を、もう一度確認しました。
同じ職場への残留。
頭の中が、真っ白になりました。
「嘘でしょ?」
口には出していなかったと思います。
けれど、心の中ではそう叫んでいました。
私が管理職昇進研修への参加を決めたのは、「自分で選んだ道を歩みたい」と思ったからでした。
「この研修に参加しなくても、いずれ管理職にさせられる時代になった」という噂を耳にして、それなら自分で選んだほうがいい、と踏み切ったのです。
突然管理職にならされるなら、自分でなる道を歩もう、と。
ところが、研修を終えて出された辞令は、元の職場への残留でした。
自分で選ぼうが選ぶまいが、結局、状況は変わらない。
「もうええわ。自分で昇進の道を選んでも昇進せんなら、こんな研修来んで良かったわ」
そう、心の底で呟いていました。
「こんなところに来とうはなかった」
それでも、その場で落胆を表に出すわけにはいきません。
私は周囲に、こう言って取り繕いました。
「まだ今の施設は異動して1年目だから、残留らしい」
仲間たちにどう伝わっていたかはわかりません。
ただ、自分の中で確かに、何かが崩れていく音を聞いていました。
そして、直江兼続の言葉が、頭の中をぐるぐる回り始めたのです。
「こんなところに来とうはなかった」
このフレーズは、私にとって特別なものでした。
フランスに行く前、現場一筋の教官だった頃、私は「管理職になったら終わり。管理職昇進研修は人材の墓場」と本気で思っていました。
それくらい、現場の仕事を愛していたのです。
その私が、フランスでの3年間を経て、管理職の道を自分で選んだ。
研修で「おかしらのような上司になりたい」とまで思った。
なのに、結局、何も変わらない場所に戻されることになった。
「やっぱり、あの頃の自分の考えに従っておけば良かった」
そう、思いました。
おかしらと仲間たち、別れの記憶
修了式が終わった後、私は研修班10班の仲間たちと、「おかしら」と、別れを惜しんだはずです。
ですが、不思議なことに、その日に交わした言葉を、私はほとんど覚えていません。
「おかしら、ありがとうございました」と言ったかどうかさえ、記憶にありません。
さすがに言ったとは思いますが。
きっと、別れを惜しむ気持ちはあったのです。
おかしらのバランスボール椅子。
「マッチョ」を口癖のように使う柔軟な物腰。
「難しく考えなくていいんだよ」という肩の力を抜く言葉。
本当はずっと記憶に留めておきたかった。
でも、その日の私は、心がそこに在りませんでした。
辞令を受け取った瞬間から、私の意識は、すでに「自分が戻されることになった、あの場所」に向かっていたのです。
6か月を共に過ごした仲間たちとの別れさえ記憶に残らないほど、私の心は、ここに在らずでした。
「これからはこちら側の人間だ」
研修終了後、私は元の職場に戻りました。
同僚たちの反応は、こんな感じだったと思います。
「あれ? ぐっちさん、来年度もまだいるの?」
驚きと、ちょっとした困惑が混ざった声でした。
彼らもまた、私が研修を経て新天地に行くものだと思っていたのでしょう。
私自身、新天地に行く気持ちで心の準備をしていたので、もう心はこの職場から離れていました。
そんな中、上司たちの態度だけが、明らかに変わっていました。
「これからはこちら側の人間だ」
そんな空気で、私を迎え入れたのです。
「こちら側」というのは、現場ではなく、管理職側のこと。
一緒に夜勤に入って少年たちと向き合ってきた現場の同僚たちと、私の間に、見えない壁が引かれていく感覚がありました。
その壁は、私が望んだものではありません。
けれど、上司たちは、当然のように私をそちら側に押し込もうとしました。
ああ、同じ環境のままこの気持ちを味わいたくなかった…
笑顔で迎えてくれた「その人」
そして、ある一人の上司も、私を笑顔で迎えてくれました。
「ぐっちさん、お疲れさまでした。これからもよろしく頼みます」
満面の笑顔でした。
その人は、その後、何かにつけて私を「責任者的立場」に置こうと、上層部に進言してくれていたようです。
翌年度の内部異動、私の役割分担、出張の機会。
ことあるごとに、「いずれ管理職になる人だから」というフレーズを添えて、私を表に立たせようとしました。
好意だったのかもしれません。
ですが、私は心の中でこう思っていました。
「余計なことを。」
「いずれ管理職になる人だから」
このフレーズが、私の中で別の音色を持って響いていたのは、ある事実を、風の噂で知っていたからでした。
私が研修で不在だった6か月の間、その人は、若手職員を中心に、相当の圧力をかけていたらしい。
そんな話が、職場で囁かれていることを、同僚から耳にしていたのです。
笑顔の奥に、別の顔がある。
私はまだ、その別の顔と直接対峙したわけではありません。
けれど、何かが始まろうとしている予感だけは、確かに感じていました。
想像と違う未来が、ここから始まった
復帰後、現場の同僚たちは、私を「現場の同僚」として扱わなくなりました。
「昇進する人」「いずれ管理職になる人」「ちょっと距離がある存在」。
そんな目で見られる毎日が、辛かったです。
6か月前と同じ場所、同じ建物、同じ少年たち。
それなのに、私だけが、見えない線の向こう側に押し出されたような感覚がありました。
「管理職になったら終わり。管理職昇進研修は人材の墓場」
フランスに行く前、現場が大好きだった頃の私が、いつも頭の中に浮かべていた言葉です。
研修中、私は「おかしらのような上司になりたい」と思うほど、その考えは揺らぎました。
しかし、研修終了の日、私はあの頃の自分の声を、もう一度はっきりと聞いたのです。
「やっぱり、あの頃の自分は正しかった。この研修は人材の墓場だ。」
ふりかえれば、ここも、ひとつの分岐点でした。
希望のピークを過ぎた直後の、長い長い下り坂のはじまり。
まさに、「終わりの始まり」と言ってもいいでしょう。
「想像と違う未来」が、ここから始まっていきます。
次回は、その「想像と違う未来」が、どんな顔をしてやってきたかをお話しできればと思います。
このnoteは、連載「ふりかえれば、いつも分岐点」第8話です。
【全話マップ】
①フランスでモンテッソーリを学んだ私が、実は20代で少年院にいた理由
②「お前、少年院に入るぞ」と言われた悪ガキが、本当に少年院に入った話
③印鑑すら持っていなかった社会人初日、運命の妻と出会った話
番外編①あわや「成田離婚」
④双子のパパになった日
番外編②性格も好みも全然違う双子
⑤ヨーロッパで見たモンテッソーリの原風景
番外編③5年越しのパリ、7年かけて取り戻すフランス語の旋律
⑥少年院の教官だった私が、フランス語ゼロから1年で外交官として渡仏した話
⑦管理職昇進研修で前向きになれた話
⑧「こんなところに来とうはなかった」 — 想像と違う未来が始まった日(本記事)
⑨想像と違う未来と絶望
⑩ラストダンジョンでの勤務、9月の落とし穴
⑪救急搬送され、ようやく素直になれた私
⑫法務教官として輝いた、最後の2年
(以下、毎週日曜朝7時に続きます)
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