本能寺の変1582 【信長の人物像1】 250530 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【信長の人物像1】250530
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
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*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 250530
【信長の人物像1】 1~5 250530
【信長の人物像】
【1】1~5 【2】6~10 【3】11~15 【4】16~20
【5】21~
01信長は、中背・瘦せ型だった。
髯は、少なく。
ハキハキした、よく通る口調。
聞き取りやすい声だった。
彼は、中くらいの背丈で、華奢な体軀であり、
髯は少なく、はなはだ声は快調で、
【重史146】②/⑲『日本史』
02信長は、典型的な戦国武将。
「力こそ正義」
軍事力の強化に、余念がなかった。
極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、
【重史146】②/⑲『日本史』
戦術にきわめて老練で、
【重史146】⑥/⑲『日本史』
武篇(武辺)にも構へず、調儀・調略の道にも立ち入らず、
武者道の儀、各別たるべし。
【重史163】2/19『信長公記』
武篇道ふがひなきにおいては、属託を以て(人を使って)、調略をも仕
り、
【重史165】5/19『信長公記』
父子とも、武篇道たらはず候によつて、かくの如き事。
【重史168】13/19『信長公記』
【ここがポイント!!】
信長は、典型的な戦国武将。
決して、「隙」を見せぬ男なのである。
あろうことか、
その信長が、光秀に背中を見せた。 →本能寺への道 そ第78話⑫
「今度は、御伴これなし」 →【 重史 033】『信長公記』
のみならず、
嫡男 信忠までもが、京にいる。 →【 重史 028】「小畠文書」
これすなわち、信長の「油断」。
「中国出陣」
事、ここに至って、である。
「魔が差した」、という他ない
正に、天祐。
千載一遇の好機。
光秀は、躊躇せず。
己の、意を決した。
さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、 →【重史016】
03信長は、誇り高い男。
正義感が強い。
名誉心に富み、正義において厳格であった。
彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。
【重史146】③/⑲『日本史』
余多の伽藍、一宇も残さず、夜日(よるひる)三日、黒雲となつて焼け
ぬ。
【重史163】『信長公記』
渡して後、やく(焼)る様に用意しけるか、
【重史163】「多聞院日記」
先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、見合せ、曲事と申すところ、
時にあたつて、信長、面目を失ふ。
【重史167】『信長公記』11/19
【ここがポイント!!】
信長は、誇り高い男。
絶対専制君主。 →【重史146】⑨/⑲『日本史』
その自負がある。
命に背く者、己に逆らう者は、容赦せず。
命を覆すことなど、有り得ぬことなのである。
佐久間信盛を見よ。
「朝倉破軍の刻」 →【重史167】『信長公記』11/19
宿老・古参故の甘えがあったのだろう。
たった一言が、命取りになった。
光秀は、そのような、信長の性格・気質を知り尽くしていた。
だが、追い詰められていた。
「四国問題」 →光秀と長宗我部元親
土佐は、僻遠の彼方。 →本能寺への道 そ第78話⑨
「石谷頼辰、未だ帰らず」 →【重史042】「石谷家文書」
どうにもならぬ状況に、陥っていた。
信長に、仕えて十五年。
「これまでの忠義」
「手柄の数々」
「一度たりとて、落ち度がなかった」
これに「免じて」、・・・・・。
との、思いがあったのだろう。
最終手段。
信長に縋る他、術がなかった。
最初で、最後。
一度限りの頼み事。
「今、少し」、「今、少し」、・・・・・。
「何卒」、「何卒」、・・・・・。
だが、甘かった。
これすなわち、光秀の「油断」。
信長は、激昂した。
「足蹴事件」 →【重史040】 そ第78話⑥
五月十五日頃のこと。 →本能寺への道 1 2 3 4 5
「全てが、終わった」
光秀は、そう思った。
信長は、執念深い。 →【重史167】『信長公記』11/19
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
光秀は、信長に、粛清の口実を与えてしまったのである。
「一世一代の不覚」
明智の将来は、暗い。
そして、同十七日。 →本能寺への道 1 2 3 4 5
光秀は、安土から坂本へ。
04信長には、人間らしい一面もあった。
「人の子である」、ということ。
太田牛一の『信長公記』にも、これに類する記述がある。
幾つかのことでは人間味と慈愛を示した。
【重史146】④/⑲『日本史』
05信長は、目的意識が強い。
時間と戦っていた。
彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。
【重史146】⑤/⑲『日本史』
人間五十年、
下天の内をく(比)らぶれば、
夢幻の如く也、
一度生を得て、
滅せぬ者の有るべきか、
◎第4話 第4話『信長公記』「天沢長老物かたりの事」
人間五十年、
下天の内をくらぶれば、
夢幻の如くなり、
一度生を得て、
滅せぬ者のあるべきか、
◎第4話 第4話『信長公記』「今川義元討死の事」
【ここがポイント!!】
信長は、目的意識が強い。
時間と戦っていた。
信長には、夢があった。
これすなわち、信長の志向。
それが、己の進む道。
この一事に、人生の全てを懸けた。
一、「天下布武」
永禄十
十一月日 信長(朱印)
坂井文助殿
→【重史098】「坂井遺芳」
そして、こちらが、その十五年後 (天正十年1582) 。
信長の志向は、次第に、大きく、膨らんでいく。
一、「さらなる夢」
一大艦隊を編成してシナを征服し、 「イエズス会日本年報」
一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、 『日本史』
→【重史008】
正に、順風満帆。
事は、何もかも、うまく進んでいた。
なれど、人生は、短い。
「人間五十年」 →◎第4話 第4話『信長公記』
信長は、この時、四十九歳。 →【重史052】 そ第156話②
「天下布武」(統一)は、目前にあった。
それを成し遂げ、「さらなる夢」へ。
「間に合う」
そう思っていたのだろう。
前を見れば、後ろは見えず。
信長は、先を急いだ。
否、急ぎすぎた。
それが、「焦り」となり、
そこに、「隙」が生じた。
「御小姓衆二、三十人召し列れられ、御上洛」
これすなわち、「油断」。 →【 重史 033】『信長公記』
光秀は、そこを衝いた。
「夢幻の如く也」 →◎第4話 第4話『信長公記』
信長は、燃え盛る炎の中で、自らの命を絶った。
殿中奥深く入り給ひ、
内よりも御南戸(納戸)の口を引き立て、
無情(なさけなく)、御腹めされ、
→◎第3話 第3話『信長公記』
⇒ 次へつづく
