本能寺の変1582 【重史261】 №6-164 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史261】 №6-164
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
3 足蹴事件 概略 5月12日 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 15日
密室にて 1/3 2/3 3/3 ① ② ③ ④ ⑤
4 中国出陣
5 時は今、・・・・・。
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史261】 №6-164
①三月十三日、信長公、岩村より禰羽根まで御陣を移さる。
②信長公御返書の趣、
③武田四郎勝頼・武田太郎信勝・武田・・・悉く、討ち果たし、
④駿・甲・信、滞りなく一篇に仰せつけられ候間、
『信長公記』
天正十年1582、三月十三日。 158200313
越中で、一揆が蜂起した。
信長の甲斐侵攻に関連して起きた事件である。
これにより、織田方の、神保長住の富山城が占拠された。
さる程に、越中国富山の城に、神保越中守居城候。
然るに、今度、信長公御父子、信州表に至りて御動座候のところ、
勝頼が、そそのかしたと云う。
長住は、捕らえられ幽閉された。
武田四郎、
節所を拘(かか)へ一戦を遂げ、悉く討ち果し候の聞、
此の競(きお)ひに、越中国も一揆蜂起せしめ、
其の国、存分に申しつけ(支配)候へと、
有り々々と(さも本当らしく)、越中へ偽り申し遣はし候。
事実に心得、小島六郎左衛門・加老戸式部両人、一揆大将に罷りなり、
神保越中を城内へ押し籠め、
三月十一日、富山の城居取りに仕り、近辺に煙を挙げ候。
柴田勝家、即刻、対応。
勝家は、北国軍の総司令官。
一揆勢の立て籠もる富山城を包囲した。
信長へ、戦況を報告する。
時日を移さず、
柴田修理亮・佐々内蔵介・前田又左衛門・佐久間玄蕃頭、
此等の衆として、富山の一揆の城取り巻き候間、
落去、幾程もあるべからずの旨、注進申し上げられ候。
(『信長公記』)
信長は、岩村から国境を越えて信濃に入った。
同三月十三日。
「険難節所」
険しい山中路を越えた。
この日は、禰羽根(長野県下伊那郡根羽村)泊。
三月十三日、信長公、岩村より禰羽根まで御陣を移さる。
信長は、勝家に武田の滅亡を知らせた。
同日。
信長は、朱印状を送った。
宛先は、北国軍の四将。
柴田勝家・佐々成政・前田利家・不破直光。
「駿・甲・信、滞りなく一篇に仰せつけられ候」
彼らにとっては、大きな刺激。
さぞや、奮起したことだろう。
信長公御返書の趣、
武田四郎勝頼・武田太郎信勝・武田典厩・小山田・長坂釣竿を初め、
家老の者、悉く、討ち果たし、
駿・甲・信、滞りなく一篇に仰せつけられ候間、
機遣(きづかい)あるべからず候。
飛脚(信忠からの書状)見及び候間、申し達す(伝える)べく候。
其の表(越中)の事、是れ又、存分たるべき(存分に対処すべき)事、
勿論なり。
三月十三日 (朱印)
柴田修理亮殿、
佐々内蔵介殿、
前田又左衛門殿、
不破彦三殿、
(『信長公記』)
【参照】信長の甲斐侵攻
4勝頼の首
◎第112話 ◎小112 ◎P112 通し 第112話 小
◎第113話 ◎小113 ◎P113 通し 第113話 小
◎第114話 ◎小114 ◎P114 通し 第114話 小
⇒ 次へつづく
