少年タンゴ
アルゼンチンタンゴは少年マンガになるか? なるなる! だって、あの人たちの話なんか、まんま少年マンガですもん。え、どんな話かって? そうですね、マンガのプロット風に書いてみると……。
(タイトル画像 from MSX Newsletter, Interview with Taiyo Matsumoto)
あらすじ
1980年代のブエノスアイレスで、タンゴを踊るという「古臭い」ことにはまり、自分たちの踊り方を追求するうちに、アルゼンチンだけでなく世界中のタンゴシーンを揺さぶる騒ぎをひき起こしていく三人の若者の物語。
ジャンルとしては「バディとの友情」もの。絵柄イメージは松本大洋さんの『ピンポン』。
主要キャラクター
ガエタノ:根暗で几帳面でおまけに短気だが、音楽を愛し、家族・友達思いな男。大学在学中に成り行きでとったタンゴレッスンがあまりにいい加減だったため、教えるならもっとちゃんと整理してから教えろよ! とキレ、タンゴを研究する「プロジェクト」を始める。ダンスを分析し理論化する天才的能力を持っているが、ブエノスアイレスのタンゴ世界で生きていくのに重要なコネづくりや、内輪の論理優先なやり方が大の苦手。
フェリーペ:明るく社交的で、誰とでもソツなく付き合い、タンゴも踊ればディスコもOKと、何事にもそれなりの高得点をたたき出すタイプ。タンゴは好きだがお金に困るのはイヤ、と法律を勉強し、大学卒業後は叔父の法律事務所で働く予定であったが、経済危機で雇ってもらえずじまいに。あてもなくブラブラしている時にガエターノのダンスをみて衝撃を受け、彼と「タンゴ・プロジェクト」を推進する盟友となる。(このプロットのストーリー進行役)
マルチェロ(チェロ):童顔ぽっちゃりであだ名はチェロ。いつも何かを考えているらしいけれど、話があちこち飛んでしまうので、なんかよく分んない、と誤解されがちなヒト。しかし、いったん踊りだすと素晴らしいダンスが魔法のように生まれる天性のダンサー。タンゴを愛しているが従来の踊り方に限界を感じていたところに、ガエターノの新しい理論的なアプローチと出会い、またフェリーペの変人とも付き合える懐の深さにも惹かれて、彼らの「タンゴ・プロジェクト」に参加する。
サブキャラクター
イヴァナ:ガエターノのダンスパートナーで恋人。のちに妻となるが別れる。元バレエダンサーで、しっかりしたダンスの基礎があり、美しく、頼もしいけれど厳しい面もある人。
フォセファ(ぺパ):チェロのダンスパートナー。優れた身体能力をもつマルチダンサーだが、気取ったところがなく、地に足の着いたアルゼンチンっ娘。
ミロンゲーロたち:タンゴの伝統的な踊り方や習慣を誇りにしていて、ガエターノたちの新しい踊り方が気にくわない人たち。
「北米人」たち:表には出ないが、その資本力でガエターノたちの運命を様々な場面で左右する。アルゼンチンの政治権力とも結びついている不気味な存在。
物語世界とストーリー展開
1980、1990、2000年代のアルゼンチン、過去の栄光と現在の混乱、未来への希望が混じりあった大都市ブエノスアイレスを背景にストーリーは展開する。
注:タンゴ用語などは、文中のリンクから説明記事・関連記事が読めます。また、プロットの出来事の歴史的な背景などは、このような囲み文で補足として説明し、より詳細は文中のリンクから関連記事を読めるようになっています。なお、文中の人物、団体、出来事は、実在のそれとは異なります。
I. 始動編
軍事独裁政権が倒れ、経済は無茶苦茶だが自由は戻ってきたブエノスアイレス。郊外に住む大学生のガエタノは、エンジニアなら食いっぱぐれがない、という親の強い勧めで工学部に通っているけれど、本当は何がしたいのかわからない。そんなある日、タンゴのダンスレッスンのタダ券をもらい、女の子も来てるよ、という誘い文句につられてレッスンに参加することに。
タンゴはアルゼンチンを代表する芸術だが、軍事政権時代の文化統制のせいで廃れてしまい、ようやく世間に再認識されだしたばかり。ミロンガと呼ばれるダンスクラブでの踊り方を覚えているのはミロンゲーロと呼ばれる年寄りたちしかいない。タンゴ再ブームの兆しなか、あちこちで「教師」として引っ張り出されたミロンゲーロたちの教え方は、しかし、感覚頼みで整合性に欠け、ガエタノのような若者にはまどろっこしくてピンとこない。それでも、観光客向けのショーではない、ブエノスアイレスっ子(ポルテーニョ)たちが踊り継いできた「何か」に触れ、ガエタノはタンゴに強く惹かれる。それが何なのか、自分なりの答えを探すため、ガエタノは一人「タンゴの研究プロジェクト」を始める。
しかし、ダンスは全くの畑違い。まずは情報収集と、ガエタノは持ち前のオタク気質で、あちらのダンススクールこちらのタンゴクラブと手当たり次第に乗り込んでは教師たちを質問攻めにしたり議論を吹っ掛けたりして煙たがられる。そんなある日、彼は、タンゴを教える元バレエダンサーのイヴァナと出会う。他のタンゴ教師と違い、イヴァナはガエタノの「理論」を辛抱強く聞いてくれるが「実践とは別問題」ということもはっきり指摘する。
🎬(←プロンプターマークのついているところはシナリオ風の描写)
タンゴの練習会がはけた後、従来の教え方への不満をイヴァナにぶちまけたガエタノ。黙って聞いていたイヴァナが口を開く。
イヴァナ「いってることはわかるけど、昔からのやり方には、ちゃんと意味があると思うわ。ずっと踊ってきた人たちの知恵が詰まってる。踊る人の心と体に沿った何かがあるから、今も使われているのよ」
ガエタノ「それは否定しないさ! でも、なぜそれを説明する言葉がない? 『この順番だ、見えて覚えろ』『そこんとこはアレだ、感じて踊れ』じゃ、伝わるものも伝わらないさ! でも、あいまいなのはタンゴじゃない。タンゴにはちゃんとしたシステムがあるんだ。バレエなんかと同じように……バレエなんかに負けないくらいの!」
呆れたような顔のイヴァナ。
イヴァナ「タンゴとバレエは違うわ。二つを比べる意味なんてあるかしら?」
ガエタノ「あるさ! それに、いわなくったてみんな比べてる。『フリオ・ボッカ(アルゼンチン出身の世界的バレエダンサー)はなんて素晴らしいんだろう! タンゴなんかとは比べ物にならない!』って。なんで比べ物にならない? それは可能性を追求しないからだ。でもそれはタンゴのせいじゃない。僕らがいろんな可能性に目をつぶってるんだ。タンゴは、僕らのタンゴは、すべての可能性に開かれているダンスなのに! このままじゃあタンゴに対して申し訳ないと思わないかい?」
大きな目に陰りのような光を宿してガエタノを見つめるイヴァナ。
イヴァナを説得するためにも、ガエタノはタンゴに加えバレエやフォルクローレ(アルゼンチンの郷土舞踊)のクラスもとり始めるなど、ダンスの練習にも明け暮れる。一方、理論的な枠組みのはっきりしているバレエの経験からタンゴに欠けているものを薄々感じていたイヴァナは、ガエタノの考え方に一つの可能性をみて、彼の「プロジェクト」を手助けすることにする。
イヴァナの助けもあり、「プロジェクト」は進み、客観的な分析に基づいた理論と新しい踊り方が形を取り始める。その新しい踊り方をあちこちのミロンガで披露し、理論面の論争にもひるまないガエタノたちのやり方は、ブエノスアイレスのタンゴシーンで話題となり、若者を中心に支持者も増える。しかし、タンゴの大衆芸能としてのルーツを誇りにし、伝統的な踊り方や習慣を守りたいミロンゲーロたちは、ガエタノたちの理を振りかざして「伝統」に物申すやり方が気に入らない。
一例をあげると、伝統的なタンゴではダンスペアは抱きあったような形で踊り、この「アブラソ(抱擁)」というタンゴ独特のダンスホールドはミロンゲーロたちにとって「神聖不可侵」なものである。しかし、その不可侵性をいったん横に置いて単なるダンスホールドとして考えてみれば、ダンスの途中で解いて(=アブラソをブレイクして)リーダーとフォロワーが独立に動くといったことも可能になる。ガエタノたちはこのように動きの可能性をすべて使ってみようとするが、そのような踊り方はミロンゲーロたちにとってタンゴの神髄を踏みにじるようで受け入れられない。
🎬込み合ったミロンガ会場。着飾った人たちがお互いを抱きしめるようなダンスホールド(アブラソ)で流れるように踊っている。
やがてデモンストレーション・タイムとなり、踊客たちはダンスフロアべりのテーブル席へと退いていく。彼らのドレスやテーブルのシャンパングラスが照明をキラキラと反射する。
ミロンガの司会者が今夜のデモンストレーターであるガエタノとイヴァナを紹介する。
司会者「……若手大注目株のイヴァナ・ミトレとガエタノ・ゴンサレス! もう皆さんもよくご存知と思いますが……」
何のことだー、知らねえよ~、とヤジが飛ぶ。
司会者「……ご存知なくても、もちろん大丈夫ですよ、ちゃーんと今から見られますからねえ!」
どっと笑う観客。興味津々な顔、不愉快そうな顔、我関せずといった顔。
フロアに向いあって立つイヴァナとガエタノ。一瞬見つめあった後、ガエタノがDJにキューを出す。
音楽がはじまり、二人はアブラソを組んで踊り始める。
華やかに、しかし、むしろ伝統的なサロンタンゴのスタイルでダンスが進む。
そして、バンドネオンが息をつくように空気を吸い込んだその瞬間、二人は大きくアブラソをブレイクする。
観客の視線を一身に集めて、イヴァナは、ゆっくりとダンスフロアを踏みしめながら歩いていく。その一歩一歩に自分の動きを織り込むガエタボ。二人は複雑な編み目を描いて動いていくが、彼らの体は触れ合わない。
息をのむ観客。
しかし、彼らを目で追いながらミロンゲーロの一人がつぶやく。
ミロンゲーロ1「……オンナを一人ぼっちで歩かせてどうする? そんな無責任なことはタンゴじゃねえな」
ガエタノたちとミロンゲーロたちが折り合えないことの背景には、世代の違いだけでなく様々なことが絡んでいる。例えば、中流階級のインテリと中下層の労働者の違い(大学出・英語を話せる・タンゴは表面的な事しか知らない vs. 話せるのはスペイン語のみ・タンゴを生み出して守ってきた矜持がある)など。
ちなみに、タンゴには昔からいろいろな踊り方が存在していて、スタイル間の軋轢は稀でない。争ったところで結局は好みの問題なので、どちらのタンゴが優れているといった結論が出るものではないが、いったん対立が起こると、アルゼンチン的なメンツの意識、なんでも騒ぎには一枚かみたいポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)気質などもくわわって話がこじれがち(サッカーのサポーター間の争いに似ている。ラテンなので半端ない)。
🎬ガエタノのアパート。薄暗い部屋のなかでテレビの前に座っているガエタノ。
画面には、地元のテレビ局のインタビューに答える大御所ミロンゲーロたちが映っている。
ミロンゲーロ2「今どきの若い人が踊っとるのは、まあ、なんというか、別のダンスですわな。タンゴの音楽を使っているけれど。……あれが新しいタンゴだなんて、アンタ、それは非常識ってもんですよ」
ミロンゲーロ3「ああいうのはディスコかなんかで踊ればいいんだ。きちんとしたサロンに来られちゃ迷惑なんだよ!」
テレビ画面を睨みつけてつぶやくガエタノ。
ガエタノ「伝統を守るっていうのは、習慣に安住するのとは違うぜ」
ガエタノが、タンゴにのめりこみ、まったくの門外漢から内側から殻を破る者としての使命感を持つまでになる話が、第1話「眠らない街で目覚めてしまった男」。第1話なので、ブエノスアイレスで踊られてきたタンゴとそれを取り巻くカルチャー、ミロンガというタンゴのダンスパーティでの独特な作法(言葉を使わず目で踊りたい人誘うカベセオなど)もあわせて紹介する。
絵的な見せ場としては、ブエノスアイレスの新旧混ざり合った街並み、昼とは違う夜の輝き、伝統的なミロンガの様子、そこで踊る人たちのエレガントではあるが内輪優先な雰囲気、そして、そこでは浮きまくっているが、尖っていて新しさを感じさせるガエタノとイヴァナのダンスなど。
タンゴ世界にがっちり根を下ろしていて政治力もあるミロンゲーロたちは巻き返しを始める。結果、ガエタノとイヴァナは老舗のダンスホールから締め出され、様々な誹謗中傷にさらされる。世間の景気も悪くなるばかりで、様々なストレスが2人の関係も蝕んでいく。
そのころ、社会に出たばかりのフェリーペも人生設計のやり直しを迫られていた。叔父の営む弁護士事務所で働きながら演劇やタンゴのイベント企画を続けるはずが、不況のせいで結局雇ってもらえずじまいに。国内に見切りをつけ国外へ脱出する友人・知人をみて焦る一方、ブエノスアイレスのアートシーンに関わり続けたい、という夢もあきらめきれない。とりあえず、と会計士でタンゴダンサーでもあるガールフレンドの家に転がり込んで、コネづくりと称してはあちこちのミロンガに顔を出したり、単発イベントを企画してみたりするが、八方塞がり感は否めない。そんな時、「大御所たちにたてついている奴」の噂を聞きつけたフェリーペは、好奇心半分で「そいつ」が踊っているというサンテルモのミロンガに立ち寄る。
🎬いくつかドアをくぐり抜けた先にあるダンスホール。薄暗く、飾りつけも最小限しかない。
踊っている人たちの服装も革ジャン、ジーンズ、スニーカーなどで、伝統的なサロンとは全く違う雰囲気。
壁沿いに置かれたテーブルには、他のミロンガでは見かけない顔、ロックバンドのメンバーや売り出し中の女優なども混じる。
フェリーペは目ざとく知り合いを見つけ、握手を交わして彼らのテーブルに加わる。
知り合い1「珍しいじゃん。ここ時々来るの?」
まあな、という顔のフェリーペ。
知り合い2「今日はセルジオも来てるしな」
フェリーペ「TVプロデューサーの?」
奥のテーブルの方に顎をしゃくる知り合い2。そのテーブルでは中年の男がにこやかに、仏頂面の若い男と大きな目に陰りのあるの連れの女性に話しかけている。
知り合い2「あいつらがそうだよ」
そうかい、という顔のフェリーペ。
音楽が変わり、リズムセクションとピアノがバンドネオンにとって代わる。曲はタンゴ的ではあるが、とらえどころがない。
若い男は仏頂面のまま、連れの女性をともなってダンスフロアに出てくる。
二人のダンス。上手いとかエレガントといった言葉で表現できない彼の歩き。タンゴのボキャブラリーなのに外国語のようなダンスのフレージング。こんな展開も可能だったんだ、と素直に思わせてくれるダンス。
知り合い2「やってくれるねえ!」
知り合い1「……どこまでやれるかねえ」
無言でガエタノとイヴァナを目で追うフェリーペ。
予定調和を嘲笑うかのようなガエタノたちのギリギリのダンスを見て、フェリーペは決心する。
🎬真夜中を過ぎてもにぎわうブエノスアイレスのサンテルモ。石畳が柔らかく街の光に照らされている。
バーやレストランから漏れてくる音楽や話し声から少し離れ、歩道に置かれた椅子に一人で座っているフェリーペ。
ポケットから封筒を取り出して見つめる。
フェリーペ「スペイン語と英語が堪能で、法律知識のある奴が求められてるんだ」
封筒の中にはフロリダの法律事務所からの内定通知がはいっている。
フェリーペ「文句なしだ。2、3年働いたら、家買えるかもな」
ため息をつく。
フェリーペ「……なんであんなモンみちゃったんだろうなあ」
もう一度ため息をつくと、封筒ごと通知を破って、ポケットに押し込む。
フェリーペがガエタノのプロジェクトに参加すると決心する話が、第2話「マイアミ行きのチケット」。
絵的な見せ場としては、タンゴだけでなくロックや小劇団なども入り混じって存在していた当時のブエノスアイレスのアンダーグラウンド・カルチャーシーンの熱気。混乱の中から何か新しいものが出てくるのを皆が待っていた、不思議な共犯意識に包まれた時空間。
当時の熱気については、少々美化した感じではあるが、このビデオなどが参考になるかもしれない。また、同じ音楽で別のヴィジュアルのこのビデオなども、タンゴの底流にある突破力というか、常に思わぬ方向に流れ出す力をうまく映像化している。
フェリーペという仲間を得たガエタノは、彼と共にあちこちのダンススタジオやプラクティカ(練習会)で自分たちのタンゴを教え、少しづつ支持者を増やしていく。フェリーペと共に「プロジェクト」に没頭する一方、イヴァナとは、子供ができるもののすれ違いがふえる。
🎬ガエタノとイヴァナの小さなアパート。
夕食後テーブルで、昼間フェリーペと論議したことをイヴァナに話すガエターノ。
ガエタノ「……だがら、女性の動線に対しては90度の角度になるわけだ!」
イヴァナ「知ってるわ」
彼女の声が聞こえていなくて話つづけるガエタノ。
ガエタノ「……人間、進行方向に左右対称だから、どっちからでもアプローチできる!」
イヴァナ「知ってる、っていってるでしょ!」
え、という顔のガエタノ。
シルヴィナ(幼い娘)「ママ……」
母親の大声に驚いた娘の顔を見て、イヴァナは続く言葉を飲み込んで、立ちあがり娘の方に歩いていく。
タンゴは、職業としては安定感の低いことに加えて活動が夜型のなので、家庭生活との両立は簡単ではない。(もちろん両立させている人もいるが、超人的な努力といっていい。)
タンゴダンスでは、ダンスカンパニーや芸能事務所所属で活動している人は一握りで、ダンスペアという単位で活動している人がほとんどである。ダンスペアが私生活のパートナーであるとは限らないが、練習、ツアーなど長い時間を一緒に過ごす二人はタンゴというプロジェクトで緊密に結びついている。新たに始まるプロジェクトがあれば、終わるプロジェクトもあり、その度に人間関係も(パートナーが替わらなくても)変わる。どのように変化を乗り切るか、答えは一つではないけれど、そのサイクルを何度も繰り返す中でタンゴダンサーたちは磨かれていくようにも感じる。
二人の関係は改善せず、ついにガエタノは家を出て、あるボロいスタジオの片隅で寝起きするようになる。そんなある日、ガエタノとフェリーペの練習会にチェロことマルチェロがやってくる。
🎬チェロに声をかけるフェリーペ。
フェリーペ「あんたか。前にテテのプラクティカ(練習会)でみかけたよ」
チェロ「そうかい。でもおれはロックスターになるんだぜ」
困惑顔のフェリーペを大きな目でじろりと見て畳みかけるチェロ。
チェロ「おれの神はプリンスだ!」
(フェリーペの心の声:プリンスってミュージシャンの? なんか変なのが来ちまったよ~)
しかしチェロは、踊りだすと別人のような集中力をみせる。
🎬チェロとダンスパートナーにステップを教えるガエタノ。
ガエタノ「じゃあ、今度は彼女の反対側を歩いてみて」
チェロ「でもそれじゃあ、手を離さないとできないぜ」
ガエタノ「右ができるのに左はできない、って理屈はないだろ」
すこしガエタノをみつめてから、パートナーの手を取って一緒に動き始めるチェロ。
チェロの動きは、パートナーの周りを右、左と滑るように歩いて切れ目がなく、アブラソがブレイクした事すら感じさせない。
その動きのクオリティに目を奪われるガエタノとフェリーペ。
一瞬動きを止めてチェロがいう。
チェロ「じゃあなあ、これもできるんじゃねえか?」
先のステップに他の要素を足して流れるように踊って見せる。
どんどん動きが複雑になる。
フェリーペ「こいつ……!」
ガエタノ「(嬉しそうに)調子に乗りやがって」
練習会の参加者たちも、みな動きを止めてチェロとパートナーのダンスに見入る。
素晴らしい才能も、何かを成し遂げたいという野心も持っているのに、世に見いだされない、そんなアルゼンチンの「若虎」たちの一人だったチェロ。彼にとって、ガエタノたちはその行き止まり状態をを突破する可能性とうつる。その可能性に賭けてみようと、チェロは「プロジェクト」に加わることに。
チェロ参加の話が、第3話「コチャバンバ通り444番」。題名は、当時の尖がったタンゴ・インストラクターたちが集っていたプラクティカの住所。
絵的な見せ場は、複雑なステップシークエンスも即時に理解して踊れてしまうチェロの凄さ(と踊ってない時のギャップ)、伝統的な踊り方と「新しい」踊り方の差など。
II. 飛翔編
ガエタノの分析・理論化力とフェリーペの企画・組織力に、チェロのダンス・パフォーマーとしての力が加わり、大きく動き始めた「プロジェクト」だが、アルゼンチン国内では批判が止まない。個人攻撃や露骨な嫌がらせに嫌気がさした3人は国外に目を向ける。
この世界進出の過程で、彼らは様々な苦闘と出会いを経験する。例えば、国外でのタンゴに対する理解の低さ、労働ビザの保証人探し、資金調達の難しさ、また、彼らのサポーターとなる評論家やマスコミ、芸術関係者、新しいダンスパートナーたちとの出会いなど。
飛翔編では、様々なサブキャラクターが登場する。したがって、物語もいろいろ膨らませることはできるが、大体のストーリー展開は以下のような感じ。
🎬コロラドでの上級者向けワークショップ。参加者の一人がガエタノにいわれたことを反芻するようにいう。
参加者1「そうか、ステップの連続じゃなくて、ペアの相互位置の展開って考えたほうが、理解しやすいね!」
参加者の間にじわじわと理解と興奮が広がる。
タンゴブロガーでもある参加者2「革命的だね! 君たちがやってることは革命なんだ! 革命には名前がなけりゃね……新しいタンゴなんだから、タンゴ・ヌエボ、タンゴ・ヌエボだよ!」
このプロットのモデルになった人たちが始めた踊り方は、現実世界でも「タンゴ・ヌエヴォ(新しいタンゴ)」と呼ばれたが、この呼称は、サポーターから自然発生したもので、創始者たちがつけたものではない。
「タンゴ・ヌエヴォ」の展開を語る時、アルゼンチン国外のタンゴダンサーたちの存在も無視できない。1980年代のタンゴ・リバイバルにのって始まった国外のタンゴコミュニティの多くは、1990年代にはいろいろな面で力をつけてきていて、アルゼンチン発の情報であっても鵜吞みにせず、自分たちの地域文化、知識体系と照らし合わせて取捨選択する、という姿勢が明らかになっていた。また、モダンダンスとタンゴのフュージョンなど、独自の動きも出ていた。
同時期、アルゼンチンや近隣南米諸国でも、複数の人たちが実際にミロンガで踊られてきたダンスの分析をすすめていた。その中で、このプロットのモデルになった人たちは、動きのメカニズムを「秘伝」のように神秘化することなく、またスペイン語以外(英語など)でも説明したことから、北米・ヨーロッパなどのタンゴダンサーにも早くから好意的に受け入れられた。
なのになぜ「タンゴ・ヌエボ」というアプローチだけがその是非をめぐって大論争を引き起こしたのか? 個人間の相性や利害関係、かの地の論争スタイル(タンゴやサッカーのことになると「奴のいってることはおかしい、オレのいってることが正しい」と1ミリも譲らない)によるところも大だが、時期的に、インターネットメディアの存在感が大きくなって、英語圏のタンゴブロガーなど発信力の大きな人たちの声がアルゼンチン国内のタンゴ世界でも無視できなくなってきていたことも一因である。
例えば、国外では「伝統」の縛りが少ない分、「新しいタンゴ」に対する支持も大っぴらで熱かった。また、国外で「新しいタンゴ」を支持するタンゲーロスの間には、自分たちはタンゴの近代化を助けている、といったような思い込みも無きにしも非ずだった。
それらが重なって、アルゼンチン国内では、自分たちの文化を乗っ取られる、伝統を破壊される、といった「文化盗用」の懸念が生まれ、その苛立ちが、国外での支持が高い「タンゴ・ヌエボ」に向けられた、という面もあるように思う。
現在では、アルゼンチン国内でタンゴの伝統についての議論や理論の整備が進み、タンゴ自体もも世界無形文化遺産として保護され、また国外でも文化盗用を避ける配慮がなされてきたことから、表面的な軋轢は影を潜めている。
アルゼンチン国外では急速に注目されていくが、国内では相変わらず異端扱いの「プロジェクト」。その状況を何とか打開したいと思うフェリーペは「アメリカで成功すれば国内でも一気に知名度が上がる」というセオリーに基づいて、全米ネットワークにのるようなショーを実現すべく動きはじめる。
🎬ロサンゼルス、ビヴァリーヒルズの劇場。アールデコの建物に付属のリハーサル室でタンゴショーのリハーサルが行われている。
くだけた服装の男が入ってきて、休憩中のダンサーやミュージシャンに声をかけながらディレクターの方に歩いていく。
ディレクターはリードダンサーとスペイン語で話していたが、このショーのプロデューサーが近づいてくるのをみて英語に切り替える。
ディレクター「やあ、ようこそ!」
リードダンサー「こんにちは!」
プロデューサー「やあ、近くまで来たもんでね」
ディレクター「セリ(舞台機構)の不具合はなおったよ。フィル(劇場の支配人)と話をつけてくれてありがとう」
プロデューサー「それは何より」
当たり障りのないお喋りを続ける3人。
プロデューサー「……ところでね、フェリーペ・ドミンゲスって知り合い?」
ディレクター「フェリーペ・ドミンゲス?」
プロデューサー「うん。メールもらったんだ。一度会いたいって」
ディレクター「フェリーペ・ドミンゲス……」
リードダンサー「あ、『新しいタンゴ』の奴ですか?」
プロデューサー「そうなんだ『新しいタンゴ』。で、何がどう新しいのかな、って思ってね」
リードダンサー「ムーヴメントの中心は、ガエタノ……ゴンサレスだったかな? 理論で押してる奴。そいつに習ったっていう若いダンサーも結構いますよ」
プロデューサーはディレクターの反応をうかがう。ディレクターは微笑を浮かべる。
ディレクター「理論か。たいへん結構! いつかは誰かがやらなきゃいけないことだし。……なにせ、僕らは今夜のお客さんをあっといわせることで手いっぱいだからね!」
ニヤリと笑うリードダンサー。
🎬ロサンゼルス市内のカフェ。プロデューサーとの面会を取り付けたフェリーペは、プロデューサーにタンゴ・ショーの企画を持ちかける。
フレンドリーだが読めない表情でフェリーペの話を聞くプロデューサー。
熱く語るフェリーペが息を接いだ瞬間に、にこやかに、しかしキッパリとプロデューサーがいう。
プロデューサー「その『新しい』っていうのは、古いタンゴを知ってる人にしか伝わらないね。ショーを観に来るお客には、予備知識なんて期待できゃしないよ」
ガエタノたちが対峙した「古い」タンゴは、ブエノスアイレスのサロンで普通の人たちが社交として踊ってきたダンスである。一方、アルゼンチン国外で一般的に知られているタンゴは、情熱的、セクシーといったキーワードでメディアにのるような、プロが踊るショー・タンゴ。ショー・タンゴはサロンのタンゴと違い、タンゴを知らない観客にもアピールするよう、他のダンスの要素も含め様々な動きを使う。そういうショーに慣れた国外のお客は、多少アブラソをブレイクした程度では驚かないのである。いいかえると、タンゴの伝統がない国外で売り込むには、「古い」タンゴへのアンチテーゼ以外の軸、それもショー・タンゴに負けないようなものが必要であった。
企画は頓挫したが、その過程で、自分たちが拠っているところは、ブエノスアイレスだ、という思いを強くするフェリ-ぺ。そんな時、「『新しいタンゴ』のことを聞きたい」という取材の申し込みがくる。興味本位のヒマ人に付き合う時間はない、と素っ気ないガエタノに代わって、フェリーペが取材を受ける。
🎬サンテルモのカフェ。待ち合わせ場所にやってきたのは意識高い系熟年美女でイギリス人の映像作家。
映像作家「今度、映画を撮るんです。若い男性と年上の女性が出会って惹かれあうけれど、違いがあり過ぎてお互い上手くかかわれない、っていう。2人が意味のあるかかわり方をできるようなるのに、タンゴが重要な役割を果たすんです」
フェリーペ「はあ……。男と女の出会いってイメージ、確かにタンゴにはありますけど、正直いって、ボクらがやってるのはそっちの方じゃないんです」
映像作家「そっちの方じゃない?」
フェリーペ「はあ。もっとダンスの理論化の方によってるっていうか」
映像作家「理論だけ?」
フェリーペ「いや、振付やパフォーマンスもやってます。でも、男と女の出会いと別れとか、そういうのとはちょっとちがうんです」
映像作家「じゃあ、どういうことをされているの?」
フェリーペ「一種の……一種の、破壊と創造なんです」
映像作家は紅茶が入っていたカップを手のひらで包み込み、しばし見つめるが、ふっと目をあげてフェリーペにいう。。
映像作家「今度の映画、撮影はイギリスとアルゼンチンが半々になると思うんですけど……タンゴのテクニカルアドバイザーをお願いすることはできないかしら?」
この頃はタンゴリバイバルといわれた世界的なタンゴの再ブームも一息ついて、世間のタンゴに関する理解も進んできていた。そのため、新しく制作される映画などでは、昔のバラをくわえて踊る、といったなんちゃってタンゴではなく、よく考証されたダンスやタンゴ風俗を取り入れたものが増えていた。
また、アルゼンチンのタンゴ界では、カルロス・ガルデルの時代から、成功と映画に出ることが深く結びついている。したがって、映画、それも英語で世界的に配信される映画にかかわることは、わかりやすい成功の印を得ることと同義であった。
🎬サンテルモでのロケ。主役の男優はプロのタンゴダンサーでもあり、ダンス素人の主役女優を補って石畳の上にもかかわらずソツなく踊る。
立ち居振る舞いにも若さと愛嬌のあふれる魅力的な主役男優。年上の主演女優も笑顔で撮影を楽しんでいる。
しかし、テイクをチェックした映像作家は思案顔。
映像作家は、手持無沙汰に撮影の様子をみているフェリーペとチェロに声をかける。
映像作家「あの……ちょっと入ってみてくれないかしら?」
へ? という顔のフェリーペとチェロ。
映像作家「今のシークエンス、一緒に踊ってみてくれないかしら?」
え、という顔のフェリーペの横で、満面の笑みで飛び上がるチェロ。
チェロ「もっちろんっすよー!」
フェリーペ「じゃあ、おれたちは男同士で踊るんすか?(心の声:このカッコで?)」
映像作家「2人じゃなくて……4人で、4人で踊ることはできないかしら?」
チェロ「もっちろん、OKっすよー!!」
チェロに続き、まあこのメンツなら何とかなるか、という顔で立ち上がるフェリーペ。
普通「タンゴを踊るには2人(it takes two to tango)」ではあるが、1人、3人以上と、様々なフォーメーションがパフォーマンスや競技会では試されている。
III. 帰還編
アルゼンチン国外で芸術的な「自由」を得、また映画出演などの成功も経験したガエタノたちだが、同時にタンゴの現実(世界市場では民族舞踊の一つに過ぎない、他のラテンダンスに比べても規模が小さい、舞踏理論や舞踏技術の洗練もバレエやモダンダンスに比べて見劣りする等)にも直面し、差別化と生き残りのため、自分たちのルーツである伝統的タンゴとの再接続の方法を模索し始める。
🎬タンゴ界のコップの中の嵐のような対立には嫌気がさした、このままでは未来はない、とフェリーペがチェロにいう。
フェリーペ「だからな、まずは、タンゴが好きな奴がみんなあつまって、タンゴのすばらしさを共に祝えるような場所をつくらなきゃいけないんだ」
チェロ「何処でぇ?」
フェリーペ「何処でって、ブエノスアイレスしかないだろ!」
頭おかしいんじゃないの、という顔のチェロ。
ブエノスアイレスでの派閥主義の根深さを考えると、確かにクレージーなアイデアだが、持ち前の企画力・組織力で超党派タンゴフェスティバルを形にしていくフェリーペ。
🎬マテ茶をすすりつつ、フェリーペの企画書を見るチェロ。
チェロ「なんだよ、この『第1回アルゼンチンタンゴ世界会議』ってのは? も―ちょっとマシな名前あるだろ? 『ブエノスアイレス・タンゴフェスティバル』とか『タンゴマニア in ブエノスアイレス』とか!」
フェリーペ「そういう名前はもうみんなとられてるんだ」
チェロ「へ?」
フェリーペ「目ぼしい名前は、もうみーんな商標登録されちまってんだよ!」
チェロ「イベントないのに⁈」
フェリーペ「そ。ないのに!」
金儲け主義やっとられんな~、という顔で溶けるチェロ。
🎬フロリダ通りのカフェ。窓に『第1回アルゼンチンタンゴ世界会議』のポスター。パレルモの商店街、靴屋のショーウィンドウにも。そして、イヴァナがタンゴを教えるスタジオ。熱心に練習する生徒たちの後ろの壁にも大きなポスターが張られている。
現実世界の「アルゼンチンタンゴ国際会議 Congreso Internacional de Tango Argentino (CITA) 」の第1回は1999年。以降、毎年3月にブエノスアイレスで開催されている。
CITA がタンゴ界の融和に役に立ったかは意見の分かれるところ。例えば、アルゼンチンタンゴ世界選手権が含まれている TangoBA は全く別のイベント(こちらは2003年が第1回)。現在に至っても片方のイベントにしか参加しない人もいるあたりに、当時の対立の根深さや利権関係の複雑さがうかがえる。
ともあれ、CITA がブエノスアイレスのタンゴフェスティバルとしては最古であることは確かで、それを実現させたことは、「タンゴ・ヌエヴォ」の歴史上一つの到達点であったといえるだろう。
🎬大成功に終わった『タンゴ世界会議』でのデモンストレーションの後、楽屋でなぜか沈み込んでいるチェロ。ダンスパートナーのぺパが近づき、どうしたの、というように彼の体に手を回す。
チェロ「ああ、ああ、おれは、やったよ。いや、おれたちはやったよ!」
黙って頷くぺパ。
チェロ「いつもと変わらねぇんだよ。どこでも一緒なんだよ。客は喜んでる。そーだろ? アンタはキレイだしな。……でもな、おれはデブなんだよ」
苛立たしげに、汗の浮いた顔をこする。
チェロ「自信はある。タンゴなんだ。誰がなんていったってタンゴなんだ。……でもな、おれは怖いんだよ」
チェロの大きな目に涙が溜まっている。彼に回した腕に力をこめるぺパ。
チェロ「すぐになくなっちまうんだ。ここを離れたらダメなんだ!」
ぺパ「……何が? どうして?」
チェロ「タンゴだよ、タンゴ! ここにゃあこんなにあるのに。他所じゃダメなんだ」
ぺパは黙ってチェロををみつめる。彼の頬には涙が幾筋も流れている。
チェロ「……おれは足も短いしなあ、ギターも弾けねえ。そんでタンゴがなくなったら……なくなったら……ドしたらいいんだよ!」
ぺパ「……なくならないよぉ」
顔をあげ、ぺパをみつめるチェロ。
ぺパ「タンゴはなくならないよぉ。それに、一緒にいってあげるよ……どこへでも!」
チェロ「……デブだけどいいのか? ……学校だって出てないぜ」
明るく笑うぺパ。泣き笑いでくしゃくしゃになった顔でぺパを抱きしめるチェロ。
数々の成功と失敗を経て「プロジェクト」は終盤へ。自分たちが作り上げたものは何なのか? ここからどこへどう進むのか? 「旅の終わり」に、3人はそれぞれ別の選択をすることに。
🎬昼下がりのブエノスアイレス、ぼろいダンススタジオがあったビルの前に立つガエタノ、フェリーペ、チェロの3人。
ビルは改装されて高級マンションになっている。
3人が立つ歩道には高そうな車が乗り上げるように駐車されているが、車道を通る車にはポンコツも混じる。
フェリーペ「……へえ、シルヴィナ(ガエタノとイヴァナの娘)は今年から舞踏学校か。バレエ? それともタンゴ?」
ガエタノ「コンテンポラリーダンス」
相変わらず仏頂面のガエタノ。
ハハハ、という顔のフェリーペ。(フェリーペの心の声:子供にゃ~子供の考えがある。)
黙ってビルを睨みつけていたチェロがガエタノとフェリーペに向き直る。
チェロ「フランスでパフォーマンスグループを始める」
ガエタノとフェリーペは無反応。
チェロ「だからなあ、もうなにが本当のタンゴかなんていうのは、もうほんとにドっでもいーんだよ。おれはおれのタンゴを踊る。タンゴはなあ、タンゴは……誰でも自分のタンゴを踊れば、それでいーんだよっ」
フェリーペが無言でチェロをみる。
チェロ「だから、ロックだっていってんだろっ!」
フェリーペ「(苦笑い)……。で、あんたはどーすんの?」
とガエタノに聞く。
ガエタノ「どうするも何も、やりかけたことを仕上げるだけさ」
フェリーペ「そっか……」
しばしの沈黙のあと、独り言のようにフェリーペがつぶやく。
フェリーペ「オレもそろそろ金稼がないとな。不動産屋でもやるさ、マイアミで!」
ビルの前に立ち続ける3人。車道をとおる車がカメラ視線を遮る。車が通り過ぎた時にはもう3人の姿はない。
最終話のタイトルは「『新しいタンゴ』なんて誰がいった?」
現実世界でも「タンゴ・ヌエヴォ」という呼称はいつのころからか独り歩きを始めてしまい、時間が経つにつれて何を指すのかがよくわからなくなっていった(例えば、単に下手でよろけた踊り方も「ヌエヴォ」とか)。さらに、タンゴ・ヌエヴォ」を推進してきた人たちの間でも、進みたい方向の違いが大きくなっていたこともあり、2010年代以降「タンゴ・ヌエヴォ」というムーヴメントは発展的解消といえそうな状態になって現在に至っている。
あとがきと補足説明
……調子にのってセリフまでいれちゃいましたが、そう、これはタンゴダンス関係者には知らぬ人はおそらくいない「新しいタンゴ」騒動のことです。主要キャラクターのモデルは、 Gustavo Naveira、Fabian Salas、 Mariano “Chicho” Frúmboli の3人。
「タンゴ・ヌエヴォ」という言葉が、何かしら魔法のような響きを持っていたのは、今は昔の話になってしまいましたが、当時の出来事や噂話をアレコレ膨らませてつなげてみたら、自然と仲間との冒険の物語になりました。
したがいまして、プロットの中の登場人物や出来事などは、モデルはあってもあくまで架空のものです。また、少年マンガということでミロンゲーロたちを敵役に仕立てていますが、実際は、ミロンゲーロの中にもヌエボに好意的な人もいたりで、簡単に敵味方をわけられるような話ではなかったということも申し添えておきたいと思います。(ミロンゲーロに関してはコチラの記事をご参照ください)。
また蛇足かもしれませんが、ダンスの「タンゴ・ヌエヴォ」は、ピアソラなどが連想される音楽のタンゴ・ヌエヴォとは違います。(その辺りのことはこちらの記事をご参照ください。)
さて、このプロットからイメージされるダンスは、読んで下さった方それぞれで違っていていいのですが、現実世界で踊られた「タンゴ・ヌエヴォ」はどんな感じだっのかな、と思われた方もおられるかと思います。一口に「タンゴ・ヌエヴォ」といってもかなりバリエーションがあるのですが、ご参考までに、 “Chicho” Frúmboli と Eugenia Parilla の舞台でのパフォーマンスビデオを下にリンクしました。
(そういえばあの頃、Eugenia のハーレムパンツ風のボトムスも大流行しましたねー。)
さらに「ヌエボ」をサロンで踊るとしたら? と気になる方は下の Gustavo Naveira と Giselle Anne の動画をどうぞ。比較的最近のワークショップでのデモンストレーションダンスですが、実際のミロンガで踊る時にも使えそうなところもチラホラ(また、Gustavo Naveira という人の、実はひょうきんな人柄が垣間見えるのもグッド👍)。
さらに、コチラの記事の動画と比べて頂けると、伝統的な踊り方との違いのようなものも感じていただけるかもしれません。
また、過去の拙稿でこのプロットの時代背景を感じていただけそうなものには、
タンゴとロックンロール
さらば、ブエノスアイレス!
南からの逃亡
世代交代:タンゴの場合
タンゲーラが伝えたかったこと
タンゴ in USA
世代のはざまで
などがあります。また、タンゴのダンススタイルやカルチャーに関してはは、
タンゴは現在進行形
タンゴを踊る場所
目は口ほどにものを言う
開くべきか閉めるべきか、それが問題だ
なども併せて読んでいただければ、イメージがつかみやすい所もあるのではないかと思います。
その他、アルゼンチンタンゴに様々な角度から迫った記事は、マガジン『今夜も軽くタンゴでいこう』でもお読みいただけます!
タンゴ、その止まらないもの
どういうわけかアルゼンチンタンゴでは出来事の真偽がとてもわかりづらい。そんなに昔の話じゃなくても、人ごとに話がバラバラだったり、聞くたびに話がコロコロ変わったり(さらに、アイツの話は嘘っぱちだオレのを信じろ、と皆がいうし)。それなら、と昔の映像記録やブログをあたったりすると、今度はどうもピンとこない。あれ、このダンスはこんな感じだったっけ? え、こんな靴はいてたの⁈ いや、この人はもっと年取ってなかったっけ??
「真実」を追い求めるとタンゴは、というか、タンゴを魅力的にしているなにかが逃げていく。ならば、いっそ創作として関連した話をつなげてしまったほうが「それ」が伝わるかもと思いまして、今回は、マンガのプロットの形で、進化しつづけるタンゴのお話をお届けする次第です。
「お話」はさておき、現実世界で「タンゴ・ヌエボ」といわれる踊り方は、理論面、技術面とも1990年代にはほぼ完成していました。しかしそれ以降も、論争の部分は(あれはタンゴだとかタンゴじゃないとか、真の進化だとか古いアイデアの焼き直しだとか、野次馬も加わって)本当にかまびすしかった。なんでそんなに騒いでるの、とずっと他人事モードであったワタシですが、今回このプロットを書いてみて、今まで note で書いてきた記事の多くが何らかの形で「ヌエボ」に関係している、ということに気づき、遅まきながら、その影響の大きさを実感した次第です。ただ、個人的には「ヌエボ」がタンゴを壊したとか、変えたのとかではなくて、タンゴの中の何かが壊れていく、変わっていく過程の途中に「ヌエボ」もあったのではないか、と感じています。
ともあれ、少々暴走気味ながらマンガのプロットとして「お話」を完成できたのは、note がいろいろな創作形式を身近に感じられるプラットフォームであったことも大きい。それにプロットにしておけば、絵をつけてあげてもいいですよ、というクリエーターの方と巡り合えるかも、な~んて。(あ、調子に乗って絵柄は松本大洋さん風なんて書いちゃいましたけど、ワタシが大洋さんのファンという理由だけなので、他のオリジナルの絵柄も大歓迎です!)それに、ひょっとしたら漫画の編集さんとかも読んで下さってるかも? ラテンで情熱的でセクシーで、と誤解も含めて表面的なイメージが先行しがちなアルゼンチンタンゴなんですが、その下の、格好悪いことも含めた話を紹介することで、もっとたくさんの人に身近に感じてもらえたらいいなーと思って書いたんですけど……。ここまで読んで下さったアナタ、感想などきかせていただけるととてもうれしいです(ドキドキ💓)。
©Rico Unno, 2026, CC BY-NC-ND
