昭和生まれアラフィフ、語学留学でジェネレーションギャップを感じる@南フランス
2025年5月上旬から1ヶ月間、アメリカ人の夫といっしょにフランスを旅してきました。
これまでの記事はこちら▼
・フランスのストラスブールで無料英語ウォーキングツアーに参加してみた
・フランスで見たコンクラーベと新教皇誕生&おすすめ映画紹介
・海外旅行中の家飲みも楽しい@ストラスブール(フランス旅行記)
・フランス🇫🇷かわいすぎる村とアルザスワイン街道周遊記(オベルネ、リクヴィール、イーギスハイム、コルマール)
・フランス人の高速道路の運転マナーが意外だった
・ワイン沼にハマりそうな夫婦のフランス旅(ブルゴーニュ地方・ボーヌ編)
・10年ぶりにフランスに行ったら、フランス人の英語力がエラいことになってた
・フランスのホストファミリーの家までの坂道を、26年ぶりに登って気づいたこと
・フランス🇫🇷「最も美しい村」ペルージュと、知られざるアルプスの麓の町シャンベリー
・「娘」になれなかったフランスのホームステイで、私は大人になった
・“一度見たら忘れられない村”─フランスの美しい村・ゴルドを歩く
・中世のまま時が止まった街エーグ=モルト(フランス旅)
・世界遺産🇫🇷カルカッソンヌへ|中世の城にアメリカ人夫が惹かれる理由
・ブドウ畑に囲まれた風車小屋で過ごす、フランス・サン=テミリオンの旅
・ボルドー初心者のサクッと半日街歩き&購入品【2025フランス旅】
・フランスで“迷惑な人”に囲まれて、数秒の効率より大切なことを学んだ
・カンヌ映画祭の妨害工作?大規模停電とスマホ不通で右往左往した話
今日は、その旅の途中、27年の時を経てフランスのカンヌに語学留学した記録をお伝えしたいと思います。
アラフィフの今、また留学をしてみたい
私は大学時代に何度か、フランスで短期間の語学留学をした。アルプスの麓のシャンベリーという街で26年前に通った語学学校は、残念ながら結婚式場になった後、今はもうなくなっていた。

当時通っていた語学学校跡に行ってみた様子は、この記事で。↓
私は、21歳のときにはじめて海外に行った。その場所は、南フランスのカンヌだった。カンヌの語学学校で、1ヶ月を過ごした。
はじめての海外、はじめての語学学校で、何もかもが新鮮で、人生で一番楽しくワクワクした時間だった。それが忘れられず、「いつか、機会があったらまたあの学校に行ってみたいなぁ」と、ずっと思っていた。
学校の名前すら忘れていたので、古い記憶を頼りにgoogleマップで学校のあったエリアを調べてみた。すると、今もその学校が27年前と変わらず、語学学校として存在していることがわかった。
本当なら1ヶ月くらいは滞在して、どっぷり語学の勉強に浸る毎日を過ごしてみたいところだけど、現実的にはなかなか難しい。なので、1週間(正確には月〜金の5日間)だけ留学することにした。受講費は、1週間で7万円ほどだった。
カンヌの語学学校にCEFRを自己申告
申込時にCEFRのレベルを自己申告しなければならなかったのだけど、CEFRを受けたことがないので、自分のレベルがよくわからない。
私は今年から20年以上ぶりにフランス語学習を再開し、Lingodaというプラットフォームで毎日1時間のグループレッスンを受講した。受講したコースは、CEFRのA2(仏検準2級相当)とB1(仏検2級相当)。
というのも、文法やリスニング、読解だけならB2(仏検準1級相当)のレベルはあると思うのだけど、スピーキングの授業はB1のクラスでもついていくので精一杯だったから。B1レベルのグループレッスンの他の生徒は、私から見ればみんなペラペラだった。(今思えば、Lingodaでは自分のレベル以下のレッスンをどれでも受講できるので、レッスン時間の都合などで、上手な人がたまたまB1のクラスにいたのかもしれない。)
なので、レベルは「B1」と自己申告し、入学当日を迎えることになった。
27年ぶりに語学学校へ
27年前にはキャンパス内の学生寮に1ヶ月滞在したけど、今回は語学学校から徒歩10分のアパートメントに1週間滞在した。
月曜日の朝、ちょっと緊張しながら学校まで歩く。

ああ、この道でクラスメイトたちと日光浴したなぁとか、当時はローラーブレードが流行っていて、ヨーロッパ出身のクラスメイトたちが授業後にこの道をビュンビュン飛ばしてたなぁとか、古い記憶がたくさん蘇ってきた。

この通りで、27年前に変な男に付きまとわれたことも思い出した。「ジュテーム」と言いながらしつこく追いかけてきて、幸い学校に逃げ込んで事なきを得たけど、「この人、私のことを『愛してる』って、私のことをなんにも知らないくせに」と冷静に心の中でツッコんでいた。
「あなたはB1レベルではないわ」

学校に着いた。27年ぶりだけど、小さい語学学校なのでどこに何があったかは覚えている。受付に行って教室に案内されると、50歳前後の女性の先生と、5人の生徒がいた。生徒は全員アメリカ人で、映画学科専攻の学生さんだそう。カンヌ映画祭でのスタッフとしての研修も兼ねて、ここで数カ月間の語学研修をしているとのことだった。
自分の子どもくらいの年齢のクラスメイトたちにフランス語で自己紹介すると、先生が言った。「あなたはB1レベルではないわ。どうする?上のクラスに移動する?それともこのままで良い?」
あれー。Lingodaの会話クラスではB1で精一杯だったのだけど、この学校のB1はもっと低いレベルのよう。でもたった5日間しかいないし、そのまま留まることにした。
「フランス語オンリー」の環境はどこへ

休憩時間になると、同じクラスになったアメリカ人の女の子が話しかけてきた。でも、フランス語で頑張ってみようという姿勢も何もなく、質問は当たり前のように英語だった。お互いにどこから来たかとか、いつまでいるかなどを、英語で話した。
彼女はとても感じのいい子で、悪く言うつもりは全くないのだけど、「せっかく語学留学してるのに、しかもB1クラスだから初心者じゃないのに、休憩時間は一切フランス語使う気ないんだ・・・」と、ちょっと驚いた。
その後、コーヒーを買いに校内のカフェに行った。「ああ、ここでも27年前にいつもみんなで集まって話してたなぁ」と懐かしく思いながらカウンターで注文しようとすると、"Hi! What can I get for you?(注文は何にします?)"と当然のように英語で言われた。「あ、校内のカフェすらフランス語じゃないんだ・・・」と、またびっくり。

でも、27年前に私がここに留学していた時は、「キャンパス内ではフランス語を使うように」という厳格なルールがあったのだ。先生だけでなく、学食のおばさんや掃除のスタッフさんが常に目を光らせていて、休憩時間や放課後に私たちが母国語や英語で話していると、"En français!(フランス語で!)"とよく注意されたものだった。
でも、もうそういう時代じゃないのだろう。最近のZ世代の若い子たちには、厳しくゴリゴリ強制するのは合わないのかな。

それは授業中にも感じた。担任の先生は、若い生徒たちにとても気を遣い、「映画祭で疲れたでしょう?宿題を出すけど、疲れてたらやらなくてもいいからね」「まだ休憩時間じゃないけど、あなたたち眠そうだし、ちょっと早めに休憩にしようかしら。どう思う?」と、彼らの機嫌を損ねることを極度に恐れているように私には見えた。
昭和生まれの私からしたら、「いやいや、先生、もっと厳しくやってよ」という感じである。でも、今はすぐに悪いレビューが広がる時代だし、語学学校も客商売だから、先生も大変だろう。
同年代の先生との遠足
短い留学期間中は、20歳前後のクラスメイトより、同年代の先生とたくさん話した。互いに語学を教える者として、教える環境はリアルがいいかオンラインがいいか、モチベーションがない生徒にどう相対するかなど、休憩時間にいろんな話をした。
また、ある日は先生と他の生徒たちと街にエクスカーション(遠足)にも行った。カフェでコーヒーとクロワッサンを食べて、市場を見学して、街を歩いた。


カンヌの旧市街の高台がある博物館は、語学学校の先生の引率だと無料で入れた。

先生が、ここから見える景色をいろいろと解説してくれた。

向こうに見える丘は、アメリカのカリフォルニアに雰囲気が似ていることから、「カリフォルニー」という名前がついているそう。

カンヌは、現在は「高級ビーチリゾート」というイメージだが、ほんの100年前まではひなびた漁村だった。が、イギリスやロシアなどからの富裕層や、フランス北部からの呼吸器疾患の療養者が、温かい気候とビーチを求めてカンヌにやって来るようになった。

イギリス人やロシア人が海で泳ぐ姿を見て、カンヌの地元民は「あいつらは何やってるんだ?頭がおかしいんじゃないか?」と訝しんだらしい。当時、ビーチで泳ぐという習慣は、地元民にはなかったそう。それがたった100年で、こんなに変わるんだ。

このクラスメイトの男の子はアメリカのテキサス出身の大学生で、母国に帰ったら就職活動をするんだ〜と言っていた。彼だけは、クラスの外でも真面目にフランス語で頑張っていた。

ちなみに、カンヌとよく比較されるのが同じ南仏のニースだけど、バカンスの目的地としてはニースよりカンヌが格上だそう(先生によると)。
理由は、ビーチの砂。カンヌは砂浜のビーチで、フランス人にとっては砂浜こそが極上の環境だそう。

一方、ニースの砂浜は、小さい石のビーチ。

私はビーチで泳ぐことに全く興味がないのでわからないけど、砂浜で寝転んで日焼けするには、石より砂の方が心地良いのだろう。私のようにビーチを歩いて写真を取るだけなら、靴に砂が入らないニースの方がありがたいけどね。
先生に言わせると、「ニースの人は、カンヌを羨ましく思っているのよ」だそう。私に言わせれば、くだらないマウントの取り合いですねぇ(笑)
27年前の思い出
27年前にこの語学学校に留学した時は、日本各地からの20人の日本人留学生が一緒に入学した。初日、学校のスタッフから新入生にオリエンテーションがあった。言語は、もちろんフランス語。今だったらきっと英語でやるのだろうけど、あの頃は「完全なフランス語環境に生徒を置く」という意識が徹底していた。
とは言え、当時の日本人留学生の中には、フランス語が全く初めてという人もいた。それに、フランス語ができないからと英語でやったとしても、日本人の場合は理解が難しい学生もいるだろう。

オリエンテーションを担当した男性スタッフは、自分の話が全く理解できていない様子の日本人学生が数人いるのに気づき、「誰か、今僕が言ったことがわかった人?彼女たちに日本語で説明してくれないかな?」と言った。
その男性のフランス語を私は理解できたので、「私、やります」と通訳を買って出た。私は、大学で3年間勉強していたので、日本人留学生の中では一番できる部類だった。

が、実際に通訳しようとすると、情報が多くて頭を整理できず、何から説明して良いやらわからなくなってしまった。
いっこうにしゃべらない私を見て、その男性スタッフは「なんだ、君も分かってないんじゃん」と、呆れ顔でボソッと言った。
私は反論しました。「J'ai compris!(理解しました!)」
「じゃあ、説明してくれるかな?」
・・・全然、できなかった。

「私、分かります」と通訳を買って出たくせに、全然役に立たなかったことが、ほんとに恥ずかしくて情けなかった。「こんなことなら、黙っとけばよかった」という悔しさを、そのオリエンテーションが行われた講堂を前にして、また思い出した。
今ならわかる。当時の私は、ただ「わかったつもり」だっただけなのだ。また、「わかる」ことと「通訳できる」ことは、全く別ものだということも。
でも、その悔しく恥ずかしい経験も、今に生きている。当時は想像もしなかった未来だけど、その後私は通訳の仕事に就いた。このカンヌでの語学留学の経験から、文化の異なる友達と分かり合う喜びに目覚め、アメリカ人の夫を持つに至った。
そんな、私の原点の一つと言える場所が、この語学学校だ。
まとめ
そんなこんなで、語学学校の5日間はあっという間に過ぎた。

語学研修というよりは、もう一度カンヌで過ごしたいというのが一番の目的だったので、それが達成できて幸せだった。同年代の先生とたくさんのことを語り合い、お勧めのレストランや近隣の観光地の情報を聞けたことも、とても役に立った。
でも、「キャンパス内では英語禁止」の環境で、もっとフランス語に浸りたかったなぁという気持ちもある。まあ、本当に厳しい環境を求めるなら、語学留学じゃなく大学院留学するべきだろう。

5日間、「生徒」に戻って授業を受け、語学を教える者としても勉強になった部分がたくさんあり、何より27年前の楽しい記憶やほろ苦い記憶もたくさん蘇ってきた、忘れられない時間になった。また今度、いつか帰ってくることができるかな。
続きはこちら
↓
私の英語学習法や、私が日々実践していることを無料メルマガでシェアしています!よろしければご登録ください。
↓

いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!