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#591[短編]琥珀色の間[22]── 花の向こうにいたひと

大翔は目尻の涙を、長い前髪で隠すように俯いた。爽子は言えなかった言葉が喉の奥で揺れていた。連載第26回。


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※ 連載ですが、どのお話からも読めます。


大翔は目尻に滲みた涙を、長い前髪で隠すように俯いた。

「……いかないで、爽子さん」声をかき消すように、長い特急列車が走り抜ける。
列車が過ぎるのを待って、大翔は少しだけ声を張った。

爽子はバッグの革ストラップに手を添えて握りしめた。冗談なのか本気なのか理解が追いつかない顔で、呆然としていた。

「え……?」爽子が漏らすと、小さな枝のついた二輪の桜が大翔の肘に落ちた。

大翔はもう後戻りできないと悟ったように、声を絞り出した。

「なんて。言いたくなっちゃいますよね、映画みたいで」
大翔は顔を上げて花びらを目で追うと、意志のある瞳で微笑んだ。両手をパーカーのポケットに突っ込んで、ビルの向こうの空へ軽く目線を上げる。言えなかった言葉が、喉で止まった。

「ふふ……そうですね。また来年も見られたらいいですね」
爽子は、風に揺れる桜を見上げて微笑んだ。

「大翔さん」爽子は決心したように言う。

「わたし、まだ言っていないことがあるんです」
大翔は、俯いたままほんの一瞬だけ呼吸を止めた。それから、そっと爽子に目線を返した。

「わたし、仕事……IT系じゃないんです」爽子は言って、口角をきゅっと結んだ。大翔はきょとんとして、爽子の言葉を待った。

「わたし、医師なんです」

爽子は柔らかく微笑んで、言葉を添えた。
大翔はほどけた笑顔で言った。

「なんとなく、わかってました」
爽子は前髪を指で横に流し、ハッとして瞬きをした。
「ど、どうしてですか……?」

「え、いっぱい食べるから?」大翔が深夜の中華屋の話を蒸し返すと、爽子はふっと笑った。

大翔さんの方が食べてたじゃないですか。ラーメンとチャーハンだけかと思ったのに、レバニラと中華丼まで」爽子は破顔して屈託のない顔で笑う。

「まってまって、中華丼は頼んでないです」大翔はおおげさに取り繕って、爽子も笑った。

「まあ、でも。爽子さん、なんかタダ者じゃないなって思ってました」大翔はゆっくりと微笑むと「そうですか?」爽子は少し不満そうにいった。

「え、初めて飯食いに行って、ピータンは変わってるなって」爽子は赤面した。
「そんなところですか?おいしいんですよ、ピータン」大翔はおどけて手のひらを爽子に向けた。「わ、暴力反対!」

「……言ってくれてよかったです。なんか安心しました。その……俺のこと、ちょっとは信じてくれてるんだなって」大翔は安心したように、ふっと笑った。

爽子は手首についた花びらをそっと取って、話を続けた。

「大翔さんのおかげなんです」大翔が爽子の目を見る。爽子は左手の腕時計に目を留め、髪に花びらがついていないか探ると、一気に話し始めた。

「……わたし、今年から当直のバイトを始めたんです。その……麻酔が専門なんですけど、今日は内科の病院で。普段は放射線科で研修をしていて……あの、もう一度、麻酔をやってみようと思えたの、大翔さんのおかげなんです」大翔はポカンと口が開いていた。

「えっと……それって……転職したけど、前の仕事をちょっと掛け持ちしながら、勉強もしてるってことですか?」大翔は右手でこめかみをなぞりながら目線を落とす。

「ああ、そ、そうです。そんな感じです。黒い画面ばかり見ているから、IT系って……」爽子は緊張しながら、無意識に大翔の呼吸をさぐる。

「それと……」爽子は目を伏せがちに小さく息を吸った。

「同僚を亡くしたんです。少し前に」大翔は爽子の言葉を待った。

「それから、澪さんのお店に行くようになったんです。でもこれからは行く機会も減るかな…バイト増やしちゃったから」爽子は困ったような顔で、口元にほんのりと笑みを浮かべた。

「そうだったんですね。話してくれてありがとうございます」

大翔が半拍置いた瞬間、各駅停車の轟音が通り抜けて、
舞い上がった桜がふたりの間を満たした。

「それから、これを」爽子は大翔にメッセージを送った。
大翔はスマホを開くと、ふわりと笑った。

「あ、懐かしいです。”まほう教室” のマオくん。ちっちゃい時、毎日観てました」

「へえ、今は歌い手なんですね」大翔はページをスクロールする。

「落ち着ける時に、そのページを読んでおいてもらえませんか」爽子は少し寂しそうに言ったが、大翔は気づいていなかった。

「あとこれを。ずっとだれかに聴いてもらいたかったんです……」
爽子は大翔に音楽を共有した。

花びらの海が風に流れて、ゆっくりと時間をとめた。


執筆: 2026/3/13 かきおろし <了, 約 1,800 字>
更新: 2026/5/17, 語尾



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久藤 あかり | はじめまして! スキ、コメントが1番うれしいです。私の記事を元にあなたの記事を書いてもらうのも大歓迎!心が動く言葉はありましたか?ご感想お待ちしています😊