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縁切堂の憂鬱 #06

縁切堂の逡巡 2-1

 春が「私の周りを囲んでいる」と令は、最近よく感じる。
 肌を撫でる薫風、鼻をくすぐるジンチョウゲの強い香り。
 目元がこそばゆく感じるのは、花粉のせいだろうか。
 昭和の風情を残すこの街にも、微かな温もりとともに、柔らかな陽光が降り注ぐ。
 
 瓦屋根で平屋の蕎麦屋の脇を抜け、提灯が印象的なアンコウ屋の前を右に曲がる。
 5分ほど直進し、歩道橋をわたる。

 この時期には、まるで七五三のような出で立ちの少し年下の男女の姿が散見される。
 数年前までは私もそちら側にいたというのに。
 なんとも不思議な気持ちに、れいは軽く微笑む。

 ビルの隙間を3ブロック歩む。
 いつの間にか鼻歌を歌っている自分に、改めて笑いが込み上げてくる。

「クリ……、私、ちゃんと歩めているよ……」
 令はそう独り言ち、お守りにしている文庫本をバッグの上から擦る。

「もう大丈夫。ずっと一緒に、そばで見ていてね」
 柔らかい風が、令のショートボブにそろえた前髪を揺らす。

 今日から、新しい人生がはじまる。
 大きな期待と、ほんの少しの不安を抱え、ある店の前に立ち止まる。

 令の目の前には「縁切堂えんきりどう」と書かれた、大きく古めかしい看板が掲げられた古書店がある。

 先日、令の人生を変えてくれた場所だ。
 今日から令は、ここで働くと決心した。
「この場所から私は歩みはじめる」
 令は、再度、心の中で宣言すると、大きく息を吸い込む。
 
「こんにちは! 縁切堂さ~ん! 今日からよろしくお願いしま~す!」
 令の声は、書店内を埋め尽くす本の中に飲み込まれていく。
 書店入口の両脇は相変わらず、積み上げられた本で埋め尽くされている。
 まるで店内への侵入を拒むように、うず高く、威嚇的に。
 それは3日前と大して変わらない様相だ。
 令は再度、大きく息を吸い込む。
 
「縁切堂さ~ん! たのも~!! 縁切堂さんが出てくるまで、私はここを動きませんよ~!」
 さすがに少し声が大きすぎただろうか。
 だが、こんなことでひるむほど私の決意は弱くない。
 令は足を肩幅に開き、再度、大きく息を吸う。
 
「えんき~…イタっ!!」
 後頭部を柔らかに小突かれたのを感じる。
「何度言わせれば、わかるんだよ。近所迷惑になるからやめてくれって言っただろ。ただでさえ、近所からは睨まれているんだから……」
 振り返ると、そこには熊が居た。

 いや。
 縁切堂さんだ。
 坊主頭に、切れ長の一重の目。
 つぶれたような大きな鼻が、大きな顔の中央に鎮座する。
 白いTシャツに薄いベージュのジャケット。
 腕元をまくり上げ、そこから覗く腕は、まるで丸太だ。
 右手には「近江屋」と書かれたレジ袋が、風にそよそよと揺れている。
 縁切堂さんは手刀にした左手で私の後頭部をこずいた・・・・のだろう。
 軽く小突かれた感覚からも、大切にされていると令は感じる。
 
「んも~! ちゃんと返事をしてくださいよ。私だって恥ずかしいんですから~」
 痛くもない後頭部を擦りながら、令は縁切堂を見上げる。
 その口元が自然にほころんでいることを令は自身では気づいていない。

「じゃあ、今日からよろしくお願いしますね!」
 畳みかけるように令は縁切堂に詰め寄る。
 縁切堂は軽く微笑み、いつもの少し高い声で言う。

「まったく……、憂鬱だ……。しっかりと働いてもらうから、覚悟してくれよ」
 そういうと、手刀にしていた左手を大きく開き、令の頭をワシワシと撫でる。
「もう。子どもじゃないんですから、頭を撫でないでくださいよ! まったく!」
 若葉の緑を含んだ暖かい風が、軒先の二人を包み込むように撫でる。
 桃色に色付いた陽光が優しく降り注いでいた。

*** 
 
「んも~! なんでこんなになるまで放っておいたのよ! これじゃあ、ごみ屋敷と大して変わりないじゃない! 売り物だったらもっと丁寧に扱うべきだと思うわ!」
 令は悪態をつきながら、手を動かしていた。
 縁切堂から令へ最初に与えられた仕事は、本の整理だった。
 母屋は整理されているにも関わらず、書店の方は見ての通り、本にその空間を支配されている。

 いったいどれほどの本があるのだろうかと令は思う。
 そして、これらを収納するスペースはあるのだろうか。
 母屋の一部を使えばきれいに整理ができると思うのだが、今日雇用されたばかりの私には判断がつかない。
「後から縁切堂さんに聞いてみよう」
 などと、令はブツブツと独り言ちながら手を動かしていると、縁切堂が母屋より戻ってくる。

「あぁ、縁切堂さん、本を整理するために母屋……」
 令はその言葉を切った。
 縁切堂の表情が硬く、強張っていたからだ。
 「ふぅっ」と一息をつくと、縁切堂は令に向き直る。

「悪い。片付けの話は、また後だ。客がくる。僕は、少し母屋に籠る。あと数時間後に女性が一人来るので、母屋に通してくれ。後、茶もな」
 そう言い放ち、母屋へと縁切堂はその大きな背中を揺らしながら、戻って行ってしまった。
 
「初日から、どんだけの扱いなのよ! 私は家政婦でもなんでもないっつ~の。もう少し丁寧に扱ってくれてもいいんじゃない?」
 令はそうボヤくも、これまで縁切堂に丁寧に扱われ、優遇されてきたことにハタと気づき、顔を赤らめる。
「もう! やればいいんでしょ!? やれば!」
 令は埃が堆積した本を2冊掴み上げると、乱暴に本棚に叩き込んだ。
 
***
 
「すみません。縁切堂さんというのはこちらの書店でしょうか」
 夕暮れに差し掛かる時間。
 古書店の入り口に一人の女性が現れた。

 スラっと背が高く、長い黒髪の女性だ。
 薄幸な印象をうけるのは、その肌の白さゆえか。
 面長な顔、細い目に、真っ赤な唇。
 まるで白蛇を思わせる容貌に、少しだけ令は寒気を感じた。

 生気が薄い。
 なんとなく、そう感じた。
 令はハタと意識を取り戻し、返事をする。
 
「あ、はい。こちらです。お話は、先だって伺っています。奥へどうぞ」
 令は積み上げられた本を崩してしまわぬよう、彼女を招き入れる。
 近くで見ると、余計に彼女の肌の白さに驚く。
 色白さだけではない。
 その落ちくぼんだ眼窩が、彼女の印象を蛇のように見せている。

「あぁ……。ちょっと戸惑っちゃうな……」
 令はそう独り言つ。

 令は少しひるみ、彼女を再度、奥へと促す。
 そのとき、彼女からフッと柔らかな中にも甘い香りがした。

(つづく) 

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