縁切堂の憂鬱 #02
縁切堂の憂鬱 1-2
「お~い。典清~。いるか~。入るぞ~。生きているか~。って、あいっ変わらず散らかってんなぁ。少しは整理しろよ。まったく、こんなところに客なんてくるのかね~?」
お茶の水から神田へと向かうちょうど中間あたり。
昭和の風情が未だに残るこの町には、未だに江戸っ子気質や義理人情が溢れているように感じる。
瓦屋根の平屋、大きな看板を軒先に掲げたり、屋号を大きな提灯に記したりする蕎麦屋など、見ているだけでノスタルジーを感じずにはいられない。
その中で特に目を惹くのが、多く立ち並ぶ古本屋だ。
入り口の脇に無造作に積み上げられた本の表紙や装丁は黄色くなり、ページは茶色く変色しているものも珍しくない。
そんな、糊と紙と埃の匂いに溢れるこの街の一角に、その小汚い古本屋はあった。
今となっては八百屋でも掲げない大きな「縁切堂」と書かれた看板を恥ずかし気もなく上部に掲げたその入り口は、積み上げられた本で七割ほどが埋められていた。
まるで客の入店を拒むかのようなその佇まいに、私は少し気押される。
「ああ、その辺の本、蹴とばしていいから適当に入ってきて」
詩はそういうと「典清~!」といいながら奥へと進んでいく。
こんなところに住んでいるなんて、どんな人だろうか?
まさか仙人のような老爺が出てくるのではないだろうか?
そして、「縁切堂」って……。
なんとも不吉なイメージをその言葉から感じる。
あたまに様々な想像が、浮かんでは消えていく。
……しかし……。
このかび臭さはどうにかならないものだろうか……。
「お~。いた、いた。久しぶりだな~。典清~。オッ! ちょっと痩せたか?」
奥から、詩の小気味よい声が聞こえる。
どうやらここの店主に会えたようだ。
ちょっと触れたら雪崩が起きそうなほどに積まれた本に、私は注意を払いつつ奥へと進む。
「詩。その呼び方はやめなさい。ここでは、『縁切堂』、または店主と呼ぶように」
これには驚いた。
高い男性の声だ。
よく通りテノールよりも、若干高い音質だ。
声から察するに、かなり若いのではないだろうか?
詩との会話からも、そう年齢が離れていないことを感じる。
私が本の迷路を抜けると、こそには腕を組み、胸を張った詩の背中が見えた。
その視線の先には、大きな何かがあった。
熊だ。
小さな木製の椅子に背中を丸め、縮こまったクマが小さな本を手にしている。
「は……? く、熊……?」
思わず口に出てしまった。
慌てて口元を右手で隠すも、私の声はすでに一人と一匹に聞こえてしまっていたようだ。
詩が振り向き、熊が物珍しそうに私の顔を見上げた。
「ぶ、ぶわあぁぁ~、はっははは~!! 典清! 熊だってよ~! さすがに初対面で、これはないよな~! あ~! おかしい~!!」
詩が盛大に笑い出す。
熊は苦笑いのような表情を浮かべ、こちらを凝視している。
やってしまった。
詩のいうとおり、初対面でこの言い方はない。
私は急速に顔が赤くなっていくことを体温の上昇から感じる。
「久々に大笑いしたわ~。さすがは令だな。一本取られたよ。さて、まずは紹介するな。この熊は、ここの店主、縁切堂 典清。れっきとした人間だ」
そう紹介すると詩は腕で顔を隠し、笑いをこらえる。
何度も上げ足を取らなくても、いいじゃあないか。
私はそう独り言ちる。
そんな詩の脇から、熊が……、いや「縁切堂」と紹介された人がぬっと立ち上がり、私へと向き直った。
大きいし、厚い。
熊といってもヒグマのような大きさだ。
多分、身長は190㎝を越えているのではないだろうか。
「はじめまして。詩のお友達かな? ここの店主です。ちょっと汚いところだが、蔵書は多分この辺りで一番だと思いますよ。お探しの本があった言ってくださいな」
先ほど聞こえてきた、よく通る高い声。
大きな身体に似つかわしくない、優しい笑顔を私に向けてくれている。
坊主頭、太い眉毛に眼鏡。
彼は自らを店主だと名乗る。
さらにこの声。
さまざまな情報がチグハグに繋ぎ合わされて形成されているこの縁切堂と名乗る人は熊のような風体であるが、どこか人懐っこさを感じる。
「い、今井 令|《いまい れい》です。詩とは中学校からの付き合いで、今日は……」
自己紹介をしようと思ったのだが、言葉が喉の奥で詰まってしまう。
私の抱える悩みは、初対面の人に話してもいい内容ではないのかもしれないと、今更のように思う。
「典清~。令はすごく大切にしていた猫を亡くしちゃって、その想いに囚われちゃっているんだよ。ねえ、アレ、お願いできるかな?」
詩が私の気持ちを汲み、縁切堂さんに伝える。
その言葉に縁切堂さんは先ほどまでの微笑から打って変わり、怪訝な顔つきになる。
「詩、そのことは外では決して言わないって約束をしただろ。僕の『そっち』の仕事は公にしていないんだから」
縁切堂さんは静かな調子で詩を嗜める。
その冷静さが身体大きい分だけ、余計に厳格なものを感じさせる。
「ったって、仕方ないじゃん。友人が困っているんだよ? 典清だって、古本屋の稼ぎだけじゃ生きていけないじゃん。うら若い乙女の悩みなんだよ? 聞いてあげたってバチは当たらないでしょ~」
詩はいつもの調子で畳みかける。
縁切堂さんは詩から顔を背け、むとっした調子で毒づく。
「まあ……、アレだ。詩の親友っていうのだから、しょうがないよな……。しかも、結構可愛いし……。あぁ……、憂鬱だ……」
その体躯に似つかわしくなく、語尾が小さく聞き取りづらい。
最後になんて言ったのだろうか?
「よ~し! じゃあ、決まりだな! 早速、はじめてもらおうぜ!」
詩は私の手を取り、店のさらに奥へと踏み入れようとする。
しかし、私たちの前に縁切堂さんのグローブのような右手が差し出され、行く手を阻まれた。
「詩、今日はダメだ。この後、『Qの儀式』があるんだ。3日後に来てくれ」
そう言い放つ縁切堂さんの切れ長の一重が、その深刻さを物語っている。
そして……、「Qの儀式」とは一体何なのだろう?
「儀式」という言葉を使うことからして、なんだか怪しく感じてしまうのは私だけだろうか?
「ちぇ~。イイじゃないかよ。見学だけでもさせてくれよ」
詩が食い下がる。
この辺りの押しの強さは、彼女の十八番だ。
「ダメだ。『Qの儀式』は『縁切り』に向き合う当人と、僕だけしか入れない」
縁切堂さんの声が低くなる。
先ほどまでのよく通るキレイな声とは大違いだ。
「典清のバ~カ! 3日後だな。私はさすがに有給休暇を取るのは難しいから、令が一人で来ることになるけど、変なことするなよな。私の親友なんだから」
縁切堂さんの顔が真っ赤になるのが、離れていてもわかる。
大きな身体の割に、あまり女性に免疫が無いのかもしれない。
縁切堂さんは口元を右手で抑え、悶えるように言う。
「こら! 詩! 令さんに心配させるようなことを言うなよ! もう!」
縁切堂さんは自らの顎を右拳で軽く弾き、その表情を整えると言った。
「じゃあ、令さん。三日後の昼12時に来てくれ。お代は、まずは30万円を用意しておいてくれ」
「さ、30万円~!? そんな大金……、無いわけじゃないけど……」
逡巡する私の首元に詩の腕が伸び、顔が寄せられる。
詩の大きな瞳が、いつも以上に大きくなっているようにも思える。
「令ちゃ~ん。そりゃあ、無料ってわけにはいかないよ~。絶対に損はさせないから~」
詩はいつも見せる小悪魔のような笑みを、浮かべていた。
私はピクシーと熊に騙されているのではないだろうか?
そう思ったが、もはや後の祭りだった。
(つづく)
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