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縁切堂の憂鬱 #10

縁切堂の逡巡 2-5

 あの笑顔は嘘だったのだろうか?
 今目の前にいるのは、鬼か悪魔か、閻魔大王か。
 「縁切りの儀・序」が目の前で行われている。
 聞いている私が泣き出したくなるような、過酷な人生を千里さんは送ってきた。

 幼いころからいじめられ、母からは育児放棄をされ、餓死寸前まで放置されたこともあったそうだ。
 さらには母の情夫に襲われるだけでなく、「誘いやがって!」と実の母から罵られる。
 そんな千里さんの人生をいたわることなく、縁切堂さんは言うのだ。

「だからなんだ。お前がいけなかったんだろ? 助けを求めなかったのはなぜだ? どうして欲しいんだ? 母に責任を押し付けているだけだろ!」
 血も涙もない言葉の数々が、千里さんを襲う。
 自分が攻められているようで、知らずのうちに涙が溢れていた。
 この羅刹の助手である自分を呪いたくなる。
 まじで、この男を殴り飛ばしたい。
 だが、千里さんは取り乱しながらも、叫ぶように縁切堂さんの質問に応えていく。

 阿鼻叫喚。
 そんな言葉がもっともふさわしい絵面だった。
 
***
 
 地獄のような罵りは翌日も続いた。
 母との思い出や想いをノートパソコンにタイプする千里さんを、罵詈雑言でこけ下し続ける縁切堂さん。
 後ろから蹴り飛ばしてやりたくなるほどに、言葉の一つひとつが汚い。
 本当にこの雇い主を選んで正解だったのだろうかと思う。

 そうだ。
 思い出した。
 忘れていたが、私も同じことをされたのだ。
 クリとの思い出や想いをこれでもかと罵られ、吐き捨てられた。
 これが「縁切りの儀」なのだ。
 心の中にあるすべての想いを吐き出させ、それを文字にしていく。
 これにより「縁切り」したい相手と自分の関係をより客観的に見つめることができるのだ。

 だが……。
 いささか、やりすぎなのではないだろうかとも思う。
 いつもは穏やかな縁切堂さんだが、こちらが本当の性格なのではないだろうか。
 まったく理解しがたい……。
 
*** 

 最終日は暑いうえに大雨という、不快な日になった。
 天気予報も一日、雨。
 こんなにも気の滅入りそうな日に「縁切りの儀:Q」を行わなければならない千里さんを思うと申し訳なくなる。
 重い足を引きずり、縁切堂に出勤するとすでに千里さんは店内で縁切堂さんと何やら話をしていた。

「おっ。令、昨日に比べると今日はちょっと遅いな。なんだ~? 飲み過ぎたんじゃないのか?」
 縁切堂さんは、いつもの柔らかい笑顔を私に向ける。
 まったく、本当の男の本性は、熊と羅刹のどっちなのだろうか?

「違います。今日はバスがなかなか来なくてちょっと遅れただけです!」
 バスに乗ってもいないのだが、そんな言葉が口をついて出る。
 縁切堂さんが千里さんと親し気にしていることだって、ちょっと気にかかる。

「そうか。それならばいいんだ。今日は『縁切りの儀:Q』だからね。千里さんも、はやる気持ちを抑え、早くにいらしたんだ」
 縁切堂さんは、狭い書店の中で向かいに座る千里さんに柔らかな視線を向ける。
 昨日はこれでもかと罵声を浴びせていたというのに。
 言語化できないが、無性に腹が立つ。

「ええ。すみませんね。仕事ができない新人で。はいはい。少し遅くなってすみませんでした~。準備を早速させてもらいます!」
 私は母屋へ足を向ける。
 なぜだかイライラする。
 私にはそんな笑顔を見せてはくれないのに。
 令はそんな自分に逡巡する。

*** 

 母屋の奥の大広間を「縁切りの儀:Q」のための準備をする。
 外はうっとうしいくらいの湿度に覆われているにも関わらず、ここは少しひんやりとしている。
 紫色の座布団が向き合いように敷しく。
 思い返してみれば、少し前に私はここに座っていたのだ。

 最も愛した「クリ」との最後の時間を私は、縁切堂さんのおかげで再度もつことができた。
 そして、人らしい生活も取り戻すことができた。

 今日、そこに千里さんは立つ。
 私から見ても異常なまでに過酷な人生を送ってきているにもかかわらず、それを冷静に受け止め、断ち切ろうとしている。
 ご主人を傷つけてしまうこともあったが、自らを変えようと、一度は、はねつけられても再度、この縁切堂に向かってきた。

 その想いと精神力は、同性としても尊敬する。
 私も、もっと強く、自分に向き合わなければならない。
 だからこそ、千里さんには「縁切りの儀式:Q」をしっかりと受け止めてもらいたい。
 そう、思わずにはいられなかった。
 
「令~! ちょっとこっちに来てくれ~!」
 縁切堂さんの声が聞こえる。
 なにごとだろうか?

「はい~! 今、行きます~」
 そう言ってちょっと足踏みする。
 私は縁切堂さんの小間使いではない。
 縁切堂さんもいい大人だ。
 なんでもかんでも私を頼るのは、雇用者と被雇用者の関係ではないだろう。
 だが、今日は千里さんの最後の儀式。
 私の小さな反抗心で、儀式を滞らせてもいけない。
 そんな気持ちから、縁切堂さんの声のする方に歩みを進める。
 
「縁切堂さ~ん。きましたよ~。何か御用ですか~? ここですか~?」
 私は縁切堂さんの声が聞こえる襖を開ける。
「ば、バカ!! 少し待ってよ!」
 縁切堂さんの上ずった声が聞こえると共に、目の前には裸で着物を羽織る熊がいた。

 いや。
 熊ではなかったらしい。
 胸と、腹と、下腹部、そして、局所は意外と、毛深くなかった。
 だが、全部見えた。

「いや~!! なにやっているんですか! セクハラですか? 縁切堂さんは新人にそういうことをする人だったんですか!?」
 手のひらで顔を隠すも指の間から、しっかりと縁切堂さんの詳細を確認する。

 うん。
 思っていた以上に引き締まった身体だ。
 そして、なんか大きいのが垂れ下がっている。
 こりゃあ、なんというか。
 熊のそれだ。

「ちょ、っちょっと、入るときには声をかけてよ! もう、令はデリカシーが無さすぎるよ!」
 縁切堂さんは、はだけた着物の前を急いで隠し、私に背中を向ける。

 デリカシーが無いのはどっちだ。
 そして、なんで縁切堂さんが恥ずかしがっているのだ。
 本来であれば、私の方がもっと取り乱してもいいのではないだろうか。
 この人は、女性慣れしていないのではないかとすら思ってしまう。

「あ~。もう、いいですから。そういうの。で、ご用はなんですか?」
 私はそっけない態度を装い、聞く。
 それでも縁切堂さんは私に背中を向けながら、恥ずかしそうに言う。

「えっと……。帯を締めてくれるかな……?」
 はぁ?
 マジでこの熊は、言っているのだろうか?
 私のことをメイドか、なにかと思っているのだろか?
 いくら雇用主であってもこれはひどすぎる。

「えっと……。私の儀式のときは帯、結べていましたよね? これは新手のセクハラか何かでしょうか……?」
 多分、私の顔は嫌悪で引きつっていたと思う。
 たとえクビになったとしても、言うべきことは言わなければ。
 私はこの熊にすべてをささげるつもりはない。

「違う、違う……。ごめんね。ちょっと最近、食べ過ぎて太ってしまったせいか、いつもだったら回るはずの帯を腕がつかめるのに、帯がつかめないんだ……」
 熊がその眉毛を下げながら、懇願してくる。
 なんだ? この状態は。
 ってか、太ったのは縁切堂さんの責任でしょ?
 手が届かない?
 なにか他の方法を考えなさいよ!

 っあ。
 だから私を呼んだのか。
 
 そこまで思考がめぐると、なんだか縁切堂さんが可愛く思えてくる。
 まったく……。
 冷静を装っていたり、偉そうにしたりしているくせに、これでは5歳児と変わらないのではないかと思えてくる。

「まったく。こまった人ですね。今日は千里さんの最後の『縁切りの儀:Q』の日なんですよ? もう少し自己管理すべきです。ほら、帯を貸してください。千里さんをお待たせすることの方が、失礼ですよ!」
私は縁切堂さんの背中に、右のグーパンを入れる。

「令……。ごめん……」
 縁切堂さんはおずおずと漆黒の帯を私に渡し、大きな背中を私に向ける。
 こんなにも大きな背中で、元臨床心理士で、羅刹のように人をなじって、さらには人の悲しみを癒す仕事をしているのに。
 こんなにも無防備に私に背中を見せている。

 信頼されているからなのだろうか?
 ただの雇用者と被雇用者だからだろうか?
 私が詩の知り合いだからだろうか?
 いろいろな思いが、令のあたまの中をぐるぐると回る。
 
 えぇい。
 面倒くさい!
 私は縁切堂さんの大きな尻を右手で叩く。

「イタイっ!! 令! なにしているんだよ! なんで叩くことがあるのよ!?」
 縁切堂さんは着物の前を抑えながら顔を後ろに向ける。

「うっさい! 子どもじゃないんだから、しゃんと立っててください! それに自分で帯を締められないって、どういうことですか!? 少しは大人らしく体調管理ぐらいしなさい!」
 もう一度、縁切堂さんの大きな尻にビンタをする。

「イタイ!! ごめんなさい! 気を付けます……。食べ過ぎないようにします……」
 縁切堂さんは、着物の襟を強く握りしめ、俯いた。

 ……。
 はあ。
 なんて気持ちがいいのだろうか?
 これでは、私は猛獣使いのようではないか。
 自分の何倍も大きく、強い動物を従えるというのはこれほど甘美なものなのかと。
 この時間がずっと続いてもいいとすら、令は思いはじめていた。

 
 いかんいかん。
 これから「縁切りの儀:Q」がはじまるのだ。
 千里さんをこれ以上待たせてはいけない。
 私は漆黒の帯を縁切堂さんの胴に回していく。

 白檀の香りが仄かに感じられる。
 大地から悠々と伸びる樹木が描かれる緑の着物は以前見たときよりも、美しく感じる。
 緑の着物を黒の帯で締めこむ。

「はい。こんな感じですかね。まったく、しっかりしてくださいよ」
 追撃として、憎まれ口をいう。
「むう……。令、ありがとう……」
 いつもよりも2オクターブ以上、低い声が縁切堂さんから発される。
 そこには、先ほどまでの弱々しい熊はいなくなっていた。
 
「いつまでも、落ち込んでいないでください! さあ、千里さんが待っていますよ!」
 再度、縁切堂さんのお尻をビンタし、景気づけた。

「うっし。やるぞ」
 縁切堂さんはそう気合を入れると、襖を開け、母屋へ踏み出した。
 奥の広間には私のときと同じようにノートパソコンがちょこんと置かれている。
 
「じゃあ、令。行ってくるから、外で待っていてくれ。僕がこの部屋を出るまで、千里さんと二人っきりにしてくれ」
 縁切堂さんは、静かにそう告げると奥の部屋の扉を閉めた。

*** 

 奥の間の扉が目に入るよう、台所の椅子を引きよせ、座って待つ。
 大きめのマグカップに紅茶を入れ、そこに砂糖を2つ入れた。
 縁切堂さんほどではないが、私も甘党だ。
 思い返してみれば、私も「縁切り・Qの儀式」では二人っきりで縁切堂さんと向き合った。
 縁切堂さんは、緑色の艶やかな着物に真っ黒な帯、烏帽子を頭にかぶり、手には私が作った本を持っていた。
 
 そして、「縁切り・Qの儀式」がはじまると、お経のような言葉を発した後、PCが発光した。
 と、同時にPCから発せられる光の中には、クリがいた。
 クリは笑顔で「にゃあ」と発し、満足そうにしていたことが思い出される。

 衝撃的な儀式だった。
 それを今、千里さんが受けている。
 千里さんはお母様との最期瞬間に、どんな言葉を交わすのだろう?
 
 肉親との別れというものは、どうしたってつらい。
 心を整理した千里さんは、お母様と最後ととき、「縁切り」ができていなかったという。

 今回は言わば、本当の最後の親離れ。
 誰もが、きちんと親離れできているとは言わない。
 親の死後、時間をかけて自身の中で、整理をつけていくのが普通だろう。
 千里さんは縁切堂さんと出会えて、よかったのだろう。
 自らの心やトラウマ、幼さなどと向き合うことは相当につらかったと思う。
 

 奥の間へと続く扉の隙間から光が漏れている。
 最後の刻なのだろう。
 光は1分と続かず、静かに消え、元の扉へと戻っていった。
 そのあとには、静寂が訪れた。
 
***

 どれくらい時間がたったのだろう。
 それは数分間にも、数十分にも感じられた。
 奥の間へと続く扉が、静かに開かれる。
 そこには、千里さんの肩に手をそっと添えて微笑む縁切堂さんがいた。
 千里さんは憑き物が落ちたように、自然な笑みを浮かべている。
 その胸には、千里さんのお母様に向けた想いが詰まった本が抱かれていた。
 
「お母様とはちゃんと話せましたか?」
 私は二人の笑顔に、たまらず声をかける。
 千里さんは少しはにかみ、満面の笑みを私に返す。

「えぇ……。ちゃんと言えました。『ありがとう』って……」
 千里さんの頬に一筋の涙が煌めき、流れた。
 
***
 
「だ~、か~、ら~! 少しは整理するってことを覚えてください! まったく、こんな状態じゃあ、いつ本に潰されるか、わかったもんじゃないです!」
 乱雑に積み上げられた古本を私は右から左へと、取っては並べ、取っては並べを繰り返していた。
 そんな私を気遣う風もなく、縁切堂さんは椅子に腰かけ、本を読んでいる。

「あ~、うん……」
 気の無い返事を繰り返すばかりで、ずっと本から目を離さない。
 まったく、本の虫というよりは、本の熊だ。
 本は好きなくせに、それを整理整頓する意識が無いとはどういうことだろうか。
 ここまでの肉体労働だ、もっとお給料を貰ってもいいのではないかとすら感じる。
 私は本を整理する手を止めず、縁切堂さんに向かっていう。

「特別手当として、2万円を要求します~!」
「あぁ……。うん……」
 縁切堂さんは、まったく聞いていない。
 ってか、本当にあたまに来た。
 私は土木作業員じゃないっつ~の!

「まったく! ちゃんと聞いて……」
「あの~。すみませ~ん。縁切堂さんに郵便です~」
 軒先からの声に、私の訴えがかき消される。

「あ、はいはい。ちょっとお待ちくださ~い」
 手を止め、山積みにされた本を掻き分け、店先に向かう。

 あ。
 また、本の山を崩してしまった。
 この整理もしなければいけないと思うと、少しげんなりする。
 
 受けっとったのは真黄色の封筒だった。
 黒くしっかりとした毛筆で「縁切堂 典清様」と書かれている。
 かなりの達筆であることから、送り主は「書」の心得がある人だとわかる。

 封筒をひっくり返し、贈り主を見る。
 そこには、同じく達筆ではあるものの、心持ち小さく「宝物堂ほうもつどう 黒明こくめい」とある。
 
「縁切堂さ~ん。宝物堂さんって人からのお届けものみたいですよ~」
 どうせまた、聞いていないんだ。
 そう思い、封筒を山積みの本の上に放る。

 同時に本の山をなぎ倒しながら、熊が突進してくる。
 いや。
 縁切堂さんだ。
 
「宝物堂だと!?」
 縁切堂さんは黄色い封筒をつかみ取ると、びりびりと破る。
 出てきたのは、1冊の本だった。

(つづく)

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