縁切堂の憂鬱 #07
縁切堂の逡巡 2-2
母屋は先日通されたときと同じく、広く抜けるようだった。
違いといえば、陽光を受け、空気が暖かだったことか。
数日前、私はここで奇跡を見た。
ずっと私の心を占拠していた愛猫のクリへの想いと最後の別れ、つまり「縁切り」を行ったのだ。
ふんわりと、あのときの映像がよみがえる。
まるで、もう数か月前のことのように思える。
広間にはあのときと同じように、一対の座布団が置かれている。
彼女に座を促すと、ちょうど縁切堂さんが奥から出てきたことろだった。
「すまないが、お茶を頼みます」
縁切堂さんは、私とすれ違いざまに優しい声が耳元に触れる。
こういうところだ。
さらりとこちらの心を揺らすようなことをする。
無自覚なのがちょっと憎らしい。
令の口元に笑みがこぼれる。
広間の二人が気になってはいたが、私は奥へと入る。
思っている以上の近代的な台所が、そこには広がっていた。
10畳はあるだろうキッチンは整理されており、中央に位置する作業台には電気ケトル、包丁、まな板、各種調味料などがその天面に自然に置かれている。
奥には業務用とも思えるほどの大きな黒と白の冷蔵庫が、壁を背にして二つ並び、ここの主の食事量を想起させる。
シンクもキッチンも使い込まれている形跡はあるものの、よく手入れされており、程よい生活感が感じられた。
令は電気ケトルに水を張り、湯を沸かしはじめる。
おもむろに作業台の下の引き出しを開ける。
次の引き出し、観音扉と、次々に内容物を確認していく。
ここもきれいに整理されており、少し神経質さを感じられるほどだ。
だが、お茶がない。
困り果てた令は、まずは黒い冷蔵庫を開ける。
中にはこれでもかといわんばかりの肉、肉、肉。
牛肉、豚肉、鶏肉、馬肉、ラム肉など、肉で埋め尽くされる庫内はある意味、圧巻だった。
しかし、ここにもお茶はない。
続けて白い冷蔵庫を開ける。
またしても異様な空間が、そこには広がっていた。
棚という棚にあるのは、羊羹やわらび餅などの和菓子、ロールケーキやショートケーキ、マカロンなどの洋菓子が窮屈そうに詰め込まれていた。
「あの人は、いったい何を食べているんだか……」
自然とそんな言葉が、口の端から漏れ出るとともに頬が緩む。
冷蔵庫のドアポケットに、乾燥茶葉が入った瓶を見つけた令は、微笑と共に冷蔵庫を閉める。
「もっと人らしい食事をしてもらわないと。私が作るべきかなぁ?」
そんなことを独り言ちり、茶を入れ、茶請けと共に広間へと運んで行く。
令の口元には、やわらかな笑みが浮かんでいた。
***
広間で縁切堂さんと向かい合っていた女性は両手で顔を覆い、涙を
流しているようだった。
その指の間から微かだが、かすれた声が漏れている。
まずいところに来てしまった。
令はそう思うと、そそくさと二人の前にお茶を置き、立ち去ろうとした。
「ちょっと、令も一緒にいいかな」
驚いた。
ってか、「令」って私を呼び捨てにした?
私たち会って間もないのに、いきなり呼び捨て?
しかも、ファーストネーム。
これってどういうこと?
もう、「俺のもの」だとか思ってない?
令は、そう呼ばれたことに必要以上に反応している自分に恥ずかしくなる。
「こちら、向井 千里さん。今回の依頼人で、『縁切りの儀式』を受けたいそうだ」
紹介をされて、さらに赤面する。
こんなときに、何を勝手に想像しているのだ。
よこしまな自分の思考を恥じつつ、向井という女性に頭を下げる。
「これは今井 令。私の助手です。一緒に千里さんの『縁切り』にご協力をさせてもらいたい」
なんということを言うのだ。
いま、はじめて聞いた。
どうやら、私は縁切堂さんの助手らしい!
私の仕事は書店の整理だけと思っていたが、そうではなかったようだ。
心臓が口から飛び出してしまいそうなほど、早鐘を打っているが、全力で平静を装う。
向井と名乗る女性は、両手で顔を覆ったまま、軽く頭を下げる。
「千里さんは、生まれたばかりのお子さんを亡くしたらしい」
縁切堂さんは、静かに語りはじめる。
「切迫早産で生まれた千里さんの娘さんは、保育器の中で成長をしてきたんだが、生後1か月を前にして、亡くなったんだ。
どうやら心臓がうまく育っておらず、さまざまな手は尽くしたのだが、亡くなってしまったそうだ」
長い時間、体内に子供を宿し、やっとのことで生まれてきたにも関わらず、その命が尽きてしまうことがあるとは聞いていた。
心に大きな影を残してしまうほどの大事だと容易に想像できる。
「さらに、その心労から、ご主人は体調を崩し、仕事をやめてしまったらしい。家にはいるそうだが、何を話しても反応が薄くなってしまったらしい。千里さんもどうしていいかわからず、相談にきたとのことだ。ご主人に『縁切りの儀式』を受けてもらい、立ち直ってもらいたいとのことなんだ」
驚きだ。
このような場合、女性の方が心に大きな傷を負い、悩み、うつ症状を患ってしまうと思っていた。
だが、男性がふさぎ込んでしまうこともあるとは。
「うつ」を患い、仕事に行けなくなってしまっても、生活は続いていく。
生活のためには、お金を稼ぎ、毎日を過ごしていかなければならない。
だからこそ、千里さんはご主人に、仕事に戻ってもらいたいのだろう。
「令は体験者として、千里さんと、ご主人、どちらが『縁切りの儀式』を受けてもらう方がいいと思うかい?」
突然、無茶な質問が飛んできた。
私はカウンセラーでもなければ、心理士でもない。
更には、子どもを産んだことすらない。
そんな私の意見など、何かの役に立つのだろうか?
考え込む私を見て、縁切堂さんが声をかける。
「大丈夫。感覚で構わないんだ。令はどちらの方が『縁切りの儀式』を受けるべきだと思うかい?」
正直、私の中にモヤっとしていたものがあった。
女性の視点から見て、千里さんの痩せ方、顔色、雰囲気は常軌を逸している。
相当、疲労をしていたとしても、あそこまでになるのは、なにかがある。
千里さん自身が亡くなった娘さんに向ける想いが強く、さらに、ご主人のことが負担になっているのではないかと令は思う。
「奥様……、千里さんが『縁切りの儀』を受けた方がいいと思います」
私のその返答を聞くと、縁切堂さんは静かに頷く。
「実は僕もそう思っていたんだ。千里さん、あなたがご主人に『縁切りの儀』を受けてもらいたいのはわかる。だけど、まずはあなたに受けてもらいたい。それは、あなたのためだ」
千里さんは納得できない様子で、泣き腫らした目のままに言う。
「でも、私よりも主人の方が、気持ちが……、気持ちが……」
千里さんは再度両手で顔を覆い、嗚咽をもらしはじめた。
「不安なお気持ちはわかります。ですが、まずは千里さんから『縁切りの儀式』を受けてもらいます。そのあとに、ご主人を診せていただいてもいいですか?」
千里さんは胸の前で両手をきつく結び、目を伏せる。
「はい……」
蚊の鳴くような声を聞き取るので、令は精一杯だった。
「むぅ……。逡巡する案件だ……」
縁切堂さんの低く沈んだ声が、令の耳にじんわりと残った。
(つづく)
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