縁切堂の憂鬱 #11
縁切堂の悔恨 3-1
湿度を含んだ暑さをうっすらと感じる。
駅から縁切堂までのいつもの街並み。
街路樹が色づきはじめていることに、私の心は小さく踊る。
季節が緩やかに移ってゆく感じが、私は好きだ。
ようやく寝苦しい毎日から解放されると思うと、歩みも少し軽くなる。
出勤前に「近江屋」さんでレーズンサンドを買い、脇道に入る。
縁切堂さんは、気に入ってくれるだろうか?
いつものように行列ができている「やぶ蕎麦」さんの前をとおり、架橋をくぐる。
3区画進み、角を曲がる。
そうすると、店を圧し潰してしまうのではないかと思うほどの「縁切堂」と書かれた看板が、目に留まる。
今日もいい天気だ。
令は、鞄の中に忍ばせた本を上からポポンと軽く叩き、店へと向かう。
「クリ、今日も楽しんでいこうね」
弾む声が、空の蒼に吸い込まれていった。
***
「だ~か~ら~!! 何度、言わせるんですか! 少しはお店の片づけを手伝ってください! この本も売り物なんですからね!」
始業早々、怒鳴ってしまった。
まあ、いつもの風景だと言えばそうなのだが、相変わらず縁切堂さんは椅子に座り本を読むばかりだ。
店内に所狭しと山積みにされた古本を分類し、棚に入れていく。
それが私の日課でもあり、業務だ。
まあ、これで一般企業並みのお給料を貰えていると思えば、致し方ないが……。
令は縁切堂の微動だにせず、本を読む姿に鼻を鳴らし、うずたかく積み上げられた本を一つひとつ確認していく。
この本一つひとつに私と同じように作者は自らの想いを乗せ、書いている。
そう思うと、なんだか宝物を扱っているのではないかとすらという感情が湧いてくる。
それは、私自身が「クリとの思い出」を記した著者になったからだろうか?
「縁切堂」の古本屋としての売り上げは少ない。
当たり前に聞こえるかもしれないが、そうそう古本は売れるものではない。
1日に多くても2冊売れて、5,000円の売り上げがあればいい方。
3、4日、まったく本が売れないことなんてざらだ。
じゃあ、なんで「縁切堂」という古本屋が継続できているのか?
それは、裏稼業である「縁切の儀」を聞きつけた人が定期的に訪れるからだ。
裏稼業といっても、アブないものではない。
……多分……。
「縁切の儀」とは、人生においてどうしても「忘れられない人」や「想いを伝えられなかった人」と最後の刻を持つもの。
それにより、その「縁」に縛られた自分を解放するというのが「縁切堂」の裏稼業である。
紹介者の無い飛び込みの客は、断る。
しかも、内容によっても、お断りをする。
令和の時代、この東京のド真ん中で、こんな裏稼業があるだなんて、いささか信じられない。
だが、私は体験してしまった。
「縁切堂」の「縁切の儀式」を。
私のもっとも愛した愛猫クリとの最後の邂逅。
それが、思い悩み、ふさぎ込んでいた私に、新しい一歩を踏み出す勇気をくれた。
もっと多くの人に「縁切の儀式」を受けてもらい、立ち直るきっかけとしてほしいと私は思うのだが、縁切堂さんはそれを頑なに拒む。
何でも、「この儀式は、本来であれば重要機密」なのだそうだ。
エラい儀式を私は受けてしまったものだと、口の端が緩む。
「縁切の儀式」を受けたいと相談に来る客は、月に1人から2人程度だ。
その一人ひとりから、約100万円もの儀式料を取っている。
先月も、先々月も、この儀式を人づてに聞き、訪ねてきたのだ。
その誰もが、「縁切 Qの儀式」を終えたのちに、涙を流し、感謝を伝え去っていく。
人のためになっているとは思いつつも、少しばかり「最後の刻」にも疑問が無いわけではない。
この世の理を曲げ、死者との最後の対話をする。
それは本当に今を生きている人を成長させるものなのだろうか?と。
まあ、私もそれに救われた一人なのだ。
詮索しない方が、一番なのだろうと、令はフッと笑う。
このあばら家のような古本屋が継続できているのも納得ができる。
そんなことを令は考えながら、積み上げられた本をより分けていく。
単純作業と思案は意外にも相性がいいらしい。
アレコレと自分の中に浮かぶ考えを整理しながら、手を動かしているとあっという間に時間は過ぎていく。
まあ、これで縁切堂さんも手伝ってくれて、反応もよかったら申し分ないんだけど。
「ちぃ~っす!! 典清、令、元気してるか~!」
積み上げられた本の中には決して飲み込まれないような、明るい声が飛んでくる。
少しだけ、この仕事に飽きを感じていたところだ。
ナイスタイミングだと、私は店舗の入り口に向かう。
「詩~! 久しぶり~! 元気してた~!?」
友人のいつも通りの満面の笑みがそこに待つ。
自分勝手で、自由。
だけど、大切な人を絶対に裏切らない。
元気が一番のトレードマーク。
そんな彼女も縁切堂さんの「縁切の儀式」にお世話になったらしい。
「おぉ! 令も『さま』になってんじゃんかよ! 古本屋の女将って感じがするぜ。っていうことは、あの奥手な典清に手籠めにされたか……?」
まったくこの子は相変わらず、ノリで話を進める。
そんな親友の冗談ともつかない話を軽く受け流す。
「そんなことはないわよ。私から、あんな熊みたいな人はお断り。ムスッとして、一日中、本を読んで『ああ』とか『うん』としか言わないんだもん」
私は久しぶりの親友にちょっとしたボヤキをこぼす。
ブラック企業に勤めていたころに比べ、私の愚痴がこんなにも小さくなっていることにはじめて気づく。
私、今、楽な状況で仕事ができているのかも。
そう思う私の言葉を詩は遮る。
「いいね~。惚気か~? 令も随分、変わってきたな! ほい。『近江屋』のこれ、ショートケーキな。後で典清と食べてくれよ。典清は奥か? ちょいとお邪魔するよ~」
そう言って、小さな箱を私に無理やりに渡すと、詩は店内にずんずんとその歩を進める。
相変わらず、自由だ。
まあ、「近江屋」さんのショートケーキが食べられるのだから、いいけど。
詩が持ってきたショートケーキを皿に取分け、紅茶を入れる。
今日はアールグレイがいいだろう。
熱いお湯を紅茶葉の入った急須に注ぐ。
淡いベリーのような香りが部屋中に立ち上り、上質な空間を作り上げてくれる。
香りとは不思議なものだ。
嫌なことがあって、落ち込んでいたとしても、香り一つで気分は変わる。
肩の力が抜け、安心する香り。
なんだかやる気が満ち溢れてくる香り。
ちょっと色気を感じる香り。
人の心をこうも変えてしまう香りというものは、ある意味で力を持っているのではないかと感じる。
まあ、よくはわからないけどね。
お盆にケーキと紅茶を乗せ、鼻歌交じりに縁切堂さんと詩の元に向かう。
今日は私の大好きな人たちと一緒に、美味しいものを食べ、時間を過ごす。
こんなにも幸せなことはないのでは、ないだろうか?
大好きな人?
いや、いや。
縁切堂さんは大好きな人ではない。
ただの雇用者と従業員の関係だ。
……多分……。
そんな、ほんのりと温かい想像をしながら、令は母屋に向かう。
「……だっから、マジであいつ、どの面下げて連絡してきたのよ! 絶対にここは、譲らないでよ! 典清、ちゃんと聞いてる!? ある意味で、あいつは私たちの仇なんだよ!」
詩ちゃんの怒声にも似た声が響く。
縁切堂さんは、詩ちゃんの前で少し項垂れ、その言葉を受け止めている。
一体、何が起こったのだろうか?
(つづく)
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