縁切堂の憂鬱 #08
縁切堂の逡巡 2-3
3日後、彼女は昼過ぎに店の入り口に現れた。
白いワンピースに身を包んだ彼女の顔色は相変わらず青白く、眼窩は落ちくぼんでいた。
数日前以上に彼女がまとう影のようなものが、濃くなっているような気がした。
令は千里の手を引くように書店内に招き入れ、奥の母屋へと案内する。
その足取りが重い。
このあと3日間にわたる儀式に、彼女は耐えることができるであろうか?
特に2日目に行われる「縁切りの儀:破」での縁切堂さんの悪鬼のような仕打ち。
あれには私も心がポキリと折れそうになった。
千里さんから感じる線の細さからも、心配になる。
母屋の広間には、すでに縁切堂さんが待っていた。
大きな身体の背筋をしゃんと伸ばし、キレイに正座をしている。
今日は少し暖かいからか、黒い半袖に白いチノパン姿だ。
半袖からにゅっと突き出した腕は、太く、体毛に覆われているため、何度見ても、礼儀正しい熊にしか見えない。
令はそんなことを考えている自分をおかしく思いフフっと笑みを浮かべる
千里さんに座布団を進め、キッチンに向かう。
今日は「縁切りの儀:序」が行われる。
縁切りしたい相手への感謝、悲しみ、喜びや想い出などを縁切堂さんに口頭ですべて吐き出していく。
これは私も体験したが、カウンセリングと同じような効果があり、心の中に溜まった想いを言語化し、自己理解をすることにかなり有効だ。
令はお茶を少し高めの温度で入れる。
相当の長丁場になる。
冷めてしまっても、ほんのり暖かいお茶がある方が舌も滑らかになるだろう。
冷蔵庫から近江屋のマカロンを取り出し、茶請けにする。
令はマカロンを口に入れたい気持ちを抑え、盆に乗せ、広間に向かう。
今日は私も同席をするのだろうか?
縁切堂さんのように優しき話を聞き続けるほどのキャパが、私にはあるのだろうか?
そんなことを考える自分を、令は愛しく思っていた。
***
「だから、絶対に離れたくなかったんです!」
千里さんの告白は衝撃的だった。
二人の前に出したお茶は一口も手を付けられず、すでに冷めてしまっている。
令が手を付けたいと思っていたマカロンは、その存在を完全に忘れ去られていた。
それほどまでに千里さんが娘さんに向ける想いは強かった。
正確には娘さんの「存在」に固執し、想いが強くなっていたのだ。
当たり前だ。
自分の胎内で十月十日も育んできたのだ。
悪阻がひどくとも、生まれてくる姿を待ちわびていたはずだ。
愛と慈しみに満ちた日々を過ごしていたのだろう。
しかし、千里さんの娘さんは生まれてすぐにNICU(新生児救急救命室)に隔離されてしまったのだ。
さらには、千里さんは娘さんを、その腕にまともに抱くことすらできなかった。
それは神のいたずらだとしても、あまりにもむごい仕打ちだ。
この世に千里さんのように悲しみに暮れる母親、いや、両親はどれほどいるのであろうかと考えると、令は、気が重くなる。
千里さんはひととおり吐き出すようにしゃべり尽くすと、白いハンカチで口元を隠した。
落ちくぼんだ眼窩からは、とめどなく涙が溢れ出ている。
広間には、千里さんのしゃくりあげる音だけが響いていた。
張り詰めた空間を縁切堂さんの少し高い声が切り裂く。
「千里さんの沈鬱なお気持ち、推して量りありません。相当、お辛い状況だったでしょう。一つだけお聞きしてもいいですか? お話の中では、ほとんど、ご主人のようすが語られておりませんでした。
妊娠中や出産に際してご主人は千里さんをサポートしていたのでしょうか?」
千里さんの肩が瞬間びくっとし、かすれた小さな声で話しはじめる。
「も、もち……、もちろんです……。平日は仕事で毎日遅かったのですが、お休みの日は家事なども、て、手つだ……、手伝ってくれていました……」
千里さんに縁切堂さんは、鋭いまなざしを向ける。
なんだろう。
私のときとは、縁切堂さんの雰囲気が少し違うように思える。
「そうですか……。現在では、ご主人はお仕事をお休みされているんでしたね。今日はどうされているんですか?」
またも縁切堂さんは、意味不明にも思える質問をする。
お主人に関しては、改めて本人に話を聞くといっていたのに。
令はいぶかしがるように縁切堂の顔をちらりと見やる。
眉間に厳しい縦皺が浮いている。
縁切堂さんがこんな顔をしているのは初めて見た。
「い、家にいると思います……。もう、自分の部屋に閉じこもってしまって、全然話してくれなくて……。主人も辛いのはわかっているんですが、私だってつらいのに……」
千里さんが俯き、目線を斜め下に反らす。
「令。片づけてくれ。『縁切りの儀』はこれで終了です。千里さん。どうやらあなたのお子さんとの縁切りは『縁切りの儀』で、どうにかなる問題ではないようです。『縁切りの儀』でお子さんとの縁切りをしたところで、あなたの生活、ご主人が安定することはないです。
まずは、ご主人としっかりお話をしてください。そのあとに、可能であれば、心療内科などにお二人で相談に行ってください。そこでのお話の後にどうしても『縁切り』が必要であれば、再度ご相談をお受けします」
縁切堂さんはそういうと、千里さんをその場に残し、座布団からすっと立ち上がろうとする。
「え……! ちょっと待ってください! どういうことですか? 縁切堂さんの噂を聞いて、やっとここに来たっていうのに。主人ではなく、私の縁切りをするって、言ってくれたのに……。どうしてなんですか!」
涙筋が残る千里さんの顔が歪み、髪を振り乱しながら縁切堂さんにすがり、しがみつく。
私も同意見だ。
しっかりと説明しなければ、千里さんにも対しても失礼だ。
令はムッとして、座布団から膝立ちになり、縁切堂を見やる。
「あぁ……。逡巡するが、説明しなければいけないか……」
縁切堂さんは静かにつぶやいた。
(つづく)
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