縁切堂の憂鬱 #01
愛猫を失い、心を閉ざした今井令がたどり着いたのは、神田の片隅にある古書店「縁切堂」。
そこでは、熊のような風貌の店主・縁切堂典清が、不可思議な儀式によって、人を縛る未練や執着を断ち切っていた。
救われた令は店の助手となり、喪失、依存、愛憎など、断ちたくても断てない想いに苦しむ依頼人たちと向き合っていく。
別れは人を壊すのか、それとも前へ進ませるのか。痛みを抱えた者たちの再生を描く、切実で少し不思議な物語を是非とも体験して欲しい。
縁切堂の憂鬱 1-1
「すごい……! パソコンが光っている! こんなアニメみたいなことって本当にあるわけ!?」
私はいま目の前で起こっていることを信じることができなかった。
正直、眉唾だと思っていたからこそ、この状況を理解ができない。
アニメやライトノベルの中でしか見たことがない光景に、歓喜とも恐怖ともいえない感情が背筋から脳に走る。
一方で、冷静な私もいる。
でも、これで……、これで、クリとの関係が消えてしまう……。
本当にこの選択が正しかったのかと、混乱するあたまで再考する。
私にとって唯一の理解者であるクリに、私はもう一度だけでも会いたかった……。
***
「社会人は、毎日大変」と聞いていたが、そうでもないらしい。
就職した会社がホワイト企業だからか、私は暇を持て余してしまう時間が結構多かった。
どうやら「忙しいのは、一部の人なのかもしれない」と、入社して5年目にして、私はうっすらと感じはじめていた。
だが、この会社だからこそ、今の私の状況を受け止めてもらえている。
ありがたいと思う反面、私のような社員をどれだけ雇用しているのかと、会社の懐事情が気になるが。
だめ、ダメ!
久しぶりに家から出たんだ。
今日は会社や「あのこと」は考えず、太陽の光と、おいしいものを満喫するんだ。
私はひとり呟きながら、今日話す内容を事前に頭の中でまとめていった。
それにしても、ここのカフェラテは、なかなかに美味しい。
コーヒーのほろ苦さが残りつつも、メープルシロップのような森林の香りを思わせる甘さが次いでやってくる。
あの適当な性格の詩にしては、いいチョイスをするではないか。
脳味噌までもが筋肉で出来ていると思える詩に、私は助けられてばかりだった。
詩とは、中学からの腐れ縁。
スポーツ万能だが、まったく勉強ができない詩に宿題を写させてあげたことをきっかけに仲良くなり、私たちはいつも一緒にいるようになった。
正直、ウザったいときもあるけど、その抜けるような明るさに助けられることが多い。
今回のことで会社にも行かず、ふさぎ込んでいた私を連れ出してくれたのも詩だ。
「うお~い! 令、遅れてごめ~ん! 電車が混んでいてさ~! おっ!? 思った以上に顔色いいし、元気そうじゃねぇか! なんだ~。ズル休みか~?」
このテンションだ。
三か月ぶりに会ったにも関わらず、グイグイと間合いを詰めてくる。
まあ、今の私には、これくらいの明るさが必要なのかもしれない。
私はカフェラテを一口すすり、詩を見下したようにたしなめる。
「詩。中学生じゃないんだからもう少し落ち着きなさいよ。それに電車は混んでいても遅れないでしょ。あんた、私がどんだけ気持ちが塞いでいるのかわかっているの?」
ちょっと冷たい言い方をしてみる。本心ではすぐにでも詩に抱き着きたいのに。
「はっは~。バレたか~。家を出る前に母ちゃんに捕まっちゃってさ~。それよか、会社、大丈夫なのか? ちゃんと食ってんのか?」
軽く返す言葉に、ちょっとした気遣いを入れてくる。
この子のこういったところが私は好きだ。
「うん、まあね……。会社は休職したの。仕事に行ける気がしなくってさ……。食事は母さんが作ってくれているから大丈夫。全部は食べれないけどね」
話していて自分が甘ったれていることを再確認する。
社会人になったというのに親の庇護の下で暮らし、辛い思いをしたことを理由に会社を休職する。
自分で話していて恥ずかしくもなってくるが、会社に行けないものは行けない。
でも、こうやってカフェには足を運ぶことができる矛盾に自嘲する。
「ん~。そりゃあ、18年も連れ添ったんだ。気持ちも落ちるよな~。私も随分『モフ』らせてもらったから、それなりに落ち込んではいるんだぜ? でも、川口春奈似の美人さんが会社にも行かず、引きこもっているなんてもったいないぜ~?」
詩はすこし気まずそうな顔をするが、すぐに笑顔で私をからかい、店員に注文をする。
「あ、カフェオレ一つ。砂糖、マシマシで~!」
やっぱり緊張感がない。
私を思って明るく接してくれているのだろうが、少しだけその軽薄さが鼻につく。
「だって……、小さいときからずっと一緒にいたんだよ? いじめられて泣いて帰ってきたときも、優しく涙をぬぐってくれたの。高校受験や大学受験のツラいときも、私の膝に乗って励ましてくれていた……。寒い布団に一緒に入ってくれて、優しく温めてくれた……。父さんに叱られたときだって、一晩中ずっとそばにいてくれたんだよ? そんなクリがもうこの世にいないと思うと、何も手につかなくて……」
いつの間にか涙が溢れていた。
クリのことを考えるといつもこうだ。
小学生の頃からずっと一緒だった。
典型的な三毛猫の容姿。
だけど、眼がくりくり緑色。
そのふんわりとした毛並みは、いつも私の心を柔らかく撫でてくれていた。
こんな日がいつか訪れてしまうことはわかっていた。
でも、実際に直面すると、心が、体が、壊れてしまうようだった。
まるで自分の半身を失ったような感覚に、私はただ毎日を過ごしていた。
「まあ~。その気持ちはわからなくもないけどさ。いつまでも悲しんでいたってクリも浮かばれないぞ? そのあたりは令もわかっているだろ?」
詩のもとにカフェオレが運ばれてくる。
立ち上る湯気からは甘い香りが放たれ、それが私の気持ちを少し和らげる。
「わかっているわよ!! いつまでもこうしていられないってことぐらい! でも、大切な家族を失ったのよ? そんな簡単に言わないでよ!!」
大きな声を出してしまった。
こんなことを言いたいのではない。
だけど、自分を抑えることができなかった。
私は胸の前で、こぶしを強く握りこんだ右手を左手で包み、俯いた。
「私だって令の気持ち、全部じゃないけどわかっているつもりだよ。私もひいじいちゃんが亡くなったときには、全部が嫌になったよ。家族もゴタゴタしたしさ……。でも、どこかで立ち直らなきゃいけないんだ。クリの人生じゃない。令は令の人生を歩まなきゃいけないんだ」
いつになく真剣な詩の声に、私は少し顔を上げる。
そういえば、数年前に詩の曽祖父が亡くなったと聞いた。
元気が取り柄の詩も、そのときには電話にさえ出てくれなかった。
誰にでも近い人を亡くす経験はある。
そこから元通りの生活を取り戻すには、長い時間がかかるのだ。
時間が解決してくれるというのは、あながち嘘ではない。
「今は……、もう少し、そっとしておいてほしいの……。この辛い気持ちはどうしても私を離してくれない……。クリを思う度、狂いそうになるの……」
本心だ。
この気持ちから離れ、自分の人生を歩まなきゃとも思う。
だけど、この気持ちはクリが私の中で生きていることの証明でもあるような気がしてならない。
だからこそ、手放したいけど、手放せないのだ。
いや。手放したくない。
自分の中の矛盾に気づきながらも、頑なにこぶしを強く握りこむ。
詩がため息をつくのがわかる。
きっと呆れているのだろう。
私だって、こんな自分が嫌いだ。
「じゃあ、実際にクリに聞いてみっか? 令にどう生きてほしいかを」
顔を上げ、詩を見る。
詩は困り顔で、私から目そらし、その言い方にも躊躇が感じられる。
この子は何を言っているのだろうか?
クリに聞くって?
クリはもうこの世にいないのよ?
混乱し、継ぐ言葉に迷っていると詩が続ける。
「私もさ、ひいじいちゃんのことでお世話になったんだよ。でも、表立って人には言えないことだから……。令があまりにも辛そうだからさ……」
このときの私はまだわかっていなかった。
この出会いが、私の生き方すべてを変えてしまい、破天荒な日々を送ることになることに。
(つづく)
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