縁切堂の憂鬱 #09
縁切堂の逡巡 2-4
「わかりました。きちんと説明します。ですが、私の心理士免許は失効しているため、正式な査定ではありません。そこを踏まえて聞いてくれますか?」
縁切堂さんが元臨床心理士!?
そんなことは聞いていない。
そりゃあ、私が縁切堂さんと出会ってから、まだ3か月程度。
知らなくても当然だろう。
縁切堂さんは腕に絡まる千里さんの手を優しく離し、座布団に座り直す。
そうして、静かに語りはじめる。
「最初は半信半疑でした。この『縁切堂』を人から聞き、知っているのであれば、本当につらい別れを経験した人なのかもしれないと。だけど、『縁切りの儀・序』で話を聞きはじめてすぐわかりました。あなたが、嘘をついていると」
縁切堂のその言葉に、令は思わず声を上げる。
「そんな! 嘘だなんて! 千里さんにはお子さんはいなかったの!?」
千里さんを見る。
私には千里さんが嘘をついているように見えない。
むしろ、憔悴しきっている千里さんの姿が痛々し見える。
縁切堂さんのこの言葉に傷ついては、いないかと心配になる。
多分、食事もそこまで食べてなく、体力のない彼女には、受け止められないくらいなのではないだろうか?
守るように、千里さんの前に腕を伸ばし、彼女を見る。
千里さんが、嘘をついている?
今だって、俯き、眼がしらを抑えている。
縁切堂さんを見ると相変わらず、千里さんを静かにじっと見据えている。
「お子さんを失ったのは事実だよ。でも、お子さんを縁切りするほど、失意にあるとは、違うと思うんだ。多分、ある意味で千里さんが縁を切りたいのは、お母様、または、ご主人となんだ。ご主人はまだ生きているから、僕たちの領分じゃあないよ。それにご主人が引きこもってしまったのは、千里さんからのDVなんじゃないかな?」
震えていた千里さんの肩がぴたりと止まる。
「え? 本当なんですか? そんなことって……」
縁切堂さんの唐突な発言に、私は思わず声が漏れる。
千里さんは顔を上げ、これまでに見たこともない形相で私たちを見ている。
「そうよ! 私はあの人が子どもを欲しいっていったから、どんなに悪阻がひどくても我慢してきたんだから! それなのにあの人はそばにいてくれなかった! 子どもが生まれても育児は私にすべて任せっきり!
休みの日に思い出したかのように少しだけ、子どもを抱いてくれるだけ。私のことなんて決して見てくれなかった。そのくせ、子どもが死んだら、メソメソして、仕事も行かず、ずっと自室にこもりっきり。
もう、私の方が、あたまがおかしくなりそうよ。私が最初に言ったとおり子どもとの縁切りをしてほしいのは、あのひとなのよ。もう、すべて忘れて欲しいの!」
これが同一人物なのであろうかと思うほどに、千里さんは口角泡を吹きながら叫ぶ。
「……そんなこと、私だって、わかっているわよ。しんどいのであれば、病院にだっていって欲しいのに、あの人は私の言葉すら聞いてくれない……。どうすればいいのよ……」
千里さんの目から先ほどまでとは、違った涙が流れる。
令はその背中にそっと手を添え、静かに擦る。
「私が一緒にお話をしますよ。まずはご主人とお話をしてみましょう」
千里さんは静かに頷く。
広間には、千里のすすり泣く声が響いていた。
***
「少しデリカシーの無い言い方でしたよ。もう少し、相手を思いやってください」
千里さんが帰った後、典清と令はキッチンに据え付けられた椅子に座りながら、いちご饅頭を熱いお茶で流し込んでいた。
「縁切りの儀・序」では縁切堂さんの物言いがきつくなる。
それは私も体験したから知ってはいるが、千里さんは傷ついていたのだ。
例え千里さんが嘘をついていたとしてもあの言い方は無いだろう。
令は千里への罵りが、自分が儀式を受け際に向けられたもの以上だったように思えたのだ。
縁切堂はお茶を飲み込む。
グビリと大きな咽喉仏が上下に揺れる。
「あぁ。確かに少しきつかったかもしれない。だが、縁切りの儀は何よりも信頼関係が大事なんだ。最初っから、嘘を並べられていたら、何のための縁切りの儀なのかわからないよ。さらには、私にもできる範囲とできない範囲がある。餅は餅屋に相談してもらいたいのさ」
そういって饅頭をもう一つ掴み上げては、口の中に放り込む。
一飲みのうちに消えていくのは典清さんが熊だからか。
「多分、彼女が本当に縁を切らなければいけないのは、子どもじゃないんだ。それを本人は気づいていないのさ。それにきちんと気が付ければ、再度ここに来るさ」
縁切堂さんは手に付いた白い粉をぺろりと舐める。
その姿がなんだか蜂蜜を舐める熊のようで少し笑ってしまった。
「なによりも一人、お客さんを失ってしまったんですよ!? 今月の古本市の支援金、足りなくたって知りませんからね!」
令は言って、赤面する。
これでは、縁切堂さんの妻のようではないか。
令はそう思うと余計に顔が熱くなっていくのを感じた。
「大丈夫……。彼女はもどってくるよ……」
縁切堂さんは、もう一度お茶をグビリと飲み込んだ。
***
千里さんが縁切堂に戻ってきたのは、一か月もかからなかった。
何よりも驚いたのは、男の人と一緒だったからだ。
多分、千里さんのご主人なのだろう。
華奢で色白い千里さんと並ぶと、その線の細さは余計に際立っていた。
「もやし」と形容するにふさわしいほど痩せており、陰鬱な目が眼鏡の奥にぼうっととどまっている。
頬もこけ、いかにも体調が悪そうに見える。
「ご無沙汰しております……。前回は、失礼しました。今回は、私たち二人の『縁切り』の相談に乗っていただけますでしょうか……?」
千里さんがか細い声で話す。
以前、会ったときよりも、かなり消耗しているのが見てわかる。
「いま、縁切堂さんは町会の会合に行っているんです。こんなところで待たれるのも何なんで、中でお待ちくださいな」
令は千里の手を取って、招き入れる。
「はあ……。でも、お留守なのにお邪魔しては、失礼にならないでしょうか……?」
千里は、夫と視線を交わし、おずおずと令を見やる。
「お待ちしておりました。今、帰ってきました。中へどうぞ」
高めだが、重厚な声が店の脇から聞こえる。
縁切堂さんが帰ってきた。
「あ……。以前は大変失礼しました。夫ときちんと話をして……」
「その話はあとです。令、奥にお通ししてくれ。近江屋さんのバターサンドと紅茶もな」
縁切堂さんは、千里さんの言葉を遮り、二人を中へと促す。
もう! 私は女中じゃないっちゅーの!
***
母屋は外よりも涼しく、やわらかい日差しが入ってきている。
そこに四つの座布団が向かい合うように、二つずつ並んでいる。
一方には千里さんとご主人、向かいには縁切堂さんが座っている。
空いている座布団に、私が座れということなのだろう。
紅茶を入れた4つのティーカップに、バターサンド。
それぞれの前に並べると私は盆を背後に、座布団に正座をした。
正面から見ると、千里さんとご主人は、よけいに不調をきたしているように見える。
二人からは、なにか暗いイメージが溢れている。
ティーカップを手に取り、一口すする。
混然とした思いを振り払ってくれるように、スミレと蜂蜜が絡み合うような香りが喉と、鼻腔をくすぐる。
「じゃあ、話しを聞きましょうか? まずはお二人話し合った内容、そして、何から『縁切り』がしたいのかをお伺いしましょう」
口火を切ったのは縁切堂さんだ。
いきなり話の核心に直球を投げていく。
前回、私が「少しオブラートに包んだ方がいい」と言ったことを覚えていないのだろうか?
千里さんとご主人は俯きながら視線を交わし、ご主人が頷く。
千里さんは頷き返すと蚊の鳴くような声で話しはじめた。
「はい……。私たち……、ちゃんと、話し合っていませんでした……。主人のツラさをちゃんと理解していなくて……。だからって、主人を罵ったり、暴力をふるったりしてしまって……。カウンセリングにも一緒に行きました。私は、もっと私を見て欲しかったんです」
千里さんが涙をハンカチで拭うと、ご主人が引き継いだ。
「僕も……、きちんと千里のことを理解しようとしていませんでした。それなのに自分の殻に閉じこもってしまって……。男なのに情けない……」
ご主人は膝の上で握った拳をより固く結んだ。
「男だからとかは関係ないんです。お互いにしっかりと話をして、想いを伝えあうことが一番大切なんです。しっかりとお二人で話し合えて、よかったですね……。まずは、一歩を進めはじめましたね。では、再度聞きます。あなたは何から『縁切り』がしたいのでしょうか?」
縁切堂さんは少し前にのめり、千里さんの顔を真っ直ぐに見る。
その視線は、瞳から心の中を覗き込んでいるようだった。
「その……。お恥ずかしい話、私、ちゃんと母離れができていないと診断されたんです。幼少期は少し複雑な状況だったので……。母は10年前に亡くなっているんです。最後の刻も立会うことはできませんでした……。だから、誰かに依存して、攻撃的になって……。
もしかしたら、親になりたくなかったのかもしれません……。
主人にあんなことをしてしまったのも、愛情不足と過剰依存の裏返しなのかと……。だから……、母と『縁切り』がしたいんです!」
驚いた。
千里さんのご主人へのDVや、ときおり見せる苛烈な言動は、過剰依存の裏返しだったとは。
親になりたくない心理。
そこには「自分が子どもを愛することができるのか?」との自問があったのだろう。
その原因は、母との関係にあるという。
チラリと、縁切堂さんを見る。
腕を組み、目を閉じて千里さんの言葉を心の中でしっかりと咀嚼しているように見える。
その目をツイっと開けると静かにその唇を開く。
「しっかりご自身と向き合われたのですね。大変だったと思います。そこまで深く掘り下げられているのであれば十分です。では、今回こそ『縁切りの儀』を行いましょう。明日、千里さんだけでいらしてください」
縁切堂さんはそういうとバターサンドを一口で食べきり、紅茶をグイっと飲み干した。
「疲れたときは甘いものを摂ると気持ちが落ち着きますよ。ツラいことですが、よくぞ話してくれました。私のお気に入りの近江屋さんのお菓子は甘くて最高なんです」
優しさが溢れる満面の笑みを縁切堂さんは、千里さんとご主人に向けた。
(つづく)
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