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本能寺の変1582 【重史238】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史238】 『信長公記』

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮
 
 1戦国時代=相互不信の時代
  2美濃
  3尾張
2 光秀の実像
 
 1信長という男
  2光秀という男
  3光秀と光慶  1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
  4先祖の教訓
  5大量殺戮
  6信長の弱点
3 光秀の苦悩
 
 1粛清の怖れ
  2志向の相違
  3光秀の老い
  4四国問題
  5自立への道
4 武田の滅亡
 
 1甲斐遠征
  2勝頼の首
  3武田効果
5 信長の油断
  
「事態急変」
  1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
  2 四国出陣  概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
  3 足蹴事件  概略 5月12日 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 15日
            密室にて 1/3 2/3 3/3   ③ ④ ⑤
  4 中国出陣
  5 時は今、・・・・・。
さる程に、不慮の題目出来候て、
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 260610 

【重史238】 16~17/19

①三十年奉公を遂ぐるの内に、

②比類なき働きと申し鳴らし候儀、一度もこれあるまじき事。

③先年、遠江へ人数を遣(つかは)し候刻(きざみ)、

④一人も殺さず。

⑤剰(あまつさ)へ、平手(汎秀)を捨て殺し、

                       『信長公記』


 天正八年1580、八月**。
          1580108**

 これが、信盛の生き方だった。
 「この三十年間、手柄らしい手柄を上げていない」
 信長は、そう、言っている。
 
 16一、信長代になり、三十年奉公を遂ぐるの内に、
    佐久間右衛門、比類なき働きと申し鳴らし候儀、
   一度もこれあるまじき事。

 信長は、重臣たちを、よく観察していた。

 光秀を、見よ。
 秀吉を、〃〃。
 勝家を、〃〃。

 四人は、ともに、織田家最高位の重臣。
 当然、比較の対象となる。

 信長は、猜疑心の強い男。
 信盛は、油断した。
 信長の性格を、よくわかっていない。

 「三方ヶ原の合戦」
 八年前。
 元亀三年1572、十二月。
 敵は、戦国最強を誇る甲斐の虎。
 あの、武田信玄である。
 徳川家康、最大の危機。
 信長の四囲は、皆、敵。
 信長は、家康を支援するため、信盛を将とする軍勢を浜松へ派した。

 17一、一世の内、勝利を失はざるの処、
    先年、遠江へ人数を遣(つかは)し候刻(きざみ)、    

 信盛は、戦わず、逃げた。
 戦場離脱。
 戦死した者は、一人もいない。
 これでは、一体、何故の派兵だったのか・・・・・。 

    互に勝負ありつる習、紛れなく候、
    (勝敗があるのは世の習い、敗れたのは紛れもない事実である)。
 
    然りといふとも、
    家康使をもこれある条、をくれの上にも、
    (家康の強い要望があったのだから、後れを取ったとしても)、

    兄弟を討死させ、又は、然るべき内の者打死させ候へば、
    その身(信盛)、時の仕合(状況)に依て、遁(逃)れ候かと、
    人も不審を立つべきに(推量するだろうに)、

    一人も殺さず。

 信長は、信盛に疑念を抱いた。
 繰り返す。
 信長は、猜疑心が強い。
 その上、執念深いのである。

 信長は、誰よりも、誇り高い男。
 面目を潰された。
    
    剰(あまつさ)へ、平手(汎秀)を捨て殺し、
    世にありげなる(平然とした)面をむけ候儀、
    爰(ここ)を以て、条々、無分別の通り、紛れあるべからずの事。
                           (『信長公記』)


 【引用】【粛清 佐久間信盛】
     【四国問題】 天正十年1582 五月十二日
     ◎第13話

 【参照】【四国問題】
    
天正八年1580
    天正九年1581
    天正十年1582

 【参照】【四国問題 概要】
    
天正八年1580
    天正九年1581
    天正十年1582



 ⇒ 次へつづく

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