見出し画像

〈女〉への敗北。あるいは、男は大義のために死ななければならないという強迫観念について。

ナルシシズム、スター、そして〈女〉

三島由紀夫の自決に至る過程を理解するには、まずかれのナルシシズムと、その防衛機制としての仮面を考察しなければならない。

三島はありあまる自己愛ゆえに――妹・美津子と三年間恋愛関係を持った貞子さんをわずかの例外として――〈女〉を愛することができず、しかしスターになることで、そのナルシシズムを社会的に昇華しようとした。けれども、その仮面はあまりに厚く、三島は自己の内奥を他者に預けることができなかった。

かれはかつて「男色者ゆえに女を愛せなかった」と公言し、世間もその言葉を信じた。だが、実際には貞子さんとの三年間の情熱的な恋があり、それは『仮面の告白』の“園子”への〈復讐〉として文学化されていた可能性がある。〈女〉は三島にとって「手に入らぬもの」であり、かれの性愛嗜好はつねに振り子のように揺れ動いていた。

やがて、『鏡子の家』以降文壇に愛されなかった三島は、文学ではなく大衆の愛を求め、映画・舞台・肉体・写真といった媒体を通してスターへと変貌する。しかし、大衆の関心は常に移ろいやすく、文学にも大衆にも見放されたと感じた彼は、「自分がNOBODYになってしまう」ことへの恐怖から、最後の大義へと向かっていったのではなかったか。


敗北と大義、そして〈死の演出〉へ

三島の遺作『豊穣の海』四部作は、流れゆく〈時〉を主題とし、輪廻転生を扱った壮大な小説である。
『春の雪』では、18歳の美青年・松枝清顕が房子との純愛に失敗する。続く『奔馬』では清顕の生まれ変わりとされる勲が登場し、昭和の神風連の再来を目指して行動しようとするが、直前で逮捕される。本田はその裁判を担当する判事として現れる。『暁の寺』では、中年となった本田がバンコクやインドで輪廻転生について考える。最後の『天人五衰』では、本田が美少年・透を清顕の生まれ変わりと信じて養子に迎えるが、透は輪廻を否定し、ついには自死を選ぶ。

本田もまた75歳、自身の死期を感じつつ、かつての房子に会いに行く。しかし、房子はすべてを否定する。

この四部作にも『禁色』と同様に〈女〉への呪詛が流れている。だが、おそらく起筆時の三島の意図を裏切るかたちで、物語は〈女〉によって否定され、三島の分身たちは敗北を喫する。

『天人五衰』を読み終えた読者は、呆然と立ち尽くすだろう。仮面をつけて生きた三島の人生は、「無」だった――その認識がこの物語の終点にある。そしてそこには、読者への最後の誠実な舞台挨拶がある。なぜなら読者こそが、三島のアイデンティティを支える〈鏡〉であったから。

すでに三島は女を呪い、復讐に失敗し、女に見棄てられ、45歳の肉体の美が老いに蝕まれはじめていた。もはやかつてかれが呪詛した「青春のミイラ」になるほかなかった。そこで三島は老人文学者たちが支配する文壇を見限り、行動の人として生きることを決意する。もはや三島は文学にもすがれず、八方塞がりの末に、愛国を叫び、「死」を選んだのだ。死後も作品のなかで生き続けようとしたかれの願いすら、女たちの沈黙によって否定されてしまう。三島自身が「人生は無だった」と認めざるを得なくなったその時、輪廻転生の幻想も、文学の希望も潰えた。いいえ、それでも三島は、この見事なまでに誠実な、仮面を脱いだ素顔の告白によって、死後なお作品が生き続けることを願っただろうけれど。

いずれにせよ、三島の人生はあまりにも気の毒すぎる。なぜなら、文学とは他者理解の形式である。では、なぜ天才文学者・三島は人を愛する方法を学ぶことができなかったのか?
それは三島がナルシシズムの鎧を脱げなかったからである。
ゆえに三島は、〈愛〉についての最良の反面教師である――これは反語でも皮肉でもなく、文字どおりの真実である。


三島にとって、「自殺」や「情死」はみじめなものだった。死ぬならば、大義のために。そしてその大義とは、日本の戦後の欺瞞への異議申し立てである。現人神としての天皇を否定した日本に、もはや誇りはあるのか? 英米に屈した国家の矛盾を、ただ一人の作家が引き受けたとき、あの自決は準備された。

『天人五衰』。それは、愛に失敗した若者、行動できぬ国家主義者、輪廻に疑念を抱く知識人、美と転生に執着する老作家――
三島自身の分身たちによる、時代を越える哀しみの変奏曲であった。

〈女〉に敗れ、〈文学〉に裏切られ、〈肉体〉が老い、〈国家〉に絶望し、〈他者〉が不在のまま、彼に残された最後の手段は「死をもって、美を完結させ、大義の仮面をかぶって幕を引くこと」だった。

三島は「青春のミイラ」として生きながらえるよりも、「大義の死者」として記憶されることを望んだ。
その自決は、最後のナルシシズムの完成であり、
それが唯一の“救済”だった。

けれども、それはかれを思いやる者の解釈でしかない。
残酷な世間にとって、
それは〈女〉に敗れ、〈死〉にすがり、〈文学〉をも否定した、
一人の男の悲劇的終焉にすぎない。



詩篇:そして、何ひとつ、残らなかった

ふと見れば
秋の光のなかに
脱ぎ捨てられた仮面が
一つ
誰のものでもなくけれど 
どこか懐かしい 青春の影をまとい美の名のもとに生を演じきった
一人の俳優、
その最後のセリフだけが風のなかで揺れていた

「おれは、誰にも、なれなかった」




いいなと思ったら応援しよう!