三島由紀夫の敗北宣言としての『サド侯爵夫人』
1| 三島と瑤子さんの結婚、その無邪気な戦略の破綻
1958年、33歳の三島由紀夫は、20歳の若き令嬢・平岡瑤子と見合い結婚した。一般には、母・倭文重(しずえ)の癌を憂い、孝行心から結婚を選んだとされている(もっとも、のちに癌は誤診と判明するのだが、すでに縁談は進んでいた)。しかしこの結婚は、三島の親孝行だけでは説明しきれない。
むしろかれは〈家庭〉という形式を手に入れることで世間的な体裁を整えつつ、同時に秘密裡に同性愛的欲望の自由を満喫したいという、甘い構想を抱いていたのではないか。
実際三島は瑤子とのあいだに一女一男の子どもをもうけ、愛妻家を演じ、マイ・ホーム・パパとしての姿を世間にアピールした。他方、秘密のゲイ・ライフをも享受しようとしたのである。
しかし、事がそう都合よく運ぶわけがない。三島はすべての小説を発表前に母・倭文重に読ませ、感想を求める習慣をもち、それは晩年まで変わらなかった。結婚後も、両親は三島邸の敷地内の日本家屋に暮らし、三島は毎晩、かれらにおやすみの挨拶をしてから就寝する生活を続ける。このような母子密着型の習慣を、妻・瑤子が快く思うはずがない。実際、三島家の嫁姑関係は激烈を極めた。
さらに、瑤子は三島のゲイ・ライフに気づきはじめる。三島はやむなく、自身の「潔癖」を証明するため、瑤子に宛てられるすべての書簡を、彼女が先に開封して読むことを許可した。
こうして三島の家庭は、激烈な嫁姑戦争、妻の疑念と監視、そして書簡検閲によって、安寧を失った。三島の心は休まる時を失い、作品の発表数も激減した。かれにとってそれは、たんなる結婚戦略の破綻にとどまらず、作家生命そのものの危機であった。
2|サド不在の戯曲、そして語る女たち
その破綻の果てに書かれたのが、1965年の戯曲『サド侯爵夫人』である。
この作品の第一の特異性は、サド本人が舞台に登場しない点にある。登場するのは6人の女たちだけ。彼女たちが、それぞれの〈サド観〉を語り続けることで、不在のサドの姿を浮かび上がらせてゆく。
中心に位置するのは、サドの妻・ルネとその母・モントルイユ夫人。前者は、サドに無限の共感を寄せる理想主義者として描かれ、後者は、家名を汚した婿を決して許さない世俗的な女主人である。
サドを描くとすれば、通常は暴力、倒錯、反キリスト教、背徳の悦楽といった暗黒の美学が前景化するはずだ。しかし、三島はそれらの悪徳の精髄を意図的に排除し、女たちの語りのみによって“男としてのサド”を造形するという方法を選んだ。
そこに、三島の知略がひそんでいる。これは、女たちの言葉によって構築される“男のイメージ”なのだ。
3|三島にとっての〈サド〉とはなんだったのか
史実のサドは、実に特異な存在だった。女たちを裸にして鞭打ち、逆に自分を鞭打たせ、媚薬入りや放屁作用のあるボンボンショコラを与えて歓喜する。マゾヒストへの奉仕心などまったくなく、鞭も暴力も“本物”である。
しかもその暴力は反キリスト教思想と結びついている。万人に原罪を背負わせ、最後の審判で裁こうとするキリスト教を、サドは徹底的に嘲笑する。イエスとマリアを猥褻な言葉でののしり、欲望のゆえに牢屋に入れられようと精神病院に放り込まれようと、平然としていた。
その作品群はたんなる残虐なポルノにとどまらない。むしろ、国家が行使する暴力だけがなぜ公的に許され、個人の趣味的暴力は裁かれねばならぬのかという、制度批判=国家論として読むことができる。ここにこそ、サドの思想的射程がある。
だが三島は、その“悪の哲学”をすべて追放し、“女たちが語るサド”のみを舞台に据えた。
そしてこの戯曲の読みどころは、なんといってもルネによるサド理解の深さである。彼女はサドの思想と欲望の全体を受け入れる。それは三島の夢想であり、理想の女性像でもある。他方、モントルイユ夫人はそれを断固拒む世俗の象徴である。
そして、戯曲の終盤——サドが釈放されて館に戻る場面。かつて美しかったサドは、醜く太り、黒い羅紗の上着には継ぎがあたっている。まるで物乞いの老人のようなその姿に、ルネは再会を拒み、修道院へと入ってしまう。明言はされないが、舞台からはその決別の気配がひしひしと漂う。
ここに、三島の焦燥と敗北が色濃く投影されている。サド=自由な欲望の象徴=三島の夢。ルネ=理想化された女=瑤子。だが、ルネ(瑤子)はその夢を拒むのだ。
4|橋本治の母殺し説を超えて
橋本治は名著『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(2002)において、この作品を“母への決別宣言”と読み解いた。たしかに、モントルイユ夫人の造形には倭文重の影が投影されている。しかし、それだけでは説明しきれない。
ぼくはむしろこの戯曲を、瑤子夫人への“敗北宣言”として読みたい。さらには、祖母・なつ、母・倭文重、妻・瑤子という三代の女たちに包囲された三島の、女性一般への“降伏表明”とさえ呼びたい。
『サド侯爵夫人』は、愛と欲望と倫理とを二重生活のなかでつなぎとめようとした三島の苦悩の記録であり、かれの仮面がひび割れ、戦略が瓦解してゆく音が聞こえる作品なのである。
5|仮面が崩れたその後に
この戯曲以降、三島は5年間、文学・政治・肉体という三つの戦場で作戦を展開し、そしてあの憂国事件へと突き進む。
なるほど、三島が〈国家〉に殉じたのは事実だけれど、しかしそれに先立って、かれは〈私生活〉の地盤をすでに失っていた。
『サド侯爵夫人』の静かなラストシーン——ルネがサドとの再会を拒み、修道院へと向かう姿。それは、三島由紀夫という作家が“仮面”を維持し続けることに疲れ果て、ただ崩壊を予感していたことの証左ではないだろうか。
もはや、愛されたいとも思わない。見つめ返されることも望まない。仮面を被り続けるには、あまりにも人生は長すぎたのだ。
なお、この戯曲『サド侯爵夫人』は、サドの母国フランスで1976年、ピエール・ド・マンディアルグによって仏訳上演され、成功を収めた。もしこれが三島の生前に叶っていたならば、絶望の淵にいた彼の胸を、ほんの一瞬でもあたためたのではないか——そう思わずにはいられない。
