三島由紀夫と1960年代——スター文学者か、亡霊か、はたまた国民のおもちゃだったのか?
三島由紀夫が時代の寵児であり続けた他方で、その言動はつねに時代と齟齬をきたしてもいた——このアンビバレンスは、日本文学史のなかでも特に困難な問いである。ここではとくに、1960年代の三島に注目したい。
1|敗戦と生の過剰——三島由紀夫の出発点
1960年代、三島由紀夫はスター文学者だったのか? それとも国民のおもちゃだったのか? はたまたわけのわからない人だったのか?
まず最初に、日本人にとってアジア太平洋戦争であった第二次世界大戦は、国民総力戦だった。戦時下の日本人は、どんなに戦況が悪化しても「神国日本」「鬼畜米英」「一億玉砕」の思想を捨てなかった。だが、その狂信こそが災いし、日本は原子爆弾を二発も落とされることになる。結果すべては灰燼に帰し、東アジアに拡張した日本は、ふたたびただの島国に戻った。しかも敗戦後日本はGHQによって思想改造を受け、アメリカ型民主主義が移植された。
敗戦時三島は二十歳である。三島にとって敗戦は複雑なものだった。三島は必死で戦争を忌避したものの、それでも天才文学者として夭逝するロマンティシズムを持っていた。しかし、三島は生き残った。また、同級生たちや、同世代の若者たちの多くは戦争で死んだ。三島が負い目を感じないわけがない。しかし、戦後日本にもたらされた自由は、青年三島をひそかに、そして深くよろこばせてもいた。そもそも三島がメジャー文学者になったのは、敗戦後のカオスのなかで、自分は生まれながらの同性愛者であると仮面をつけて告白する『仮面の告白』を発表してからなのだ。同時代の文学者たちが従軍経験を作品にし、戦中/戦後に分断されたアイデンティティに、なんとかして一貫性を見つけようとするなか、しかし三島はその主題とは無縁に、超然たる態度で、文学機械としてひたすら作品を量産してゆく。だが、そんな三島のなかにも、戦中/戦後に自我が引き裂かれていたことは疑い得ない。ただし、1950年代の三島は、あまりにも巧く、新時代の旗手を演じることができた。したがって、誰も1960年代の三島の自我の亀裂に気づけなかった。
時は止まることがない。戦争を知らない戦後生まれの子どもたちも1965年には二十歳を迎え、戦後民主主義育ちのかれらは、大学に進学できた裕福な子どもたちだけとはいえ、学生運動を繰り広げた。かれらはヴェトナム反戦運動に連帯し、大学の自治権を要求し、戦中育ちの教授たちをつるし上げた。そこには中国の文化大革命の摸倣もあった。
他方、1956年三島は40歳になる。すでに三島は戦後日本の繁栄を虚構と見なし、憂いている。日本精神を失って、労働にいそしみ、繁栄に浮かれる日本、そんなものになんの意味があるのか。三島は時代に逆行するように、憂国思想にとりつかれ、白馬に乗った天皇こそが神国日本を護っているというロマンティックな幻想を抱くに至る。
三島は仮面をつけてあらゆる物語を語った。また三島は歌舞伎を愛し、ギリシア古典悲劇に敬意も払った。三島自身が優れた劇作家でもあった。しかし60年代、日本という舞台そのものが変容し、仮面そのものが時代の様式から逸脱してしまったとき、三島の戦略は空転しはじめる。なるほどかつて三島の仮面は、モダニズム文学の洗練として機能していた。しかし、1960年代の〈様式の変化〉のなかで、それは時代錯誤な装飾として剥がれ落とされてしまう——演技から異物へと。
2|1960年代、祝祭のなかで三島の仮面が剥がれ落ちる——ポップ時代のなかで
そもそも1960年代とは、どんな時代だったろうか。(三島にとって映画『からっ風野郎』が封切られて2か月後)、1960年5月20日の衆議院での日米安全保障条約強行採決をきっかけに、これに対する反対運動は国民的なものになった。6月15日、全学連が国会構内になだれ込み、学生たちは警察のトラックに放火し、深夜の国会周辺は内戦状態になる。6月18日三島は国会前の記者クラブのバルコニーからこの騒乱を見物していた。翌日19日0時、新安保条約は自然承認された。これは当時の岸信介総理の手腕によるものながら、しかしそのかれは退陣に追い込まれる。なお、岸信介は安倍信三の祖父である。翌年末三島は、226事件を題材に『憂国』を上梓することになるものの、しかし、60年安保がこの作品にどのように関係しているかは、なんとも言えない。むしろ60年代前半の三島は楽しそうだ。三島はボディビルにいそしみ、剣道の修行に励み、映画『黒蜥蜴』にも出演し、小説『美しい星』や『サド侯爵夫人』を書き、あの悪趣味な写真集『薔薇刑』を発表する。もっともぼくはすでに述べたとおりこの時期の三島に、仮面をつけてすべてを語る、そんな三島の作家戦略の崩壊を見るのだけれど。
ある意味で、三島は1960年代というカオスな時代に翻弄されたとも言える。これについて、どう語ったらいいだろう? 日本にとって1960年代はクレイジーキャッツの時代だった。かれらはすべてを笑い飛ばした、さらに言えば、子どもたちは『桃太郎』でも『クオレ』でもなく、むしろテレビの『ひょっこりひょうたん島』に魅了される。かとおもえば歌謡界では橋幸夫が『潮来笠』を、舟木一夫が『高校3年生』を、西郷輝彦が『君だけを』を、そしてペギー葉山が『学生時代』をヒットさせる。そうかとおもえば、弘田三枝子がアメリカン・ポップスを日本に移植し、スパイダースがビートルズのスタイルをいちはやく日本で体現した。ファッションブランドのVANが人気を誇り、みゆき族なんて言葉が流行語になりながらも、他方でミニスカートもそれなりに大流行した。ビートルズも流れ込んだ。だが、それらすべてが同時に存在するこの国は、カオスではあったが、祝祭でもあった。だが、その舞台に三島の仮面は似合わなかった。
さて、このビートルズがまた厄介である。欧米において1960年代はビートルズの時代である。しかし、三島にとってビートルズはただわけのわからない異物だった。しかも、時代の美意識はすでにPOPになっていた。ルノワールやセザンヌは過去のものになった。マティスやピカソ流の油絵のなかに洗濯機や冷蔵庫や自動車は似合わない。未来派芸術も古びてしまった。時代のアートはアンディ・ウォーホルがシルクスクリーンで表現する資本主義社会へのシニズムに王座を奪われた。他方、三島はどうだろう? 三島は横尾忠則をこそ寵愛した——そのポップで暴力的な色彩に時代性を見たのかもしれない。しかし、三島自身はあいかわらずラファエル前派のロセッティの幽霊なのだ。
翻って、アメリカでは60年代後半ロックンロールがヴェトナム反戦運動と、そしてマリファナとLSDと結びついてサイケデリックに感覚を拡張し、内面世界の探求に向かってゆく。さらに踏み込むならば、アメリカ由来のヒッピーはロマン派の再来であり、かれらは近代理性と物質世界を嘲笑し、精神世界の探求に向かい、ユング、太極拳、道教、有機農法、イルカ~クジラ学の探求に乗り出しもした。だが、三島のロマンティシズムはあいかわらずロセッティであり、ラディゲにままだった。
3|語れないからこそ語る——仮面の崩壊と文学の終点
そんな時代にあって、いまだ小説は熱心に読まれ、あいかわらず文学は知性の王であり続けてはいた。ただし、新しい文学はサルトル、カミュ、アレン・ギンズバーグ、ノーマン・メイラー、そして日本では安倍公房、大江健三郎に刷新されてゆく。
逆に言えば、三島の作品は時代遅れのモダン・クラシックとして精彩を欠くようになってゆく。すなわち三島は、国民的な知性として扱われながらも、しかしその実、時代の気分と乖離しはじめていた。しかし、それであってなお、国民の人気は「1に朝潮、2に長嶋、3に三島の由紀夫さん」なのである。じっさいこの時期三島は文学雑誌や女性雑誌のみならず、『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』の常連寄稿者にもなってゆく。いささか奇妙なことではある、なぜなら、三島は若者文化のメディアに登場しながら、あえて軽薄な文体を選び、暗に若者文化そのものを批判し、スター文学者として若者たちを啓蒙しようとしてた。つまり、三島は大活躍を続けながらも、しかし三島と時代の気分とのあいだのギャップはひそかに広がってゆくのだ。どれだけ三島に同時代人意識が高かろうとも、しかし三島は戦中育ち丸出しの男である。したがって、60年代の三島は国民のおもちゃに見える。
なぜなら、1960年代後半は、世界的に燃え広がった学生運動によって、日本でもまた大学はもとよりたとえば新宿が解放区のようになったような騒乱の時代なのである。左翼運動が諸派に分かれ、まるでクーデター前夜のような不穏なふんいきに満ちていた。しかも小劇場が、フォークソングが、ロックが、そしてたとえば山下洋輔トリオのフリー・ジャズがこの時代の気分と同調し、時代を活気づけていた。そんな時代に、三島はラディゲになりそこなった時代遅れの天才文学者として生きているのだ。
4|愛国への回帰
そんななか三島は、226事件の決起将校らと行動をともにした磯部浅一の『獄中日記』を読み、これに心を動かされ、1966年『英霊の声』を書き、反革命に傾斜してゆく。1968年、三島は民兵隊たる楯の会を結成する。この時期すでに三島は自決を覚悟しながら、『豊穣の海』4部作を書いてゆく。あの4部作をどう読むか? そしてそもそも三島はいったいなぜ、どんな動機で自決に傾斜してゆくのか?
あるいは三島は文学を武器に世界と戦うのではなく、むしろ世界を演劇に仕立て、その舞台で最期を迎えたのだろうか? だが、その答えを出すのはまだ早い。この劇の幕は、いまだ下りていないのかもしれないのだ。
結局のところ、1960年代の三島由紀夫は、スターであり、おもちゃであり、そして〈亡霊〉だった。だが、そのどれにも還元できない存在、三島こそが、文学者という異形の証だったのではないか。仮面をつけることなしにはなにも語れない、そんな三島こそが、文学という存在の異形であり、時代の祝祭に背を向けて現れた最後の亡霊だったのかもしれない。あの仮面は、時代の演劇を飾る化粧ではなく、終わりの見えぬ闇を照らす、最初の火だった。文学批評としてではなく、むしろ社会のなかに生きる闘う文学者の態度という意味で。
