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【上映時間3時間以上】超長尺映画100本を代わりに観る《第8章:List of longest films掲載作品を観る》


第8章:List of longest films掲載作品を観る

Wikipediaの項目「List of longest films」

Wikipedia英語版には超長尺映画をまとめた項目List of longest filmsがある。この記事は、世界の超長尺映画をソートして一覧化されているのだが、

・一般的な映画(Cinematic films)
・インスタレーション系映画(Experimental films)
・シリーズもの(Films released in separate parts)

の三部門に分けて長尺順に並べられているところが嬉しい。一般的な映画は39位まで記載されているのだが、本記事執筆時点で筆者は69.2%にあたる27本を鑑賞していた。いつかコンプリートしたいものである。最後の10本はこのリストの中から選出した。『タイタニック』から始まったこの物語もいつしか遠いところまで来てしまった。魔王城のように聳え立つ果てしなく長い映画を登り終えた先に何が見えるのだろうか?

91.サタンタンゴ/Sátántangó(タル・ベーラ、1994年、438分)

サタンタンゴ(1994年)
※映画.comより画像引用

2019年にタル・ベーラの記念碑的作品『サタンタンゴ』がシアター・イメージフォーラムにて公開された時、まさかここまで認知されるとは知る由もなかった。この手のミニシアター映画がYouTubeで紹介されることは少ないのだが、7時間を超える上映時間と催眠的映像からエクストリーム映画のように紹介している動画が散見された。

私がYouTubeで使用している挨拶「ご無沙汰ンタンゴ」は当然、本作から引用しているのだが、甲賀流忍者ぽんぽこ×ピーナッツくんによるVTuberユニット「ぽこピー」の企画「ぽんぽこ24」にて私のCMが採用された時、この挨拶から「サタンタンゴ」を連想するといったコメントが見受けられた。想像以上に本作の認知度は高いものの、本作における高度な長回しについて言及している人は少ない。タル・ベーラ作品は長回しを多用することで知られているが、そのカメラの動きは複雑である。ファーストカットの牛描写のラストに注目する。画面の中央に、建物とそれ以外の境界線が来るようにカメラは調節されており、その中心に牛の群れを配置している。そして建物の屋根が矢印のように牛に収斂していくので、観るものは奥にある牛の動きが思わず気になってしまうのだ。また、室内で文章を書き連ねる男を捉えたかと思うと、窓の外へと眼差しが向けられ、遠くにいる人の行動を目撃する。やがて、雨が降る決定的瞬間を捉えるのだ。

次に物語面に着目する。本作の輪郭は次のようにして語ることができる。シュミットとクラーネルは村人から金を巻き上げて夜逃げすることを考える。それになんとかしてフタキは加担しようとする。搾取する側に回ろうとする。一方で、村の少女は友人に「金のなる木」を作るから金を貸してくれと言われ、一緒に森に埋めるのだが彼に奪われてしまう。彼女はさらに弱い存在である猫を虐めているのだが、より大きな存在に全てを奪われ自殺してしまう。彼女の葬式が行われるところに、死んだはずのイリミアーシュが現れ、まるで復活したイエスキリストのように振る舞い言葉巧みに村人を支配し、全ての財を奪い去ってしまう。これは、搾取する側に回ろうとして、結局自分より大きな存在に搾取されてしまう側を描いている。

社会主義国故、やる気を失った者は「働いたら負けかな」と思い、なるべく高い地位を目指す。酒に溺れ、退廃的な狂乱に身を投じる。そんな彼らに未来はない。結局のところ、権力者に全てを奪われ、なけなしの配給で我慢するしかない。そこに「移動」の問題を持ち込むことで社会主義時代にヨーロッパ社会主義国が争奪戦を行なっていたロマの存在を重ね合わせる。当時の社会主義国ではロマを労働力にするため、囲い込みを行なっていた。自分の国から出ないように移動禁止令を発令していたのだ。イリミアーシュは素晴らしき楽園作りを公約に掲げ、村人から全財産を奪う。村人は雨でドロドロぐちゃぐちゃになった轍を歩み、たどり着いた新天地は凍えるように寒い。楽園とは程遠い道中に怒りを露わにするのだが、イリミアーシュはこう語る。

「いいぞ、金は返そう。信頼と根性のない奴はここでサヨナラだ。君らにはもう関係ないことだ。」

強烈に突き放すことで、彼らに未練と罪悪感を抱かせ、再び彼の引力に寄せられていくのである。

92.My Undesirable Friends: Part I(Julia Loktev、2024年、324分)

My Undesirable Friends: Part I(2024年)
※IMDbより画像引用

ロシアでの報道規制は想像を絶するものがある。政府から「望ましくない組織」とレッテルが貼られると、対象の報道機関が発表する記事をSNSで拡散したり、インタビューを受けるだけで犯罪となる。報道は事件を世に伝え、拡散されることが重要であるにもかかわらず、それが封殺されてしまうのだ。実際にチェチェンで発生したゲイに対する暴行に対する報道も厳しく取り締まられている。

映画はiPhoneで撮影されており、女性ジャーナリストたちの生活を間近で捉えている。ロシアのウクライナ侵攻により戦争が勃発しているが、一見すると画に映し出される光景はどこか平和に見える。しかし、少しでも気を抜けば、警察に逮捕されたり、襲撃に遭うのである。

その痛ましさは、時にテロップで冷酷につづられる。「アーニャは帰ってこなかった」「活動家をテロリストとして非合法化した」といったように。実際に、ジャーナリストの何人かは国外脱出していることがわかる。

それでもカメラを前に「私はジャーナリズムが好きなんだ」と語る女性がいる。それは本心であると共に、ロシア政府による弾圧によって心が折れてしまわないよう自分に言い聞かせているように思えて泣けてくるのだ。

The Hollywood Reporterの記事を読むと、ドナルド・トランプ新政権になって、徹底的に多様性を滅ぼそうとする様と本作のロシア情勢を重ね合わせている。アメリカの暗い未来を本作から見つめているようだ。これは、日本も他人事ではないだろう。だからこそ、この映画はなんらかの形で日本でも観られるべきなのである。

93.輝ける青春/The Best of Youth(マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ、2003年、382分)

輝ける青春(2003年)
※映画.comより画像引用

真面目に論文と向き合い勉学に励むマッテオを父親が気にかける。

「お前余裕で口頭試験合格できるだろ。新聞にもお前の記事載ったし。何なら先生に一言いってやってもいいんだぜ。」

由緒正しきカラーティ家の生まれであるマッテオだったが、自分の実力で試験に合格したいため、父親の誘いを断る。そして父親が渋々部屋を出ていった先には、チャラい兄たちが見える。兄のニコラは世渡り上手。飄々とした態度で試験に臨み、共感点で持って試験で満点を勝ち取る。さあ!祝福の旅を!と弟マッテオをも誘いノルウェーを目指すのだが、出発当日、彼は意味ありげな女性を抱えて現れる。ジョルジアという名のその女性は精神病を患っており、病院に収容されているのだが扱いが酷く、いたたまれなくなったマッテオは彼女を逃がそうと誘拐してきたというのだ。渋々、その作戦に手を貸すニコラ。しかし、その旅は悲劇となる。駅で、少し目を離した隙に、ジョルジアはキオスクへふらっと行ってしまい、彼女はそのまま警察に連行されてしまう。事の発端を作ったマッテオは、実はジョルジアと医療組織との間に不満を抱いており、それが原因で試験に落ちていた。彼女を救おうとしたが、救えなかった。その罪意識から、旅の途中で帰ってしまう。そしてそのまま軍隊へ入ってしまう。一方、ニコラは一人でノルウェー旅行を続行する。

器用な兄ニコラと不器用な弟マッテオの間に運命の女性ジョルジアを配置し、40年もの長い歴史の中の刹那刹那で交わる際の苦くて酸っぱく、でも美しい青春の肖像をマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督は1秒たりとも無駄にすることはない。『輝ける青春』の素晴らしいところはイタリアの学生運動や赤い旅団問題といった、歴史的事件を物語に配置しながら、その事件を知らないと理解できない話にはしていないところだ。テオ・アンゲロプロスやラヴ・ディアスが長い叙事詩の中に、歴史的事件のメタファーをふんだんに盛り込むのに対して、本作はひとつまみのスパイスとして機能させている。その結果、本作は6時間を超える内容にもかかわらず非常に分かりやすい作品となっている。

第一部では、青春という激動期の中、ニコラとマッテオは様々な土地を歩むことで机上だけの世界から時放たれていく。『モーターサイクル・ダイアリーズ』におけるチェ・ゲバラとアルベルト・グラナードのように、土地を移動し、人と出会うことで自分の中の哲学・信念を確立させていき、それぞれ段々と二人はレールからそれて別々の道へと歩み始める。だが、そのレールはどこかで交わる。第一部後半~第二部にかけて、その交わりによる感傷的な感情を浮き彫りにさせる。失踪したジョルジアと再会するマッテオは、あまりに急な再会で言葉が出なくなる。ニコラは家出した妻の面影を博物館で感じる。彼女はどうやら赤い旅団のメンバーになったようで、テレビで赤い旅団のニュースが流れると背筋が凍る。娘は何か悟っているようだが、真相を知ってほしくない気持ちでいる。

こういった人生の交差を、フォロ・ロマーノやコロッセオといった歴史的建造物の美をバックに描いていく。歴史的建造物は美の裏に悲しい歴史が含まれ、層をなしている。その層を感情の層に重ね合わせているため泣けてくるのだ。

94.ハッピーアワー(濱口竜介、2015年、317分)

ハッピーアワー(2015年)
※映画.comより画像引用

濱口竜介監督が国際的に知られるきっかけとなった『ハッピーアワー』は、身体表象と語りによって紡がれる心理的関係性を描き続けて来た彼のひとつの到達点ともいえる。「濱口竜介 即興演技ワークショップ in Kobe」から誕生した本作は、ほとんどの登場人物が演技未経験者であるにもかかわらず、複雑な心理を身体に馴染ませた演技で観る者を惹き込む。

これは当然ながら俳優たちの努力による功績であるのは言うまでもないが、5時間17分の中であらゆるコミュニケーションのあり方を模索した結果によるものであもある。

あかり、芙美、桜子、純の4人が旅行の道中で仲良くランチをするところから始まる。他愛もない会話から信頼関係が築かれていることがわかる。彼女たちは鵜飼が開催するワークショップに参加する。

彼は神戸出身であるが、東日本大震災の時に復興ボランティアで東北に移り活動をしていた。そんな彼は、パイプ椅子を片足で立たせる技能を身に着けたと語り実演をする。パイプ椅子は綺麗に片足で立つが、彼はバンと倒す。緊迫した空気が流れる。彼はこのワークショップのコンセプトは「重心に聞く」であることを説明し始める。

『ハッピーアワー』では、このコンセプトを手掛かりに人間関係がどのように変わっていくのかについて掘り下げていく。まず、最初に重要な場面としてワークショップの打ち上げがある。直前に風間が桜子に対して下心全開で食事に誘う。それを彼女は「友だちと来ているんで」と断ると「僕も友だちと来ているんで」と嫌味っぽく去っていく。だが、彼女が誘われて参加した打ち上げに彼はいる。あかりたちとは親友だが、このことは知らない。打ち上げでは風間と関係が悪いような素振りを彼女は見せない。表情と言動の重心を意識して彼女は振る舞っているのだ。その中で、純が離婚調停を進めていることが明らかとなる。親友同士だったにもかかわらず、はじめましての人がいる空間で初出しの、それも重要な話が出てきたことで4人の関係は悪化していく。一見すると何一つ穢れがなく、腹を割って話せるような関係性でも裏と表があり、会話や仕草のコントロールによって見せたい自分を提示している人間の本質に踏み込むのである。これが人間との接触を伴うワークショップ、「重心に聞く」といったコンセプトによって表面化してくるのだ。

ここで、あかりに注目する。彼女は看護師として多くの患者と接してきた。後輩の看護師である柚月のメンターとして務めるも、人の命を扱っている責任感から彼女のミスを厳しく指導する。謝る彼女の逃げ道を塞ぐような詰め方をしたことで、彼女のメンタルを破壊してしまう。仕事では柚月との関係性に悩み、プライベートでは友人たちとの関係性に苦悩する。そんな中、彼女は転倒し松葉杖となる。自分の確固たる重心を定めて生きてきた彼女が揺らぐ様を象徴している。そんなあかりが出勤すると柚月が「すみません、頼りなくてすみません」と謝る。

「柚月、謝るのが癖になっているよ。本当に思ってもいないことにまで謝んなよ」と指摘するあかり。

「すみません、あっ、でも本当に思っているんです。あ……でも本当に思っていることとは違うのかもしれません。ありがとうございます。わたし嬉しいんです」と彼女は弁明すると、あかりは歩み寄り抱擁する。

彼女と築き上げた関係性を再構築するように柚月の言葉を行動で受け止めるのである。それは知った気になっている自己を省み、他者をより知ろうとする運動への昇華ともいえる。

このような人間心理を身体表象へ置換する濱口竜介監督の技術は、ドライブ・マイ・カーにおけるハンドルを握る登場人物によって主導権を強調したり、悪は存在しないにおけるルーティンとして薪割りをこなし落下を知り尽くした男が「絶対にない」と強い言葉を用いながらも、木にへばりつく血液の落下、凍った湖で起こる落下といった不吉な落下により心かき乱されていく様へと応用されていった。濱口竜介映画を知るための要石といえる一本である。

95.ファニーとアレクサンデル/Fanny and Alexander(イングマール・ベルイマン、1982年、320分)

ファニーとアレクサンデル(1982年)
※映画.comより画像引用

イングマール・ベルイマンはアート映画の巨匠のイメージが強いのだが、ホラー映画の巨匠でもある。実際にウェス・クレイヴン監督が『処女の泉』をベースとし『鮮血の美学』を制作したことからも明らかであり、ホラー映画にも影響を与えている。彼の撮る恐怖はハリウッドとも日本とも異なる質感があり、『ファニーとアレクサンデル』はそれを紐解く手掛かりになるであろう。

少年が部屋の片隅で眼差しを向ける。するとガタガタと空間が揺れ始める。彫刻は動き始め手招く。別の場面では、空間を隔てる仕切りの奥から絶叫が響き渡る中、子どもたちが静かにその叫びの方へと向かっていく。至近距離で罵声を浴びせられるショットが唐突に飛び込む。イングマール・ベルイマンは心理的不安のイメージを唐突に挿入することで、深層心理に広がる不安をホラーとして演出していることがわかる。

『ファニーとアレクサンデル』はカラーになったことで怖さがパワーアップしている。たとえば、火だるまになる人のイメージがフィルムの粗い質感で提示される場面があるのだが、これは仮面/ペルソナにおけるティック・クアン・ドックの焼身自殺映像を挿入することによる心理的不安を発展させたような痕跡がある。また、章の区切りには真っ赤な背景の中でエンドロールが流されるのだが、この区切りが訪れる瞬間が突然であるがために、脳天を殴られたかのような怖さを抱く。通常、ホラー映画における恐怖は仄暗い空間で発生するのだが、ベルイマンの場合、鮮やかな色彩の中で恐怖を浮かび上がらせており、ホラー映画界における独特な立ち位置を確保しているのである。

96.仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)/The Works and Days (of Tayoko Shiojiri in the Shiotani Basin)(アンダース・エドストローム&C・W・ウィンター、2020年、480分)

仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)(2020年)
※映画.comより画像引用

第70回ベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門で最優秀賞を受賞し、第21回東京フィルメックスで上映されたことでも話題となった『仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)』。本作は、監督の一人である写真家のアンダース・エドストロームが義理の母・塩尻たよこの1年を相棒C・W・ウィンターと共に撮った作品である。1990年代にマルタン・マルジェラとコラボして以降、フォッション業界で活躍してきたアンダース・エドストロームが故郷・京都の村で映画を撮る。本作が変わっているところは、ドキュメンタリーではなく劇映画だということ。演技経験のほとんどない村人に混じって加瀬亮や本木雅弘が出演している。

大人数の賑やかな宴会。そこでは日本語で会話がなされているにもかかわらず混沌としており聴き取りづらい。ひそかにハイヒールや新年の夢の話をしていることがわかるが英語字幕を読まなければ会話の全貌はわからない。長い会話を割るように、一人の男が帰る。外へ出ると、室内の恍惚と対照的に冷たい闇が広がっている。男は車を運転させて家路に着く。そこには妻が立っている。フッと画面が暗くなり、拙いピアノの音が流れる。このユニークな演出が、この映画の旅路の行末を物語っている。

本作は、外国人から見た日本というものを、日本人であっても没入できるよう音にこだわっている。自然の音はハッキリと聞こえるのだが、人々の会話はボソボソとして聞き取りづらいのだ。唯一、塩尻たよこが日記を反芻しながら読み上げる場面だけが聞き取りやすくなっており、徐々に死へと向かっていく夫ジュンジとの日々が語られていく。写真家リチャード・ビリンガムがRAY&LIZを撮ったときのように、本作も全編通じてバチッと決まった構図、あるいは小津安二郎映画ばりの日本家屋の空間を巧みに使った空間分割によって、自然と共存する日本の田舎の歴史と一人の人生の終わりの哀愁を捉える。たとえば、暗闇の中に介護ベットがある場面。介護するたよこは薄ら開いた襖と重なるように配置され、聖母のように夫に接する一方で、自身も陰鬱とした闇に取り込まれていくような感覚を与える。映画は暗い室内から溢れる光を追う構図を主軸に置き、男が「たよこ、たよこ」と家屋の奥、暗闇へ入っていくことからも彼女のいつ死が訪れるか分からない状態での心理状況を捉えているといえよう。写真とは、我々が何気なく見ている生活からある視点を抽出することだ。絵画的とは、生活のある視点を捉えるために、空間を調整し、光や視線により画のポイントを遷移させることでドラマを生み出すことだ。つまり、絵画的に写真を撮ることによって、このような死期に対する心理的変化を掬いとって魅せるのだ。

故に、本作で言葉はさほど重要ではない。他愛もないことをボソボソと話す。でも空間が、なんとなく人々の感情を伝える。これは外国人が、日本の内輪な会話を聞いた時に空気感で、ポジティブな話題かネガティブな話題かが分かる感覚でもある。その視点を強調するために、車の中で身内の死に対して語られる場面では風景音で掻き消し全く聞こえなくしているのである。

97.ラ・フロール 花/La Flor(マリアノ・ジナス、2018年、808分)

ラ・フロール 花(2018年)
※MUBIより画像引用

エル・パンペロ・シネといえば、もう一本語るべき作品がある。それは『ラ・フロール 花』だ。第80回ゴールデングローブ賞を受賞した『アルゼンチン1985 ~歴史を変えた裁判~』の脚本を手掛けたマリアノ・ジナス監督が放つ13時間以上におよぶこの超大作は、変わった構成の作品として知られている。

冒頭にて「世にも奇妙な物語」におけるタモリのような人物が現れ、本作のコンセプトを図解で示す。4つの自由な物語を束ねるように1つのエピソードがまとめ、最後の1つで映画を花のように彩るというのだ。

その構成は以下のとおりである。

第一部:アメリカのB級映画オマージュ
第二部:ミュージカル
第三部:スパイ映画
第四部:映画についての映画
第五部:『ピクニック』のモノクロサイレントリメイク
第六部:歴史劇

それぞれの上映時間は大きく異なっており、第六部が30分程度なのに対して、第三部は6時間近くあるのだ。本作は、マリアノ・ジナス監督流の意識の流れともいえる。監督が人生の中で観たサイレント映画からミュージカル、B級映画などからイメージが作られる。そのイメージはジャンルというフレームの中で自由な振る舞いをする。そのフレームの花びらを合わせることで監督の作家性が浮かび上がってくる。第四部では『8 1/2』や『バートン・フィンク』のようなスランプに陥った男の映画制作を描いた内容になっていることからも明らかである。

筆者としては第三部に注目したい。黒づくめの男が右へ、左へ、まるでメタルギアソリッドに出てくる敵キャラクターのような動きでフレーム内を移動する。背後を見ると、草むらがガサガサ揺れており、女が忍者のように鋭利なものを投げつけて敵をやっつける。そして人質携え、4人の女は潜入作戦を敢行するのだが、途中で仲間割れが生じて銃を向け合う。それぞれの女は銃の構え方が異なり、銀の拳銃を持つ女や、二丁拳銃のような持ち方で睨むような女がいる。それが最後には、有名な劇中写真のように一列に並び銃を構えるようになるプロセスを6時間かけて紡ぎ出していく。正直、話自体は退屈だ。韻を踏んだ饒舌なナレーションも鬱陶しく感じる。しかしながら、銃の魅せ方、スリルの魅せ方だけはカッコいい。中国軍との一触触発な状態で、中国語の原稿を読み上げ、一難乗り切る場面に始まり、盗聴する敵を翻弄するために、トランクから再生機のスイッチを推し、女に原稿を喋らせる演出。ターミネーターのような男が「プロトコミンスカ……プロトコミンスカ……」と呟きながら一人ずつ血祭りに上げる場面などと興味深い表現が多いのだ。

ちなみにエンドロールは36分もある。上下逆さになった世界で撮影班がバラし作業しているのを延々と映している。この衝撃で観落としそうになるが本作のエンディング曲「Las Estrellas」はラウラ・シタレラが歌っている。

98.愚公山を移す/How Yukong Moved the Mountains(ヨリス・イヴェンス&マルセリーヌ・ロリダン=イヴェンス、1976年、763分)

愚公山を移す(1976年)
※MUBIより画像引用

写真の専門家の息子として生まれたヨリス・イヴェンスは、第一次世界大戦後に映画会社フィルム・リガを設立し、ドキュメンタリー映画と反ファシズムのプロパガンダ映画を作り続けてきた。

日本では1999年の山形国際ドキュメンタリー映画祭にて特集が組まれており、1971年から1975年にかけて撮影された12時間40分におよぶシリーズ『愚公山を移す』の一部が上映された。本作は中国の文化大革命の恩恵をPRする作品となっており、当時ほとんど知られていなかった中国文化を伝える情報源となっている。そのため、プロパガンダ色が強い一本として慎重に観る必要があるのだが、我々がアクセスできない中国の一面は好奇心をくすぐるものがある。

たとえば「Training at the Peking Circus(山形国際ドキュメンタリー映画祭未上映)」では中国雑技団の練習風景が映し出される。練習であっても淀みないしなやかさでパフォーマンスが行われており、壺を頭から頭へと渡していく演目は、壺の重量を感じさせない軽やかさを抱かせる。「薬屋上海」では上海の薬局の日常が映し出される。客と対話をし、個人個人にあった薬を調合していく。時には患者の目を医者のように開いて分析し、「問題ないですよ」と安心させたりする。また、カメラは薬局を飛び出し、調剤を製造する工場へと眼差しを向ける。

中国市井の生活に関心ある者には堪らない一本であろう。

99.exergue - on documenta 14(Dimitris Athyridis、2024年、848分)

exergue - on documenta 14(2024年)
※IMDbより画像引用

5年に一度行われる世界最大規模の現代美術展「ドクメンタ」。ナチス・ドイツが現代美術を「頽廃芸術」と呼び、1万点以上もの作品を売ったり焼いたりしたことへの反省からカッセルにて行われた前衛芸術家回顧展を前身とする祭典である。

現代美術の動向を知る上で最も重要な美術展のひとつであり、2002年に開催されたドクメンタ11ではナイジェリア出身のオクウィ・エンウィゾーがアーティスティック・ディレクターを務めており、シリン・ネシャットやインカ・ショニバレなどといった非欧米圏出身の作家を集め、植民地主義などをテーマにした展示が行われた。

2024年に制作された『exergue - on documenta 14』は、そんなドクメンタ14回目の祭典の裏側を撮った作品である。実験映画を除くドキュメンタリーの中では『Resan (The Journey)』に次いで映画史上2番目に長い14時間8分の長さを持つ本作は、多くの問題を抱えた「ドクメンタ14」の裏側をフレデリック・ワイズマンですら撮れないであろう領域まで掘り下げて捉えている。アーティスティック・ディレクターであるアダム・シムジクを中心にキュレーターの仕事、政治、資本主義との闘い、そして美術の限界を捉えた本作は複雑怪奇な「ドクメンタ14」もとい2010年代以降のヨーロッパ情勢を知る上で貴重な資料として機能している。元々、2時間のドキュメンタリーとなる予定だったのだが、次々と発生する問題などをまとめていく過程で最終的にこの長さになったと監督は語っている。

本作に触れる前に「ドクメンタ14」の概要について説明する必要がある。2017年に開催された「ドクメンタ14」は、「アテネから学ぶ」をテーマにドイツ・カッセルとギリシャ・アテネで開催された。これはドクメンタ史上初の2会場開催であり、来場者数もトータルで約123万人と歴代最高の成績となった一方で、巨額な予算超過や新鋭アーティストばかり集めた展示、西洋中心主義を主張するように見えるスローガン、経済危機の際に緊縮財政を押し付けられたギリシャをドイツが持ち上げることへのグロテスクさなどといった問題を抱えていた。

東亜大学芸術学部アート・デザイン学科、清永修全氏の論文「ドクメンタ14」をめぐってによれば、「ドクメンタ14」における両国の関係は新たな「植民地主義」をもたらすとギリシャ国民は受け止めているとのこと。

最終的に約700万ユーロもの赤字を叩き出し、「ドクメンタ」の親会社は破産の危機に立たされた。ヘッセン州とカッセル市が保証人になることに合意し、債権者の多くが未払い金の支払い延期を受け入れることで破産を回避した。あまりの巨額な赤字に対し、不正が行われたのではと監査も入った。

映画は「ドクメンタ14」の功績/功罪をフラットに描き出す。メディアが猛烈に本祭を批判する中、部屋で頭を抱えながらも淡々と話すアダム・シムジクの姿が捉えられる。冷静沈着、スーパースターのような佇まいのアダム・シムジクが東奔西走しながらコンセプトを構築していく姿をカメラは追う。ミーティングでは「アテネから学ぶ」をどのように落とし込むかを、紙やPC、写真を使って綿密に練っていく。新しいアーティストを探すためにベイルートやヨハネスブルク、コルカタと飛び回っていく。多忙な毎日であるが、彼は涼しい顔で冷静な判断を下しているように見える。束の間の休息で楽器を弾く余裕すら魅せている。

本のパルテノン(Der Parthenon der Bücher)
※Wikipediaより画像引用

しかし、雲行きが怪しくなってくる。目玉展示である『本のパルテノン(Der Parthenon der Bücher)』に問題が発生するのだ。これはフリードリヒ広場に設置された、文字通り多くの本で作られたパルテノン神殿である。ナチスドイツが焚書を行った場所と民主主義の象徴であるパルテノン神殿を結び付けている。『本のパルテノン』では、「不思議の国のアリス」「1984年」「一般相対性理論」などといったかつて発禁処分を受けた作品がビニールで保護され、柱へ設置されている。最終日になると、来場者はこれらの本を持ち帰ることができた。「アテネから学ぶ」を象徴する作品ではあるのだが、土台を作るだけでも約58万ユーロのうち50%を占めていた。「そのお金で本物のパルテノン神殿を建てたらいいのでは?」と辛辣なコメントが飛び出すほどであった。ほかにも輸送費面で大きく予算超過する場面もあったが、アダム・シムジクは祭典を成功させるために、アーティストの魅力を最大限引き出すために動き、どんどんと予算が超過していくのである。芸術は資本主義を批判する役割を持っているが、巨大化するアートシーンにおいて資本主義に取り込まれていく。政治的で複雑な関係性の中で、芸術が行う問題提起がその問題へ取り込まれて行ってしまう中で葛藤するキュレーターの心理が浮かび上がってくるのである。決してアーティストを推す楽しい仕事ではないのである。

一方で、民主的に芸術によって世界に問題を提起しようとする活動に身を投じる中でより問題が浮かび上がってしまう事象を前にポール・B・プレシアドが語る「制度的廃墟論」が深く刺さる。制度はあるが機能しないことで廃墟となる様。別に操り人形のように思考停止に陥っている訳ではなく、個人個人がその時なにをできるかについて行動しながらも「ドクメンタ14」自体が資本主義、植民地主義の問題を抱えてしまっている様と正面から向き合った作品、それが『exergue - on documenta 14』なのである。

100.Resan (The Journey)(ピーター・ワトキンス、1987年、873分)

Resan (The Journey)(1987年)
※MUBIより画像引用

一般的な映画の枠で最長だといわれている『Resan (The Journey)』は、『The War Game』でも魅せたピーター・ワトキンスの巧みな編集により14時間全く飽きさせない驚きに満ち溢れた作品である。この驚きのひとつには、日本での取材パートが大半を占めていることにある。その内容は原爆被爆者や戦後を生きる子どもたちに戦争の記憶がどのように継承されていくのかといったものとなっている。

しかし、本作は日本未公開なのである。確かにこれほどの長尺であれば映画祭や特集上映に留まっているのかもしれない。可能性としてありえるのは山形国際ドキュメンタリ映画祭だろう。そこで、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリーに問い合わせを行ったところ、日本パートを撮影した金徳哲キム・ドッチョル監督の『渡り川』や『河を渡る人々』は山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたものの、『Resan (The Journey)』の上映実績はないと回答をいただいた。

ここで大にして語りたいのは、日本人こそこの作品を観るべきなのである。川崎に住んでいる老人宅を訪れ取材する。人々がゴロゴロと転がり、焼けただれた人が「アメリカが憎い」と迫って来る生々しい記憶が語られる。一方で、戦争のトラウマは学校では教えてくれないらしく「教科書でどれだけ原爆のページについて割かれていますか?また、先生はどれだけ原爆の話をしますか?」と取材する場面があるのだが、ほとんど授業で扱わないし、先生はすぐその話を終わらせる。映画は社会が適切に戦争の悲惨さを伝えてない様を告発していく。それはアメリカでも明らかとなりソ連を敵国としてメディアがアイコン化していったがために、本当のソ連人がわからないといったことが若者こ口から発せられる。

日本人として注目すべき点はほかにもある。原爆ドームの前で男が証言する場面がある。原爆ドームの周りには40件もの慰霊碑があるのだが、朝鮮人に対するものはない。何故建てないのかと、問い合わせたところ「景観が悪くなるから」といった非論理的な回答が返ってきたとのこと。

1996年に原爆ドームは世界遺産に登録されたのだが、その際に中国は世界遺産登録の決議自体には反対しないものの以下の声明を出し、決議書に付記された。

 第二次世界大戦中、アジア各国、及びその国民たちは侵略や虐殺などのつらい歴史を経験してきた。しかし、現在においても、その事実を否定し続ける人が、少数であるが存在する。このような状況の中、稀有な例といえるかもしれないが、広島平和記念碑の世界遺産登録が、前述のような少数の人たちによって悪用されないとも限らない。当然、このようなことは、国際平和の維持に良い効果をあげるものではない。

「すべてがわかる世界遺産1500(上巻) 世界遺産検定1級公式テキスト」p238より引用

日本の場合、遺産を説明する際に負の側面を隠蔽する傾向がある。軍艦島こと端島炭坑が世界遺産登録される際に朝鮮人の強制徴用に関する説明を明記する約束を交わしたにもかかわらず一向に明記されなかったことで批判された。

北沢浮遊選鉱場(筆者5月撮影)

また、佐渡島の金山が世界遺産に登録される際に北沢浮遊選鉱場は構成遺産から外す形での登録となった。これはICOMOSからの勧告を受けて、江戸時代の金銀山の採掘技術に関する構成遺産に絞ったことによるものであるが、北沢浮遊選鉱場が第二次世界大戦中に朝鮮人を強制労働させていた問題により中国や韓国から「世界遺産登録にふさわしくない」と批判を受けていた点も要因としてある。構成遺産から外すことで、このような批判から免れ世界遺産登録を確実なものとする政治的な意味合いが強い。実際に2025年5月に北沢浮遊選鉱場を訪れたのだが、朝鮮人を強制労働させていた説明はなかった。

ピーター・ワトキンスのドキュメンタリーを観ると、歪められ、あるいはなかったかのようにして伝えられる歴史を前に我々はいかにして後世に歴史を伝えていけばよいのか考えさせられる。『Resan (The Journey)』は今からでも遅くないので、日本でも観られる機会が設けられることを願いたい。

コラム3:Logistics(Erika Magnusson&Daniel Andersson、2012年、51,420分)

Logistics(2012年)
※IMDbより画像引用

2025年上半期、YouTubeで世界一長い映画のひとつ『Logistics』が全編観られると話題となり、シネフィルの間でフルマラソンが始まった。中国の深圳で作られた電子機器がスウェーデンのストックホルムに届くまでの道のりを逆順の時系列で追った作品で、上映時間は1か月を超える。

YouTubeでは全107パートに分割されている
YouTubeで観られる本編は無音である
PART1より引用

筆者もPART12までと最終話PART107、合計約100時間分を鑑賞しているのだが、興味深い一本であった。

VTuberのEuro Truck Simulator2配信やドライブ動画が
好きな人には堪らない映像が観られる
(しぐれうい 「ねえ、わたしと逃げちゃおっか。」より引用)

ストックホルムの深夜、トラックが電子機器を運ぶ場面から始まる。ドライブ動画やVTuberのEuro Truck Simulator2配信を日頃観ている人にとっては、景色が次々と変わりゆく光景に興奮することであろう。この風景が最終的に中国へたどり着くロマンを感じさせる。やがて列車で輸送されるわけだが、作品は列車の停車時間も一切カットはしない。PART2では17分近く停車している場面が映し出される。

問題作のPART6
4時間過ぎまで真っ暗闇である

本作、序盤の鬼門はPART6だろう。8時間あるうち4時間は無音の暗闇である。無音、暗闇といえばギー・ドゥボールが『サドのための絶叫』の中で、24分間の沈黙を観客に提示したことが有名だが、それを凌駕する無の世界が提示される。しかし、4時間過ぎぐらいに薄ぼんやりと景色が見えていき、やがて全貌が明らかとなる様にはどこか感動を覚える。

ノルウェーのテレビ番組プロデューサーであるトーマス・ヘルムは、7時間の列車旅やフェリーでの航海をそのまま放送し国民に受容されたことをTEDで語っていたが、『Logistics』もまた旅のロマンを感じさせ思わず惹き込まれるものがある。世界最長の映画という玉座に君臨しつつも、この作品が刺さる層は意外と厚いのかもしれない。

なお、全編完走した感想は風来のリヨナ氏のレビューを参考にしていただけたらと思う。

2025年6月13日にWikipedia記事
「List of longest films」を読んだら、
世界最長の映画が更新されていた。
上映時間120日って何事だ?

そして、本記事をnoteにアップする作業中に驚くべきニュースが舞い込んできた。世界最長の映画が『Logistics』ではなくなったのである。

2025年にDan Kapelovitzが上映時間120日の映画『120 Days of Sodom Literally』を制作したとのこと。確かにIMDbLetterboxdといった海外の映画データベースサイトには作品が登録されているのだが、詳細は不明であり、調べても全くニュースになっていない。タイトルから察するにマルキ・ド・サド「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」を実時間でやるトンデモ映画のようだが、ここまで情報がないとなるとMarco Roman『100』のようにアンダーグラウンドに生息する愉快犯的な作品なのかもしれない。

創作大賞2025締め切り1日前に
120 Days of Sodom Literally』サイトが見つかる。
サイケデリックな文字で詳細が書かれていた。
ピエル・パオロ・パゾリーニ『ソドムの市』の
低画質なイメージがあった。
観続けているとフレームが切り替わっているのがわかる。
翌朝(約8時間後)、
サイトを確認すると場面が変わっていた。

ところが、創作大賞2025締め切り1日前に有識者から本作に関する情報が舞い込んできた。そのメッセージには、本作のリンクが添付されていた。実際にアクセスする。古のサイトのような禍々しい空間が広がっていた。ピエル・パオロ・パゾリーニ『ソドムの市』の低解像度なイメージと共に以下の説明が目に入る。

120 Days of Sodom Literally
Now playing above: “120 Days of Sodom Literally,” a film by Dan Kapelovitz with a running time of 120 Days (172,800 minutes / 2,880 hours) — literally. The longest film ever made.™

Note: Because the frame rate is roughly one frame per minute, it may appear that the film is not advancing. This is not the case. Keep watching.
The world premiere began January 1, 2025 at 12:00 am.
The second screening began May 1, 2025 at 12:00 am.
The third screening will begin September 1, 2025 at 12:00 am.

120 Days of Sodom Literally
現在、うえで上映しています: Dan Kapelovitz監督の映画「120Days of Sodom Literally」、上映時間は文字通り120日 (172,800 分/2,880時間)。史上最長の映画。™

注意: フレーム レートはおよそ 1分あたり1フレームなので、フィルムが進んでいないように見える場合があります。そんなことはないです。引き続きご覧ください。

世界初公開は
2025年1月1日午前0時に始まった。

第2回上映は
2025年5月1日午前0時に開始されました。

第3回上映は
2025年9月1日午前0時からとなります。

120 Days of Sodom Literallyサイトより拙訳

つまり、ピエル・パオロ・パゾリーニ『ソドムの市』を1分1フレームで120日間上映し続けるトンデモ映画だったのである。低画質のイメージをずっと観ていると一瞬、画面が白くなり、代わり映えのないイメージに差し替わっているのがわかる。本当にMarco Roman『100』同様の愉快犯で心底失望した。ピエル・パオロ・パゾリーニ『ソドムの市』の単なる冒涜にしか思えず、『Logistics』を差し置いて本作が世界一長い映画の玉座に座っていることに怒りが込み上げてきた。こうして企画「【上映時間3時間以上】超長尺映画100本を代わりに観る」は、衝撃の結末で幕を下ろしたのであった。

【あとがき】

基本的に、筆者は文章を数時間で書き上げるため、長期にわたり文章と向き合ったのは大学の卒業論文1970年代 デンマークポルノ映画がドグマ95に与えた影響を書いた時以来であった。卒業論文も2週間で書き上げているので、過去最長1.5ヶ月10万字超えの内容となった。折角なので、今回集めた100本の映画を分析してみた。

映画ジャンルの内訳
上映時間の内訳

コラムを除く掲載した作品の総上映時間は32,254分、日にちに換算すると22.39日となる。これら100本を足し合わせても『Logistics』の上映時間35日に達していないことにゾッとさせられる。上映時間の中央値は237.5分、約4時間であった。上映時間の内訳を作成したところ、4時間以上の作品を多く集めたつもりではいたものの3時間台の作品が51本と過半数を超えていた。スプレッドシートで分析すると客観的な情報が浮かび上がって興味深いものがある。

今回の記事では超長尺映画への間口を広げるため、『タイタニック』のような映画ファン以外でも知られている作品から、日本未公開の映画まで網羅的にリストアップした。

スモーキング/ノースモーキング(1993)
※MUBIより画像引用

一方で、スケジュールや入手難易度の関係で掲載できなかった作品もある。たとえば、ノベルゲームのような作品『スモーキング/ノースモーキング』がある。『去年マリエンバートで』で知られるアラン・レネが制作した2本から構成される異色作。セリアが庭でタバコの箱を見つけるところから始まり、タバコを吸うか吸わないかで物語を分岐させていく内容となっている。近年、ブラック・ミラー: バンダースナッチ』や『ヒプノシスマイク Division Rap Battleなどとインタラクティブに物語が分岐していく映画が作られるようになっているため、その歴史を捉えるためにも紹介したかったのだが、入手ができず断念した。

また、アニメで上映時間が3時間を超える作品も発見できなかった。長尺のアニメ映画といえば『涼宮ハルヒの消失』や『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』、『この世界の(さらにいくつもの)片隅になどが存在するが、いずれも3時間以内に収まっている。最近のGoogle検索にはAIによるサジェスト機能が搭載されており、AIは『劇場版 転生したらスライムだった件 紅蓮の絆編』が3時間超のアニメ映画だと教えてくれたが、確認したところ108分であった。

『伝説巨神イデオン 接触編/発動篇』
※映画.comより画像引用

この記事を公開した際に、昨年の創作大賞note賞を受賞したみねのもみぢば氏から、『伝説巨神イデオン』二部作が該当するのではと情報をいただいた。映画.comで調べてみると、

「機動戦士ガンダム」の富野喜幸(現:由悠季)監督が手がけたTVアニメーションの劇場版。視聴率低迷により39話で打ち切られたTV版をまとめた前編「接触篇」と、本来描かれるはずだった結末を描いた後編「発動篇」の2作が同時公開された。

映画.comより引用

と記載があり、上映時間も二部作合計で183分なため、超長尺映画のレギュレーションを満たすことがわかった。これは別の機会に鑑賞してみたいところである。

最後に、筆者のオールタイムベスト超長尺映画最新版を掲載し終わりとする。是非、超長尺映画に興味を持った方は気になる作品から手に取って挑戦していただきたい。観終わった後の世界は変わって見えることだろう。

■チェ・ブンブンのオールタイムベスト超長尺映画

1.痛ましき謎への子守唄/A Lullaby to the Sorrowful Mystery(ラヴ・ディアス、2016年、489分)
2.原油/Crude Oil(ワン・ビン、2008年、840分)
3.exergue - on documenta 14(Dimitris Athyridis、2024年、848分)
4.プティ・カンカン2 クワンクワンと人間でないモノたち/Coincoin and the Extra-Humans(ブリュノ・デュモン、2018年、217分)
5.アブラハム渓谷/Abraham's Valley(マノエル・ド・オリヴェイラ、1993年、203分)
6.ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間/Woodstock(マイケル・ウォドレー、1970年、225分)
7.炎/SHOLAY(ラメーシュ・シッピー、1975年、204分)
8.I Only Rest In The Storm(ペドロ・ピーニョ、2025年、211分)
9.地獄の黙示録/Apocalypse Now(フランシス・フォード・コッポラ、1979年、182分)
10.Resan (The Journey)(ピーター・ワトキンス、1987年、873分)

【参考文献】

死ぬまでに観たい映画1001本 改訂新版(スティーヴン・ジェイ シュナイダー総編集、2011年、ネコ・パブリッシング)
闇の奥(ジョゼフ・コンラッド、1958年、岩波書店)
Réflexion faite(ポール・リクール、2021年、POINTS)
嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する(山本圭、2024年、光文社)
サイレント映画の黄金時代(ケヴィン・ブラウンロウ、2019年、国会刊行会)
ファンたちの市民社会(渡部宏樹、2025年、河出書房)
現代思想2022年9月号 特集=メタバース(2022年、青土社)
501映画監督―国際版・名匠501人オールカラーガイド(スティーヴン・ジェイ シュナイダー総編集、2009年、講談社)
neoneo vol.11 ダイレクト・シネマの現在(2018年、neoneo編集室)
ユリイカ 2021年12月号 特集=フレデリック・ワイズマン(2021年、青土社)
101: Cult Movies You Must See Before You Die(スティーヴン・ジェイ シュナイダー総編集、2010年、Cassell Illustrated)
<悪の凡庸さ>を問い直す(田野大輔ほか、2023年、 大月書店)
エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】(ハンナ・アーレント、2017年、みすず書房)
ショットとは何か 歴史編(蓮實重彦、2024年、講談社)
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト(美術検定実行委員会、2014年、美術出版社)
すべてがわかる世界遺産1500(上巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局著、2024年、NPO法人世界遺産アカデミー)
すべてがわかる世界遺産1500(中巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局著、2024年、NPO法人世界遺産アカデミー)
すべてがわかる世界遺産1500(下巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局著、2024年、NPO法人世界遺産アカデミー)
Cahiers du Cinema N 761 - les Annees 2010 - Decembre 2019(2019年、カイエ・デュ・シネマ)
現代映画用語事典(山下慧ほか、2012年、キネマ旬報社)
24/7 眠らない社会(ジョナサン・クレーリー、2015、NTT出版)
キネマ旬報ベスト・テン90回全史(青木眞弥編集、2017年、キネマ旬報社)
〈アメリカ映画史〉再構築: 社会的ドキュメンタリーからブロックバスターまで(遠山純生、2021年、作品社)
アートワーカーズ: 制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践(ジュリア・ブライアン゠ウィルソン、2024年、フィルムアート社)
・Andy Warhol - 4 silent moviesリーフレット

【関連記事】

【目次】

《第0章:まえがき》

《第1章:超長尺映画入門》

《第2章:超長尺映画作家たちPART1》

《第2章:超長尺映画作家たちPART2》

《第3章:果てしなく長い語り》

《第4章:戦争と平和》

《第5章:シリーズを完走する》

《第6章:執念の眼差しとしてのドキュメンタリー》

《第7章:深淵なる実験映画》

【Special Thanks】

創作大賞2025締め切りの2025年7月22日(火)までに当企画記事を紹介していただいた方の記事のリンクを以下に張る。紹介していただいた方にここで感謝を述べる。

みねのもみぢばさん

たおたおさん※リスト掲載

紫吹はるさん

野やぎさん

※サムネイルはMUBIよりピーター・ワトキンス『Resan (The Journey)』の画像を引用



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CHE BUNBUN 映画ブログ『チェ・ブンブンのティーマ』の管理人です。よろしければサポートよろしくお願いします。謎の映画探しの資金として活用させていただきます。