【ととのえ職人の独り言34】代表的日本人。『二宮尊徳』という在り方。
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
現在、このシリーズの記事では、私が「パーソナルトレーナー」から「ととのえ職人」になっていった経緯(出来事や想い)などを書きながら、実体験と専門家としての立場から、
なぜ、ととのえることが大事なのか
ととのえるとはどういうことか
どういうふうに、ととのえるのか
ととのえると、どんな効果があるのか
その他、心と体の健康に役立つこと
などを、色々な話を織り交ぜながら書いております。(本語り。1万文字以上)
それのちょっとゆるめバージョンが、小語りで、3000字程度で書いています。
さらに、短め。1000字程度の独り言。ただ思ってることを、つらつら書く。
ととのえ職人の独り言、始めました。
かつて、日本中の小学校には二宮金次郎像がありましたが、
現代は、どんどん撤去されてきています。
これが、どれほど日本人の潜在意識に影響を与えているか。
…実はめちゃくちゃ大きいと思います。
二宮金次郎、二宮尊徳といえば、
『代表的日本人』として挙げられる一人です。
二宮尊徳の言葉に、こんなものがあります。
「奪うに益なく、譲るに益あり」
シンプルに言えば、「利己」ではなく「利他」です。
約170年前に、尊徳先生は湯船に浸かりながら、こんな話を仰ったそうです。
世の中では、あなたたちのような富める者が、足ることを知らずに飽くまで利を貪り、不足を唱えています。
それはちょうど、大人がこの湯船の中に突っ立って、屈みもせずに、湯を肩にかけながら、湯船が浅すぎるぞ!ひざまでも来ないぞ!と、怒鳴るようなものです。
もしも、望みにまかせて湯を増やせば、小さい子どもなどは湯に入れなくなるでしょう。だからこれは、湯船が浅いのではなくて、自分が屈まないことが間違いなのです。
この間違いがわかって、屈みさえすれば、湯はたちまち肩まで来て、自然と十分になるでしょう。…他に求める必要がどこにあるでしょうか。
世の中の富める者が、不足を唱えるのは、これと何ら変りはありません。
分限を守らなければ、千万石あっても、なお不足です。
ひとたび、分に過ぎた過ちを悟って、分度を守れば、余財がおのずからできてきて、十二分に人を救えるはずです。
この湯船が、大人は屈んで肩につき、子どもは立って肩につくのを中庸とするように、百石の者は五十石にかがんで五十石の余財を譲り、千石の者は五百石にかがんで五百石の余財を譲る。これを中庸というべきです。
もし、町村のうちで一人この道を踏む者があれば、人々はみんな分を越えた過ちを悟るでしょう。
人々がみんなこの過ちを悟って、分度を守ってよく譲れば、その町村は富み栄えて平和になることに疑いありません。
古語で「一家仁なれば、一国仁に興る。」と言っているのは、このことです。よく心得なければなりません。
「仁」というものは、人道の極致ですが、儒者の説明(儒教)はやたらに難しい話ばかりで、役に立ちません。身近な例で考えれば、この湯船の湯のようなものです。
湯を手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちの方へ来るようだけれども、みんな向こうの方へ流れ帰ってしまう。湯を向こうの方へ押してみれば、湯は向こうの方へ行くようだけれども、やはりこっちの方へ流れて帰る。
少し押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのです。
「仁」と言ったり、「義」と言ったりするのは、向こうへ押すときの名前であって、手前にかき寄せれば、「不仁」になり、「不義」になるのだから、気をつけねばなりません。
古語に「己に克って礼に復れば、天下仁に帰す。仁をなす己による。人によらんや。」とありますが、「己」というのは、手が自分の方へ向くときの名前で、「礼」というのはこの手を、相手の方へ向けるときの名前です。
手を自分の方へ向けておいては、「仁」を説いても「義」を説いても、何の役にも立ちません。よく心得なければなりません。
人のからだの構造を見てみてください。人間の手は、自分の方へ向いて、自分のために便利にもできていますが、また向こうの方へも向いて、向こうへ押せるようにもできています。これが「人道」の元なのです。
鳥獣の手はこれと違って、ただ自分の方へ向いて、自分に便利なようにしかできていません。だから、「人」として生れたからには、他人のために押す「道」があるのです。
それを、我が身の方に手を向けて、自分のために取ることばかり一生懸命で、先の方に手を向けて他人のために押すことを忘れていたのでは、人であって人ではありません。つまり鳥獣と同じです。
なんと恥かしいことでしょうか。恥かしいばかりでなく、天理にたがうものだから、ついには滅亡するでしょう。
だから、私は常々、「奪うに益なく譲るに益あり、譲るに益あり奪うに益なし」、これが天理なのだと教えているのです。
よくよくかみしめて、味わってください。
どうでしょうか。身近な例を使って、人道を説いています。
本質を理解している人は、こういう譬え話が上手いです。
人道(じんどう)から、濁りをとれば、神道(しんとう)になります。
我を消して、私欲を消して、無私・利他の心で生きる人、人の道を歩む人が一人でも増えていけば、どんなに世の中は良くなるでしょうか。
二宮尊徳先生は、日本人の在り方のお手本です。
また、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という言葉も、遺されています。
いかに今の世が、私利私欲に塗れ、欺瞞に溢れ、犯罪行為がなされているか。人道に反し、仁義に反し、天理にも反している。
というのを、尊徳先生が生きた約170年前、江戸時代末期に仰っています。江戸から明治・大正・昭和・平成・令和と、、どんどん荒廃してきている。限りなく、滅亡は近い状態になってきているのではないか。。
が、それをひっくり返すのは、私たち一人一人の心の在り方であり、意識であり、波動です。
在り方・生き方・働き方を見直していく。
お天道様に恥じないように生きていく。
世の為、人の為に生きていく。
人としての道を歩んでいく。
それが、私たち一人一人にできることです。いや、やるべきことでしょう。と、私は考えています。
それを一言で「ととのえる」と表現しています。
誰かが世の中を変えるのではなく、
私たち一人一人の在り方が、世の中を変えるのです。
世の中を変えるというのは、大きな話ではなくて、
まず身近な関係性の中で、変えていくのです。
ととのえていくのです。
自分が変われば、関わる人に影響を与えていきます。
一人一人が自分の人生を生きる。
人としての道を歩んでいく。
率先垂範していく。
一燈照隅。万燈照国。一つの灯火を掲げて一隅を照らす。
そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。
一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって国をほのかに照らすようになる。
だからまず自分から始めなければいけない。
そのためには自分自身が明りにならなければいけない。
それは手燭を持つことではない。
そんなものは吹き消されたらそれっきり真っ暗になってしまう。
そうではなく、自分自身が発光体になるのだ。
一隅を照らす人が増えれば、いつか全体が照らされて明るくなっていく。
日本は良くなっていく。世界は良くなっていく。
そう、私は信じています。
それが、私のビジョン、自立と共生した社会です。
私たち一人一人が、本来は光の存在です。
今の世は明るくない。無明な人・無知な人で溢れてきている。
まず、自分自身に明かりを灯す。自分の足元を見る。
自分の足を見て、足るを知り、人の道を踏んでいく。
人道を歩んでいく。
そして、足元を照らしたら、だんだんと前を向いていく。
だんだんと上を向いて歩いていけば、
そこにはお天道様が、明るい光で私たちを照らしてくれています。
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心と体を快適に過ごしていきたい方
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私という存在に興味を持ってしまった方(笑)
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ととのえ職人 五木田穣
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