『ただ、ごみ箱を動かしただけなのに』
「なんだか最近、部屋が暗いな……」
社会人二年目の美咲は、
休日の朝、ため息をついた。
窓はある。
照明も問題ない。
なのに部屋全体がどこか薄暗く感じる。
仕事が忙しくなってからというもの、
掃除は最低限。
部屋の隅には段ボール。
読みかけの本。
いつか捨てようと思っていた雑誌。
そして窓際には、大きなごみ箱が置いてある。
「まぁ、今日は少し片付けよう」
美咲はコーヒーを飲みながら、
のんびり掃除を始めた。

机を拭き、
床に落ちた髪の毛を拾い、
散らかった小物を整理する。
そして最後に、
窓の前に置かれたごみ箱を持ち上げた。
「重っ……」
中身を捨てて、
なんとなく部屋の反対側へ移動する。
その瞬間だった。
ぱあっ——。
部屋が明るくなった。
「え?」
思わず振り返る。
窓から差し込む光が、
まるで別物のように広がっている。
今までごみ箱が邪魔をして、
レースカーテンの一部を押し込んでいたらしい。
たったそれだけ。
それだけなのに、
部屋は見違えるほど明るくなった。
「なにこれ……」
美咲は思わず笑った。

そして、その時だった。
コトン。
机の上から小さな音がした。
見ると、
小さな白い何かが座っている。
親指ほどの大きさ。
ふわふわの髪。
背中には透明な羽。
「……え?」
「やっと出られた」
小さなそれは、
腕を組みながら言った。
「え?」
「だから、やっと出られたんだよ」
「えぇぇぇぇ!?」
美咲は思わず後ずさる。
小さな妖精は大きく伸びをした。
「暗かったんだよ、ずっと」
「妖精!?」
「うん」
「本物!?」
「たぶん」
妖精は窓辺へ飛んでいく。
きらきらと光の粒が舞った。

「光が入らない場所にはね、私たちは住めないの」
「私たち?」
「幸せとか、やる気とか、ひらめきとか」
妖精は窓の外を見ながら言った。
「みんな光が好きなんだ」
美咲は呆然と立ち尽くす。
「じゃあ……」
「うん」
妖精は振り返った。
「君の部屋に最近いなかったでしょ?」
確かにそうだった。
やる気が出ない。
疲れが取れない。
何をしても楽しくない。
そんな日が続いていた。
妖精は肩をすくめる。
「ごみ箱一つだよ」
「え?」
「人生って案外そんなもの」
そしてニッと笑った。
「大きな悩みだと思っていたことが、
実は窓の前のごみ箱だったりする」
その言葉に、
美咲は思わず吹き出した。

確かにそうかもしれない。
人生を変えるほどの答えを探していた。
けれど、
本当に必要だったのは、
ごみ箱を少し動かすことだった。
その日以来、
美咲は部屋を少しずつ整えた。
完璧じゃなくていい。
全部変えなくていい。
まずは、
光を遮っているものをどければいい。
それだけでいい。
窓から差し込む夕陽を見ながら、
美咲はふと思う。
あの日の妖精は、
本当にいたのだろうか。
それとも、
疲れた心が見せた幻だったのだろうか。
分からない。
でも一つだけ確かなことがある。
部屋が明るくなってから、
心まで少しだけ明るくなった。
そして今日も窓辺には、
誰かが座っている気配がする。
小さな羽を揺らしながら。
「ほらほら。
次は、その積んだ段ボールだよ」
そんな声が、
どこからか聞こえた気がした。✨🌿

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