ホワイトルーム・オープン・ザ・ドア ①
二学期初日。高校三年生の山吹哲平の担任の鎧塚がある提案をする。
クラスを7人一組の5チームに分け、不登校の白井を学校に戻せた
チームには報酬を渡すというプロジェクト。
「ゲームではなくどうすれば来るのか考える」を
前提とした上で6つのルールが制定される。
なぜか哲平はクラスのはみ出し者女子たちの集まるチームリーダーに
選出されてしまい悪戦苦闘する。
不登校は「個人の自由」か「クラスの問題」か。
別れる意見と対立はやがて新たな不登校を生み出し…。
答えのない課題に取り組む高校生たちの挑戦。
果たして成功させるチームはあるのか?
プロジェクトを通して見えてくる側面。自分自身。
あなたは友達をどこまで「知って」いますか?
新学期が始まってほっとするなんて初めてだった。受験生の夏休みは休みではない。週4日の夏期講習。家にいても勉強してるか見張られてるようで落ち着かず、早く学校に来たかった。高校三年にもなればパーソナルエリアが確立し、他人のエリアに無断で踏み込まない。どうでもいい話題は都合よく通り過ぎる、ガヤガヤした喧騒に安堵していた。
三年四組の教室にある僕の席は窓際から3番目の後ろから2番目。全体が見渡せるので結構気に入ってる。携帯をいじっていると予鈴が鳴り「 文ちゃん まだ来てないね」と、富里という女子が、僕の二つ左隣を心配そうに見つめた。
学校から一番遠くに住む文ちゃんはよく遅刻する。他の生徒なら、いなくてもたいして気にしないのに、クラスの人気者の文ちゃんの不在にはみんなすぐ気付く。僕も心配だからメールを送った。
『おーい文ちゃん どこさ』
『目の前』
5秒後に返事が来た。すると窓際の席の緑川が「ぶんちゃーん、急げー!」と顔を外に出して叫んだ。教室から校門が見えるので、走ってくる文ちゃんが見えるらしい。前後の生徒も「文ちゃん早くー」「まだ間に合うよー」と呼び合った。
ああ目の前って校門のね。来たならよかった。だが間もなくして「ほれ、席着きー」と担任の鎧塚先生が前のドアから入ってきた。
お馴染みのアディダスの白いポロシャツにカーキのカーゴパンツ。スキンヘッドと顎髭。ゴツいガタイに厚い胸板。世界史担当の鎧塚先生はおよそ高校教師には見えぬ風貌だが、話しやすいからみんなに好かれてる。授業も分かりやすいから面白く、僕は先生が担当になってから、侵略と混迷のローマ史に興味を持つようになった。色々質問をすると、高校生にはちとエグいぐらいの内容の書かれた書籍を貸してくれたり、変遷する世界地図のコピーもくれた。おかげで僕は皇帝ネロの時代からの血生臭いローマの歴史にかなり詳しくなり、一学期の期末テストでは95点のクラス最高点を取った。
「なんにでも興味を持つのはええことじゃ。そうやって世界は広がる。ひとつのことをきっかけに知識の枝葉は伸びるからな」
けど先生がしてくれるのはそこまで。あれ読んだか?としつこく聞いたりしない。気には掛けてもあっさりしてて、付かず離れずの関係を保ってくれる。僕はそれを信頼と受け取っているし、横浜では滅多にお耳に掛かれない昔話みたいな岡山弁に親近感を覚えるのだった。
「先生、今から文ちゃん来まーす」
廊下側の一番前に座る赤城が笑いながら外を指差した。
「ここ来る途中に見えたわ。あいつほんま新学期から寝坊しよって、ええ度胸じゃの」
直後に慌ただしい足音が聞こえ、息を切らした文ちゃんが後ろのドアから入ってきた。「セーフ、セーフ」と赤城が腕を開くと拍手が起きた。
「間に合うのが普通じゃ。拍手いらん。文吾、早よう席着け」
先生が出席簿を軽く振ると、文ちゃんはてへっとしながら頭を下げ、のっぽの背を屈ませて自分の席に着いた。愛用のベージュのリュックを机の脇に下げるのを見てる僕と目が合った。
「おはよう」
小さく告げた。空席をひとつ挟んだ文ちゃんはにっこりして携帯を頬の横で振った。メールどうもね、のサインだった。文ちゃんがいるといないでは一日の楽しさが全然違う。来てよかったと思いながら僕は笑って頷いた。
一時限目はHRで、夏休みの課題を集め、二学期の予定や進路相談の日時、文化祭の日程表が配られた。
「よし、じゃあほんなら全員携帯机の上に置け」
先生がぱんと手を叩いた。「え?」ときょとんとし、みな前後左右と顔を見合った。早よせえよおと促され、鞄から出した携帯を机に置いた。
「したらそれ、隣に渡して電源切ってあるか確かめてもらえ」
謎の指示は続く。なんなの?ざわつきながらも言われた通りにした。僕と文ちゃんも交換して確認し合った。クラス内の携帯の電源がオフになった。
「そのまま触るなよ。膝の上に手乗せておけよー」
説明のないまま先生は廊下側の窓を閉めさせた。そして赤城の席から順番に机の上に一万円札を置きながら通路を巡った。困惑と驚嘆の矯声があちこちで上がった。「触ったらあかんぞー」と先生は制した。僕の前にもピン札の福沢諭吉がすいと現れた。いつものいかめしい顔で。何しに来たのか分からないので怖い。けど先生はアメ玉みたいにすいすい配って行く。
何これ?近しい席で尋ね合った。携帯電話の横に一万円札。意味深なアート作品的構図。全員の机を回った先生は教壇に戻って教室を見回した。
「ほんなら目の前にある一万円札が本物かどうか手に取って確かめてみい。
偽物が紛れとるかもしれんからの」
何かゲームでも始まるのか。疑心暗鬼に周りを気にしつつ、みなおそるおそる一万円札に手を伸ばした。まだためらってる僕と、同じく膝から手を離さない文ちゃんは「どうする?」「なんだろね?」と無言で問い掛けては首を傾げた。すると文ちゃんが先に一万円札手に取り、天井に透かしてみせた。特におかしな点はない、大丈夫だよと言うように僕に向けてひらひらさせた。ヘタレを試された気がして恥ずかしくなった。よく言えば慎重な僕は、笑ってごまかしつつそっと一万円札を両手で掴んだ。
ピン札はなめらか過ぎておもちゃみたいだが、質感にも肖像画にも違和感はない。色も透かしも本物。隣同士で見せ合っても偽物ではなかった。
「先生、なんすかこれ」
赤城がお札を手に尋ねた。 「くれるんすか?」
「欲しいか?」
教壇に両手を広げて先生は笑みを浮かべた。
「そら、くれるっつーなら、なあ?」
赤城は後ろの席の村上に同意を求めた。どちらもニタニタと笑っていた。目立つ生徒の赤城はいつも最初に喋り出す。流行りものに敏感で、ファッションや携帯のツールの最新をいち早く持ち込んでくる先駆者。茶髪の長髪と見た目も派手で、似たようなタイプとつるんでる。隅っこ暮らしの僕とは滅多に喋らないが、こういうやかましい奴のおかげでうまく隠れられるから、気は合わないがいると助かる存在だった。
「やってもええぞ。先々週スクラッチが当たった金やけど、使い道がなかったから、お前らにやろうと思ってたんや。ただし報酬としてな」
先生は前に出てきて真っ直ぐ指差した。僕と文ちゃんの間にある空席。5月から不登校の白井の机に注目が集まった。
「お前らが自分らの創意工夫で以て白井を学校に来させることができれば
わしから報酬を払う。そやけど個人やない。七人ずつの5チームに分かれてやる。白井を学校に戻すことができたチームが報酬を総取りできる。このクラスは36人おるから、ひとり5万ずつの取り分やぞ。どうや、達成できたチームには取っ払いやぞ。もらえるのは卒業してからやけどな」
先生はくるりと黒板の方に向くと、チョークでカツカツと板書した。
WHITEROOM OPEN THE DOOR
「プロジェクト名はホワイトルーム・オープン・ザ・ドア。お前らがやるのは閉めきった白井の部屋の扉を開くこと。スタートは来週から。そんなら今からチーム分けの編成を発表するぞ」
この人何言ってるの?理解が追い付かず、全員がぽかんとしていた。
「ちょっと待ってください」
クラス委員の石黒が手を上げた。「なんや」先生は持っていた紙をすいと下げた。
「僕たちはまだやるとは言っていません。なんにも納得できないまま話を進めないで下さい」
「なにが納得できんのじゃ」
「白井を学校に来させることが僕らの仕事なのかということです。それは個人の自由で、本人の意思を尊重すべきなんじゃないですか?」
「個人の自由?なんやそれ」
「白井は学校に来たくないから来ないんでしょう。行かないっていう意志が本人にあるなら、他人が口を出すのはよくないんじゃないでしょうか」
「ほんならお前は学校に来たくて来とるのか?勉強したくてたまらんくって勉強しとるのか?」
「そういうわけじゃないですけど…、学生だし、将来のためです」
「将来?どういう将来のためや」
教壇に肩肘を乗せて石黒を見据えた。どうって言われても…。新学期初日にこんな議論をするとは思っていなかったから、いつも整然としてる返しが鈍っていた。けど代弁者として一番頼りになる石黒は、僕らの無言の援護を一心に受けながら「…それは」と声を絞り出した。
「学歴や知識は生きて行く上で必要なことじゃないですか。何をするにしても」
「そうか?学歴がなくても成功しとる偉人はたくさんおるぞ」
「そうかもしれませんけど、そういうのは秀でた才能や特技がある一部の人に限ります。一般的にはいい企業に就職すれば豊かな暮らしができる仕組みになってますから、そのために勉強していい大学に入る。学校はそのためにあるんじゃないんですか?」
「じゃあお前にとってのいい企業ってのは具体的にどういうとこだ?」
「それは…世界に影響力があって、待遇が良いとか、実力に見合った評価をくれるような、そういった所です」
「ほんならお前が超一流の外資系企業に入社したとして、お前の能力を一切活かせない部署に配属されても、自分の意思で決めたことやと納得できるんか?ここはええ会社やからと偽りなく思えて続けられるならええよ。けど最初に抱いた夢とリンクしない毎日を送っても企業名のが大事か?運良くお前の得意分野を発揮できる現場に回されたら今度は言い訳できんぞ。結果が全てになるけえプレッシャーも倍になる。期待っちゅうのはなくても寂しいが、預けられると足が沈むぐらい重くてかなわんものやからな」
石黒の喉が鳴った。優等生の沈黙は僕らからもっと言葉を奪った。思うことはあっても石黒より弁が立たないから黙ってるしかなかった。
「仕事なんてほんまはなんでもええんじゃ。ええ企業に入ることより、やり続けることのが難しいんやからな。誰もが認める大企業に勤められるんは、たいしたもんではあるけど、それだけで心が満たされるとは限らん。業務内容、対人関係、実際入社したら聞いてたのと雇用条件が違うなんてよくある話で、社会に出た時に最初に闘うのは理不尽という現実や。これがなかなか手強いぞ。若い時ほど折り合いを付けるのが難しい。一流企業であるほど辞めるのもためらう。自分より能力低いコネ入社が一瞬で出世して威張ってくるしな。どうする?そういう時。迷うやろ。大事なのはやり甲斐を見出だすことじゃ。単調な毎日にも新しい発見はある。文吾は見た目は一学期と同じやが、二学期こそは遅刻をせんと信じとるぞ。お前ほんま遅刻すんなよ。このままやと教科によっては単位落とすかもしれんからな。ともあれお前らは「学校に来る意味を見出だしてる」からここにいる。学級委員長の言う通り、将来のため、自分自身のため、生きるために必要やから教育を受ける権利が与えられているわけや。白井にもな。ええか、今配ったのは参加費や。全員に行き渡っとるよな。それを今から回収する。触ったことで参加の資格を得たっちゅうことや。ほんまにええか、これだけは覚えておけよ。これはゲームではないからな。勝ち負けを競うもんでもなく、力ずくで出せばええシステムでもない。提示された課題にどう対処するかを真剣に考えるためのプロジェクトや。不登校は当人と家族の問題とされとるが、クラスメイトは当事者ではないのか。教室の真ん中にある席が毎日空いてるのは異常やないのか。石黒が言うように、来ないには来ない理由があって、どうしても行けない事情もある。けど誰も誘わんのも本人の責任か。誰かひとりでもおるか?文吾以外で自発的に白井と連絡取ってる者。おらんやろ。自分やったらと考えた時、どんな気分になるよ?クラスに三十六人おって全員にスルーされ続けるメンタル。たまらんやろ。不登校のほんまの理由はよう分からんけど、白井は別に病気もしとらん。そやけどどうも学校には足が向かんらしい。ここはそこそこの進学校やし、あいつもお前らと同じ高校三年生で進路を決めなあかん。一応課題は提出しとるけど単位が足らん。ダブって文吾がおらんようになったら多分退学するやろう。それだけはわしは避けたい。全員で卒業したい。誰ひとり欠けることなく壇上で卒業証書を受け取らせたい。そやからお前らに協力を仰いでるちゅうわけや」
教室にひゅんと空洞ができたようだった。さりげなくもずっと避けていたが、やっぱりブラックホールはあった。黒い穴の縁に唐突に立たされたようだった。静寂に同調しない蝉がざわめく心境みたいにやかましかった。今日も33度を越える夏日なのに、背中の汗が冷たく伝った。
「ー私やりたくありません」
伸びた芝生みたいに襟足がギザギザしてるショートボブ。文ちゃんのひとつ前に座る富里だった。ちょっと癖のある声のきっぱりした発言は、どこに落ちるか分からないピンボールみたいに教室の壁を跳ね回った。
