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創作大賞2026感想 エッセイ11作/漫画1作

エックスにて募集した「あなたの創作大賞応募作を読ませてください」にコメントいただきました作品の感想を寄せさせていただきます。

初感想って難しい。学びになりました。ありがとうございます。

感想文がどちゃくそ下手なので、私の感想はおいておいて、皆様の作品をどうか読んでください。次の機会では感想文について学んでから挑みたいと思います。(後半につれて書きやすくなっていったので勉強というより・・・修行?)

エッセイ部門を11作。漫画を1作。
私の締め切りお声がけ前にコメントくださった
小説の感想は応援期間を過ぎてしまうかもなのですが必ず書きます。



1.『母と結婚式』/みくまゆたん 様

ご本人の結婚式と、その家族にまつわるエッセイです。結婚式での両親の手紙に泣いた過去や、遠くに住むご両親がいらっしゃる方には読んでもらいたいと思う作品でした。

★感想
冒頭、扉が開いた瞬間の白く煙る空気と、少しぎこちない両親の歩幅。みくまゆたんさんの『母と結婚式』を読みながら、ふと見たことのある景色に、親への手紙を震えながら読んだことを思い出し、胸がじんわりと温かくなった。

お母さまが外の世界で傷つかないよう、自分の手の届く範囲で小さな「城」を築き、その中で自分なりの機嫌を取って、自分を守り続けてきた生き方に私は共感してしまったが、親のことを反面教師として、育つ子供というのは世の中に沢山いると思う。みくまゆたんさんもまたその一人だった。

誰しも、傷つかずに生きていくための「殻」を持っている。みくまゆたんさんのように外に飛び出して揉まれることも強さだが、お母さまのように自分の愛する狭い世界を慈しみ抜くこともまた、ひとつの人間らしさであり、互いが互いとして生きていくための知恵だったのだろうなと、相反する二人の生き方に胸がギュッとした。

自分の中の「弱さ」を守り抜くための「強さ」をどう扱うかが、その人の生き方となるのではないだろうか。それを剣で守るのか、盾で守るのか。人とは、きっとそういうものなのだと思う。

結婚して、親と物理的な距離ができ、久しぶりに顔を合わせたときどこか頼りなく映るその佇まいに、胸がぎゅっと締めつけられるような切なさを覚えるのは、私だけではなかったのだとどこか安心した。歳月を重ねるごとに、あんなに大きかったはずの親の背中が、少しずつ小さくなっていく。少し離れた他人の子は、少し合わぬ間に成長していくとよく言う。だとするとその反対に、少し離れた自分の親は、少し合わぬ間に年老いていくのも当然なのかもしれない。

いつまでも親には、強く、誇らしく、超えられない壁のような存在でいてほしいと、どこかで願ってしまうから、老いを受け入れられない自分を悲しく虚しく感じてしまうみくまゆたんさんの気持ちに思わず涙が出た。わかる。わかります。

400万円の結婚式という「晴れ舞台」に散りばめられた爆笑と涙のあいだから覗くのは、不器用な家族が言葉にならない想いをそれぞれでつないでいった、愛おしい一瞬一瞬が、作中には散りばめられている。

照れくさくて素直になれない親子が、ベールをあげる一秒に静かに心を通わせる。その裏側ではあがったベールに隠したかった気持ちを語ったみくまゆたんさん。きっと誰の暮らしの中にも、こんなにも眩しい光が、大切に不器用に隠されているのだと思わされるエッセイだった。


2.『家庭内トリアージ』/こうめい 様

突然奥様の「命の希望」を言い渡されたこうめいさんが、一人から夫婦へ、夫婦から家族へ、自分の変化を受け入れてゆくお話。ご家族がいらっしゃる方に読んでいただき、一度は家庭内のそれぞれの命のもちかたを考えてほしいとおもう作品でした。

★感想
家庭内でのトリアージについて奥様がお子様を最優先にしたいと話すところから始まったエッセイ。その裏側を救い上げれば、奥様は私の命がなくなってしまおうとも、子を救うことを約束してほしいという切実な願いに胸がチクりと痛む。この痛いほど切な「生きて」という願いの先にある意味を、私も同じ母として知っている気がした。

子どもが生まれてからというもの、私の中でも「自分の命を落とすこと」へのハードルが、どこか恐ろしいほど低くなった感覚がある。

縁起でもないのかもしれないが、もしも明日大きな災害が起き、我が子を生かすための対価として自分の死が求められるのなら。こんな怖がりで臆病な私でも迷うことなく喜んでそれを引き受けるだろう、と。

それは、単に「親の愛」などといった美辞麗句で片付けられるものではない。奥様はそれをわかってこうめいさんに伝えたのだと思った。

悲しい思いや痛い思いをさせたくない。ただ生きて、笑っていてほしい。その願いが叶わない世界で生き続けるくらいなら、自分という存在の生きる意味そのものを見失ってしまう。我が子のいない世界で息を吸い続けることは、親にとって、「死んでいる」ことと何ら変わりがないとどこかで考えてしまう。我が子の命のために自分の命を差し出せると考える親はいるのだと思う。

それを口に出して、清く夫に伝えた奥様に、同じ母親として敬意を送りたい。思うことと、口にすることは違う。

出産前に「妻の命を優先する」と言っていた『合理的な愛』の持ち主のこうめいさんが、子が生まれ日々を重ねるなかで「子の命を先に繋ぐ」という『希望的な愛』のトリアージへと愛が塗り替えられていく。

コーヒー豆を夜に挽かなくなったり、仕事中にふと「バナナを買って帰ったらよろこぶかな」と考えほほを緩ませてしまうような、愛おしい日常の断片を積み重ねながら、人は子どもによって「親にさせてもらっていく」というのも、その通りだ。シリアスな内容なのに、なんて愛おしいエッセイなのだろう。

「死んでも守りたいもの」ができたことは、どこか哀しくて、けれど何より美しく尊い。夫婦で同じ暗闇を見つめ、静かに手を握り合いながら「希望」を二人で守り抜こうとする宣言に、深く深く共鳴させられた。


3.『祖父に引導を渡した日』/アルロン 様

おじいさまとの温かくも切ない思い出と、その命に想いを馳せるアルロンさんの記憶を描いたエッセイ。誰しもが経験する「老い」や「死」への戸惑いと、その先にある命の絆について深く考えさせられる作品でした。

★感想

おじいさまの似顔絵を見つけ、おじいさまの思い出を振り返るアルロンさん。一度だけ見せたというおじいさまの厳しさが愛の答えだったのかもしれないと思わされた。

お友達とのやりとりに、不安を覚えて泣いて帰ってきた大切な孫への対応がおじいさまからの「祈られた未来」を感じる。

「可哀想だ」と庇いたい気持ちと、「どうにか強くたくましく生きていってほしい」という願わずにはいられない気持ちの狭間で揺れる葛藤があったのかもしれない。その消化しきれない想いが、思わず強い言葉になって表れてしまったのではないかと想像してしまう。

病に倒れたおじいさまの匂いや変わり果てた姿に戸惑い、思わず遠ざかってしまう幼少期のアルロンさんの姿。子どもながらに「老い」や「死」という未知の存在に直面したときの本能的な葛藤がリアルに描かれており、子供の頃死がとても恐ろしかったことを思い出した。

作中に出てくる「ソーセージの空き箱」という表現が、普段、袋詰めのソーセージしか目にしない私にとって「当時はどんな箱に入っていたのだろう」が膨らみ、アルロンさんのご年齢を知らないので、作品の時代背景を想像してしまった。

読み進めるうちに、私自身も幼少期に母親にぽんぽんと背中を叩かれながら眠りについた、あの穏やかで温かい日の記憶が静かに蘇ってきた。きっとおじいさまは心地よくこの世の終わりに吸い込まれていったのだと思う。そんな終わりが温かくつつまれていたから、アルロンさんも眠ってしまったのかな。引導。この一言が清く光るタイトルだと思った。

ありがとうを読めなかった子供の自分が、今のアルロンさんをありがとうを言える大人にさせたのかもしれない。おじいさまとの切なくも確かな絆を通じて、子供ながらの後悔を1枚の絵が慰めてくれたような気がするエッセイだった。

4.『高学歴理系経営者が、星にぶつかって沼に落ちた。』/さく 様

「推しの魅力を言語化するためにサンプル数を増やさねば」と半年で30万かけて9回ライブに行った理系経営者のnote。推しがいない人、いるけどもっとハマりたい人は必ず読んでほしい。

★感想
エッセイというよりも、感情を論理で処理してしまう、ロジカル理系経営者が、「好き」の熱量で人として解凍されていく人間ドキュメンタリーを読んだ気持ちになった。「推し活」のエッセイを読んでいるはずなのに、気がつけば私が夢中になっていたのは、推しではなく「さくさん」という一人の人間だった。

「推しをもっと正確に言語化したい。そのためにはサンプル数が足りない。」と考えたさくさんは、他のライブにも行ってみようと決意。そんな発想が出てくる人を、私は初めて見た。普通なら辞書で言葉を選んでみたり、他人の感想を読んでみたりするのでは…。そんな好きという感情ですら、研究対象にしてしまう。その真面目さたるや…!

普通なら「沼に落ちました」で終わる話を、「なぜ私は沼に落ちたのか」という問いに変えてしまう。節々からあふれ出す理系感。

ライブも、グッズも、人との会話も、全部を観察し、考察し、自分という人間を解剖するさくさんは、まるで推し活をしているのではなく、「好き」という感情そのものを研究していくようで、私も研究結果は!?という気持ちで読み進めてしまった。

特に印象に残ったのは、『好き』と『正論』が脳内で戦い続ける描写である。

「仕事に投資したほうがいいのではないか。」
「これはマーケティングの勉強になる。」

これまで人生は意味のあることにだけ時間を費やしてきたに違いない。何かを好きであることにすら、理由を与え続ける姿は、不器用どころか逆に器用な人間のようにさえ感じる。だからこそ最後に「人を好きになっていい」という当たり前のようで、難しい答えへ辿り着けたのだと思う。え?そこにたどり着いたの?と、理系の方らしくない答えで、推し活の凄さを感じる。人さえ変えてしまうのが推しというものなのか。

推しを通して、妹との何気ない電話が愛おしくなり、友人との他愛もない時間が宝物になり、「身近な人と平和に暮らしたい」という幼い頃の願いが、実はもう叶っていたことに気付くまでの物語だった。

推しは人生の主人公ではない。推し活が素晴らしいことを書いているはずなのに、主役は推しではなく、さくさんご本人であると途中で気がついた素晴らしいお話でした。

推しと出会わなければ、さくさんの人物プロフィールはずっと【理系】がトップにあったのだろうな。

5.『11:36』/ねる 様

小さいころの苦い記憶で、遠ざけたはずの「本」と「言葉」が自分を救うまでのお話。ねるさんが失うものではなくあるものを数えられるようになるまで、のエッセイ。喪失感とむきあっている人は、是非読んでほしい。

★感想
幼少期にお母さんから強制され、反抗するように遠ざけていた読書。それでもいつのまにか読書をすすめる母の本当の意味を無意識に理解することになったねるさん。高校時代に心を病んだとき、そして大人になって大きな失意の中にいたとき、自分を救ったのは他でもない「本の中の言葉」だったという事実の、教えがつながる瞬間に愛を感じてしまった。

押し付けられた時には響かなかったものが、自分が本当に必要としたタイミングで人生の支えになるというのが言葉というものの奥深さを感じて、子育ての本質を見たように思う。

特に印象的だったのは、匿名SNSで出会い、やがて大切なパートナーとなる男性が「国語教師」だったという点で、まさかの自分に本を強制し、読書嫌いの原因を作ったお母さんと同じ職業の人。

顔も名前も知らない段階で、彼がまず好きになってくれたのはねるさんの「文章」。お母さんとの衝突や本への反抗を通じて知らず知らずのうちに培われていた「言葉のセンス」が、巡り巡って素敵な出会いを引き寄せたのだと思うと、嫌だった過去の経験すらも何一つ無駄ではなかったのだと思わされます。

その経験をねるさんがどう娘に伝えていくのだろう。とねるさんのこれからが気になるエッセイでした。

6.『引っ越すという理由で外に放り出された子猫は、七夕に我が家の宝物になる』/しゃり 様

まさにタイトルとおりのお話なので、猫好きさんはまず苛立ちを解消できる、癒しグッズをもって読んでほしい作品です。(にぎにぎくるみとか?いい音の出る鈴とか??)人と妖怪と猫がでてくるので、妖怪はこの世に実在すると証明されてしまったエッセイです。

まず何よりも深く強い衝撃を受けたのは、元の飼い主が放った「じゃあ、あげます」という一言だった。元飼い主という名の「人間の形をした妖怪」は、命ある子猫のつむぎを、まるで不要になったモノや道具かのように扱う極悪非道な妖怪だ。命に対する敬意や責任感が欠け落ちたその言葉には、猫は生活のアクセサリーなのか?と恐ろしさを覚える。

その暗い対比としていっそう際立っていたのが、しゃりさんの深い愛情と覚悟だった。特に心に残ったのは、急な事態にもかかわらず用意された「猫貯金」の存在。それはきっと、先住猫であるこむぎのために日頃からコツコツと積み立てられていたものだろう。猫を単なるペットではなく、「生涯を共に生きる大切な家族」として迎えることの重みや価値観がこの蓄え一つに表れていると感じた。

そして、そのあたたかな愛はしゃりさんから猫たち同士の間にもしっかりと受け継がれている。先住猫のこむぎが新しくやってきた幼いつむぎに毛繕いをしてあげたエピソードにはよかったねえと思わず頷いてしまった。

こむぎが見せた優しさや受け入れる心の余裕は、きっと普段から飼い主から溢れんばかりの愛を注がれ、安心し切って暮らしているからこそ生まれたものなんじゃ。飼い主の愛が、猫を通して次の小さな命へと受け継がれていく瞬間を見た気がした。

記事の中に差し込まれている数枚の写真に写るつむぎの目は、どれも目が安心している。その視線の先にいるのはしゃりさんなのだと、写真越しに私の目にもはっきりと浮かんでくるようだった。

毎年七夕に元飼い主の不幸を祈っていると語るが、その願いの陰にはきっと「来年も、その先もずっと、この二匹と一緒にこの日を笑顔で迎えられますように」という祈りが込められているに違いない。

命をモノのように扱う妖怪がいる一方で、ここまでの覚悟と執念で命を救い育む人間がいる。愛されることによって一匹の猫の運命がどれほど輝かしいものに変わるかを教えられた気がする。この世から妖怪がいなくなりますようにと、私も七夕には祈ることにする。

7.『戦いの地はいつだって東京だった』/ひつじだ 様

地方出身者が東京という場所で戦い続けるお話。上京を経験した人、夢に向かってチャレンジする人、失敗してまた立ち上がるか悩める人の勇気になるエッセイでした。

★感想
夜行バスで早朝の新宿に降り立ち、ネカフェで身支度を整えて「戦い」に向かう感覚。私自身も大阪から夜行バスで何度も東京へ通い、新宿で戦闘態勢に着替えていたので、懐かしさと切なさに、冒頭から引き込まれてしまった。

新幹線代の往復は本当に痛い出費だった、私も当時は通帳を何度も見た。ひつじださんの夢を追う気持ちと、親を大切に思う気持ちが人柄として表れているなと感じる。

特に印象的だったのは、審査員に囲まれる中で披露した落語を、自分の中で「やり切った!」という満足感があっても、他者からの評価や冷ややかな視線によって突きつけられる現実の厳しさ。そのギャップのあるエピソードは、東京という街で挑戦したことのある多くの人の心に刺さるお話だと思う。

それでも「正面から挑んで潔く負けた自分」を認め、当時の努力ごと抱きしめる答えに辿り着いたひつじださんの姿に成功だけが全てではないのだと勇気をもらえる。

それでもいまもこの東京で戦い続けている一人として、ひつじださんに伝えたい思いが浮かんできた。

東京は「挑戦」と「敗北」の街であると同時に、一歩引いて見れば、京都と何も変わらない「日常の営み」が淡々と続いていく場所でもあります。自分が勝とうが負けようが、街も人生も何事もなかったかのように流れていく。その普遍的な流れの中にいるのだと思うと、肩の力がすっと抜けていく気がすると、上京して10年目の私は思いました。まだ東京こわいよおと震えることもありますが、大阪と何も変わらないなぁ、陸だし。と頑張っています。

だからこそ、これから先、戦うことに疲れたり辛くなったりしたときは思い出してほしいです。 かつて同じように夜行バスで上京し、敗北や葛藤を抱えながらも、いまなおこの東京という街で働き、暮らしている私がここにいるということを。

来月の六本木でのエッセイ教室、過去の自分を味方につけて、どうか楽しんできてくだい!心から応援しています。ってなんだか感想よりエールになってしまった。

8.『ハリーポッターという北極星~孤独な私を救った魔法~』/うさぎもち 様

小学生の頃の「友達の転校」や「グループ形成」の寂しさ、女子なら誰もが一度は通る道ですごく共感しながら読みました。そういう頃に見つけた趣味や希望って大人になってからも、お守りになったりするよな、と納得させられるエッセイです。

★感想
教室での孤独から救ってくれたのが金曜ロードショーのハリー・ポッターだったというのがとても素敵だ。ポストを気にしたり、ほうきに「飛べ!」と語りかけたり。子ども時代ならではの純粋な行動をするうさぎもちさんが可愛らしくて、キュンとしてしまいました。「もしかしたら自分の元にも手紙が来るかも」と期待してしまうの子供心の素直さが少し切なくも感じる。

「周りはマグル」という自分だけの魔法で孤独な時間を乗り越えた経験はこれからどんな人生にも役立つ。

特に印象的だったのは、周りはマグル。自分には魔法界という別世界があるというという術で自分を抜いたという点だ。当時の幼いうさぎもちさんにとっては、孤独な自分を諦めないための「本物の魔法」だったのだろうな、と感じる。大人が持っている魔法の呪文「他人は他人」という言葉ににたものがある気がした。でも本当は子供ながらにわかっていたかもしれない真実に胸が切なくなる。

孤独をただ耐えるのではなく、自分なりの「魔法」で楽しさを見つけ出し、金曜ロードショーだけで乗り切った苦い経験。ハリー・ポッターという北極星を抱きしめて育ったうさぎもちさんは、いろんな角度から、強すぎるとおもったエッセイだった。その後お友達とは遊んだのだろうか。

9.『出産歴も授乳歴もない私が、21歳で肉芽腫性乳腺炎になった話。』/東雲零華 様


21歳という若さで、原因不明の難症「肉芽腫性乳腺炎」と診断された東雲零華さんの闘病エッセイ。終わりの見えない激痛や処置に耐え抜き、前を向いて歩んでいく姿に、胸を強く揺さぶられるエッセイ。女性は他人事ではない、読んでいて涙が出ていた。

★感想
まだ21歳という若さでこの現実にあたることの切なさ。「まさか自分がなるわけない」とまさしく誰でも思っていると思う。東雲さんの恐怖と戸惑い、絶望感はどれほど大きかっただろうかと、考えてしまわずにはいられない。

切開排膿の激痛、麻酔すら効かない深い部分の痛み、そして毎日のように繰り返される過酷な処置……読んでいるこちらまで身体が縮こまるような気に。それ以上に胸を打たれたのは、東雲さんがその終わりの見えない暗闇を静かに耐え抜き一歩ずつ前に進んでいく強さだ。逞しくというわけではなく、そうしなければいけなかったのかもしれない、と想像してしまうがきっと経験のない私の想像なんて、浅はかすぎるのだろうと思う。

最後の「胸に残った1cmと3cmの傷跡を消したいとは思わない。闘った証だから」という言葉にこのエッセイに感想は必要ないと思うほどのメッセージが含まれていた。この一言は、この過酷な病と向き合い、乗り越えてきたすべての時間が詰まっている。辛い経験であったことは間違いない過去の記憶を、自分の人生のプロフィールへと昇華させた強さと誇り高さに、深く深く心を打たれるエッセイだった。感想なんて何の役にもたたない、これは私に伝えられることのない思いがたくさん詰まってるエッセイだから、絶対読んでほしい。

10. 『16歳の夏、佐世保への逃避行~』/神村真佐輝 様

理不尽な現実や居場所のなさに傷つき、ポケットに4万円だけを詰めて東京を飛び出した16歳の神村さんの記憶を描いたエッセイ。息苦しい世界から逃げ出した先で出会った人々の温かさと、自分の「ほんとうの声」を見つけていく姿に胸が熱くなる作品でした。

★感想
あてのない旅の末に辿り着いた佐世保。早すぎる年齢で、社会の洗礼である理不尽にあたり、もう誰も信じられなくなっていた神村さん。本当に当てのない旅に出る人がいるなんて!!!と衝撃を受けながら読み進めた。

作中で店長さんが「どっから来たとね?」と尋ねてきたり、東京から来たと聞いて驚いたりしていた場面。最初は「自分の理容店に興味を持ってくれたのかな」と思わせるようなやり取りでしたが、奥様の心からの心配やその後の温かい対応を振り返ると、マスターもまた興味本位などではなく、16歳の少年が一人で辿り着いた背景を察し、奥様と同じように深く心配してくれていたのだろうなと感じる。言葉の端々に滲む無骨で不器用な優しさに、思わず胸があたたかくなった。だからこそ、自分が親御さんへ電話をすると言ってくれたのだろうと思う。そして、そんな若さゆえの不安定な気持ちを店長さんも知っていたのではないだろうか。

そんなあたたかさに触れて解凍された心が、自分の弱さや傷を隠すためではなく、誰かに思いを届けるために声を出すことに気が付いた。自分を受け止めてくれる場所があって初めて本当の声を出せるのだという発見は、いま孤独を感じている多くの人の心を救う経験だと思う。私もそんな風に言葉を扱っていきたいと思わされるエッセイでした。

11. 『泣きたい毎日に笑いがあった』/小林直美 様

認知症のお父さまとの9年間にわたる在宅介護の日々を描いたエッセイ。重く重なりがちな介護の日常の中に、クスッと笑えるゲームや小さな幸せを見つけ出していく姿に、介護に関わる方だけでなく、大切な人と向き合うすべての人に読んでほしいと感じる作品でした。

★感想
朝起きて、濡れてずっしりと重くなった紙パンツをベランダの窓に向かって滑らせる「紙パンツカーリング」。誰も見ていない場所で「今日も金メダル!」と心の中で叫ぶ小林さんの姿に、胸がぎゅっと締めつけられると同時に、あたたかな愛おしさがこみ上げてきた。

介護というものは、どれだけ愛情があっても時に心を摩耗させ、逃げ出したくなる瞬間があるはずだ。けれど、そのしんどさをユーモアという名の小さなゲームに塗り替えて前を向く。それは決して現実逃避ではなく、明日も二人で笑って生きていくための、優しく切実な知恵だったのだと思う。自分より他人を優先しなければならない介護は、それが親であるがゆえに、育児とはまた違ったしんどさが付きまとうのだ、と自分の母の経験を見ていて思った。

長すぎるうどんの麺を掲げて大喜びするお父様とのやり取りや、冷蔵庫の前で辞書を大事そうに抱えるお父様に「辞書は冷やさなくても大丈夫だよ」と声をかけたエピソード。目の前で起きる戸惑いを受け止め、笑いに変えて包み込む小林さんの心の柔らかさに、深く胸を打たれた。本当なら、何言ってるのとしっかりしてよといいたくもなる瞬間でもあると思う。自分の知っている親がいなくなっていく感覚は、悲しい。

お母さまの味を再現しようと作った料理を、もくもくと食べるお父様の姿。お父様の中に残っていたのは、記憶よりももっと深い場所にある「味」であり、お母さまへの変わらぬ「愛」だったのかもしれない。

介護の切なさと愛おしさは、いつも背中合わせだ。日々すり減ってしまう感情の中で、ふっと心がほどけるような「小さな笑い」を宝物のように拾い集める小林さんのエッセイ。介護をする誰かの心に届いてほしい。

漫画

1.『Saltihandar(ソルティハンダー)第1話「終わりの光」』/neinto様

「終わりの光」というサブタイトルの通り、一見すると希望が潰えたかのような「終わりの世界」から見えた何かを探るべく物語が始まっていくお話でした。主人公たちの絆が個人的には気になり、ワクワク。続きがきになります。

★感想
キャラクター同士の距離感や対話が印象的で、世界の設定や過酷な環境や、登場人物たちが何を想い、なぜ一緒に進むのかという内面的な動機が書かれているので二人に引き込まれる。彼らが背負っている過去の重み決意が交錯するシーンに、はわわわわどうなってしまうの!?と思って急いでページをめくってしまった。これはネームだけではなく、きちんとした細部までかかれた絵で見直したいと思わされてしまう。

しかも失敗続きの主人公の友人のおちゃめさが可愛い。眼鏡なのも大変いい。漫画っていうのは個人的には、ストーリーは勿論だが、キャラを推せるか?でラストまで買い進めるか決める派なので、この友人推せる…と思わされたのでラストまで追いかけたい。

罪がなんなのか・・・謎が深まる第一話だったので、先が知りたいとおもわされる漫画でした。続きお願いします。

以上、エッセイと漫画の感想でした。

私の応募作、並びにご紹介くださった感想も紹介させていただきます。

★★たこやきまゆこ創作大賞応募 4作


★★作品をご紹介いただきました。

褒めてもらえてうれしかったです!ありがとうございました。
逆に是非今度は酷評をいただきたいです!(急な注文)



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