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本能寺の変1852 その一因 一、光秀という男 ② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、光秀という男 

②光秀と土岐氏 教訓 3~4   

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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【 重要史料 】 【 人物 】 
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*加筆修正 

3光秀と土岐氏

 ◎第55話 第55話                  【 重史 005 】
 
 光秀の明智氏は、土岐氏の一族である。
  光秀は、誇り高い男。
  ①土岐氏の家紋 桔梗紋
  ②愛宕百韻 「時」= 土岐             「続群書類従」                           
  
土岐氏は、清和源氏の一流である。
  すなわち、清和源氏 ― 摂津源氏 ― 美濃源氏という流れになる。
  源頼光が摂津源氏の祖とされる。
  土岐氏は、美濃源氏の嫡流家であった。
  土岐氏は、鎌倉期に美濃に土着した。
  光衡が土岐氏の初代とされる。
  土岐頼貞の時、初めて美濃の守護になった。
  以来二百余年、土岐氏は美濃の守護を歴任した。

 ◎第56話① 第56話
 
 土岐頼遠は、足利尊氏の時代の人物である。
  室町時代は、この尊氏から始まった。
  頼遠は、婆娑羅大名。

 ◎第56話② 第56話
  
室町幕府は、十五代、240年つづいた (①~③) 。
  ①初代~第十代将軍
  ②第六代~第十一代将軍
  ③第十二代~第十五代将軍
  光秀は、大永四年1524±四年~天正十年1582を生きた。
  光秀は、③の時代を生きた。
  光秀は、室町時代の末期を生きた。
  光秀は、戦国時代の後半を生きた。

 ◎第57話① 第57話
 
 土岐頼康は、足利尊氏・義詮・義満の時代を生きた。
  頼康は、濃・尾・勢、三ヶ国の守護を兼任した。
  頼康は、土岐氏の全盛期を築いた。
  頼康は、文武両道の人であった。
  光秀にとって、土岐頼康は憧れの人だった。
  光秀には、頼康と相通じるものがあった。
  光秀は、上昇志向の強い男。
  頼康を、強く意識していた。

 ◎第57話② 第57話
 
 土岐氏は、土着性のきわめて強い一族だった。
  土岐氏は、一族の結束が強かった。
  「土岐の桔梗一揆」
  土岐氏は、一族の数が多い。
  明智氏も、その様な家の一つだった。
  光秀の体内には、土岐の血が脈々と流れていた。
  光秀の妻は、妻木氏の出である。
  光秀の妹、妻木氏。
  光秀と石谷氏。

 ◎第58話① 第58話                 【 重史 011 】
 
 第三代将軍足利義満の時代。
  義満の略歴。
  義満は、将軍専制政治を目指した。
  義満は、富士山を遊覧した。
  第六代将軍足利義教も、富士山を遊覧している。
  義教は、信長と比されることが多い。
  一、専制政治
  一、富士遊覧
  一、比叡山攻撃
  一、「万人恐怖」                  「看聞日記」
  一、嘉吉元年1441。
    義教は、赤松邸に「御成」したところを同氏に襲われ、斬殺され
    た。
    実に、呆気ない最期であった。
    享年、48。

 ◎第58話② 第58話                 【 重史 012 】
 
 信長は、故事に明るい。
  信長の富士遊覧。
  義満は、厳島神社を参詣した。
  信長と厳島神社。
  中国出陣の時、信長は、淡路島に本陣を置くつもりだった。
            「寺尾菊子氏所蔵文書」「織田信長文書の研究」

 ◎第58話③ 第58話
 
 将軍義満は、有力守護の弱体化を画策した。
  義満は、土岐氏を危険と見た。
  土岐頼康が死んだ。
  土岐康行が頼康の跡を引き継いだ(世安家)。
  義満は、康行を挑発した。
  土岐康行の乱。
  康行は、義満の罠に嵌まった。
  康行は、没落した。
  義満は、土岐頼忠を美濃の守護に任じた(西池田家)。
  土岐氏は、解体された。
  「土岐の桔梗一揆」は、崩壊した。
  以後、土岐氏は衰退への道を歩む。

4教訓

 ◎第59話① 第59話
 
 光秀は、土岐の歴史から教訓を得た。
  一、主君ならばこそ、油断すべからず。
  一、頼むべきは、己の力ただ一つ。
  一、打つ手を違えれば、明智は消滅する。
  光秀の脳裏には、常に義満と信長があった。
  光秀は、自身と光慶を土岐頼康と康行に重ね合わせた。
  そして、将軍 義満を 信長に置き換えた。

  光秀は、戦国の世を生きぬいて来た男。
  典型的な戦国武将なのである。
  信長を信用していない。

 ◎第59話② 第59話
 
 光秀は、新参者。                   『日本史』
  光秀は、信長の性格を知り尽くしていた。        『日本史』

  信長は、合理主義者。                  「史記」
  信長は、恐ろしい男。
  一瞬たりとも、気の抜けぬ相手。
  光秀は、この様な緊張感の中で、信長に仕えていた。

  光秀は、用心深く、疑い深い。
  言い換えれば、慎重かつ堅実。
  失敗せぬ男、出来る男、役に立つ男、なのである。

  光秀は、典型的な戦国武将。
  目的遂行のためには、手段を選ばぬ男である。 

  光秀には、先が見えた。 
  残り時間は、少ない。
  光慶は、若すぎる。
  明智は、大きくなりすぎた・・・・・。

  信長は、光秀を信用してない。
  光秀もまた、信長を信用していない。
  相互不信の時代。
  それが、戦国時代なのである。
  絶対専制君主と、新参者の家臣。
  恐ろしい男と出来る男。
  天下布武と立身出世。
  その結末が、「本能寺の変」だった。

  光秀は、忠義心が薄い。
  光秀は、少なくとも、二度、下剋上を行っている。
  一、元亀四年(天正元年)1573、将軍義昭の追放。
  一、天正十年1582、「本能寺の変」。

  光秀は、自立心が旺盛だった。
  言い換えれば、そうなる。
  独立心が強かった、ということである。
  これもまた、戦国時代ならばこそ。

  なれど、信長は、自立を赦さず。
  赦すわけがない。
  それが、信長。
  絶対専制君主。
  自立=裏切り=謀叛
  波多野秀治を見よ!!
  松永久秀を見よ!!
  荒木村重を見よ!!
  光秀は、その渦中に身を置いていた。

  信長は、不意を衝く。
  光秀は、粛清を怖れていた。

  光秀は、先手を打った。
  それが、「本能寺の変」。                           


【参照】重要 ◎目次
    重要 ◎目次 9光秀という男
    1フロイスの証言 重要 ◎第51~52①②話 ◎小51~52①②
    2立入宗継の証言 重要 ◎第53~54話 ◎小53~54   
    3土岐氏 重要 ◎第55~56①②話    ◎小55~56①②
         重要 ◎第57①②~58①②③話 ◎小57①②~58①②③   
    4教訓 重要 ◎第59①②話 ◎小59①②
    重要 ◎目次 11光秀の年齢
    重要 ◎第78話 11光秀の年齢 6人格形成
【参照】テーマ別 目次 テーマ別 光秀の人物像
【参照】見えてきたもの 目次 第1~12話
    見えてきたもの 2ー2 光秀の人物像 第1~12話
    見えてきたもの 7-3 戦国の男 第1~12話
    見えてきたもの 7-4 不忠者 第1~12話
    見えてきたもの 2-1 信長の人物像 第1~12話
    見えてきたもの 2-3 秀吉の人物像 第1~12話



 ⇒ 次へつづく

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目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
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 原因・動機の究明は、この一歩から!!

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 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
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 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

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