妄想紙[vol.51]JUNE
今期のゼミが始まり、2ヶ月が過ぎた。
今期はグループワークを中心に活動を行っており、「良いものを出す」ということを軸にしているが、ゼミ以外の時間でどれだけ時間を使うか、どうやって良いものをつくりあげるかはグループによって委ねられている。
さて、2ヶ月ほど経つと、様々な動きが見られてきた。
新ゼミ生が越境活動をし始めたり、noteの記事でも自分の感じたことをどうやって表現するかの議論が行われたりしている。
長岡研究室のゼミ活動は、外から見ると少し説明しにくいかもしれない。カフェゼミを開いたり、ラジオ番組をつくったり、街に出て活動したり、さまざまな人と対話したりする。学生たちも、「何をやっているゼミなの?」と聞かれて、うまく答えられないことがある。
しかし、私自身はその説明しにくさを、ゼミ活動を始めた頃から大切にしてきた。既存の言葉にきれいに収まらない活動だからこそ、そこに学びの可能性がある。パウロ・フレイレのいう「Name the World」という考え方に共感してきたのも、そのためだ。
初めてやることや初めて出会うことは、これまで自分が使ってきた、慣れ親しんできた言葉では説明が難しかったり、しっくりこなかったりする。だからこそ、そのときの感情やどうしてそう感じたのかという背景を丁寧に紡ぐことが大事だ。今すぐできないからといって、落胆するのではなく、地道にやってみること。それが長岡ゼミの学びのプロセスだ。
妄想紙の記事は各チームで議論して「一番良いもの」を出すということを求めている。4月からどんなふうに学び、それを記事に活かしたか。ぜひ見比べてみてほしい。
越境レポート
ゼミ生が直感と好奇心で飛び込んだ世界について綴るレポート
▼きっかけのつながり / sora
私は、学校でも家庭でもない場所としてユースセンターがどのような役割を持っているのかを説明した。その流れで、普段ユースセンターで行っている「ito」にも参加してもらった。
itoは、与えられたテーマについてそれぞれが持つ感覚や価値観を共有しながら進める対話型のゲームである。先生は他の参加者と話しながら、「そんな考え方もあるんですね」と興味深そうにやり取りをしていた。正解を求めるのではなく、お互いの違いを面白がりながら対話する雰囲気が自然に生まれていた。
体験が終わった後、先生は「これ、生徒ともやってみたいですね」と言った。
▼広がっていくつながりの輪 / さむ
夕方頃ベーグルのお店に立ち寄ってお話していた時のこと。キャストにめちゃくちゃ美味しいと聞きました、と伝えるとクチコミからお客さんが来てくれることが多いらしく、
「『このベーグル食べてる人がいて美味しそうで買いに来ました!』とか『絶対食べた方がいいって聞いたので!』みたいな人がいて、え私がそこ見たい!!普段そういう声をあまり聞けないので」
と嬉しそうにおっしゃっていた。確かに、今回のマーケットで、私は「ランチボックスがめちゃくちゃ美味しいからおすすめ」だとか「サコッシュにペイントしてくれるらしいよ」、「穀物のアクセサリー可愛くて買っちゃいました」のようにキャストからいろいろおすすめを聞き、実際に買ったり食べたりした。それをまた違うキャストに伝えたり。
▼小さな経験に意味がついてく~ / ペパーミント
「理想のムラ化した都市とはどのようなものだろうか?」
この問いを聞いた時「どうしよう!答えらえるかな...。」と急に不安になった。「都市」と「ムラ」が並ぶだけで自分にはすごく大きなテーマに感じる。私はグループでの対話が始まると、置いてあるポストイットに他の人の意見を書いたり、相槌をうったり、簡単なコメントをするくらいだった。
ゼミレポート
ゼミで学んだことや感じたことを綴るレポート。
▼2026/05/21ゼミ活動レポート ~「どんどん言って!」じゃだめなんだ~ / ジョン
自分たちはゼミのなかで「適応的熟達」についての話を受けていた。決まったルールや指示を確実にこなすだけでなく、変化する状況に合わせて自ら考え、判断し、柔軟に行動すること。その大切さを頭では理解していたつもりだったが、今思い返すと自分はその逆の行動をとっていたように感じる。
当日、自分の思い違いによって最後まで参加できないことが分かり、撤収作業に参加できないことを先生に伝えた。本来であればもっと早く予定を確認し、事前に共有しておくべきだったため、この点は自分の完全なミスだったと思う。その際、先生は、
「早く帰る分、人一倍動くんだよ」と言ってくれた。自分もその言葉に納得し、「せめてその分、みんなより多く貢献しよう!」と考えた。
そのため、直後に自分は「みんな、やってほしいことどんどん言って!」と口にした。
しかし先生から、「それじゃだめなんだよ」と言われ、ハッとした。
▼2026/05/07ゼミ活動レポート~「インプット」を意識する~ ひなぴよ
ビデオの中で私が特に印象に残ったのは、佐藤可士和が「普通の人ができないことをやるのがプロであり、自分が良いと思っているものをさらに超えていくことこそが最も難しい」と語っていた場面である。
私はこの言葉を聞いて、「自分の考えや価値観だけに閉じこもらず、他者との関わりの中で自分の基準を超え続けようとする」というメッセージだと受け取った。そして、その考え方を単純に「かっこいい」、「越境に似ているかも」と感じ、この感想を共有した。
一方で、ある4年生のゼミ生は、佐藤可士和がクライアントとの対話の中で、商品の本質をとことん突き詰め、目に見えないコンセプトを浮き彫りにしている場面に注目していた。そして、
「成果物を『なんとなく良い』で判断するのではなく、まずコンセプトや評価基準を明確にして、それに立ち返りながら議論することが大切だと思った。」と感想を共有していた。
感想共有の後、先生は「4年生はこのビデオに対する『見方』が違う」と話していた。
▼2026 5/14 ゼミ活動レポート〜読者に想像させよう〜 / moko
5/14日のゼミ活動では、4月に作成した「妄想紙」というnote記事について振り返りを行った。各チームで記事の内容や表現について話し合い、教授からのフィードバックも受けながら改善点を整理した。
その中で、「ゼミ活動レポートに追体験ができないと思う」
という指摘を受けた。これまで私は、活動内容をまとめること自体がレポートだと考えており、具体的な場面描写の重要性を理解していなかった。
読書レポート:「組織のネコ」という働き方
ゼミの課題図書についてのレポート。
1つ目は仲山 進也さんの「組織のネコ」という働き方です。
▼ネコになりたいイヌはどう動く? ~『「組織のネコ」という働き方』の感想レポート~ / あおぞら
カフェゼミの準備でいちばん不思議なのは、準備をすればするほど、イベントそのものから遠ざかる気がする瞬間があることだ。
名札をつくる。進行表をまとめる。必要なものを確認する。どれも当日に欠かせない。けれど、前日が近づくほど、私の意識は「どんな場にしたいか」から「まだ何が終わっていないか」へ移っていく。場をつくるために動いているはずなのに、いつの間にか、場ではなくタスクだけを見ている。この状態を、私は「作業になっている」と感じる。
『組織のネコ』では、組織や上司に忠実に動く人を「組織のイヌ」と呼ぶ。
▼「会社に飼われるな。でも、完全に野良にもなるな。」〜『 「組織のネコ」という働き方』の感想レポート〜 / ジョン
印象に残ったのは、「ネコ型」の人は、単にわがままなのではなく、「自分が納得できるか」を重視しているという点である。そのため、意味を感じられることには驚くほど集中できる一方で、納得感のない作業では急激にエネルギーが落ちる。
実際、自分の周りでも似た場面を見ることがある。グループ作業で、「去年もこれで通ってたし、このままでいいんじゃない?」「とりあえず前と同じにしておこうよ」という流れになることは多い。しかし、その時に「でも、それって何のためにやってるの?」と聞く人がいると、一瞬空気が止まる。本書は、そういう“立ち止まって考えてしまう人”を否定していなかった。
▼違う人と共に働く 〜『「組織のネコ」という働き方』の感想レポート〜 / さむ
組織では、「こう振る舞うべき」という空気が少しずつ共有されていくことがある。効率よく動くこと、周囲に合わせること、正解から外れないこと。その環境に長くいるうちに、最初は違和感を持っていたことにも慣れていき、自分自身の考え方や振る舞いも変化していく。『「組織のネコ」という働き方』を読んでいて、私は経営組織論で学んだ「茹でガエルシンドローム」を思い出した。
茹でガエルシンドロームとは、急激な変化には気づけても、ゆっくり進む変化には気づかないまま適応してしまう、という考え方である
▼中学バスケ時代を思い出した話。~『「組織のネコ」という働き方』を読んで~ / ペパーミント
この本を読んでいて、中学校のバスケットボール部で過ごした三年間のことを思い出した。
本書では、組織の中にいる人を「ライオン」「イヌ」「ネコ」という動物にたとえている。ライオンは組織を引っ張る人、イヌは組織を支える人、そしてネコは人と人の間を行き来しながら新しいつながりを生み出す人として描かれていた。読み始めたとき、私は「自分はどれだろう」と考えた。でも、すぐに一つだけ分かったことがある。
私はライオンではない。
中学の頃から、みんなを引っ張るタイプではなかった。
読書レポート:プレイフルシンキング
ゼミの課題図書についてのレポート。
2つ目は上田信行さんの「プレイフル・シンキング」です。
▼背伸びをたのしんでみる~『プレイフル・シンキング』の感想レポート~ / みちゃ
私は普段、人と話す時はそこまで緊張しない。でも、なぜかラジオでマイクを前にすると、急に“ちゃんとした人”になろうとしてしまう。
「ちゃんと話さなきゃ」
「変なこと言っちゃダメだ」
「うまくまとめなきゃ」
そんなことばかり考えてしまい、頭の中でずっと言葉を選んでいた。たぶん私は、“正しいこと”を言おうとしすぎていたのだと思う。言っちゃいけないことがある気がしていたし、変に思われたくなかったし、自分を少しでも良く見せようとしていた。だからこそ、話せば話すほど、自分の言葉じゃなくなっていく感覚があった。
プレイフル・シンキング を読んで、私はこの感覚を思い出した。
▼楽しいからこそ、問い続けられる~『プレイフル・シンキング』感想レポート~ / ペパーミント
『プレイフルシンキング』を読んで、私が一番印象に残ったのは、「楽しい」という感覚が、人が学び、考え続け、他者と何かをつくり出すための力になるということだった。これまで私は、楽しいことと真剣に考えることを別々に捉えていた。社会課題に向き合うなら、もっと正しく、まじめでなければならないのではないか。カフェゼミで「Cup and Earth」の準備をしていた時、私はその問いにぶつかった。
▼関係性の中で生まれるもの~『プレイフル・シンキング』の読書レポート~ / sora
「プレイフル」とは単なる楽しさや遊びではなく、自ら世界に関わり、試行錯誤しながら意味をつくっていく態度であると捉えられる。そこでは正解を効率よく出すことよりも、未完成のままでも関わり続けることが重視されている。
この考え方は、私自身の経験とも重なる。私はこれまで、リーダーが楽しそうに動いている場に惹かれ、その人のそばで活動したいと感じることが多かった。しかしその動機は単なる雰囲気ではなく、その人が何を大切にし、どのような思いで場をつくっているのかに触れたときに生まれるものである。
▼主体性とは矛盾を引き受けて生きることなのか―『プレイフル・シンキング』の感想レポート― / みにし
『プレイフルシンキング』を読みながら、私は「主体性」という言葉に対する理解が少しずつ揺らいでいく感覚を覚えた。本書は、遊び心を取り戻すことで創造性や新しい行動が生まれると述べる。遊びとは本来、成果や評価からいったん距離を置き、試し、失敗し、偶然を受け入れる営みである。そこでは正解よりも過程が重視され、行為そのものが意味を持つ。この考え方には強く共感した。私たちは多くの場合、「正しくやること」や「役に立つこと」を優先しすぎるあまり、行動する前から自分の可能性を狭めてしまうからである。
しかし同時に、私はある違和感も抱いた。現代社会では主体的であることが強く求められる。
