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折り目 ⑮|【第10章】それぞれの場所で (完結)|#創作大賞2026 #恋愛小説部門


はじめに

この物語は、いくつかの章でできている。
どの章から読み始めても、構わない。
ただし、この『折り目』のすべての章を読んだとき、
最初に選んだ場所の意味が変わるかもしれない。
窓際の席で、コーヒーが冷めていく。
気づかないうちに、何かが変わっている。
これは、そんな小さな“折り目”の話。

折り目①|プロローグ|#創作大賞2026#恋愛小説部門https://note.com/tokei_0410/n/n7b4b6195db0e

*一本だけ*

部員たちの声が遠ざかっていった。
昇降口のあたりで笑い声が一つ聞こえて、それも消えた。
由美子コーチに呼ばれたのは、その直後だった。
体育館の隅に折りたたみ椅子が二つ出してあった。
由美子コーチは先に座って、タオルで首の汗を拭いていた。
朱莉が向かいに座ると、タオルを膝に置いた。
「栞ちゃんから聞いてるかもしれないけど」
「はい、少し」
「今年か、長くても再来年には退くつもり。もう74歳だから」
朱莉は頷いた。
「膝、やったんだって」
「インカレの時に。もうだいぶ経ちますけど」
「そうか」
由美子コーチはそれ以上聞かなかった。
体育館の換気扇の音が低く続いていた。
汗と制汗剤とサロンパスが混ざった匂いが、まだ空気の中にあった。
「一本だけ付き合え」
由美子コーチが立ち上がった。
コートに入ると、ボールを一つ手に取った。
エンドラインの後ろに立って、朱莉を見た。
朱莉はレシーブの構えを取った。体が自然にそうしていた。
常識的に考えてさ。その声が一瞬だけよぎった。

由美子コーチがトスを上げた。踏み込み、腕を振った。
74歳とは思えない体の軸だった。ボールが飛んできた。
回転がかかり重かった。
手だけじゃなく、腕ごと持っていかれるような重さだった。
朱莉は足を踏ん張って、くらいついた。
ボールが高く上がった。白い照明の中に入って、一瞬光を帯びた。
踏み込もうとして、朱莉は足を止めた。ボールはそのまま落ちた。
由美子コーチはネットの向こうで、転がるボールを目で追っていた。
しばらく黙っていた。それから、独り言のように言った。
「今の鈴木朱莉なら、このチームもっと強くできる気がするんだよな」
朱莉は何も言わなかった。
ボールはまだ転がっていた。
朱莉は空を見上げるように、体育館の上を見上げた。
照明が遠かったが眩しさがあった。


*気がついた*

扉を開けると冷たい空気が入ってきた。
涼介と栞が駐車場の端に並んで立っていた。
二人はこちらに気づいていなかった。
「今日の朱莉さん、いきいきしてましたね」
栞が言った。
「そうだったか」
「食べてるんですかね、ちゃんと」
「さあ。聞いたことない」
栞は少し黙った。
涼介もすぐには何も言わなかった。


*最終便*

同じ頃、羽田空港の保安検査場にはもう長い列はなかった。
それでも最終便に乗り遅れかけた客が、何人か駆け足で入ってくる。
澪はカウンターの前に立って、マイクを手に取った。
「本日20時30分発、新千歳空港行き、最終便のご搭乗手続きをご案内いたします。対象のお客様はお早めに保安検査場までお越しください。
お忘れ物のないよう、今一度お手回り品のご確認をお願いいたします」
アナウンスを終えて、マイクを置いた。
検査場は締め作業に入ろうとしていた。


*折り目*

朱莉は扉の前で少し止まった。
新しいブラウスに、まだ折り目が残っていた。
涼介と栞が駐車場の端に並んで立っていた。
「サポーター、外してたな」
涼介が言った。
「うん」
栞が少し笑った。
夜の空気が冷えていた。
朱莉は半歩、涼介の方へ近づいた。
ポケットから出た指先が、少し白くなっていた。
「冷えてる」
風が吹いて、新しいブラウスの袖口から冷気が入った。
声に出したつもりはなかった。
朱莉はそっと手を重ねた。
冷たかった。
朱莉が少しだけ手を引くと、涼介は握り返した。
誰も何も言わなかった。
信号が青に変わった。
二人はゆっくり歩き出した。
歩幅が少しだけ揃っていた。
星がいくつか、静かに光っていた。


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『折り目文字数』

折り目①|プロローグ
あらすじ297文字/プロローグ494文字


折り目②|プリンサンデー【1章】
2362文字


折り目③|残量【2章前編】
4034文字


折り目⑤|いもようかん【3章前編】
1682文字


折り目④|境界 【2章後編】
1838文字


折り目⑤|いもようかん【3章前編】
1682文字


折り目⑥|そばにいるだけ【3章後編】
1347文字


折り目⑦|それ、飯じゃない【4章】
2224文字


折り目⑧|計算のゆくえ【5章】
3966文字


折り目⑨|指の跡【6章】

3119文字


折り目⑩|夜の折り目【7章】
2056文字


折り目⑪|変化 言葉になる前に【第8章・前編】
3292文字


折り目⑫|変化 小さな鉢に、変化が宿る【第8章・中編】
1997文字


折り目⑬|変化 嬉しいのに、まだ馴染まない【第8章・後編】
1560文字


折り目 ⑭|【第9章】離れているあいだに
2068文字


折り目⑮【第10章】それぞれの場所で
1399文字


合計:35120文字


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