本能寺の変1582 【重要史料】 250512 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重要史料】 250512
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3(1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】
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【重要史料7】 121~140 年
【重史一覧8】 141~160 年
【重史121】 そ第11話㊳ 永禄13 157000126
①奉公衆方へ、年頭の礼に罷り向かう、
②明智十兵衛、濃州へ下向と云々、
「言継卿記」
【重史122】 第143話 永禄06 1563005**
光源院殿御代、当参衆、並びに、足軽衆以下覚え、
「永禄六年諸役人附」前半部分
【重史123】 第35話 永禄11 156800914~26
①十四日に、濃州西庄、立正寺へさしつかはされ、
②廿六(誤)日、御渡海なされ、三井寺極楽院に御陣を懸けられ、
③廿八(誤)日、信長東福寺(東寺の誤り)へ御陣を移され、
④公方様、同日に清水へ御動座。
『信長公記』
【重史124】 第35話 永禄11 156800926
①今日、武家(義昭)、清水寺まで御座を移さると云々、
②織田弾正忠信長、東寺まで進発と云々、
「言継卿記」
【重史125】 そ第11話㊴ 永禄12 156900713
①奉公衆、石谷兵部少輔、牢人、
②小笠原又六、下向、四里北に居らるゝのところへ、
③杉原与七郎、近所に於いて、生害なり、
「言継卿記」
【重史126】 そ第11話② 天正 8 158000802
①抑も、大坂は、凡そ、日本一の境地なり。
②五畿七道こゝに集まり、売買利潤、富貴の湊なり。
③家門長久の処に、思はず、天魔の所為来りて、
④爰に大坂立ち初めて以来、四十九年の春秋を送る事、
『信長公記』
【重史127】 そ第11話㊶ 永禄12 156900826
あさかの城、木下藤吉郎、先懸いたし、攻められ候て、
『信長公記』
【重史128】 そ第11話㊷ 永禄12 156900828
①是れより、わきわき(脇々)の小城へは、御手遣もなく、
②国司父子、楯籠られ候大河内の城と(取)り詰め、
③其上、四方、しゝ垣二重三重結はせられ、諸口の通路をとめ、
『信長公記』
【重史129】 そ第11話㊸ 永禄12 156901004
①俄かに、走入り侯の者、既に、端々、餓死に及ぶに付いて、
②信長公の御二男、お茶箋へ家督を譲り申さるゝ御堅約にて、
③国司父子は、笠木・坂ないと申す所へ退城候ひしなり。
『信長公記』
【重史130】 そ第11話㊹ 永禄12 156901004
①国中城々破却の御奉行、万方へ仰せ付けらる。
②当国の諸関、御免除の上、向後、関銭召し置くべからず
『信長公記』
【重史131】 そ第11話㊹ 永禄12 156901006
①六日に、内宮・外宮・浅間山に御参詣なされ、
②御茶箋公、大河内城主として、津田掃部を相添へ置かれ
『信長公記』
【重史132】 そ第11話㊺ 永禄12 156901011
①勢州表、一国平均に仰せ付けられたる様躰、
②公方様へ仰せ上げられ、
『信長公記』
【重史133】 そ第11話㊺ 永禄12 156901013
①のふなかのほりて
②御しゆりみまいまいらせ候とてまいり
③なかはしにて、てんはいの御さか月たふ。
「御湯殿上の日記」
【重史134】 そ第11話㊺ 永禄12 156901016
上意(義昭)とせりあいて、下りおわんぬと、
「多聞院日記」
【重史135】 第31話 永禄11 156800725
①此の上は、織田上総介信長を偏に憑み入られたきの趣、
②濃州西庄立正寺に至りて、公方様御成り。
③末席に鳥日千貫積ませられ、
『信長公記』
【重史136】 第34話 永禄11 156800907
①九月七日に公方様へ御暇を申され、
②尾・濃・勢・三、四ヶ国の軍兵を引卒し
③わきわき、数ヶ所の御敵城へは、御手遣いもなく、箕作山へ、
④十三日に、観音寺山乗つ取り、御上り候。
『信長公記』
【重史137】 そ第11話㉖ 永禄12 156900227
①二月廿七日、辰の一点、御鍬初めこれあり。
②細川殿御屋敷に藤戸石とて往古よりの大石候。
③笛、大鼓、つゞみを以て囃し立て、
④信長、御下知なされ、即時に、庭上へ御引付け候。
『信長公記』
【重史138】 そ第11話㉖ 永禄12 156900127
①一月二十七日、
②光源院御古城また御再興、
③織田弾正忠信長、奉行せしめ御普請これあり、
「言継卿記」
【重史139】 そ第11話㉖ 永禄12 156900303
①細川右馬頭庭の藤戸石、
②織弾(信長)、三・四千人にてこれを引き、
③笛鼓にて、これを囃し、
「言継卿記」
【重史140】 そ第11話㉗ 永禄12 156900313
①司祭が都に到着して三日を経、
②和田殿は、司祭が信長の許へ伺候する準備整えた。
③信長は、邸の奥に入っていて、音楽を聞いていた。
④信長は、贈物を見た後、ビロードの帽子だけを受理した。
⑤幾千里もの遠国から、はるばる日本に来た異国人たちを、
『日本史』
【重史141】 そ第11話㉘ 永禄12 1569003**
①信長は、建築作業に従事しており、
②濠橋の上で待った。
③彼は、約二時間、ゆったりした気分で、彼と語らった。
④どれくらいの道のりがあるのか
⑤かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか
⑥信長は、仏僧の方を指さし、憤激して言った。
⑦予は、幾度も、彼らを殺害し、殲滅しようと思っていたが、
『日本史』
【重史142】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
①通常二万五千人が働き、少ない時でも、一万五千人を数えた
②彼は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。
③信長は、ほとんどつねに、座るために虎皮を腰に巻き、
④一兵士が、戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、
⑤信長は、一同の面前で、手ずから彼の首を刎ねた。
⑥少なくとも、二、三年はかかると思われたものを、
⑦彼は、ほとんどすべてを七十日間で完成した。
『日本史』
【重史143】 そ第11話㉙
四月十四日、武家、勘解由小路室町え御座を移さると云々、
「言継卿記」
【重史144】 そ第11話㉙
①御前へ、信長、召し出だされ、
②忝くも、三献の上、公儀御酌にて御盃、
『信長公記』
⇒ 次へつづく
