本能寺の変1582 【ここがポイント!!】 250616 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【ここがポイント!!】 250616
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【重要史料】 全 【重史一覧】
→【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 250616
【ここがポイント!!】 250616
「本能寺の変」
その原因・理由の一つが、ここにあった。
ポ01 『日本史』『信長公記』「小畠文書」「続群書類従」
信長は、典型的な戦国武将。 →信02
「力こそ正義」
軍事力の強化に、余念がなかった。
→【重史146】 【重史163】 【重史165】 【重史168】
信長は、決して、「隙」を見せぬ男。
それ故、ここまで生きながらえた。
あろうことか、
その信長が、光秀に、背中を見せた。 →そ第78話⑫
のみならず、
嫡男 信忠までもが、京にいる。 →【 重史 028】
これすなわち、信長の「油断」。 →【 重史 033】
「天下布武」=「日本統一」は、目前にあった。
前を見れば、後ろは見えず。 →【重史021】
「魔が差した」、という他ない。
光秀は、この時を待っていた。 →【重史031】 【 重史 005 】
正に、天祐。
千載一遇の好機。
光秀は、躊躇せず。 →【重史016】
決断した。
ポ02① 『日本史』『信長公記』「多聞院日記」「石谷家文書」
「成簣堂文庫所蔵文書」
信長は、誇り高い男。 →信03
正義感が強い。
「名誉心に富み、正義において厳格であった」 →【重史146】
信長は、疑い深く、用心深い。
「余多の伽藍、一宇も残さず」 →【重史163】
「渡して後、やく(焼)る様に用意しけるか」
信長は、忍耐強く、我慢強い。
信長は、執念深く、粘り強い。
信長は、根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
「先年、朝倉破軍の刻」 →【重史167】
信長は、これを、粛清の口実とした。
信長は、絶対専制君主。 →【重史146】
己が、天下の支配者であることを強く意識していた。 →【重史172】
その自負がある。
「天下の儀、何様にも、信長に任せ置かるのゝ上は」 →【重史171】
信長は、「命」に背く者・逆らう者には、容赦しない。
己の「命」を覆すことなど、有り得ぬことなのである。
「抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に」 →【重史172】
「口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条」
信長は、己に口答えする家臣を、決して、赦さない。 →【重史172】
佐久間信盛を見よ。
「時にあたつて、信長、面目を失ふ」 →【重史167】
その一言が、命取りとなった。
「譜代の下人に見捨てられ、かちはだしにて」 →【重史172】
信盛は、十津川の湯で、死んだ。 →【重史173】
これが、織田家筆頭家老の成れの果て。
哀れな死に様だった。
光秀は、信盛の死を、奈良で知った。 →【重史173】
この時のことが、光秀の脳裏に、こびり付いている。
光秀は、信長の性格・気性等を知り尽くしていた。 →【重史172】
信長には、
「逆」らっては、ならぬ。
「口答え」など、以ての外。
なの、である。
光秀は、そのことを、他の、誰よりも、よく知っていた。
その筈だった・・・・・。
だが、・・・・・。
ポ02②
ポ02③
ポ03
ポ04
ポ05
ポ06
ポ07
ポ08
ポ09
ポ10
只今、進行中!!
⇒ 次へつづく
