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本能寺の変1582 【四国】 十 0519 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【四国問題】 天正十年1582 5月19日

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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10 【重史146】
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 251114

天正十年1582 5月19日

目次

5月19日 【重史228】          公 天正10 158200519 信長は、家康のために能舞を興行した。
「幸若大夫・梅若大夫の事」

  ①五月十九日、安土御山惣見寺において、
  ②幸若八郎九郎大夫に舞をまはせ、
  ③丹波猿楽 梅若大夫に能をさせ、
  ④家康公召し列れられ候衆、今度、道中辛労を忘れ申す様に、
  ⑤御桟敷の内、近衛殿(前久)・信長公・家康公・穴山梅雪・
  ⑥世間の褒貶(ほうへん)あるべきやの御思慮を加へられ、
                           『信長公記』

信長は、中国出陣を控えている。       備中高松城 【重史227】
気が立っていた。 

梅若大夫を折檻。

信長は、誇り高い男。          5月12日 4/7 【重史146】
世間の評判を気にした。

信長の目の前に、大きな誘惑がチラついていた。
毛利の動きが気にかかる。
「今度、間近く寄り合ひ候事、天の与ふるところに候」
「中国の歴々討ち果たし」
「九州まで一篇に仰せつけ」         備中高松城 【重史227】

そこに、「隙」が生まれた。
これで、
「天下布武」は、成る。
・・・・・。

光秀は、これを見逃さない。
光秀は、坂本にいる。
信長は、
「急いておる」
そう、思った。
・・・・・。



 ⇒ 次へつづく



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