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妄想シティ 第1話

(あらすじ)
 妄想が脳波となって他人の脳内で可視化される世界。
 早坂憲治は図書館で出会った女、栗山和美とともに、妄想によって人々を洗脳し世界を征服しようとする悪の組織に立ち向かう。
 悪の組織の一員である難波逸郎の罠にはまり、意識不明になる早坂。三年の昏睡状態から目覚めた早坂は、北海道に作られた謎の娯楽施設「妄想シティ」に一人、乗り込む。そこでは搾取と洗脳が繰り広げられており、早坂はどんどん闇に落ちてゆく。
 はたして早坂は妄想世界から抜け出して、現実世界に戻れるのだろうか。


第1話

1

 廃墟のような街のあちこちにはネバネバとした液体が付着している。
 コンクリートが剥き出しの建物はみなどす黒く汚れていて、崩れた壁や瓦礫、割れたガラスの欠片が道路に散らばっている。
 ここで戦争があったのだろうか?
 まるでそんなことを連想させるかのように何もかもが破壊され、そこには人影も無かった。
 ここにいるのは僕ただ一人。そう、たった一人なのだ。すべての人々はみな何処かにいなくなってしまった。そんな見捨てられた街に僕はいる。

 あたりは薄暗く、霧が立ち込めている。
 どこからかやせ細った犬がうつろな表情を浮かべて現れた。力なくとぼとぼと、ただ行くあても無くさ迷う。割れたガラスを踏むカチリカチリという音が周囲に響いている。
 こうもりが新鮮な血を求めて空を飛んでゆく。だけど新鮮な血なんて、いったいどこにあるのだろうか?
 途方も無い崩壊と孤独の世界を僕は歩いていた。それは永遠に終わっている世界だった。

 だけど僕は、この荒くれた世界の中には不自然な、真新しいガラス張りの建物を発見した。
 何だろう、これは?
 その建物はどう見ても周囲の環境とは不釣合いだった。僕は不思議な感覚に囚われる。

 僕はゆっくりとその建物に近づき、恐る恐る建物の中の様子を伺った。
 それはガラス張りのアーバンな雰囲気のブティックだった。真っ白な店内に、シックな黒い洋服がずらりと並んでいる。
 どうしてこんなところにこんなものがあるのだろう?
 僕の頭の中は混乱した。
 僕は思い切ってその建物の中に足を踏み入れてみようと思った。
 ガラスのドアの取っ手に手をかける。そしてその瞬間に、僕は鼻をつままれた。

 
 目を開けると見知らぬ女が僕の鼻をつまんでいた。
 「私のショップにその汚い足で入ってこないでくれる?」
 と言って、その女は僕のことを睨みつけていた。
 「何?」
 僕は訳がわからないままに女の顔を見つめる。
 女は僕に対して何一つ説明をするつもりが無い様子で、そのまま僕の前から歩き去ろうとしていた。
 私のショップ?
 僕は慌てて女を呼び止めた。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、私のショップって」
 僕の言葉に女は立ち止まり、振り返った。 
「こんな公共の場で脳波をばら撒いて、あなたは人の迷惑と言うものを考えないわけ?」
 女の声はとても大きくて、静かな図書館の通路に響き渡った。
 そう、僕は図書館にいたのだ。周りの人たちが僕らを見ている。
 女はため息をつきながら指で合図をして、僕に外に出るように促した。僕は女の指示に従い、外に出た。

「あなたがあの不快な世界を発散させているから、私は自分の世界を作って防御したのよ。それなのにあなたは私の世界にまで足を踏み入れようとした」
 女はヒステリックな口調でまくし立てた。
「何を言っているのかわからないんだけど」
 僕の態度に、女は呆れた表情をして僕を見る。
 「あなた、本当に分かっていないの?」
「僕はただちょっと考え事をしていただけだ」
「ただちょっとっていうレベルじゃなかったわよ」
 
 女は長い髪を掻き揚げて、何も知らない子供に言い諭すような優しい口調に変わった。僕はきょとんとした表情で女を見ている。
 「本当に分かって無いのね?」
 女は繰り返し、僕は頷く。女はまた大きくため息をついてから、話しを続けた。

「脳波というのはね、通常は人間個人の脳の中だけで発生するものなの。だけど強い脳波は自分の脳の中だけでは収まりきらずに外部に漏れてゆく。電波のようにね。脳波に敏感な人間は、その強い脳波を受信してしまうのよ。あの図書館であなたの脳波を受信できたのは私だけみたいだったけど」 
 女はそう言った。

「そんなこと、信じられない」

2

 女の顔が脳裏から離れなかった。
 女がいなくなった後も、僕の目の前にはずっとその女の顔が浮かんでいた。
 あまりにも衝撃的で思いもよらない出来事に、僕はただただ混乱していた。
 だから僕は女がいつの間にかいなくなってしまったことに気がつかなかったし、今もあの女が目の前にいる錯覚にとらわれていた。
 あの後も女はずっと話し続けていたような気がする。だけど僕の耳には何も聞こえなかったし、時間という概念が失われてしまっていた。

 僕はとぼとぼと駅まで歩き、電車に乗った。
 何だか別の世界にいるような気分だった。まるで幽霊でも見てしまったかのようだ。ふわふわとした実態のない感覚に囚われていた。

 電車の座席に座り、目をつぶった。
 頭が少し痛んだ。他人の意識が自分の中に入ってくるだなんて、生まれて初めてのことだった。
 頭を休めよう。頭を休めよう。僕はそう努める。
 だけど僕の頭の中は決して休まることはなかったのだ。

 すぐさま僕の頭の中に他人の妄想が飛び込んできた。
 なんてこった。これが脳波の漏れというものなのか。
 他人の妄想は不快気あまり無いものだ。図書館の女が見鯨をたてて怒っていた気持ちが良くわかる。
 見たくも無いものを強引に見させられる感じ。スタンリー・キューブリックの映画『時計仕掛けのオレンジ』の一シーンを思い出す。
 犯罪を犯した男がショック療法のために凶悪シーンを映し出した映像を永遠と見させられる。目が閉じれないように強引に器具で開けられ、体は縛られ、その映像から目を背けることができない。

 それと同じだ。他人の脳波を止めることはできない。目をつぶっていてもそれは目の前にある。

 その男は正面の座席に座っている女子高生の胸を触ろうとしていた。
 恐る恐る周囲の視線を気にしながらゆっくりと女子高生に近づく。乗客はそれに気がつかない。当たり前だ。それはその男の妄想でしかないのだから。

 『ほうっておけ』という心の声が僕につぶやく。だけど駄目だった。
 僕は無意識のうちに「やめろ」と叫んでいた。声は出ていない。それはあくまでも僕の心の叫びだった。
 だけど僕の声はその男には届いていた。

 男の肩が僕の声に反応してびくっと動いた。
 そして男は振り向き、乗客一人一人の顔を順番に眺めてゆく。男の表情は明らかに動揺していた。

 男の目と僕の目があった。僕はまっすぐに座席に座った本物の男の顔を見ていた。男の顔からは明らかな困惑の色が見える。
「僕は、妄想をしているだけだ。そのはずだ」
 男は心の中で呟いた。
 自分の妄想がなぜ人に見られているのかが理解できない様子だった。それはそうだ。僕だってついさっきまでそんなことが現実に起こるだなんて思いもしなかったのだから。
「確かにそれは君の妄想でしかないから僕の関知するようなことじゃあないけれど、僕の目の前でそれをやられたらとてもじゃないけど見ていられない」 

 僕はとっさに叫んでしまった自分の軽率さを反省しながら、できるだけ穏やかな口調で男に話しかけた。いや、実際に声は出ていない。
 僕の心の声を聞くと、男は少しばかり安堵の表情を見せた。自分の行動が妄想であるという確認が取れたことで、安心したのだろう。
 妄想と現実の区別がつかなくなってしまうと、大変なことになる。自分の妄想がリアルなものになればなるほど、現実との区別がつきにくくなる。
 妄想の中の男は不満そうな顔をしたが、それ以上何も言わなかった。

 現実世界に戻った男は立ち上がり、一瞬僕のことを睨んでから、他の車両へと歩いていった。また他の車両で別のターゲットを見つけて、妄想をするのだろう。
 他人の妄想を取り締まる法律は無い。
 それが妄想である限り、本人の自由だ。妄想の中では何もかもが許されるのだ。

3

 最寄の駅で僕は電車を降り、アパートまで歩いた。
 アパートまでは徒歩で二十分くらいだ。少し遠いけれど、適度に健康には良い距離だと思う。
 駅から五分ほどは駅前の商店街があるので、それほど苦にはならない。商店街が途切れると、少しゆるい上り坂となっており、住宅街を抜けてゆく。

 この住宅街は昼間でもそれほど人通りは無い。
 通りを歩くのは住人ぐらいのものだから、そんなものかもしれない。僕はブルートゥースのイヤホンで音楽を聴きながら、通りを歩く。

 しばらく歩いていると、少し大きな家の前に立っている女を見かけた。
 女はうれしそうな顔をして、その建物を眺めていた。
 「何がそんなにうれしいのだろう?」と思っていると、突然僕の頭の中にその女の妄想が飛び込んできた。
 女が眺めている家が、燃えていた。家全体が一瞬にして炎に包まれ、女はその様をうれしそうに眺めているのだ。それが妄想だということは明白だった。
 その家はめらめらと燃えているが、まったく熱気が伝わってこなかったからだ。
 CGで作られた映像のようにその家自体は燃えていたが、その周辺の家に火の粉が飛び散ることはなかった。

 女がそれを見ている僕に気がついた。
 何食わぬ顔をして、女は下を向く。燃えていた家の火は一瞬にして消えた。
 女は僕が通りすぎるのをやり過ごす気でいたのだろう。だけど僕には放っておくことができなかった。

「どうしてこの家に火をつけた?」
 そう僕が話しかけると、女は一瞬ぎくっとしたが、すぐに開き直ったかのように僕に反論した。
「何のこと?」
「君はこの家に火をつけて、それを眺めていた」
 そう言って僕は女の顔を見つめた。
「ちょ、ちょっと。変な言いがかりをつけないでくれる? この家のどこが燃えているって言うの?」 
 女は完全に開き直っている。なぜならそれは彼女の妄想だからだ。それは他人に見えるはずがないものだからだ。 
「確かに実際には燃えていない。だけど君はこの家が燃えている妄想をして、それを楽しんでいた」 
「だからそんな言いがかりはやめてよ」
 女はそう言って僕をにらみつけると、駅の方に向かってスタスタと歩き出した。

 僕はこれ以上彼女を問い詰めるのはやめることにした。
 人の妄想に口出しをするだなんて、おせっかいも良いところだ。あるいはプライバシーの侵害かもしれない。だけど僕には見えてしまうのだ。見えてしまうのだから、気になってしまう。

 僕はこれからも、たくさん人の妄想を見ることになるのだろうか?
 僕はいったいどうなってしまったのだろうか?
 女の後姿を、僕はずっと見ていた。
 女は一度だけ振り向いて、僕を見た。それだけだった。

4

 アパートに戻ると、僕はラジオのスイッチを入れた。ラジオからはクリストファー・クロスのセイリングが流れてきた。僕は香織を思い出す。

 香織と付き合っていた頃、僕はこの曲を良く聴いていた。香織が死んでから、僕はこの曲を聴いていない。この曲を聴くと、香織を思い出すからだ。
 気が付くと、目の前に香織がいた。香織は僕の目の前で、微笑んでいた。自然と涙が出てきた。
「香織」
 抱きしめようとすると、香織はすっと消えてしまった。

 いったい僕はどうなってしまったのだろう?
 他人の妄想が見えるようになったばかりか、自分の妄想が現実のもののように見えてしまう。
 それはあの図書館に行ってからだ。そう、あの図書館に行ってからだ。
 あの図書館には何かがあるのかもしれない。図書館で出会った謎の女。あの女が何かを知っている。
 この謎を解くために、僕はまたあの図書館に行かなければならない。
 僕はまたあの図書館に行かなければならないのだ。僕はそう思う。





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甘野充 言葉だけでは伝わりません。 コメントはチップとともに。 「謎解きはディナーの後に、みたいに言うな!」