美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜
【日本のラッパの起源と進化】- その19
「美川おかえり祭り」にラッパが登場したのは、昭和5年(1930)頃とされています。そして、最初に「高らかに吹き鳴らされた」のが「中丸行進曲」であったと『祭礼行事 : 都道府県別 石川県」』に記されています。
この「中丸行進曲」について、今回あらためて調査を進める中で、発見がありました。
『祭礼行事 : 都道府県別 石川県』
1992年(平成4)に桜楓社から出版された『祭礼行事 : 都道府県別 石川県』には、「おかえり祭り」におけるラッパ導入について、次のような一文があります。
ラッパは昔の軍隊の「中丸行進曲」を高らかに吹奏。
簡潔ですが、この一文は非常に重要です。「中丸行進曲」という具体的な曲名が明示されているからです。
もっとも「【日本のラッパの起源と進化】- その19 おかえり祭りは二種類のラッパが交互に響く」を執筆した時点では、この「中丸行進曲」がどのような曲であり、どのような楽譜に基づくものなのか、確かな情報を確認することができませんでした。
ラッパの導入の時期
『祭礼行事 : 都道府県別』石川県』には、ラッパの導入時期について、
昭和五年ころから始まったという。
と記されています。
すなわち、1930年(昭和5)頃からラッパ隊が編成されるようになったと考えられます。
ラッパ隊の前には、現在と変わらず、黒紋付に袴、白たすき、白鉢巻き、白足袋という装いの青年団が団旗をひるがえしていたといいます。しかし、そのとき実際にどのような譜の音が町中に響いていたのかを推測する手がかりは、現時点では「中丸行進曲」という曲名のみです。
初期の「おかえり祭り」において、この「中丸行進曲」のみが繰り返し吹奏されていた可能性も考えられます。
中丸行進曲
本シリーズを執筆するにあたり、重要な手がかりの一つとなっているのが「国立国会図書館デジタルコレクション」です。
現在、同コレクションには、「中丸行進曲」の文言を含む書籍が三冊公開されていることが確認できます。すでに参照した『『祭礼行事 : 都道府県別』 石川県』のほか、次の二冊です。
・『祭礼の益荒猛雄 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭』
・『藤冢山王新記 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭 前編』
これら三冊のうち、最も早く刊行されたのが『祭礼の益荒猛雄 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭』です。
『祭礼の益荒猛雄 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭』
伊藤博一 編『祭礼の益荒猛雄 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭』,伊藤博一,1987.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13255434 (参照 2026-02-15)
著者の伊藤博一氏には、この著書の他に『轂類聚(石川県美川町、藤冢神社春季例大祭)』『藤冢山王新記 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭 前編』もあり、美川郷土史の書き手の一人と推察されます。
本書は、藤塚神社春例祭での青年団およびラッパ手の活動に焦点を当てた内容となっています。
同書に記された内容の概略整理すると、次のとおりです。
ラッパの編成と運用
・ラッパは藤塚神社が管理している。
・二重巻(2重)と三重巻(3重)のものが合わせて約20本ある。
・2重と3重がそれぞれ8人ぐらいになるように割り当てる。
吹奏曲目
・渡御の際は「駆け足行進」の中の「中丸行進」 |
「中丸行進」は騎馬隊が入場する際に吹鳴する曲とされる
・奉迎行進は「青年行進曲」
・初日の早朝と翌日夕暮れに祭礼を触れ回る際は「集合ラッパ」
・譜にはソ・ド・ミ・ソが記されているが、リズムは記されていない。
(五線譜は筆者作成のもので、実際の演奏ついては不明)



ラッパ導入の起源
・ラッパ導入については、日露戦争後明治38年(1905)頃の説もあるが、昭和初期(昭和5年頃)とする説が確実とされる。
・当初のラッパ吹奏は、在郷軍人会美川分会が担当した。
・曲名は「駆足行進曲」の中の「中丸行進曲」。
・当初は青年団と在郷軍人会が1年交代でラッパ吹奏を担当した。
最初のラッパ手
『祭礼の益荒猛雄』に記されたている談話の内容から、米光吉雄・浜上正治・田中芳次・山口正男の四氏が最初に「おかえり祭り」でラッパを吹奏した方々と推測できます。
彼らは、昭和3年および4年に美川町青年訓練所の要綱が一部改正され、ラッパの習得が必要とされたことを受けて、金沢市の第7連隊に赴き、指導を受けたといいます。習得した曲目は、「中丸行進曲」「青年行進曲」「集合」「君が代」「国の鎮め」であったと記されています。
歌・手拍子
・「青年団団歌」
・応援歌「両半球に類なし」「手取の流れ」
・祭礼応援歌「ラッパ手音頭」「ラッパの同級生」「この命燃やす限り」
・手拍子、および三三七拍子
『轂類聚(石川県美川町、藤冢神社春季例大祭)』
伊藤博一 著『轂類聚 : 石川県美川町、藤塚神社春季例大祭』,伊藤博一,1990.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13253228 (参照 2026-02-16)
本書は、伊藤博一氏の著作です。1987年刊行の著書が「青年団・ラッパ隊」に焦点を当てていたのに対し、この1990年刊行の『轂類聚』は、藤塚神社春季例大祭全体についてまとめられています。
ここに記されている平成元年5月に行われた談話記録には、おかえり祭りの最初のラッパ奏者が、米光吉雄・浜上正治・田中芳次・山口正男の四氏であると明記されています。
『藤冢山王新記 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭 前編』
伊藤博一 著『藤冢山王新記 : 石川県美川町、藤冢神社春季例大祭』前編,伊藤博一,1993.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13268352 (参照 2026-02-15)
本書は、伊藤博一氏の著作です。この1993年に刊行された本書は、「藤冢神社春季例大祭」全体について幅広く記述しています。
したがって、本書において「ラッパ」に関して注目すべき記述は、次の一点です。
1931年 昭和6 ラッパ吹奏が始まる。(4名)
ラッパ導入の時期は昭和5年か、昭和6年か
伊藤博一氏は、「美川おかえり祭り」へのラッパ導入時期について、『祭礼の益荒猛雄』では昭和5年とし、『轂類聚』『藤冢山王新記』では昭和6年と記しています。
『祭礼の益荒猛雄』は、執筆にあたって行われた座談会の成果をもとにまとめられたものであり、その段階では「昭和5年」とされています。しかし、その後に刊行された『轂類聚』に向けた談話の「ラッパの吹き初めは、昭和6年頃だ」との記録からか、『藤冢山王新記』では「昭和6年」と改められています。この変更の根拠については、両書の記述からは明確に読み取ることができません。
以上を踏まえるならば、ラッパ導入の時期は厳密に昭和5年または昭和6年と断定するよりも、「昭和5年頃」、すなわち昭和5~6年頃と理解するのが妥当である可能性があります。
中丸須行進曲
手元にあった資料を読み返しているうちに、これまで見逃していた一つの文言に気づきました。
「中丸須行進曲」(獅子印 福泰留声機器公司317)
この名称を目にしたとき、1930年(昭和5)頃に「美川おかえり祭り」で最初に吹奏されたとされる「中丸行進曲」は、実はこの「中丸須行進曲」を指しているのではないか、という可能性が浮かび上がってきました。
『陸海軍喇叭譜』(1885)制定以前の陸軍フランス式ラッパ譜について
奥中康人教授が 静岡文化芸術大学研究紀要 VOL.19 (2018年) に発表された論文の「脚注41」に、「中丸須行進曲」という名称が記されています。
この記述を見たとき、1992刊行の『祭礼行事 : 都道府県別 石川県』120頁に記された「中丸行進曲」は、本稿の独自の見解ではありますが、この「中丸須行進曲」を指して知るのではないかと考えました。
当該脚注には、次のようにあります。
ところが、筆者がオークションで手に入れた1枚のSPレコードが、新たな課題を突き付けてくる。「歩兵第一聯隊」のラッパ隊が、おそらく昭和初期あたりに録音したと思われる「中丸須行進曲」(獅子印 福泰留声機器公司317)というタイトルのレコードには、『偕行ラッパ譜B』の行進曲14~23番がほぼそのまま収録されている。つまり、1885年12月『陸海軍喇叭譜』制定以降、それまでのラッパ譜は公式には使われなくなったが、歩兵第一聯隊では「中丸須行進曲」として、部分的に伝承されていたことになる。
整理すると
・昭和初期録音のSPレコードに「中丸須行進曲」という名称が確認できる。
・その内容は、『偕行ラッパ譜B』 の行進曲第14番~第23番をほぼ収録したものとされる。
・すなわち、1885年の『陸海軍喇叭譜』制定以前のフランス式ラッパ譜が、名称を変えつつ部分的に伝承されていた可能性がある。
もし、美川町で伝えられてきた「中丸行進曲」がこの系統に属するものであるならば、「おかえり祭り」で鳴り響いていた旋律は、明治初期の陸軍フランス式ラッパ譜にまで遡ることになります。
*1 靖國偕行文庫には、「明治二十年前後の陸海軍ラッパ譜」と題された3冊1組のラッパ譜が所蔵されています。それらには個別の表題が付されていないため、当該論文では便宜的に「偕行ラッパ譜A」「偕行ラッパ譜B」「偕行ラッパ譜C」と区別しています。
元譜はフランス譜
奥中康人教授が「中丸須行進曲」であろうと指摘しているフランス譜で、筆者が該当曲を確認できる3曲があります。
1) Vingt pas accélérés originaux ① (譜例 4)
オリジナル速歩行進曲① 「偕行ラッパ譜B」行進曲14

2) Vingt pas accélérés originaux ② (譜例 5)
オリジナル速歩行進曲② 「偕行ラッパ譜B」行進曲15

3) Le pas accéléré (譜例 6)
早足 「偕行ラッパ譜B」行進曲16

この「Le pas accéléré」は、1867(慶応3)発行の『喇叭譜号 全』にも確認できる曲です。(譜例 7)

厚生堂版陸海軍喇叭譜に掲載の該当する号音は「第百四十五号 早歩」と思われます。 (譜例 8)

厚生堂版陸海軍喇叭譜には、「Le pas accéléré」を原曲とするとも思える号音が記載されています。 (譜例 9)

中丸行進曲とは何か
「駆歩行進」と『偕行ラッパ譜B』の行進曲14-15-16
伊藤博一氏が『祭礼の益荒猛雄』の中で、神輿渡御の際に用いられると記した「駆け足行進」の中の「中丸行進」については、その原曲が「駆歩行進」 である可能性が、これまで指摘されています。

一方で、奥中康人教授は「中丸須行進曲」に関する検討の中で、『偕行ラッパ譜B』所収の行進曲14・15・16が該当する可能性を指摘しています。筆者もこれらの三曲の原曲譜 を確認しました。
しかしながら、これらの旋律は現在「美川おかえり祭り」で演奏されている曲とは一致しないように思われます。

以上の検討から、「美川おかえり祭り」にラッパ隊が導入された当初に吹奏されたとされる「中丸行進曲」が、具体的にどの旋律を指すのかについては、現段階ではなお明確に特定することはできません。
美川で最初に吹き鳴らされたラッパ
本稿では、「美川おかえり祭り」において最初に吹奏されたとされる「中丸行進曲」とは何であったのかを、複数の郷土史料およびラッパ譜資料をもとに検討してきました。
まず、郷土史料によれば、ラッパ導入の時期は昭和5年(1930)頃、あるいは昭和6年(1931)とされており、年次には揺れが見られます。しかし、昭和初期に在郷軍人会および青年団によってラッパ隊が編成されたことは確実と考えられます。そして、その際に吹奏された曲名として「中丸行進曲」が明示されています。
次に、「中丸行進曲」という名称を探ると、昭和初期録音のSPレコードに記された「中丸須行進曲」という名称が浮かび上がります。この録音には、『偕行ラッパ譜B』所収の行進曲14~23番がほぼそのまま収録されており、1885年制定の『陸海軍喇叭譜』以前のフランス式ラッパ譜が、名称を変えつつ伝承されていた可能性が示唆されます。
さらに原譜を検討すると、該当曲群はフランス軍ラッパ譜の《Le pas accéléré》などに遡ることが確認できます。しかしながら、これらは現在「美川おかえり祭り」で演奏されている旋律とは必ずしも一致しません。
以上を総合すると、「中丸行進曲」という名称は史料上確認できるものの、その具体的旋律を現段階で確定することは困難です。昭和初期の美川町に響いたラッパの音は、明治初期の陸軍フランス式ラッパ譜に源流を持ちながらも、地域的伝承の過程で大切に育まれ、独自に進化した可能性も否定できません。
では、美川で高らかに吹き鳴らされた最初のラッパは、どのような旋律であったのか。
現時点では旋律の特定には至っていませんが、もし当時の演奏を知る手がかりや、古い楽譜などの情報をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひご教示いただけますと幸いです。
その答えは、なお史料の奥に眠っています。

HIRAIDE HISASHI
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30
【日本のラッパの起源と進化】 - その1
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その2
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その3
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その5
― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その6
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7
― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その8
― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その9
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その10
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その11
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その12
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その13
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その14
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その15
― 『駆歩行進』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その16
― 『北海道のラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その17
― 『浜松まつりのラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その18
― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その19
― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その20
― 『音商標への登録』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
【日本のラッパの起源と進化】- その21
― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その22
― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22 【改訂版】
― 『夜空のトランペットのルーツ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その23
― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
【日本のラッパの起源と進化】- その24
― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
【日本のラッパの起源と進化】- その25
― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
【日本のラッパの起源と進化】- その26
― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
【日本のラッパの起源と進化】- その27
― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その28
― 『ながのってすごいぞ―消防:応用編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その29
― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
【日本のラッパの起源と進化】- その30
― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
― 『(仮)日本のラッパ文化の構造』―
