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二度来日したラッパ伍長ギュティグ

【日本のラッパの起源と進化】 - その2
―フランス軍事顧問団史料から再考する信号喇叭導入の実像―

 ギュティグ(Gutthig)は、フランス第一次および第二次フランス軍事顧問団の一員として日本に派遣された、カポラル・クレロン(caporal clairon/ラッパ手伍長)です。彼が二度にわたって来日していた事実は、これまでの研究ではほとんど指摘されてきませんでしたが、フランス側の一次史料を精査することにより、日本陸軍における信号喇叭教育の現場に関与していた実務者であった可能性が確認されます。


第1章 見落とされてきた「信号喇叭の担い手」

 幕末から明治初期にかけての日本への西洋音楽導入において、フランス軍事顧問団が果たした役割は、これまで主として二つの枠組みで整理されてきました。すなわち、幕末の第一次フランス軍事顧問団による「信号ラッパの導入」と、明治初期の第二次フランス軍事顧問団による「軍楽隊指導」です。
 この整理は、日本軍楽史の制度的・象徴的な側面を理解する上では一定の有効性を有してきました。その一方で、下士官による専門的な実務教育、とりわけ「信号ラッパ」という戦術的命令伝達手段が、どのように導入され、継続・展開されたのかという具体的な過程については、これまで十分に検討されてきませんでした。
 その結果、個々の実務者の配置や役割の変遷、なかでもギュティグ(Gutthig)が第一次・第二次の両顧問団に関与していたという事実については、研究史の中でほとんど顧みられてこなかったのが現状です。本稿は、この点を、シャノワーヌ将軍文書をはじめとする一次史料に即して再検討することを目的としています。

第2章 第一次フランス軍事顧問団(1867–1868)

信号喇叭導入を担ったギュティグ

2-1 第一次顧問団の概要

  第一次フランス軍事顧問団は、慶応3年(1867年)、江戸幕府の要請により派遣されました。その目的は、幕府陸軍の近代化を図るための軍制改革および洋式訓練の導入であり、活動分野は歩兵操典、砲兵、工兵に加え、命令伝達手段としての信号ラッパにも及んでいました。
 顧問団は、シャノワーヌ将軍(le général Chanoine)を中心に、軍人・技術者あわせて19名で構成され、その派遣メンバーの詳細は『フランスと日本(La France et le Japon)』に明示されています。 *1

第一次フランス軍事顧問団派遣メンバー
« Source gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France »

*1 派遣メンバーの査察に関する名簿 等による

2-2 近衛猟兵大隊ラッパ手伍長ギュティグ

 第一次顧問団には、ラッパ手(clairon)が含まれていました。ラッパ手とは、軍隊において号令や命令を即応的かつ正確に伝達する「信号」を担う専門職です。
 ギュティグ(Gutthig)は、フランス第二帝政期において皇帝直属の精鋭軽歩兵部隊であった近衛猟兵大隊(Bataillon de chasseurs à pied de la Garde impériale)に属するラッパ手伍長(Caporal clairon)として史料上に確認される人物です。  近衛猟兵部隊は高い機動性を特徴とする精鋭部隊であり、ラッパによる迅速かつ正確な信号伝達は、通常の歩兵部隊以上に重視されていました。この点を踏まえると、ギュティグはフランス軍内において、信号ラッパの運用に関する高度な実務経験と技能を有していた人物であったと推察されます。

2-3 名簿に個人名が記された下士官の意味

 シャノワーヌ将軍関係文書によれば、第一次顧問団の名簿において、通常は集団として表記されがちな伍長以下の下級兵士の中で、ギュティグについては個人名が明示されています。この事実は、彼が単なる随伴兵ではなく、信号ラッパの運用および教授という特定の専門職能を期待されて選抜された実務者であった可能性を示唆しています。
 もっとも、彼が日本側においてどのような制度的立場で教育に従事したかを直接示す史料は限られており、「公式な指導責任者」と断定することには慎重であるべきかもしれません。しかし、少なくともフランス式信号ラッパ運用を体現する専門技能者として、初期の日本軍におけるラッパ導入の現場に関与した人物であったと評価することは十分に可能でしょう。

2-4 信号ラッパ教材との関係

 ギュティグの名は記されていませんが、慶応三年(1867)に刊行された『喇叭符号 全』(田邊良輔編)は、その成立時期および収載内容から判断して、フランス式ラッパ信号を基礎とする幕府軽歩兵大隊の訓練用教材として編まれたものであり、ギュティグらフランス軍事顧問団員による教授内容を反映している可能性が高いと考えられます。
 本書の元本、あるいは直接の参照資料と考えられるものとしては、以下のフランス軍用ラッパ教本が挙げられます。

  • Georges Tilliard(ジョルジュ・ティリアール)著
    Méthode pour le clairon simple
    (1857年刊/無弁式軍用ラッパ教本)

  • Méthode adoptée pour l’étude des sonneries dans les bataillons de marins fusiliers et les compagnies de débarquement à bord des bâtiments de la flotte
    (1864年刊/海兵隊ライフル大隊および艦隊艦上上陸中隊におけるラッパ信号教育法)

 これらはいずれも、19世紀中葉のフランス軍において標準的に用いられていた信号ラッパ教育法を示す教本と思われ、『喇叭符号 全』に見られる音型・構成・信号体系との間には、明確な対応関係を有しており、第一次顧問団による教授内容を色濃く反映していると考えられます。

« Source gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France » ou « Source gallica.bnf.fr / BnF »
« Source gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France »

第3章 第二次フランス軍事顧問団(1872–1880)

軍楽制度の形成とダグロン

3-1 第二次顧問団の概要

 第二次フランス軍事顧問団は、明治5年(1872)に明治の要請により派遣されました。派遣の目的は、明治政府による近代陸軍の創設および制度化にあり、顧問団の活動分野は、歩兵操典、砲兵、工兵、騎兵に加え、軍楽および信号ラッパにまで及んでいました。
 顧問団は、軍人および技術者あわせて約30名で構成され、第一次顧問団と比較して、より大規模かつ組織的な編成でした。その構成員については、シャノワーヌ将軍の編纂による『フランスと日本(La France et le Japon)』に、派遣メンバーの氏名が明示されています。

第二次フランス軍事顧問団派遣メンバー
« Source gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France »

3-2 下士官としてのダグロン

 シャノワーヌ将軍の文書における第二次顧問団のメンバーリストでは、「Sous-Officiers(下士官)」の項目にダグロン(Dagron)の名が記されています。これは、彼が戦略立案や部隊指揮を行う士官(将校)ではなく、現場において実技指導や専門業務を遂行する下士官として派遣されたことを示しています。
 フランス軍事顧問団の派遣においては、日本側に近代的軍事技術を移転する目的から、実務能力に優れた下士官が多数選抜される傾向にありました。ダグロンもまた、特定の高度な専門技能を持つ下士官として、明確な役割分担のもと日本に派遣された人物であったことがわかります。この点は、第一次顧問団におけるギュティグと共通しており、両者はいずれも「将校ではない専門技能者」として日本に派遣された存在でした。

3-3 Dagron, instructeur de musique の意味

 シャノワーヌ将軍の文書において、ダグロンには「Dagron, (instructeur de musique)」という役職表記が付されています。この「instructeur de musique」という語は、単なる楽器演奏の教授者を意味するものではなく、軍隊組織における「軍楽」の体系的教育を担う教官を指す用語です。
 ダグロンは軍楽教官として、信号ラッパを含む軍楽全般の教育に携わり、合奏の統制や演奏規律、さらには儀礼における音楽運用などを指導する立場にありました。これは、戦場での即応的な命令伝達を主眼とする信号ラッパの実務指導とは性格を異にするものです。すなわち、彼は軍楽隊という組織そのものを制度として成立させる役割を担っていたと言えます。この点において、ダグロンは日本陸軍軍楽隊の形成に深く関与した人物であり、後に「陸軍軍楽隊の初代教師」と位置づけられることになります。

3-4 ラッパ教官から軍楽指導者へ

 ヘルマン・ゴチェフスキ(Hermann Gottschewski) *1による講義資料(2016年)によれば、ダグロンは本来、フランス軍において「四等楽手(musicien de 4e classe)」として位置づけられたラッパ教官であり、当初は信号ラッパ教育を主目的として来日しました。
 しかし、フランス式のラッパ伝習は、すでに幕末の第一次顧問団(1867年)によって一定の基礎が築かれていたため、ダグロンによるラッパ教育も早期に軌道に乗りました。その結果、当時は専門の指導者を欠いていた陸軍軍楽隊(吹奏楽)全体の教育も、あわせて担当するようになったとされています。
 すなわち、ダグロンの役割は、当初の目的であった信号ラッパの指導から、軍楽を一つの制度として確立する段階へと拡張されたのです。この点にこそ、実戦的な信号伝達に専念した第一次顧問団のギュティグと、組織の制度化を担ったダグロンとの決定的な役割の違いが存在すると評価できます。

陸軍軍楽隊の初代教師ダグロン
Der erste Militärkapellmeister der Armee, Gustave Charles Dagron

 G.Ch.ダグロン(1845~1898)は、1872 年 5 月、明治政府が招いた第二次フランス軍事顧問団のラッパ教官として来日した(本国では 4 等楽手)。フランス式のラッパ伝習は、徳川幕府の招聘で幕末の 1867 年に来日した第一次フランス軍事顧問団でも行われており、早々に軌道に乗ったため、ダグロンはまだ指導者のいなかった陸軍軍楽隊(吹奏楽)の指導も依頼され、1882 年まで 6 回の雇継を経て約 10 年間その任にあたった。
 ダグロン自身は指物職人の出身で、正規の音楽教育は受けていなかった。そのため、クラリネットやサクソフォーンなどの木管楽器は来日中のオーストリア人アンジェルから(1873 年から 1 年間)、トロンボーンやバスなどの金管楽器は追加派遣されたフランス人一等楽手ブリュナッシュから(1874 年から 1年間)補佐を受けながら指導にあたり、陸軍軍楽隊を着実に成長させた。1879 年には勲 6 等単光旭日章を贈られた。

ゴチェフスキ教授 2016年5月10日の授業資料

*2 東京大学教養学部教授

第4章 第二次顧問団におけるギュティグの再登場

 ギュティグ(Gutthig)が第一次および第二次の二度にわたってフランス軍事顧問団に属していたという事実は、極めて注目に値するにもかかわらず、これまでの研究ではほとんど指摘されてきませんでした。シャノワーヌ将軍関係文書におけるギュティグの記載を精査すると、第一次顧問団と第二次顧問団とで、その所属および役割の表記が明確に異なっていることが確認されます。

4-1 第一次顧問団における記載

 第一次フランス軍事顧問団(1867–1868年)において、ギュティグは以下のように記されています。
「Bataillon de chasseurs à pied de la Garde impériale(近衛猟兵大隊)」
 ここでは、皇帝直属の精鋭軽歩兵部隊に属するラッパ手伍長としての出身部隊、およびその専門的な技能背景が強調されています。この表記は、彼がフランス軍において高度な機動戦術と密接に結びついた、信号ラッパ運用の高度な実務経験を有していた人物であることを示唆しています。

4-2 第二次顧問団における記載

 第二次フランス軍事顧問団(1872–1880年)では、以下のように記されています。
「Caporal clairon Cavalerie(騎兵ラッパ伍長)」
 ここでは出身部隊ではなく、日本側において担った「運用上の任務内容」が前面に出されています。この表記からは、ギュティグが日本陸軍の騎兵部隊における信号ラッパ運用を担当する、実務的専門家として配置されていた可能性が高いと考えられます。

4-3 表現差の解釈

 これら二つの記載の差異は史料上の矛盾ではなく、第一次では「専門的出自と技能背景」、第二次では「日本側軍制における具体的運用上の役割」が、それぞれ異なる観点から記録された結果であると理解するのが妥当でしょう。
 この点を踏まえるならば、ギュティグは、フランス第二帝政期の精鋭軽歩兵部隊に由来する高度な信号ラッパ技能を基盤としつつ、二度にわたる顧問団派遣を通じて、日本軍における信号伝達訓練の現場に深く関与しました。とりわけ第二次顧問団期には、騎兵信号というより実戦的分野において、その専門性を発揮した人物であったと評価することが可能です。

第5章 ギュティグとダグロン ― 役割分担の構造

 第一次および第二次フランス軍事顧問団において活動したギュティグと、第二次顧問団において中心的役割を果たしたダグロンは、ともに「音楽」や「ラッパ」に関わる人物でありながら、その任務内容・教育対象・制度的位置づけは明確に異なっていました。本章では、両者の役割を整理し、その差異を構造的に明らかにします。

5-1 ギュティグ(Louis Gutthig)

  • 派遣時期: 第一次(1867–1868年)、第二次(1872年–)

  • 階級: ラッパ伍長(Caporal clairon)

  • 所属・出自(史料表記):
     ・第一次顧問団時: 近衛猟兵大隊(Bataillon de chasseurs à pied de la Garde impériale)
     ・第二次顧問団時: 騎兵ラッパ伍長(Caporal clairon Cavalerie)

  • 教育対象: 日本軍のラッパ手および各部隊要員

  • 機能・任務:
     ・ラッパ信号による戦術的命令伝達。
     ・行軍・集合・展開・突撃・退却など、日常訓練および戦場を想定した信号運用の実地指導。

 ギュティグは、フランス軍において高度な即応性を求められた精鋭軽歩兵(近衛猟兵)に由来する信号ラッパ技能を有し、その実務的専門性をもって日本軍の訓練現場に直接関与した人物でした。  シャノワーヌ将軍文書において、第一次顧問団では「近衛猟兵大隊」という出身部隊と専門性が、第二次顧問団では「騎兵ラッパ伍長」という運用上の役割がそれぞれ強調されています。これは、両記載が矛盾関係にあるのではなく、それぞれの記載が置かれた文脈に応じて強調点が異なっていることを示しています。

5-2 ダグロン(Gustave Charles Dagron)

  • 派遣時期: 第二次フランス軍事顧問団のみ参加

  • 階級: 4等楽手(musicien de 4e classe /歩兵伍長相当)

  • 所属: 第2竜騎兵連隊(2e régiment de dragons)軍楽隊

  • 教育対象: 日本陸軍軍楽隊(吹奏楽)

  • 機能・任務:
     ・軍楽隊の組織化および編成。
     ・合奏訓練および儀礼音楽の整備。
     ・ラッパ教育を包含しつつも、主眼は「軍楽制度」の構築と維持に置かれた。

 ダグロンは、当初信号ラッパの実技教官として来日しましたが、その教授が早期に軌道に乗ったことから、次第に指導者を欠いていた陸軍軍楽隊全体の指導を担う存在となりました。彼の歴史的役割は、個々の戦術信号の教授にとどまらず、軍楽を一つの制度として定着させた点にあったと言えます。

 ちなみに、ダグロンが正規の音楽教育を受けていないことが後にルルー( Leroux : 1845~1898)との交替につながったようです。

5-3 両者の役割の対比

 これまでの記述を整理すると、両者の関係は次のように位置づけられます。

 以上より、ギュティグが「戦術的信号としてのラッパ」を担い、ダグロンが「制度化された軍楽」を担ったという、明確な役割分担の構造を見出すことができます。

第6章 まとめ

信号喇叭から再考する日本軍音楽受容史

 ギュティグは、第一次および第二次のフランス軍事顧問団に参加し、日本軍における信号ラッパの実務的導入と継続的運用に深く関与した人物です。とりわけ、同一人物が二度にわたって顧問団に属し、それぞれの派遣期において詳細に記録されている事実は極めて重要ですが、これまでの研究ではほとんど顧みられてきませんでした。
 本稿は、シャノワーヌ将軍の編纂による文書に収録された派遣メンバーの氏名史料を精査し、その記載の差異を歴史的事実として整理しました。その結果、以下の通り、両者の機能的な分化が史料に即して明確になりました。
 ・ギュティグ:信号ラッパの実務・訓練担当(戦術的命令伝達)
 ・ダグロン:軍楽制度の整備・教育担当(組織的軍楽運用)

 この視点は、日本軍における西洋音楽受容史を、単なる「芸術(軍楽)」の枠組みだけで捉えるのではなく、「信号・命令伝達」という軍事実務の変遷という側面から再考するための、有効な視座を提示するものと言えるでしょう。

追加の記述

 日本の研究者が第二次フランス軍事顧問団の構成員にギュティグ伍長を含めていないのは、現存する渡航記録などにギュティグの名が確認できないためと考えられます。しかし、当時の関係資料に記載が見られない、あるいは現段階で発見されていない理由については、依然として不明です。



【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30

日本のラッパの起源と進化】 - その1
 
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
日本のラッパの起源と進化】 - その2
 
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
日本のラッパの起源と進化】 - その3
 
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
日本のラッパの起源と進化】 - その4
 
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
日本のラッパの起源と進化】 - その5
 ― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
日本のラッパの起源と進化】- その6
 
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
日本のラッパの起源と進化】- その7
 ― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
 
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
日本のラッパの起源と進化】- その8
 ― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その9
 
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その10
 
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
日本のラッパの起源と進化】- その11
 
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
日本のラッパの起源と進化】- その12
 ― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
日本のラッパの起源と進化】- その13
 
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その14
 
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その15
 
― 『駆歩行進』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その16
 ― 『北海道のラッパ』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その17
 ― 『浜松まつりのラッパ』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その18
 ― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その19
 ― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その20
 ― 『音商標への登録』 ―
日本のラッパの起源と進化】- 番外編
 ― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
日本のラッパの起源と進化】- その21
 ― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
日本のラッパの起源と進化】- 番外編
 ― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その22
 ― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
日本のラッパの起源と進化】- その22 改訂版
 ― 『夜空のトランペットのルーツ』―
日本のラッパの起源と進化】- その23
 ― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
日本のラッパの起源と進化】- その24
 ― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
日本のラッパの起源と進化】- その25
 ― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
日本のラッパの起源と進化】- その26
 ― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
日本のラッパの起源と進化】- その27
 ― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
日本のラッパの起源と進化】- その28
 ― 『ながのってすごいぞ―消防:応用編』―
日本のラッパの起源と進化】- その29
 ― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
日本のラッパの起源と進化】- その30
 ― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
 ― 『(仮)日本のラッパ文化の構造』―

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