北海道のラッパ
【日本のラッパの起源と進化】- その16
私が暮らす北海道の町では、ラッパの響きは自衛隊や、かつての消防団活動といった「公」の場に限定されており、民間文化として定着している例を知りません。こうした環境に身を置いているからこそ、特定の地域においてラッパが独自の進化を遂げ、人々の生活や祭りに深く溶け込んでいる姿に、私は強く惹かれます。
北海道のラッパ
屯田兵歩兵第四大隊とラッパ
筆者が生まれ育った地域には、1897年(明治30)に屯田兵歩兵第四大隊が入地し、この地の警備と開拓にあたりました。
同年、厚生堂発行から発行された『陸海軍喇叭譜』には、この部隊に直接関わる「号外 屯田歩兵第四大隊」および「屯田歩兵隊」という二つのラッパ譜が掲載されています。かつてこの地において、これらの旋律が日常的に吹き鳴らされていたことは疑いようのない事実です。
屯田歴史館(湧別町ふるさと館JRY)に掲示されている屯田兵の演習に向かうための行軍の様子が撮された、とても大きな写真の先頭には二人の鼓手とその少し後ろに腰に下げていると思われるラッパのベルの部分を見ることができます。太鼓とラッパがやはり欠くことのできないものだったということが先頭に近い場所に写っていることからわかります。


しかしながら、このように確かなラッパ譜の存在がありながら、この地ではラッパが祭礼文化と結びつくことはありませんでした。そこには、いくつかの要因が考えられます。
まず一つは、当時の人々が「開拓」という巨大な課題に全精力を注ぐ必要があったことです。元来、寺社が存在しなかったこの土地で、神社や寺院を創設し、そこに付随する祭礼文化を根付かせるには、多大なエネルギーが必要とでした。当時の人々には、祭りを恒常的に開催するだけの時間的・経済的余裕が不足していたと考えられます。
また、多様な地域からの移住者が集まるなかで、それぞれの文化を統合し、共通の「伝統」として形作るには多大な時間を要します。すなわち、軍事的な号音として持ち込まれたラッパを、地域の文化を象徴する「祭りの音」へと変容させ、定着させるだけの時間が、北海道の開拓史においては十分に確保されなかったのだと推察されます。


消防とラッパ
「昭和29年9月1日 国家消防本部長通達(国消発第376号)」において消防ラッパ譜の制定が通知されたこととの直接的な関連性は明らかではありませんが、ウェブ検索の結果から、現在も活動していると推察される北海道の消防ラッパ隊として「沼田」「上富良野」「月形・岩見沢」「蘭越」「弟子屈」の5隊が確認できます。
一方で、「佐呂間」「室蘭」のように活動を停止した隊もあったと考えられますが、ラッパ隊が音楽隊(吹奏楽)へと発展した例も見られます。これらのことから、北海道各地において、条例に基づく消防ラッパの音が確かに響いていたことがうかがえます。
第2条 消防団に本部及び分団を置く。
4 消防団に音楽隊またはラッパ隊を置くことができる。
なお、札幌市・旭川市・北見市・函館市では、現在も音楽隊(吹奏楽)の活動が行われています。
祭りとラッパ
現在確認できる範囲では、北海道各地の祭りにおいて、ラッパ隊が中心的な役割を果たしている例は見られないようです。
ラッパ森
北海道室蘭市には「ラッパ森」と呼ばれる場所があります。母恋から御前水に向かう小高い丘を指す地名です。
その由来にはいくつかの説がありますが、どれも1872年(明治5)札幌本道 の開鑿工事の時期にラッパが鳴らされたことに関係しています。
・作業員を統率するためにラッパを吹いた
・柳の木の皮で作ったラッパで人を集めた
・熊よけのためにラッパが吹かれた



The Origin of RAPPA-MORI
(The area around the slope between Bokoi and Gozensui)
Around 1870, a construction manager directed his workers by using a bugle during construction of the road between Bokoi and Gozensui. Therefore, the area was called "Rappa-mori" meaning "bugle woods".
ラッパ森の由来
(母恋と御前水の間にある斜面周辺)
1870年頃、母恋と御前水間の道路建設中、工事監督がラッパを使って作業員に指示を出しました。このため、この地域は「ラッパ森」と呼ばれるようになったのです。
しかし、「ラッパの森」命名の由来とされる1872年(明治5年)は、日本にラッパが導入された極めて初期にあたり、第二次フランス軍事顧問団の来日時期と重なります。この点から、室蘭に伝わる「ラッパ」という言葉が、果たして本稿でこれまで扱ってきたような、唇の振動によって発音する「リップリード式金管楽器」を指しているのかという疑問が生じます。
*1 札幌本道は函館を起点に、森、室蘭、白老、千歳を経由して札幌に至る全長約255kmの路線 1872年(明治5)3月に着工、翌1873年(明治6)7月完成。
熊よけラッパと「ラッパ森」
「ラッパ森」という名の由来の一つに、「熊よけのラッパ」という説があります。そこで、現在ウェブ上で確認できる当時の「熊よけラッパ」について調査したところ、それらは「馬車ラッパ」「豆腐屋のラッパ」「郵便ラッパ」などとも呼ばれる、宮本喇叭製作所(現・宮本警報器株式会社)製の楽器と同系統であることが判明しました。





実際に、北海道博物館の所蔵資料や北見営林局の刻印入り資料、また現在流通している同社製の中古品などを確認すると、これらのラッパは、マウスピース内部に金属製の薄い板(リード)が組み込まれた「リード楽器」であることがわかります。
したがって、この種のラッパは吹けば誰でも一定の音が鳴る「合図の道具」であり、奏者の唇の振動によって音階や音色を操る「リップリード楽器(信号ラッパ)」とは、音楽的にも技術的にも明確に異なる存在であることがわかります。
なお、「柳の木の皮で作ったラッパ」という伝承も、実はこの「リード楽器」であったことを裏付ける有力な証拠と考えられます。柳の皮に限らず、麦わらで作る「麦笛」や、笹の葉を挟んで鳴らす「草笛」も、いずれも「薄いものを空気で震わせる」というリードの原理を利用しています。 この点から見ても、「柳の皮で作ったラッパ」は、唇を震わせる技術を必要としないリード式の笛であった可能性が高いと言えるでしょう。
リード楽器も「ラッパ」と呼ぶ背景
明治時代の人々にとって、真鍮製の円錐形の管から音を発するものは、その構造が「リード式」であるか「リップリード式」であるかを問わず、等しく「ラッパ」と認識されていたと考えられます。
開拓の現場や、郵便、豆腐屋などの行商において求められたのは、「誰が吹いても確実に音が鳴ること」でした。そのため、専門的な訓練を必要をする軍隊の「歩兵ラッパ」は、民間社会において必ずしも必要とされなかったのだと思われます。
この点は、北海道において信号ラッパ文化が民間に広く浸透しなかった、もう一つの要因と言えるかもしれません。
「ラッパ森」に響いた音の正体
以上の考察から、1872年(明治5年)頃の『ラッパ森』において実際に鳴り響いていたのは、宮本喇叭製作所製品に見られるような「リード式ラッパ」であったと考えられます。
それは、訓練を積んだ兵士が奏でる軍隊の信号ラッパ(リップリード楽器)ではなく、開拓の現場で、誰もが鳴らすことのできた実用的な「合図の音」でした。
この地名に刻まれた「ラッパ」という言葉の正体は、近代的な軍事文化の流入以前から人々の暮らしの中に存在していた、素朴で切実な、生きるための響きだったと言えるのではないでしょうか。
ラッパ文化の受容と不在
本稿では、北海道における「ラッパ文化の受容と不在」を手がかりとして、日本のラッパがたどったもう一つの歩みについて考察してきました。屯田兵歩兵第四大隊の入地や消防団の活動に見られるように、北海道においてもラッパは「公的な合図」として確かに用いられていました。しかし、それが本州の一部地域に見られるように、祭りや娯楽と結びついた民間文化として定着することはありませんでした。
その背景には、当時の北海道が置かれていた「開拓」という状況があります。人々は生活基盤を築くことを最優先とせざるを得ず、多様な地域から集まった移住者たちの文化が融合し、新たな伝統として形を整えるまでの時間的余裕は限られていました。軍事的な合図として持ち込まれたラッパが、地域文化の中で「祭りの音」へと変化していくための条件は、当時の北海道には十分に整っていなかったと考えられます。
一方で、「ラッパ森」という地名が示すように、開拓の現場には確かにラッパの音が存在していました。ただし、それは訓練を要する軍隊の信号ラッパではなく、熊よけや作業の合図、行商などに用いられた、誰でも音を鳴らすことのできるリード式ラッパ(笛の一種)であった可能性が高いことが、本稿で確認されました。
明治時代の人々にとって、音が出る仕組みの違いは必ずしも重要ではありませんでした。真鍮製の管から音を発するものは、その構造にかかわらず「ラッパ」と呼ばれていたと考えられます。そこで鳴っていた音は、軍事音楽としてのラッパではなく、日常生活の中で用いられる実用的な合図の音でした。
このように見ていくと、北海道におけるラッパの歴史は、音楽として発展していった本州の一部地域の系譜とは異なり、生活の中で必要とされた合図の音として存在していたことが分かります。「ラッパ森」という地名に残された記憶は、軍事的象徴というよりも、開拓の現場における日常的な音の一つとして受け止めるのが、より実態に即しているのではないでしょうか。
おまけ
日本において「ラッパ」を含む地名は極めて稀であり、現時点で確認できる正式地名は、室蘭市の「ラッパ森」がほぼ唯一と思われます。このことは、「ラッパ」という語が近代以降に急速に軍事的・制度的意味を帯び、日常語として地名化する前に専門化していったことを示唆しています。ラッパ森は、その専門化以前の一瞬を封じ込めた、極めて貴重な痕跡と言えます。
おまけのおまけ
湧別町郷土館(北海道紋別郡湧別町栄町155-1)に「熊よけラッパ」が展示されているのを2006年2月10日に確認しました。刻印の確認はできませんでしたが、形状や大きさから、このラッパも宮本喇叭製作所の製品と思われます。

HIRAIDE HISASHI
関連項目
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜32
【日本のラッパの起源と進化】 - その1
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その2
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その3
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その5
― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その6
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7
― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その8
― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その9
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その10
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その11
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その12
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その13
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その14
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その15
― 『駆歩行進』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その16
― 『北海道のラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その17
― 『浜松まつりのラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その18
― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その19
― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その20
― 『音商標への登録』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その21
― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22
― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22 【改訂版】
― 『夜空のトランペットのルーツ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その23
― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
【日本のラッパの起源と進化】- その24
― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
【日本のラッパの起源と進化】- その25
― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
【日本のラッパの起源と進化】- その26
― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
【日本のラッパの起源と進化】- その27
― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その28
― 『ながのってすごいぞ―消防:応用編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その29
― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
【日本のラッパの起源と進化】- その30
― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
― 平戸に響いたファンファーレ ― ザビエル来航とポルトガル人の歓迎
【日本のラッパの起源と進化】- その32
北海道の夜明けを告げた響き ── 屯田兵第四大隊とラッパ譜
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『信号ラッパの旋律はどこへ向かったのか ─ 軍事・芸術・大衆文化の交差点』―
