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駈歩行進

【日本のラッパの起源と進化】- その15

 駈歩は《かけあし》と読みます。
 乗馬を趣味とする方には常識かもしれませんが、そうでなければ、いったいどう読むのでしょうか。《かけほ》あるいは《くほ》と読んでしまう方もいるかもしれません。馬の歩き方や走り方は、専門的には歩様ほようと呼ばれ、常歩なみあし速歩はやあし駈歩かけあしの三つに大別されます。
 一方、ラッパ界隈に明るい方であれば、明治18年制定の陸海軍喇叭譜以来の呼称である駈歩行進かけあしこうしんという呼び名がお馴染みなのかもしれません。


「陸海軍喇叭譜 行進ノ部」

 明治18年(1885年)12月3日に通達された「陸海軍喇叭譜」には「行進ノ部」を含む6部に、合わせて221の号音が 記載されています。

「行進ノ部」の7つの喇叭譜の標題

陸海軍喇叭譜通達 明治18年(1885)

 陸海軍喇叭譜通達には、「分列式」「徒歩行進」「乗馬行進」「登坂」「飯營行進」「葬體途上」「駆歩行進」の7つの標題が記されています。

  • 分列式ぶんれつしき : 閲兵・観兵などの式典において、部隊が隊形を保ったまま行進し、指揮官や閲覧者の前を通過する際に用いられる号音

  • 徒歩行進とほこうしん : 歩兵が、通常の歩調で行進する際に用いられる基本的な行進信号

  • 乗馬行進じょうばこうしん : 騎兵、あるいは将校・伝令などが騎乗した状態で行進する際に用いられる号音

  • 登坂とはん : 坂道や傾斜地を登る際に、部隊の歩調・隊形を維持するために吹奏される信号

  • 飯營行進はんえいこうしん : 宿営地・飯営(食事・休息のための営地)へ向かう際の行進に用いられる号音

  • 葬體途上そうたいとじょう : 戦死者・殉職者などの遺体を伴って行進する際に吹奏される号音

  • 駆歩行進かけあしこうしん : 部隊が駆け足状態で移動する際に用いられる行進信号

7つの喇叭譜の所用区分

 明治維新前後の時期から、日本陸軍はフランス系、海軍はイギリス系の信号ラッパをそれぞれ導入し、運用してきました。これらを整理・統合し、日本独自の共通喇叭譜として制定されたものが『陸海軍喇叭譜』です。
 この『陸海軍喇叭譜』が制定された1885年(明治18年)は、政治(内閣制度の成立)、経済(日本銀行券の発行)、軍事(軍制および喇叭譜の統一)といった諸分野において、それまで分散していた制度を一本化し、西洋諸国に比肩し得る近代国家の骨格を整えた年であり、国家レベルでの統一と規律化が進められた画期的な年であったと言えます。

陸海軍喇叭譜の制定通達(明治18年12月3日)陸海軍喇叭譜所用區分表(部分)

 陸海軍喇叭譜所用區分表を見ると、同じ喇叭譜を共有したことがわかります。

陸軍
歩=歩兵は、陣地占領・防御・突撃を担当する。
騎=騎兵は、偵察・追撃・側面攻撃などを担当する。
砲=砲兵は、遠距離火力支援を担う。
工=工兵は、戦闘と土木技術を兼ねる専門兵科。
輜=輜重(しちょう)兵は、食料・弾薬・装備・輸送を管理。
海軍
艦=軍艦に乗り組む将兵のこと
陸=海軍施設・要港部・航空基地など陸上に勤務する将兵のこと。

 なお、明治18年(1885年)に制定された『陸海軍喇叭譜』は、当初は陸軍・海軍共通の信号体系として構想されましたが、明治末期以降、運用環境と制度整備の違いから次第に分化し、大正期には陸軍と海軍がそれぞれ独自のラッパ信号体系を持つに至りました。

駈歩かけあし行進

 「駈歩行進」のラッパは、兵士が銃や装具を携行したまま駆け足状態で前進する際に吹奏される信号です。

陸軍の「駆足行進」

 1867年(慶応3)に発刊された『喇叭符号 全』は、フランス由来のラッパ信号です。

『喇叭符号 全』1867_ 駆足
『喇叭符号 全』1867_ 駆足

 フランス教本の「PAS GYMNASTIQUE」(体操歩)が「駆足」と訳されています。

Tilliard 1857_PAS GYMNASTIQUE.

海軍の「駆足行進」

 イギリスの歩兵操典『FIELD EXERCISE』を底本として刊行された明治2年(1869年)の『英国尾栓銃練兵新式』や、明治3年(1870年)の『英国銃隊練法』には、「駆足」が掲載されています。

1869 _ 駆足

 なお、『FIELD EXERCISE』の「DOUBLE」が「駆足」と訳されています。

イギリス陸軍歩兵操典『Field Exercise』 _ 1870 DOUBLE

日本独自の共通喇叭譜として制定された陸海軍のラッパ

 1885年(明治18年)制定通達された「陸海軍喇叭譜1885」そのものは、未確認のため、制定12年後の1897年(明治30年)に発行された「陸海軍喇叭譜1897」)に収録された譜面が、制定当初の内容を推察する上で、唯一にして重要な手がかりです。

厚生堂『陸海軍喇叭譜』1897_ 駆歩行進
厚生堂『陸海軍喇叭譜』1897_ 駆歩行進

喇叭複音新譜 : 附・陸軍喇叭譜 1908年(明41)

永井建子, 山本銃三郎 著『喇叭複音新譜 : 附・陸軍喇叭譜』,宮本武林堂,明41.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/855029 (参照 2026-02-08)

 現時点で筆者が確認している資料のうち、現在「駆歩かけあし行進」として広く知られるラッパ譜旋律の最も古い例は、本冊子『喇叭複音新譜 : 附・陸軍喇叭譜』に収録された「駆歩行進」です。

喇叭複音新譜 1908_ 駆歩行進

 1897年刊行の「陸海軍喇叭譜」の出版から、本冊子の発行に至るまでのどの時点で旋律に差異が生じたのかについては、現段階では特定できていません。しかしながら、両者を比較すると、本冊子の「駆歩行進」に多数の相違点が確認できます。そして、この本冊子の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

陸海軍喇叭譜との比較

陸軍喇叭譜 1910(明治43)

『陸軍喇叭譜』,小林又七,明43.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/904216 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

陸軍喇叭譜 1910 _ 駆歩行進

喇叭複音新譜 訂正3版 1910(明治43)

永井建子, 山本銃三郎 共著『喇叭複音新譜』,宮本林治,1910. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1085437 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

喇叭複音新譜 1910 _ 駆歩行進

喇叭手及喇叭修業兵之友 : 附・陸軍喇叭ノ譜 1914(大正3)

武声居士 著『喇叭手及喇叭修業兵之友 : 附・陸軍喇叭ノ譜』,三伸堂,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/906150 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。 

喇叭手及喇叭修業兵之友 1914 _ 駆歩行進

標準軍歌集 : 付録・陸海軍喇叭譜 1932年(昭和7)

『標準軍歌集 : 附録・陸海軍喇叭譜』,野ばら社,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1121351 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

標準軍歌集 1932 海軍 _ 駆歩行進

標準軍歌集 : 付録・陸海軍喇叭譜 1934年(昭和9)

『標準軍歌集 : 附録・陸海軍喇叭譜』,野ばら社,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1121483 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

標準軍歌集 1934 陸軍 _ 駆歩行進

戦友軍歌集 1935年(昭和10)

第一線社 編『戦友軍歌集』,野ばら社,昭和10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1121478 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

戦友軍歌集 1935 陸軍 _ 駆歩行進

標準軍歌集 1936年(昭和11)

『標準軍歌集』,野ばら社,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1121487 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

標準軍歌集 1936 陸軍 _ 駆歩行進

標準軍歌集 1938年(昭和13)

『標準軍歌集』,野ばら社,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1121251 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

標準軍歌集 1938 陸軍 _ 駆歩行進

標準軍歌集 改訂2版 1939年(昭和14)

『標準軍歌集』,野ばら社,昭和14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1121484 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

標準軍歌集 1939 陸軍 _ 駆歩行進

管楽研究会の軍隊喇叭、喇叭鼓隊教本 1941年(昭和16)

管楽研究会 編『軍隊喇叭、喇叭鼓隊教本』,管楽研究会,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1121236 (参照 2026-02-08)

 本書の「駆歩行進」は、現在広く知られている「駆歩行進」と、旋律・構成のいずれにおいても同一のものです。

軍隊喇叭、喇叭鼓隊教本 1941 _ 駆歩行進

組織の再編とラッパ譜の分岐点

 1945年の陸海軍解体後、朝鮮戦争などの国際情勢の変化を経て、警察予備隊から現在の自衛隊へと至る体制が確立されました。こうした変遷の中で、信号ラッパの歩みは大きく二つの道に分かれます。すなわち、消防や各地の祭礼(浜松・美川)では旧軍の伝統的な譜面が継承・発展された一方で、自衛隊においては、旧軍とは一線を画す「新たなラッパ譜」が整備されていくことになります。

自衛隊

 公式のラッパ譜が確認できていないため、本稿では「陸上自衛隊伊丹駐屯地らっぱ隊 駈足行進 ラッパ」の動画をもとに書き起こした楽譜を掲載します。なお、一部資料(『日本の信号ラッパ3』)には「作曲 林広守」との表記が見られますが、この点については再検討の余地があると考えられます。林廣守はやし ひろもり(1831-1896)は、幕末から明治前期にかけて活躍し、国歌「君が代」の作曲者(旋律選定者)として知られ人物です。しかし、現在用いられている自衛隊のラッパ譜は、旧軍の楽曲をそのまま継承したものではなく、戦後に新たに制定された体系であることから、その作曲者として林廣守の名を挙げるには年代的な隔たりが大きく、「作曲 林広守」とする表記については、慎重な検証が必要であると言えます。

陸上自衛隊「駆足行進ラッパ」動画より

消防

 消防ラッパ譜についてまとめたウェブページによると、「昭和29年9月1日 国家消防本部長通達(国消発第376号)」において消防ラッパ譜の制定が通知されたとされています。ただし、この通達に添付された公式のラッパ譜そのものは未見であると記されています。一方、ヤマト信号ラッパ社が販売する信号ラッパの付属品「消防ラッパ譜」には、「国家消防本部制定」と明記されたラッパ譜が収録されており、この付属ラッパ譜を基にした「駆け足行進」が紹介されています。

ヤマト信号ラッパ付属「消防ラッパ譜」_ 駆けあし行進

 この「駆けあし行進」は、1910年(明治43)刊行の「陸軍喇叭譜」に記載されている「駆歩行進かけあしこうしん」と比較すると、速度指定が♩=170から♩=180へと引き上げられている点を除き、旋律・構成ともに全く同一のラッパ譜であることが確認できます。

浜松まつり

 確認できる範囲のネットで閲覧できるラッパ譜は、どれも1910年(明治43)刊行の「陸軍喇叭譜」に記載されている「駆歩行進かけあしこうしん」と同じ物だと思われます。

ネットで閲覧できるラッパ譜の例

 YouTubeには、浜松まつりで用いられるさまざまなラッパ演奏の記録が公開されています。そこで、「平成29年浜松まつりラッパ隊亀山・高町・山手町・蜆塚・広沢合同練習 」の動画をもとに、実際に演奏されているラッパを採譜しました。
 この動画では、50人を超える子どものラッパ手に加え、5〜6人の太鼓手、さらにそれを見守るスタッフが参加し、B♭管とG管の二つのラッパグループよる合同練習の様子が記録されています。
 この動画では、グループAとBが連続して演奏されていますが実際の祭りの場面では、それぞれの町内会が異なる場所で演奏するので、このような形での演奏が毎年の祭りで実施されることがあるのかについては、不明です。

グループA (B♭管ラッパ : 二つ巻)
グループB (G管ラッパ : 三つ巻)

 元になった「駆歩かけあし行進」と「浜松まつりA」そして「浜松まつりB」を比べると、その違いがわかります。

1. 7小節2拍目の裏 : 浜松A,Bグループ共にE音がC音に
2. 15小節2拍目 : 浜松Bのリズムが「タッカ」から「タン」に
3. 17小節2拍目 : 浜松A,B共にリズムが「タッカ」に
4. 18小節2拍目 : 浜松A,B共にリズムが「タッカ」に
5. 21小節2拍目 : 浜松A,B共にリズムが「タッカ」に
6. 22小節2拍目 : 浜松A,B共にリズムが「タッカ」に
7. 25小節2拍目 : 浜松AリズムがG音C音の「タッカ」に
         浜松BリズムがG音G音の「タッカ」に
8. 26小節1,2拍 : 浜松AはG音G音がE音E音に
         浜松BはC音E音に
9. 27小節1,2拍 : 浜松AはC音・EE音(タッカ)がG音・GC音(タッカ)に
10. 28小節2拍目 : 浜松Aは休符がC音に
11. 30小節目 : 浜松A,B共にC音G音がE音C音に
12. 31小節目 : 浜松AはC音・EE音(タッカ)がE音・GG音(タッカ)に
        浜松BはC音・EE音(タッカ)がE音E音に

「駆歩行進」と「浜松まつり」ラッパ譜の比較

美川おかえり祭り

 「美川おかえり祭り」は、石川県白山市の藤塚神社で、毎年5月第3土・日曜日に開催される春の例祭であり、石川県の無形民俗文化財に指定されています。北前船で栄えた江戸時代に起源を持ち、13台の台車とラッパ隊が町を巡行します。
 このお祭りのラッパの大きな特徴は、同じ隊列の中でB♭管 *1とG管の二種類のラッパが連続して演奏される点にあります。例えば神輿が出発する時には、「スタンダード」と呼ばれる「駆歩行進」のラッパ信号が、まずB♭管で16小節、続いてG管ラッパで16小節、それぞれフレーズの一部が異なる「スタンダード」が奏されます。

*1 YITK氏の情報提供により、ヤマトの2つ巻A♭管使用と判明

 YouTubeには、「美川おかえり祭り」におけるさまざまなラッパ演奏の記録が公開されています。本稿では、神輿出発時に吹奏されるラッパの動画(8分21秒付近)を資料として用い、その演奏をもとにラッパ譜を採譜しました。

にじゅうまき(二重巻・A♭管)
さんじゅうまき(三重巻・G管 )

 原型となる「駆歩かけあし行進」と採譜した「美川おかえり祭りA」および「美川おかえり祭りB」を比較すると、その相違点が明らかになります。

 最も大きな違いは、「美川おかえり祭り」における「スタンダード」では、「駆歩行進」の後半部分が演奏されないこと、そして演奏速度が原曲のおよそ半分程度の速度に抑えられていることの二点です。実際の動画を見ると、この「スタンダード」演奏に至るまでに、舞の所作やラッパによる前奏が挿入されており、祭礼空間を高揚させる様々な演出が施されていることが確認できます。

1. 3小節 : 美川Aは1拍目がG音で「タッカ」のリズム、2拍目は四分音符C音
     美川Bは1拍目がC音、2拍目が八分音符でE音そしてC音からの下降グリスアンド *2
2. 4小節 : 美川BはE音二分音符
3. 6小節1拍目 : 美川BはG音がE音
4. 7小節 : 美川Aは02拍目が八分音符でC音そしてC音からの下降グリスアンド
     美川Bは1拍目がG音、2拍目が八分音符でE音そしてC音からの下降グリスアンド
5. 9小節 : 美川Aは1拍目がG音「タッカ」、2拍目がC音
     美川BはG音四分音符の刻み
6. 10小節 : 美川BはG音四分音符の刻み
7. 11小節 : 美川Aは1拍目がG音「タッカ」、2拍目がC音
     美川Bは1拍目がC音、2拍目が八分音符でE音そしてC音からの下降グリスアンド
8. 12小節 : 美川Bは美川BはE音二分音符
9. 13小節2拍目 : 美川Aは八分音符でC音そしてC音からの下降グリスアンド
        美川Bは八分音符でE音そしてC音からの下降グリスアンド
10. 14小節 : 美川Aは2拍目は四分音符C音
      美川Bは1拍目は四分音符C音、2拍目は四分音符G音
11. 15小節 : 美川Aは2拍目は十六分音符付点八分音符で「カター」
     美川Bは1泊目は四分音符C音、2拍目は八分音符でC音そしてC音からの下降グリスアンド

「駆歩行進」と「美川おかえり祭り」ラッパ譜の比較

 なお、G管そしてB♭管(*A♭管)のラッパそれぞれを大阪関西万博での「美川おかえり祭り」イベントで「さんじゅうラッパ」「にじゅうラッパ」と紹介しています。ちなみに浜松まつりのラッパは、「みつまき」「ふたつまき」と呼び、これがG管そしてB♭管のラッパの通称ではないかと思われます。

*2 C音からのリップスラー下降グリツサンド演奏例

リップスラー下降グリツサンド

響き続ける「駆歩行進」

 本稿では、「駆歩かけあし行進」という呼称と旋律が、どのように成立し、どのように現在まで受け継がれてきたのかを、史料と楽譜の比較を通じて検証してきました。その結果、明治18年(1885年)に制定された『陸海軍喇叭譜』において「行進ノ部」の一つとして位置づけられた「駆歩行進」は、日本陸海軍がフランス系・イギリス系の信号体系を統合し、近代国家としての規律と統一を象徴的に体現した号音であったことが確認できます。

 現時点で筆者が確認し得た資料のうち、現在広く知られている「駆歩行進」と旋律・構成のいずれにおいても完全に一致する最古の譜例は、1908年刊行の『喇叭複音新譜 : 附・陸軍喇叭譜』に収録された「駆歩行進」です。1897年刊行の『陸海軍喇叭譜』との間に見られる差異が、いつ、どの段階で生じたのかは未だ特定できていませんが、その後の陸軍喇叭譜、各種軍歌集、教本類を通じて、この旋律が揺らぐことなく固定化され、長期にわたり継承されてきた事実は明らかです。

 一方で、1945年の陸海軍解体後、信号ラッパの系譜は大きな分岐点を迎えました。自衛隊においては、旧軍の体系とは連続しない新たなラッパ譜が制定される一方、消防や浜松まつり、美川おかえり祭りといった民間・祭礼の場では、旧軍由来の「駆歩行進」がそれぞれの文脈に応じて受容・変容されながら生き続けています。とりわけ浜松や美川の事例は、同一の原型旋律を共有しつつも、編成、速度、装飾、運用方法の違いによって、多様な「駆歩行進」が存在し得ることを雄弁に物語っています。

 すなわち「駆歩行進」は、単なる軍事信号にとどまらず、近代日本の制度化、戦後の断絶、そして民間文化への定着と再創造という歴史の層を映し出す、きわめて象徴的なラッパ譜であると言えるのではないでしょうか。


HIRAIDE HISASHI


【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30

日本のラッパの起源と進化】 - その1
 
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
日本のラッパの起源と進化】 - その2
 
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
日本のラッパの起源と進化】 - その3
 
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
日本のラッパの起源と進化】 - その4
 
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
日本のラッパの起源と進化】 - その5
 ― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
日本のラッパの起源と進化】- その6
 
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
日本のラッパの起源と進化】- その7
 ― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
 
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
日本のラッパの起源と進化】- その8
 ― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その9
 
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その10
 
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
日本のラッパの起源と進化】- その11
 
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
日本のラッパの起源と進化】- その12
 ― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
日本のラッパの起源と進化】- その13
 
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その14
 
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その15
 
― 『駆歩行進』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その16
 ― 『北海道のラッパ』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その17
 ― 『浜松まつりのラッパ』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その18
 ― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その19
 ― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その20
 ― 『音商標への登録』 ―
日本のラッパの起源と進化】- 番外編
 ― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
日本のラッパの起源と進化】- その21
 ― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
日本のラッパの起源と進化】- 番外編
 ― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その22
 ― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
日本のラッパの起源と進化】- その22 改訂版
 ― 『夜空のトランペットのルーツ』―
日本のラッパの起源と進化】- その23
 ― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
日本のラッパの起源と進化】- その24
 ― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
日本のラッパの起源と進化】- その25
 ― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
日本のラッパの起源と進化】- その26
 ― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
日本のラッパの起源と進化】- その27
 ― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
日本のラッパの起源と進化】- その28
 ― 『ながのってすごいぞ―消防:応用編』―
日本のラッパの起源と進化】- その29
 ― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
日本のラッパの起源と進化】- その30
 ― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
 ― 『(仮)日本のラッパ文化の構造』―

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