ながのってすごいぞ―消防 : 基礎編
【日本のラッパの起源と進化】- その27
浜松まつりおよび御柱祭において、信号ラッパが導入された正確な時期については、現時点ではいずれも特定できていません。しかし、両祭りに共通する背景として、消防組や在郷軍人会などの組織にラッパが導入される過程で、その「遠方まで明瞭に伝達できる合図音」としての高い実用性に注目が集まり、それが祭りの運行や士気高揚に活用されるようになった可能性があると考えられます。
歴史的な変遷を辿れば、明治後期から大正期にかけて消防組織を中心にラッパが普及し、大正期から昭和初期にかけて祭礼の中で部分的な役割を確立し、さらに太平洋戦争後には「ラッパ隊」としての組織的な活動が各地で見られるようになった、と捉えることができるのではないでしょうか。
纏からラッパへ
纏は、江戸時代に町火消の各組が用いた旗印の一種です。1720年(享保5年)、町奉行の大岡越前守が町火消を再編し、「いろは四十七組」を組織した際に、各組に纏を持たせたのが始まりと伝えられています。
纏持ちは火事場の最前線、すなわち屋根の上など高所に立ち、纏を高く掲げることで、組員や周囲に対して火元や風向きを示す役割を担いました。これは過酷な現場において、火消したちの士気を高めると同時に、状況を共有するための「視覚的なシグナル」として重要な役割を果たしました。
具体的には、纏には次のような機能がありました。
1. 位置の明示
自組の活動拠点を明確にし、組員が集合・確認するための目印となりました。
2. 状況の指標
纏の揺れ方や向きによって、火勢の強弱や風向きの変化を読み取る指標となりました。
3. 指揮の基点
組頭や頭取が戦術を判断する際の基準点となり、また、状況報告を行う際の物理的な拠点として機能しました。
一方で、纏は象徴性と視認性に優れる反面、消火活動における「細分化された具体的な指示」をリアルタイムで広範囲に伝達する手段としては限界がありました。明治時代に入り、防災の担い手が町火消しから近代的な消防組織へと再編される過程において、その情報伝達の役割は、次第に「信号ラッパ」へと引き継がれていったと考えられます。
このように「視覚(纏)」から「聴覚(ラッパ)」へと情報伝達手段が変化したことで、煙や夜闇によって視界が遮られる現場においても、より迅速かつ緻密な指揮命令が可能になりました。
消防喇叭
消防にラッパが導入された時期は明らかではありませんが、明治時代(1868年〜1912年)の半ば過ぎには、その使用の証拠を確認することができます。筆者が知る最も最初の例が桐生消防組点検の記録です。
明治28年(1895年) : 桐生消防組の記録
桐生消防史編集委員会 編『桐生消防史』,桐生市消防本部,1982.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9584616 (参照 2026-03-02)
桐生消防史には、明治28年桐生消防組点検において鳴った喇叭号音譜が10曲 記されています。この楽譜はラッパ譜特有の音の読み方「ド・ト・タ・テ・チ」 で表記されているので、そのリズムが明確に表されていません。そこで、それを推測して五線譜 にしました。
*(譜例 3)の「始メ」は奥中教授の論文内に記された号音と同じ旋律

*「一部吹呼」は、第一部隊を定位置に呼ぶために吹く号音です。


明治29年(1896年) : 官報に見る『消防喇叭譜』
大蔵省印刷局 [編]『官報』1896年11月27日,日本マイクロ写真 ,明治29年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2947307 (参照 2026-03-02)
桐生消防組点検の翌年、明治29年11月27日付の官報(政府官報)に掲載された版権登録図書の一覧のうち、同年十月五日登録分として「登録番號二八、一九〇 消防喇叭譜 (一冊) 著作及版権所有者群馬縣小野里庄太郎」という記載があります。明治時代の官報には、新たに出版された図書や楽曲の権利を保護するため、このように版権登録の結果が逐一掲載されていました。
残念ながら、現時点ではこの『消防喇叭譜』の原本を確認することはできていません。しかし当時、消防喇叭の吹奏法や楽譜は全国の消防組織において実務上の必要性が高かったと考えられることから、注文に応じて全国へ発送されたり、都市部の書店などを通じて流通していた可能性が想定されます。

大正11年(1923年) : 『消防組諸規則』
笹沢善八 編『消防組諸規則』,笹沢善八,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/915328 (参照 2026-03-02)
青森で出版された消防組諸規則
には、17曲が喇叭符 に記されています。これを五線譜 にしました。


帝都消防に見る体系化
『帝都消防』20(10月號)(186),帝都消防協会,1944-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1486444 (参照 2026-03-02)
帝都消防協会が昭和19年(1944年) に刊行した消防専門誌「帝都消防 20(10月號)(186)」には、喇叭仕様の目的や演奏法、楽典、そして「消防喇叭音譜が47譜」 が記されています。多くは、陸軍ラッパ譜と同じ、いくつかは表題違い、そして消防独自の譜が記されています。

表題を含めて同じ譜
「飛行警報」 は、『1941_陸軍喇叭譜』と『帝都消防』の両者で表題も旋律も同じです。

「飛行警報」を含め、表題と旋律が同じなのは、以下のとおりです。

表題違いの譜
「始メ」 は、『1941_陸軍喇叭譜』では「前ヘ」です。

「應援隊引揚ゲ(轉進)」 は、『1941_陸軍喇叭譜』では「解レ」です。

「待テ」 は、『1941_陸軍喇叭譜』では「撃方待テ」です。

「破壊作業掛レ」 は、『1941_陸軍喇叭譜』では「突撃(襲撃)」です。

「点檢」 は、『1939_標準軍歌集』では「點呼」です。

一部違いがあるラッパ譜
数の号音「十」 は第2小節の音がE音ですが、この音がE音なのは確認できる限りでは唯一で、他の全ての陸軍ラッパ譜ではC音 です。


「小隊長」「分隊長」 以下を集合させる号音のそれぞれ第5小節以降の旋律は、「集合」 の旋律です。


両者の冒頭4小節は、「小隊長以下」と「分隊長以下」 それぞれ招集範囲を示す号音ですが、同じ旋律を他に確認することができていません。

「鎮火報」 は、「消灯」 の第5小節目以降の旋律を借用し、1音追加しています。


消防独自と思われるラッパ譜
「瓦斯警報」 、「待避」 は消防独自の譜かと思われます。


他に「数の号音」と「部隊などの号音」が消防独自の譜 かと思われます。

消防組におけるラッパ号音の受容と整備
以上の史料から、消防組においては遅くとも明治時代中頃までにはラッパが実際に用いられていた可能性が高いことがうかがえます。明治28年(1895年)の桐生消防組点検に際して記録された喇叭譜には、複数の号音が体系的に示されており、少なくともこの時点で、消防活動においてラッパが一定の役割を果たしていたことは確かであると考えられます。さらに明治29年(1896年)には、『消防喇叭譜』と題する楽譜が官報において版権登録されており、消防用ラッパ譜が編纂・流通を志向していたことを示す一つの傍証と見ることができます。
これらの消防喇叭号音の旋律内容を検討すると、陸軍のラッパ号音と共通する、あるいは近似する例が少なからず認められます。このことから、消防組がラッパを導入する際、当時すでに社会的に広く知られていた軍隊ラッパの号音体系を参照、あるいは部分的に転用した可能性は否定できません。ただし、現存する史料の範囲では、軍隊号音がどの程度意識的・体系的に採用されたのかについては、なお慎重な検討が必要です。
一方、大正期以降の史料や、昭和期の『帝都消防』に掲載された喇叭譜を見ると、号音の名称や用途が消防業務に即したものへと整理されている様子が確認できます。これらは、当初の号音をそのまま使用したものなのか、あるいは実務上の必要に応じて改変・再整理された結果なのかについては、断定することはできませんが、消防という職務に即した独自の運用が模索されていた過程を示していると考えられます。
以上を踏まえると、消防組におけるラッパ号音は、
・明治中頃までに導入された可能性があり、
・その際、軍隊ラッパ号音が参照されたとみられ、
・その後、時代の進展とともに消防業務に即した整理や改称が行われていった、
といった段階的な変化を経たものとして捉えることが妥当であるように思われます。
このようにして確立された消防ラッパの号音体系は、やがて消防の枠を超え、地域社会や祭礼の場へ受容されていく素地となった可能性があります。浜松まつりや御柱祭に見られるラッパ文化も、近代消防において培われた実用的な音響信号の蓄積を、その一つの背景として成立していったと考えることができるのではないでしょうか。

HIRAIDE HISASHI
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30
【日本のラッパの起源と進化】 - その1
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その2
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その3
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その5
― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その6
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7
― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その8
― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その9
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その10
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その11
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その12
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その13
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その14
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その15
― 『駆歩行進』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その16
― 『北海道のラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その17
― 『浜松まつりのラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その18
― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その19
― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その20
― 『音商標への登録』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
【日本のラッパの起源と進化】- その21
― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その22
― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22 【改訂版】
― 『夜空のトランペットのルーツ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その23
― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
【日本のラッパの起源と進化】- その24
― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
【日本のラッパの起源と進化】- その25
― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
【日本のラッパの起源と進化】- その26
― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
【日本のラッパの起源と進化】- その27
― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その28
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【日本のラッパの起源と進化】- その29
― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
【日本のラッパの起源と進化】- その30
― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
― 『(仮)日本のラッパ文化の構造』―
