なぜ長野県の消防団はラッパを“競技”で演奏するのか―ながのってすごいぞ―消防 : 応用編
【日本のラッパの起源と進化】- その28
信号ラッパを一つの文化現象として捉えるならば、その発展過程は、①明治後期から大正期にかけての「消防組織への導入」、②大正期から昭和初期にかけての「祭礼行事への浸透」、③太平洋戦争後における「ラッパ隊としての組織化」という三つの段階に整理できるように思われます。
こうした流れの中で、長野県における消防団ラッパは、吹奏大会の開催や継続的な訓練体制を背景として、技術的・音楽的な側面において独自の展開を示してきました。この点は、長野県のラッパ文化を考察するうえで、一つの重要な手がかりとなるのではないでしょうか。
第34回 長野県消防ラッパ吹奏大会
2025年(令和7年)7月13日(日)に第67回長野県消防ポンプ操法大会および第34回長野県消防ラッパ吹奏大会が消防団の日頃の訓練成果を披露し、消防ポンプ操法及びラッパ吹奏技術の向上と士気の高揚を目的として、長野県消防学校(長野市篠ノ井東福寺2375-1)で開催されました。
この大会には、県内13地区消防協会の代表36チーム(ポンプ操法24チーム、ラッパ吹奏12チーム)、およそ1800人が参加しました。ラッパ吹奏大会では長野市消防団が4年連続の優勝を果たしています。
吹奏大会の始まり
明治年代中頃の消防組規則施行細則に「喇叭」の記載が見られ、この頃から長野県内の消防組にラッパが導入がなされていったことがうかがえます。その後大正期から昭和初期にかけては、陸軍喇叭譜などが出初式や消防訓練の場で吹奏されていたことが、消防組(消防団)史や県内各地の地方史の記述から明らかになっています 。
さらに1954年(昭和29年)には、国家消防本部によって「消防ラッパ譜」が制定され、長野県内はもとより、日本各地の消防団にラッパが制度的に導入されていったことがうかがえます。
長野県においても、昭和30年頃から県内各地の記録に「喇叭隊」「ラッパ班」といった組織名称が見られるようになり、昭和42年(1967)には長野市で160人規模のラッパ隊が結成されました。
こうした動きの中で、昭和49年(1974)には、長野県で最初の吹奏大会と考えられる「諏訪消防協会主催第1回ラッパ吹奏大会」が開催されました。その後、北佐久消防協会や中野市消防協会など、県内各地で大会開催の動きが広がります。
そして昭和58年(1983)には、第1回長野県消防協会主催消防ラッパ吹奏大会が開催され、県内13地区消防協会が参加する全県的な大会へと発展しました。さらに、市川五郎編纂『ラッパ教本』の刊行も相まって、教本に収められたレパートリーの習得と吹奏技術の向上、さらには演奏様式の標準化が進み、長野県における消防ラッパ文化発展の大きな契機となりました。
* 1 「長野県諏訪地方におけるラッパ文化の形成に関する研究」奥中 康人
ラッパ吹奏大会の審査
長野県上小地区で開催された「第48回上小消防ラッパ吹奏大会」の要項には、吹奏審査員3名、規律審査員2名、進行・計時審査員2名の配置が記されています。県大会の映像資料を確認すると、審査体制は基本的にこれと同様であることがうかがえます。
2025年(令和7年)7月13日(日)に開催された第34回長野県消防ラッパ吹奏大会の開催要項は確認できていませんが、各団体は課題曲に続いて自由曲を演奏し、その演奏および演技が評価されています。
動画で確認する範囲では、規定人数は指揮者を含む18名、演奏・演技時間は指定位置への移動完了から退場までがトータル8分以内という規定であると推察されます。
演奏・演技それぞれの評価基準や配点方法は明らかではありません が、優勝した長野市消防団の得点は109.23点でした。
* 2 第19回大会規定では、課題曲5曲と自由曲2曲以上を規定時間内(入退場を含め9分以内)に吹奏し、規律20点・演奏100点(課題曲60点・自由曲40点)の120点満点とされていました。
課題曲
2025年の県大会課題曲は、
「序奏No.1」
「団旗に対する敬礼」
「国旗に対する敬礼 」
「行進曲用序奏曲No.2速足行進曲」|《譜例 4》
でした。少なくても2008年(平成20年)以降、課題曲の変更はありません。




自由曲
自由曲には、市川五郎編纂「ラッパ教本」収録曲のほか、新たな編曲による
「楽園行進曲 」
「アルペンファンファーレ」
「ウィリアム・テル序曲」
「夜空のトランペット(Il Silenzio d’Ordinanza)」
をはじめとする多様な曲が選ばれているようです。
ちなみに今年度の長野市消防団の自由曲は「Sunset」 「St.Symphorien」 というオリジナル曲でした。



第34回長野県消防ラッパ吹奏大会動画にみる演奏表現
長野市消防団 4:46-「Sunset」「St.Symphorien」
茅野市消防団 4:27-
安曇野市消防団 5:08-
木島平村消防団 5:00-
千曲市消防団 4:53-
上田市消防団 5:00-
佐久市消防団 4:46-
駒ヶ根市消防団 5:05-「Il Silenzio d’Ordinanza」
木曽町消防団 5:08- 6:37-「Il Silenzio d’Ordinanza」
高森町消防団 4:37- 6:05-「Il Silenzio d’Ordinanza」
小海町消防団 4:37-
大町市消防団 5:28-
これら各団体の演奏に耳を傾けると、それぞれがいかに音楽的なアプローチを意識しているかが明確に伝わってきます。演奏の中では、クレシェンドやデクレシェンドといった音量の変化に加え、フレーズ全体の強弱の設計、さらにはテンポの揺らぎなど、多様な音楽表現が試みられていることが分かります。
信号ラッパは、通常の楽器に比べて使用できる音の数がきわめて限られた楽器です。その制約の中で、音の長短や強弱、フレーズのつながりを工夫しながら音楽的な表現を生み出そうとする姿勢が、各団体の演奏から感じ取ることができます。
そこには、単なる号音の再現にとどまらず、限られた音の中で豊かな音楽を形づくろうとする、信号ラッパならではの表現への挑戦がうかがえます。
吹奏大会が果たしてきた役割
以上見てきたように、長野県における消防団ラッパは、明治期の消防組織への導入にはじまり、大正期から昭和初期にかけて祭礼や地域行事の中へと広がり、戦後にはラッパ隊として組織化されるという段階を経ながら、地域文化の一つとして定着してきました。
その歩みの中で、特に大きな役割を果たしてきたのが、各地で継続的に開催されてきたラッパ吹奏大会であったと考えられます。
吹奏大会は、消防団員が日頃の訓練成果を発表する場であると同時に、県内各地のラッパ隊が同じ舞台に集い、互いの演奏や演技を比較し合う機会でもありました。こうした場が長年にわたって積み重ねられることによって、ラッパ吹奏の技術水準は徐々に高められ、演奏技術の共有と向上が図られていきました。
また、大会において課題曲が設定されることは、演奏様式の統一にも大きく寄与しました。号音の吹き方、フレージング、音の長さや間合い、隊形の動きなど、細部にわたる表現が大会を通して確認されることにより、長野県内における消防ラッパの演奏様式は、時間をかけて一定の共通基準へと整えられていったと見ることができます。すなわち、吹奏大会は単なる競技の場にとどまらず、実質的には演奏技術と様式を共有する「標準化の場」として機能してきたといえるでしょう。
さらに、自由曲の導入はレパートリーの拡充を促しました。市川五郎編纂の「ラッパ教本」に収められた曲だけでなく、新たな編曲作品やオリジナル曲が取り入れられることによって、消防ラッパの音楽的表現は次第に広がりを見せるようになりました。こうした動きは、信号ラッパという本来きわめて機能的な音楽が、地域の演奏文化として発展していく過程を示すものでもあります。
このように見ていくと、長野県における消防ラッパ吹奏大会は、単に優劣を競う競技大会というだけではなく、長い年月を通じて演奏技術の向上、演奏様式の共有、そしてレパートリーの拡充を促してきた場であったことが分かります。大会を通じて培われた経験や技術は、各地域のラッパ隊へと持ち帰られ、日常の訓練や地域行事の中で再び実践されることによって、消防ラッパ文化は継続的に受け継がれてきました。
すなわち、吹奏大会は、消防団ラッパの技術的発展を支えると同時に、その文化的継承を可能にしてきた重要な仕組みであったと位置づけることができるでしょう。長野県におけるラッパ文化の形成と発展を考える上で、こうした大会の存在は、今後も重要な視点の一つとなると考えられます。

HIRAIDE HISASHI
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30
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【日本のラッパの起源と進化】 - その2
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【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
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【日本のラッパの起源と進化】- その6
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【日本のラッパの起源と進化】- その11
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