現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽
【日本のラッパの起源と進化】- その30
「題名のない音楽会」は、「世界一長寿のクラシック音楽番組」としてギネス世界記録に認定されているテレビ朝日の長寿番組です。この番組の司会を30年以上にわたり務めた黛敏郎は、戦後日本を代表する作曲家の一人であり、仏教思想や日本古来の伝統文化を題材とした作品、電子音楽の先駆的実践、さらには映画音楽など、多方面にわたって重要な業績を残しました。
その黛が信号ラッパ譜を作曲しており、しかもその曲が現在も頻繁に吹鳴らされているという事実は、一部の関係者を除けば、あまり知られていないのではないでしょうか。
『涅槃交響曲』
1976年、札幌交響楽団が演奏する黛敏郎の作品を、北海道厚生年金会館で聴いた記憶があります。しかし、その時のプログラムが手元に残っているわけでもなく、インターネット上にも該当する情報を見つけることができません。覚えているのは、声明を思わせる響きが随所に現れる作品だったという、ぼんやりとした印象だけです。
そう考えると、作品として思い当たるのは1958年(昭和33年)初演の『涅槃交響曲』ですが、全曲を通して聴いたという感覚もないように思えます。
また、それが同じ演奏会だったのかは定かではありませんが、 ヴァイオリンのイツァーク・パールマンを聴き、その音楽と音色に驚嘆した記憶もあります。
北海道厚生年金会館で演奏会を聴く機会はそれほど多くなかったはずなのですが、これが同じ演奏会だったのか、それともまったく別の機会だったのか ― いまでは判然としません。いずれにしても、ほぼ半世紀前の出来事です。
題名のない音楽会
1964年(昭和39)年に東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送が始まった『ゴールデン・ポップス・コンサート 題名のない音楽会』の司会者として、週に一度お茶の間に知られていったのが黛敏郎(1929 - 1997)です。その後、番組の制作はテレビ朝日に移行しましたが、出光興産の一社提供により今日まで続く長寿番組となりました。
黛は病気で倒れるまで、司会者であると同時に番組企画にも関わる中心的存在でした。政治的背景に関わる発言などによって放送内容が議論を呼ぶこともあり、批判が起こった回や、放送が見送られた回、さらには撮り直しが行われた回もあったといわれています。
花祭り
1974年(昭和49)頃、北海道斜里町仏教会の主催による講演会であったと記憶しますが、黛敏郎氏の講演を直接聴いたことがあります。黛氏は、「花まつりに関する講話という依頼でしたが、今日は本来の花まつりの日とは大きく異なっています」と、「題名のない音楽会」で聞くのと同じ口調で語り始め、お釈迦様にまつわる話をされていました。
どのような縁で遠く北海道の地まで来られたのかは分かりませんが、ふとそんな出来事を思い出しました。1971年(昭和46)の「知床旅情」のヒットによる知床ブームもあり、作曲のモチーフとして仏教に関わる題材を多く扱っていた黛氏が、そのような縁の中で斜里を訪れていたのではないかとも推察されます。
管楽合奏曲
黛敏郎氏は、オーケストラから弦楽器を除き5本のサクソフォンを加えた『トーンプレロマス55(Tonepleromas 55, 1955年)』や、弦楽器を除いた編成による『彫刻の音楽(Music with Sculpture, 1961年)』 『テクスチュア(Texture, for wind orchestra, 1962年) 』『花火(Fireworks, 1963年)』 『礼拝序曲(Ritual overture, 1965年)』 『打楽器とウィンドオーケストラの為の協奏曲』などを作曲しています。これらの作品の中には、後に標準的な吹奏楽に編曲されて演奏されているものもありますが、黛自身による編曲はありません。
また、1953年には日本テレビのスポーツ中継テーマ曲として広く知られる「スポーツ行進曲」を作曲していますが、これもオーケストラのために書かれた行進曲です。
このような管楽合奏曲の作曲からおよそ20年後の1981年(昭和56)、黛は防衛大学校、そして陸上自衛隊中央音楽隊のために、標準的な吹奏楽編成による楽曲を初めて手がけました。それが行進曲『黎明』と行進曲『祖国』 です。
ラッパ譜
行進曲の作曲から5年後の1986年(昭和61)、自衛隊創設30周年に際し、防衛庁は国賓来日の際などに演奏される儀礼曲の作曲を黛敏郎氏に依頼しました。そして完成したのが連続して演奏される『栄誉礼冠譜』『祖国』 です。
なお、『祖国』という題名は1981年に作曲された行進曲と同じですが、曲そのものは別の作品です。

栄誉礼を受ける人の格、階級などによって、A・B・C・Dと異なる箇所から演奏を開始します。
A : 国賓、衆参両院議長、最高裁判所長官、内閣総理大臣など
B : 将(陸将・海将・空将)、最高幕僚長(陸・海・空)
C : 将補(陸将補、海将補、空将補)
D : 特派大使、公使、1等佐(部隊長等の職にある者)など

現代音楽作曲家のラッパ譜
前衛的な作曲活動や仏教思想に基づく作品で知られる現代音楽の作曲家、黛敏郎が、自衛隊の儀礼曲やラッパ譜の作曲に関わっているという事実は、一般にはあまり広く知られていません。通常、ラッパ譜は旧軍以来の軍楽伝統を継承する実用的な信号音楽として理解されがちですが、その作曲や整備の過程には、戦後日本を代表する著名作曲家が関与していたことになります。
このことは、日本のラッパ文化が軍事的枠組みの中で閉じた存在ではなく、戦後の音楽文化とも緩やかに呼応しながら継続してきたことを示しています。すなわち、明治期に西洋軍楽の制度とともに導入された信号ラッパの旋律文化は、時代の変化を経ながらも、自衛隊の儀礼音楽として今日まで受け継がれ、その過程において現代音楽作曲家の創作とも交差することになりました。
黛敏郎が手がけた『栄誉礼冠譜』や『祖国』は、その意味において、近代軍楽の伝統と戦後日本の音楽文化とを結びつける一つの接点として位置づけることができるのではないでしょうか。
さらに、「儀礼」という観点から捉え直すと、声明や雅楽など日本の伝統的儀礼音楽に関心を寄せてきた黛敏郎が、自衛隊の儀礼ラッパ譜を作曲していることは決して偶然ではありません。宗教儀礼から国家儀礼へと連なる「儀礼音楽」という広い文脈の中で、彼の創作活動を捉えることもできるのではないでしょうか。

HIRAIDE HISASHI
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30
【日本のラッパの起源と進化】 - その1
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その2
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その3
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その5
― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その6
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7
― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その8
― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その9
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その10
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その11
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その12
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その13
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その14
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その15
― 『駆歩行進』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その16
― 『北海道のラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その17
― 『浜松まつりのラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その18
― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その19
― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その20
― 『音商標への登録』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
【日本のラッパの起源と進化】- その21
― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その22
― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22 【改訂版】
― 『夜空のトランペットのルーツ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その23
― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
【日本のラッパの起源と進化】- その24
― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
【日本のラッパの起源と進化】- その25
― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
【日本のラッパの起源と進化】- その26
― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
【日本のラッパの起源と進化】- その27
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【日本のラッパの起源と進化】- その29
― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
【日本のラッパの起源と進化】- その30
― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
― 『(仮)日本のラッパ文化の構造』―
